二十世紀にグールドがいたら、ずいぶん楽しかっただろうと思います。
演奏でも作曲でも賛否両論を巻き起こし、ツイッターもやりまくったりして。
―日本でもグレン・グールドのファンは多いのですが、コンサート活動をドロップアウトして録音に専念したとか、異様に低い椅子に座ってピアノを弾くとか、真夏でもコートを着るとか、人嫌いで孤独を好んだ「変人ピアニスト」というイメージがあります。
そうですね、ちょっと神がかり的で、仙人のようにビスケットと水だけで生きていたとか。(笑)グールドについて書かれた本は数多いのですが、ピアノの専門家からの発言はあまり表に出てこないので、われわれサイドからはどう見えるのかを代弁したいという気持ちはありました。肯定するにせよ否定するにせよ、グールドは何となく気になる存在なんです。大きなコンクールで優勝したわけでもないのに、なぜ国際的名声を勝ち得たのか。活動を録音だけに限定したのは、実演の厳しさを知っている立場からすれば、ちょっとずるいなという声もあります。影響を受けたピアニストは多いのですけれどね。
―執筆の準備はかなり前から進めていたのでしょうか。
いえ、はじめからグールド論を書くつもりで材料を集めていたわけではありません。グールドは人気がありますから、原稿の依頼も多い。そのたびに録音を聴いたりして……。単行本の依頼もずいぶん早くからいただいていたんですが、なかなか踏ん切りがつきませんでした。グールドは孤立した存在という印象が強いですが、実は夭折した天才ピアニスト、ディヌ・リパッティの後継者として売り出されたんですね。ヴァン・クライバーン、コンタルスキー兄弟などとは同世代です。ですから、それらのピアニストとグールドを比較してまとめようと考えていました。これまでのグールド論にはなかった視点ですが、材料は既存の音源と評伝などの文字資料に限られていて、オリジナリティにちょっと欠けるというか…
―行き詰まっていたところに、「あとがき」にあるように吉田秀和さんからのアドヴァイスがあったのですね。
「あなたはたくさん本を出しているから、この本を急いで出す必要はないでしょ」と(笑)。 そして、カナダのグールド研究家の著作を翻訳したサダコ・グエンさんを紹介してくれました。サダコさんの仲立ちでステージ演奏家時代の未発表録音を聴くことができ、われわれの知っているグールドが氷山の一角にすぎないことがわかったのです。変人だと思われていたのが、実は非常にまともだったというわけで、逆の意味での「偶像破壊」ですね。さらに幸運なことに、その未発表録音が四月に『グレン・グールドイン・コンサート 1951-1960』として発売されました。いくら私がグールドの知られざる側面が……と言っても、録音が未公開では公平な立場で判断してもらえません。この録音は、グールドの正規録音に拒絶反応を起こしている人にこそ聴いてもらいたいですね。
―「未来のピアニスト」というサブタイトルに込めた思いは。
近年、自分で演奏を録音し、CDを作ったり配信したりする演奏家が増えていますが、これはすでにグールドがやっていたことです。グールドは録音だけに飽き足らず、ラジオやテレビでも活躍しましたが、本当にやりたいことは当時の技術ではなかなか難しかったのです。グールドがオペラの音楽監督をやったら、どんなすごい演奏になったか。人嫌いだから音楽監督には不向きですが、未来のテクノロジーを使ったら実現できたかもしれません。グールドは作曲家や演奏家などの苦しみや叫びを自分の身に引き寄せて、とても真摯な提言をした人だったのです。未来を予言し、自分も未来に生かされるピアニストなんですね。
―これまで、祖父で仏文学者の青柳瑞穂、恩師の安川加壽子さんの評伝を発表してきました。
その人が近しいからとか、客観的に見て偉大な人であるからといった理由では書きません。まず自分自身が感じている疑問や矛盾があり、その問題に直面した誰かに引きつけて、書きながら考えていく。瑞穂の場合は日本熱文学と海外文学の土壌の違いに終生苦しみましたし、ヨーロッパから帰ってきた安川先生にも日本の社会やピアノ教育のあり方になじめない面がありました。自分も子供のころから同じような違和感をおぼえていたので……。昨年、初の小説『水のまなざし』(文藝春秋)を刊行しましたが、私のなかでは評伝も小説も位置づけは変わりません。
―グールドに取り組んだのも……。
出発点には、自分自身がピアノでうまく歌えないという悩みがありました。グールドの演奏は音がポツポツ切れるのが特徴なんですが、一緒に録音されている彼の声―彼はメロディーを歌いながら演奏する―が気になるんですね。これだけ歌えるのにどうしてピアノでは実行しようとしないのか、と。最初は誰もが考えるように、歌うように弾くことができないからだと思っていたのですが、少年時代の演奏を聴くと思う存分歌っていて、しかも鼻歌が出ていない。つまり、意図的にドライに弾いていたのです。そんな、グールドファンにはショックかもしれない発見をこの本には書いています。
―今後のご執筆の予定は。
来年、フランスのピアニスト、アンリ・バルダの本を出版する予定です。カイロ生まれでマルタ・アルゲリッチと同い年、十九世紀的ピアニズムの体現者で、どんな曲でも聴いただけで弾けてしまう。即興演奏の名手でもあります。一言で紹介するとしたら、「失われた世界に生き残っていた恐竜」。世の中には有名になりたくない人がいるもので、バルダがそうなんですね。けれどもすばらしいピアニストですから、彼にかかわる人は、自分が尽力すれば世に出せると思ってしまう。バルダはグールドほど有名ではないので(笑)、この本よりもずっと自分に引きつけた書き方をすると思います。