演奏者だからこそ気付いたこと
一九三二生まれで一九八二年に五十歳で亡くなったグレン・グールド。没後三十年近くたっても、六枚組のコンサート・アルバムや十枚組みのDVDが出るなど、人気は衰えない。グールド学会も開かれるほど研究も進み、関連の出版物も多い。そこへ新たに加わったのがこの本。著者は自身が現役ピアニストとして活躍中、筆の立つ演奏家として著作も多い。「これまでのグールド論は、学者や関係者のものがほとんどで、演奏する側からの視点は少なかった。私なりに、未発表の音源など、グールドを聴いていて気付いたことがあったので、それを書きたかったんです」
とこちが、音楽大学の学生時代はグールドの熱心な聴き手ではなかった。「クラシック界では楽譜通り弾くことが要求されますから。グールドのように作曲家の指示を無視して、非常に早く、あるいは遅く弾くことはありえなかった。グールドのレコードを聴いた学生は、あとで同じ曲を弾くと先生から叱られた。伝染るのね(笑)。それぐらい個性的な演奏」
グールドは六四年を最後に、ステージ活動を一切絶って、レコード録音にのみ生きたことは知られている。著者は若き日のステージ演奏家時代の録音に注目。知られざるグールドを描く。「プロになってからは、わずかな例外を除いて弾かなかったショパンを演奏した少年時代の録音があるんです。わたしたちが知っている知的でクールなグールドとは大違い。非常にロマンティックな演奏です。グールドは、ピアノを弾きながら歌うのが特徴なんですが、このときは歌も出ていない」
歌い上げるような演奏を封じて、主知的なアプローチに変えたとき、それを補うように本人の口から歌が飛び出し牽というのが青柳さんの見立てだ。ううん、おもしろい。「グールドが五五年にレコーディングしたバッハの『ゴルトベルク変奏曲』は、斬新な解釈とシャープな奏法でセンセーションをまきおこします。じつは五四年に同じ曲を抒情的に演奏した音源があるのですが、グールド自身がお蔵入りにしました」
時代はモダニズム。ロマン派は否定され、歌い上げることを禁じ、「純正主義」の全盛がつづく。グールドは、時代に合わせてクールなスタイルを自分で演出した。「グールドがグールドになるためにいかに奮闘したか」と青柳さんは書く。「グールドのデビューはプレスリーやジェームス・ディーンなどと重なっています。彼も怒れる若者の一人として『LIFE』の表紙を飾ったりした。人気者になってレコードが売れることで、嫌いなステージ活動をしなくてもよくなった、とも言えます」
ところで、タイトルの「未来のピアニスト」とはどういう意味だろ?「グールドはピアニストであるほかに、作曲、評論などマルチな才能の持ち主でした。グールドのさまざまな提言が、二一世紀になって実現している。いま、もし彼が生きていたら、もっと生きやすかったと思う。iPodなんて、喜んで使うんじゃないかな(笑)」