天才の闇の部分に光当てる
団伊玖磨、岩城宏之、中村紘子らのように、作曲家や演奏家で文筆を得意とする人は少なくない。構成を考え、受け手の反応を計算するのに慣れているから、文章を書いてもひとりよがりにならず、危なげのない端正なものができあがる。
ピアニスト青柳いづみこも、その系譜に連なる一人である。身辺雑記めいたエッセーから評伝まで、つまり軽いものから重いものまですでに著作は何点にものぼるが、本書は、名ピアニストたちをピアニストとしての視点から論じた、著者の専門性が際立つ内容となっている。
といっても、むやみと音楽の専門用語をふりまわして煙に巻いたりせず、音楽に興味がある人なら、やすやすと読めるように仕立てられているのはさすがである。大方の音楽評論家は、この筆力や分析力の前では顔色を失うほかないだろう。
ことに青柳は、天才の闇の面をクローズアップする。私たちは、天才といえば、普通の人とは桁違いの能力で困難を感じずにことを成就するといった先入観を抱いている。が、才能が並外れているほど、余人が考えもしない深刻な問題と向き合わねばならない。そうした天才の闇の部分を、同業者ならではの理解あるまなざしで見つめているのが、本書の特色であり、好ましさだ。
ただ、あえて贅沢(ぜいたく)な物言いをつけるなら、これは他の青柳のシリアスな著作にも感じたことだが、文章も論もあまりにも確実で安定してはいないか。皮肉なことに、芸術や著作においてはしばしば破綻(はたん)や強引や論理の不徹底といったところに、思いもかけぬ生命が宿るのである。たとえば小林秀雄のように。
むろん、青柳はそれをよく知っている。彼女が本当に魅了されるのは、滑らかさや明快といった段階を突き抜けた、暴力的と言ってもよいような強い表現力を持つ音楽であるようだ。だとしたら、いつか彼女の文筆がそうした境地に達するのを待ってみたい。