戦前・戦後の東京には阿佐ヶ谷・馬込・田端などに文士村というものが存在し、小説家や文芸評論家、あるいは音楽家や編集者などさまざまな芸術家が集い刺激し合っていた。本書はその阿佐ヶ谷に住むフランス文学者の青柳瑞穂の家に集まる人々のことを、瑞穂の孫娘である著者が見聞きして綴ったものだ。
若い時分にもてなかった太宰治。それを心配して妻を娶らせようとする井伏鱒二。また大食漢の太宰が、青柳家がすき焼きをやる日にはどこからか嗅ぎつけてやって来ては、あらかた平らげて子どもたちの顰蹙をかう話。家族はその日の食べ物がないのに、自分は毎日酒を飲む外村繁。無頼の徒といえばそれだけのことだが、小説だけは日々書く。
太宰が毎日書いたという話はよく知られているが、ここに登場する木山捷平や上杉暁も例外ではない。大酒は飲むが文学至上主義で、彼らと共に生きる女たちにも、着るものを質屋に入れ浴衣姿で日々を通す者もいて、文士ともども人の目を気にせず生きることに楽観的だ。
そんな文士たちの交流は、将棋会から始まった「阿佐ヶ谷会」が有名だが、本書も阿佐ヶ谷会とその周辺の人々の人間関係が生き生きと活写されていて、人情こそが人生を潤してくれるのだと思いたくなってくる。また作品は戦前の街の成り立ちから今日の発展、そこに関わる市井の人々の生活まで描かれていて興味深い。
読み進むうちに幸福とはなにか、わたしたちはなにを糧に生きるのかと思案させられた。
我欲を張ることや頑張るということは、少なからず家族や周囲の者に忍耐や犠牲を強いるところもあるが、ここに登場する人々はそれらのことや生活も顧みず飄々と生きている。本当は貧しい生活のほうが生きる手応えがあり、逆に幸福ではないのかという気持ちにもさせられた。
今は死後となった文士たちの息吹が身近に感じられてきて味わいのある書物だった。
評・佐藤洋二郎(作家)