武田明倫
卓越したピアニストであると同時に端倪すべからざる論考を著作で発表している青柳いづみこの興味深いアルバム。「水の音楽」というタイトルのもとにリストの〈エステ荘の噴水〉、《波を渡るパオロの聖フランチェスコ》と《ローレライ》、ラヴェルの《水のたわむれ》と〈オンディーヌ〉、ドビュッシーの〈水の反映〉と〈オンディーヌ〉、ショパンのバラード第二番と第三番、ラフマニノフの〈バルカローレ〉、フォーレの《シシリエンヌ》を収めている。録音は 2001年 6月。
じつはこのCDは彼女の新刊の著作『水の音楽~オンディーヌとメリザンド』と一体となったものであり、著作のほうでヨーロッパの「水の音楽」を考察し、CDではそれを実際の音楽として表現する、というもの。著作のほうはまだ熟読する時間がなく拾い読みしかしていないのだが、「水」をキーワードにして音楽、絵画、文学を読み解いていくという方法は興味深い。冒頭にわざわざ収録曲を揚げたのは、じつはショパンのバラードと「水」の関係とは? と思ったからなのだが、著作のその箇所を読んで、なるほどそういう解釈も成り立つか、と思った。
演奏そのものも卓越したものであり、「水はどんな形でもとることができるが、そのどれでもない」、「水は、ピアノに似ている」、「水はすべての可能性を秘めながら、ひたすら水でありつづける」という言葉に「水」を「音楽の解釈」と読み替えたい気持ちを強く持ったこと、そしてその意味でもこの演奏を評価したことを述べておきたい。
濱田滋郎
青柳いづみこは最近、みすず書房から「水の音楽/オンディーヌとメリザンド」という一冊を出した。以前の著作同様、周到な研究と深い洞察、秀抜な着想に彩られた、嘆賞に値する書物である。このCDは言うならばその本の音によるイラストレーションとして作られたものだが、これら二つの仕事を間違いなく一人の人物が成し遂げているという事実には、あらためて驚かされる。ひとつの見方をすれば、これは当り前のことで、これだけの本を書ける人だからこんなピアノも弾けるし、これだけ音楽の真髄を己れの血肉としている人だからあのような文章も繰りひろげられるのかもしれないが。
ともあれ、ここに青柳いづみこの弾くリスト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、ラフマニノフの“水の音楽”は、イマジネーションを豊かにそなえた頭脳と心、そして指からでなくては生まれ得ない「何か」が息づいている。気がつけば、ここに集められた水はすべて淡水――海ではなく川もしくは湖の水――だが、そこにも何かの意味がひそんでいそうだ。言い足さねばならないが、このCDは、くだんの著書という助けがなかったと仮定しても、十二分に独立した意義と価値をそなえた「創作」であり得ている。ところで、もしもこれを聴いたフランス人が、演奏している女性の姓名が「 la fille de la fontaine et le saule vert 」といった意味だと知ったなら、陶酔のあまり失神してしまうかもしれない……(!?)。