2013年に寄せて

新メルド日記の読者の皆さん、明けましておめでとうございます。
といっても、もうほとんど1月たってしまったけれど。

2012年9月21日、28日の浜離宮朝日ホールでの『黒猫』コンサートにいらしてくださった方々、ありがとうございました。おかげさまで大盛況のうちに無事終了、2回の打ち上げもわいわい楽しかった。これについては、『週刊現代』の聞き書き「会う食べる飲む、また楽しからずや」で語っている(最近は依頼原稿で近況を書いてしまうので、HPの更新がどうも遅れがちになります。反省)。

10月6日は大阪音大でレッスンしてから倉敷に行き、大原美術館で岡田博美さんのギャラリーコンサートを聴き、『音楽の友』にレポートを書かせていただいた。モネやゴーギャン、ルノワールなど泰西名画をバックに聴くバッハやドビュッシー、とりわけ、当美術館で初演された矢代秋雄『ピアノ・ソナタ』は格別だった。

翌7日は町田のスガナミ楽器で『ドビュッシーとの散歩』刊行記念の講座と公開レッスン。2時間の講座と2時間のレッスンで、たっぷりドビュッシーについて語った。

10月8日からは室内楽の合わせでパリ。今年3月にアンテグラルでのレコーディングが決まっているので、その打ち合わせも兼ねていた。やはりアンテグラルでCDを出しているエリック・ハイドシェックのプロモーション・ヴィデオにも、エリックとの対談でちょこっと出演した。といっても、ほとんどエリックがしゃべっていたけれど。

19日に帰国。翌日は鹿児島に飛び、日本ピアノ教育連盟のドビュッシー講座。東郷音楽学院の先生方と生徒さんが熱心に勉強してくださった。
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21日から26日までは連日、ピアノ教育連盟とカワイ楽器主催の『ドビュッシー・フェスティヴァル2012』に出演するために表参道のパウゼ通い。私は夜のコンサートのテーマ別選曲(あとでいろいろな演目が加わって、あんまり選曲の意味がなくなった)とテーマに沿ったプレトークを担当し、ついでに『スコットランド行進曲』『6つの古代碑銘』を指揮者・ピアニストの田部井剛氏と連弾し、『古代碑銘』ではテキストも朗読し、ソロでは『前奏曲集第2巻』全12曲を弾くという大役。

まぁ、この間のことはあまりに大変だったので思い出したくもない。主催者からきいたところによれば、アンケートでは演奏もプレトークも好評だったそうです。

11月3日は、出演者の人選を担当している大田黒記念館でのコンサート。今年は作曲家・ピアニストの高橋悠治さんをお招きして、大田黒元雄旧蔵のスタインウェイを弾いていただいた。曲目は、モーツアルト「ロンド イ短調」、シリル・スコット 『ジャングルブックの印象』より「夜明け」、『エジプト』より「エジプトの舟歌」、プロコフィエフ『束の間の幻影』全曲、モンポウ『沈黙の音楽』より数曲と、高橋悠治さん自作の『家具連句』。最後は戸島美喜夫『鳥のうた』。

シリル・スコットは大田黒さんが1915年に弾いているので、私からのリクエスト。プロコフィエフは悠治さんの選曲で、アメリカに亡命する途中で来日したときに演奏した作品だという。大田黒さんは、まだ無名のプロコフィエフを自宅に招いて手厚くもてなした。もしかすると、プロコフィエフもこのピアノを弾いたかもしれない。

悠治さんの実演は初めて聴くのだが、音楽の骨格をしっかりとらえた(というより、体の中にはいっている感じ)上での自在さ--曲想もそうだし、リズムもテンポも--がすごかった。夜は、横浜市招待国際ピアノ演奏会で若いピアニストたちの演奏を聴いたが、ある意味では、彼らが一生かかってもこの半分も行かないだろうと思った。その境地になると、達者に弾くなどというのは大したことではなくなるのである。

11月14日からは第8回浜松国際コンクールのオブザーバーでアクトシティ入り。審査院長の海老彰子さんからのご依頼ということでお受けしたのだが、仕事としては第3次予選から聴いて感想をコメントをしてほしいということ。私は、コンクールというのは早い段階から聴かないと何もわからないと思っているので、本当は第1次予選から聴きたかったのだが、スケジュール的に無理。間をとって第2次予選からの観戦となった。

24日の入賞者発表まで、途中で仕事のため東京に帰ったが、ほぼ10日間、若いコンステタントの熱演を聴き、夜は音楽ライターや評論家、音楽雑誌の編集者、コンクール・ゴアーの皆さんと会食したりで楽しかった。『我が偏愛のピアニスト』で対談させていただいた練木繁夫さんも審査員で、エレベーターでばったり会ったので軽く飲みに行っていろいろお話を伺った。

浜コンは前回まではどちらかというと若いピアニストを発掘するコンクールで、十代の入賞者が多かったのだが、今回は応募年齢を引き上げ、第3次予選でモーツァルトの『ピアノ五重奏曲』を課して、より音楽的な成熟を計ったという。とにかく、どんなにむずかしい課題を出しても差がつかないほどレヴェルが上がっているので、室内楽はまったく別の観点から見るためのよいアイディアだと思った。

浜コンは、毎回日本の作曲家に新曲の作曲を依頼しているのだが、今回は池辺晋一郎さんの『ゆさぶれ 青い梢を ピアノのために』。第2次予選を聴きにいらした池辺さんご夫妻に声をかけていただいて、やはり作曲家の一柳慧さんと最上階のレストランでお食事をご一緒した。池辺さんには、日中文化交流協会で北京と上海、内モンゴルのフフホトにご一緒して以来、『ピアニストは指先で考える』文庫本の解説を書いていただいたり、大変お世話になっている。浜コンの顧問をつとめる一柳慧さんとも、大阪のABC新人オーディションの審査でご一緒している。

浜コンについては『ショパン』から依頼されて講評を書いたが、個人的にはイギリスのコンテスタント、アシュレイ・フリップが本選にすすめなかったので、ちょっとがっかりした。せっかく音楽的成熟をめざして室内楽を導入したのに・・・。入賞者発表後の記者会見で、何人かの審査員も同じような感想をいだいていたことが、何となくわかったが、これがコンクールというものだろう。

10日間もの間東京を離れると、仕事に支障をきたす。主催者が用意してくれたアクトシティホテルの一室にPCと音・映像・文字資料を持ち込み、コンクール観戦の合間に単行本や連載、単発原稿の執筆にもいそしんだ。

浜コン期間中の11月21日には、NHK文化センター町田教室で『グレン・グールド 未来のピアニスト』をテーマにした講座もあった。2012年は、グールドの生誕80年と没後20年が重なった年でもあるのだ。

グールドの少年時代の録音や、デビュー前にベートーヴェンの『協奏曲第1番』を弾いている映像などをご紹介した。大入り満員で、改めてグールドの人気の高さを思った。12月1日にも京都の烏丸教室で同テーマの講座。こちらも大入り満員。終了後、京都芸術文化センターの館長さん、富永先生と会食した。

12月22日は、名古屋の宗次ホールで大谷康子さんとのデュオ・コンサート。ドビュッシー生誕150年記念最後のイベントである。

「演奏とトークでつづるドビュッシーの生涯」というタイトルで、初期の『美しい夜』や『夢』『アラベスク』、中期の『月の光』や『牧神の午後への前奏曲』(ハイフェッツ編)、そして晩年の前奏曲『水の精』『カノープ』、『ヴァイオリン・ソナタ』を演奏する。

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2012年最初のミューザ川崎でも同様のプログラムでご一緒したが、大谷さんはとても暖かいお人柄で、ドビュッシーをやさしく包み込むような演奏をなさる。ときどきぐわっと情熱的に盛り上げてくださるので、それに乗っていくととても楽しい。クリスマス近くだったので、最後はクリスマス・ソングのメドレーで賑やかに終えた。

さすがに疲れが出たのか、クリスマスを過ぎるころから膀胱炎を発症し、26日のベーテン・ピアノコンクールの審査は辛かった。朝早くから夕方遅くまで、1時間おきに10分の休みを入れただけで審査がつづく。休みごとにトイレに駆け込んでいたので、変に思われたかもしれない。

私が住んでいる町の阿佐ヶ谷には、ひ尿器科の病院は一軒しかない。電話をすると、年内はあと2日で終了なので、受診は大変だと言われた。まず朝の8時半までに行って早い順番をとる。診察券をつくってもらったあと、9時半までは病院内で待機する。そのころになるとその日の診療予定がわかるので、だいたいの時間を教えてもらっていったん帰宅する。受診30分前に携帯に電話がかかってくる・・・という流れ。私はまだ自宅から近いからよいけれど、一日あいている日じゃないととてもじゃないが受診できませんね。

ようやく診察していただき、劇的に効くという抗生物質を処方された。ただ、例外的に効かない人もいるので、もし朝起きても効果が感じられなかったら、もう一度予約をとりにくるようにとのことだった。そして、翌朝になっても症状に変わりがなかったので、また8時半に病院に行って診察時間を聞き・・・・という作業をくり返したのだ。幸いなことにこちらの抗生物質はよく効いて、年が変わることには症状は消えていた。

新年は1月10日に大阪府立夕陽ケ丘高校で一時間の講座。関西の音楽高校では名門だという。主催者側の要望で「弾いて書くキャリア」についてお話した。夜は、大阪音大の学生さんたちと新年会。いつもは忘年会をやるのだが、12月最後のレッスンのあとに名古屋のコンサートがはいっていたので、パス。2012年度の私のクラスは例外的に人数が多く、総勢17人。1年生のピアノコースが1名。演奏家特別コースが1名。2年、3年の演奏家コースが1名ずつ。3年生の特殊研究が2名。4年生の演奏家コースが2名。特殊研究が3名。大学院の1年生が3名。2年生が3名。ふー。私は年に15回しか音大に行かないので、時間割を組む事務の方が四苦八苦していた。

12日、13日は神戸国際コンクールの審査。音大生を含む一般の部は守りにはいった演奏ばかりであまり面白くなかったが、小学生-高校生部門は自分の世界観を持っているというか、個性的な演奏がつづいて、審査するほうも楽しかった。どうして音大にはいると詰まらないピアノになるのだろう。

いったん帰京したあと、16日にまたトンボ返り、大阪音大大学院の修士演奏と論文の審査である。演奏は40分。論文提出が1週間前なので、練習と執筆、どちらかにかかりきりだと、どちらかが手薄になる。これは、私にとっても永遠のジレンマである。

最後に、2013年の予定を少し。
先にも少し書いたが、3月にはパリでヴァイオリンのクリストフ・ジョヴァニネッティとのレコーディングが予定されている。曲目は、フォーレ『ヴァイオリン・ソナタ第1番』、ピエルネとドビュッシーの『ヴァイオリン・ソナタ』。

9月20日には浜離宮朝日ホールでお披露目のコンサートも予定している。

4月20日には、『ドビュッシーとの散歩』を題材にNHK文化センター京都(12:30~14:00)と名古屋(17:00~18:30)で講座がはいっている。

5月(3~5日、日程未定)には、ラ・フォルジュルネ音楽祭(東京)にも出演予定。昨年、ドビュッシー生誕150年記念をテーマに選ばなかった同音楽祭だが、今年は罪滅ぼしに「パリ、至福の時」がテーマなのだとか。私はドビュッシーとスペインのかかわりに焦点を当て、2台ピアノで『白と黒で』『リンダラハ』、ソロで『グラナダの夕』ほかを演奏します。

5月26日には、好評だった『黒猫』コンサートの大阪版が、大阪大学会館ユニヴァーシティ・ホールで開かれる(15時開演)。バリトンは、東京公演にも出演してくださった根岸一郎さん。ソプラノの松井るみさんにもドビュッシーの若き日の歌曲を歌っていただく(彼女は、松井大阪府知事のお嬢さんで、現在神戸女学院大学院の声楽科在学中)。 

JMLセミナーで月一回開いている「フランス音楽専門講座」も2013年で20周年を迎える。これを記念して、受講生によるマラソン・コンサートも企画している。若いピアニストの卵からピアノの先生、趣味の方まで幅広い顔ぶれで、レッスンのたびにいろいろな発見がある。タイトルは「音の美食家たち」。もちろん、私も弾きます。

本は、現在執筆中の『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』が白水社から刊行予定。たぶん、バルダがベートーヴェンの協奏曲を弾く9月に合わせての発売になるだろう。ジョヴァニネッティとのCDリリースも同じ時期だから、また編集と校正の二重苦になる。

岩波書店『図書』で連載中の「どこまでがドビュッシー?」も佳境にはいっている。ドビュッシー未完作品の補筆からだんだん発展して、話題はショパンから演奏解釈論まで・・・拡大の一途をたどっている。こちらもある程度枚数がそろったところで単行本化されるだろう。

そしてもう一冊。2013年はなんと、この「メルド日記」が単行本になります! こちらは『ショパンに飽きたら、ミステリー』の文庫を出してくれた東京創元社。

先日、プリントアウトしたものに赤字を入れて返したのだが、2002年に朝日新聞の書評委員に就任してから、2009年に『6本指のゴルトベルク』で講談社エッセイ賞をいたたくまでの期間だから、ヴァラエティに富んでいて、自分で読んでもなかなかおもしろい。といっても、分量がものすごく多く、400字詰め原稿用紙1000枚を越えてしまうので、いったいどうなることやら。

そんなわけで、2013年も「弾いて書いて」の私の活動をお見守りください!

投稿日:2013年2月1日

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MERDEとは?

「MERDE/メルド」は、フランス語で「糞ったれ」という意味です。このアクの強い下品な言葉を、フランス人は紳士淑女でさえ使います。「メルド」はまた、ここ一番という時に幸運をもたらしてくれる、縁起かつぎの言葉です。身の引きしまるような難関に立ち向かう時、「糞ったれ!」の強烈な一言が、絶大な勇気を与えてくれるのでしょう。
 ピアノと文筆の二つの世界で活動する青柳いづみこの日々は、「メルド!」と声をかけてほしい場面の連続です。読んでいただくうちに、青柳が「メルド!日記」と命名したことがお分かりいただけるかもしれません。

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