【関連記事】「ドビュッシーの神秘」レコード芸術 2013年2月号 文・遠山菜穂美

2012年はクロード・ドビュッシーの生誕150年にあたり、コンサートやCD、展覧会などを通じて多くの人々の関心が集まった。フランス音楽、とりわけドビュッシーに、演奏、研究の両面で深く取り組まれてきたピアニスト、青柳いづみこさんも、講演やコンサートでお忙しい1年であったが、秋には「ミステリアス・ドビュッシー」と題するアルバムも完成し話題を呼び(本誌10月号特選盤)、またやはり2012年に刊行された青柳さんの著作『ドビュッシーとの散歩』も、ドビュッシーの多面性を知る上でもとても興味深い内容になっている。CDの話題も含め、ドビュッシー全般について青柳さんにお話をうかがった。

前奏曲集第2巻を中心に編まれた『ドビュツシーの神秘』

机の上に1冊の楽譜。《前奏曲集第2巻》に含まれる予定だったが実現しなかったという幻のピアノ曲、《象たちのトーマイ》を青柳さんが持ってきてくださつた。世界初録音の未完の小品である。

- 今回新しく出されたCD「ミステリアス・ドビユッシー(ドビユッシーの神秘)」の冒頭は《象たちのトーマイ》ですね。そして《前奏曲集第2巻》は、2回目の録音でしょうか。

「そうです。前の録音では、《前奏曲集第2巻》は、《古代のエピグラフ》の2手版と、《子供の領分》との組み合わせでした。」今回は《ハイドンをたたえて》、《スケッチブックから》といったおなじみの小品に加えて、《石炭の明かりに照らされた夕べ》、《「負傷者の衣服」のための作品》、《エレジー》など、ドビュッシー・ファンにとっても、かなり珍しい小品が含まれていますね。「今回は晩年の小品を入れました。すでに全集などでは録音されてきたものですが、はじめはあまり興味がなかったんです。ところが、あるピアニストがアンコールで弾いたとき、もっと違う弾き方があるはずだと思って(笑)楽譜を見ると、ドビュッシーはさらっと書いているようにみえて、意外にハーモニーに細かく気を配っているんです。」

音楽学者オーレッジって再構成された《トーマイ》

ー《象たちのトーマイ》についてもお話しいただけますか。

「ドビュッシーが《前奏曲集第2巻》を作曲中に、出版者のデュランに宛てて、『《象たちのトーマイ》にこれだけ固執していなかったら、最後の2曲をもっと早く送れただろう。骨を折ったけれど、結局は前奏曲集に向かないので破棄して、そのかわりに(第11曲に)〈交代する三度〉を入れた』というようなことを書いています。」

ドビュッシーは曲集の第11曲になるはずだった《象たちのトーマイ》を諦め、代わりに《交代する三度》を入れた。そして幻と化した《トーマイ》の復元を試みたのが、音楽学者のロバート・オーレッジである。……とはいっても、スケッチに基づいた「復元」とは違うようである。
 
「オーレッジは音楽学者らしい発想から、ドビュッシーが同じ年(1913年)に作曲した《おもちゃ箱》は《トーマイ》の構想が発展した形ではないかと推測しました。《おもちゃ箱》そのものが、コラージュのような手法でいろいろな要素がパッパッパッと出てくるような作品ですが、オーレッジはその中の『象たちの行進』と、『古いヒンズーの歌』という2つの要素を組み合わせています。オーレッジはイギリス人なのですが、昔インドがイギリス領だったので、イギリス人は今でも古いヒンズーの歌を聴けばすぐに、『象』とか『象使い』を連想するらしいんですね。ドビュッシーは前奏曲集の中に《トーマイ》を入れなかったけれども、その構想がおもちゃ箱に発展したに違いない、つまり《おもちゃ箱》から”逆算”して(笑)、自分なりに構成をしました。音楽学的には《オーレッジ作曲、ドビュッシーの「おもちゃ箱」の素材による幻想曲》のようにすればよかったかもしれません。」

音柳さんのCDではこの点を正確に捉え、タイトルを《ドビュッシー=オーレッジ:象たちのトーマイ》としている。青柳さんによれば、パリで行なわれたドビユッシーの国際シンポジウムでも、オーレッジが《ヴァイオリンとピアノのためのポエム》という別の曲も再構成して発表していたとのことである。

未完を含めた「周辺作品」への理解が「解釈」には必須

ー 今回のメインである《前奏曲集第2巻》についてうかがいたいと思います。さっそく拝聴したのですが、以前よりもいっそう色彩が強く感じられ、演奏もダイナミックで運動感が増したよいうな気がいたしました。ご自身では以前の録音と違う点など、意識していらつしゃいますか。

「カメラータに移籍してから、前に録音したものも重複して録音することになりました。以前の《前奏曲集第1巻》と《映像第1集・2集》は完成度が高かったのですが、《前奏曲集第2巻》の方は、高い評価はいただき、アルバム全体のコンセプトもよかったのですが、自分としてはちょっと不満なところがあって心残りだったので、これをもう一回録音したいと思いました。また、もちろん最初の頃と今では、いろいろな理解が深まったこともありますし、この間に2巻の前奏曲集と関係ある未完のオペラ《アッシャー家の崩壊》をコンサート形式で上演したり、ヴァイオリン・ソナタでツアーを行なったりと、周辺を固めてイメージを作っていったという感じです。」

ー 同時代の芸術や空気を知ることが、今回の録音にも生かされているんですね。

「作曲家にとってピアノ曲というのは、ーショパンは別としても- そんなに重要なものではなく、他の大きな声楽曲やオーケストラなどがメインで、その滴のようなものでビアノ曲ができてしまう。ドビュッシーの場合はとくに、同時進行していた周辺の作品を知らないと、本当には解釈できないと思います。それからもうひとつ、ドビュッシーには未完のものが多いため、完成されたものだけを追っていたのでは真意がわからないので、そこで未完のものも重要になってくるんです。ご存知のように、ドビュッシーは同時代の最先端の文学者や画家たちと交流してコラボレーションをたくさんしていますから、音楽だけに限った理解では浅くなってしまいます。そうした様々な要素が1つの曲の中に入っているんです。たとえば、〈水の精〉や〈妖精はよい踊り手〉のもとになったアーサー・ラッカムの挿絵についても、ふつうは娘のシュシュがいたから絵本を借りたと思われがちですが、シュシュはすでにその、頃もうかなり大きくなっていて、むしろパパ・ドビュッシーの方がとても好きだったのです。とくにラッカムという人は単なる絵本作家ではなくて、ビアズリーの仲間内にいた人ですので、普通に考えられるような童話の世界ではないんですね。20世紀初頭のデカダンティズムを引きずっていた仲問の一人という意味合いもあります。」

「冷たいドビュッシー」が多すぎる。

ー 研究を通じての知識が青柳さんの中に浸透してきているわけですね。

「というよりは、自分でピアノ教師として教えたりオーディションの審査をしたりする時に、前奏曲集第2巻をよく学生.さんたちが弾いてくれるんですけれども、わかってないと弾けないな、とはっきり思いますね。それから前奏曲集第2巻は、ある時期、ブーレーズなどが構造主義的な見地からアブストラクト(抽象的〉にイメージづけたために、どちらかといえば知的で客観的で、ちょっと冷たいイメージで考えられていて、例えばミケランジェリもそういう演奏ですが、私の研究によれば、《アッシャー家の崩壊》にしてもラッカムにしても、前世紀のデカダンティズムを引きずっているところがあるので、もうちょっとこう、客観的ではなく、ロマン主義の裏返しのような、あるいは尾っぽにロマン主義を残しているような、皮膚感覚の演奏をと思うんです。そういう演奏はあまり無いので……」

- 1巻はわかりやすくてファンタジックなイメージがありますが、2巻となるとちょっと違いますね。

「冷たい演奏が多いですよね(笑)。」

ブーレーズも、”根っこ”は19世紀

- ブーレーズは分析的な方向に行き過ぎたのでしょうか?

「ブーレーズも演技していたところがあると思います。この間、国際シンポジウムで、会長でもあるブーレーズが、アンドレ・シェフネル(フランスの音楽学者。最近『ドビュッシーをめぐる変奏』が邦訳で出版された)から非常に影響を受けたというんです。シェフネルは完全に19世紀的な解釈をした人ですので、真逆だと思って驚きました。やはりブーレーズもルーツはそこだったんだ、と。だから彼のとった方向はひとつの戦略だったと思ったのです。指揮者としての分析力を前面に出した方が、あの頃の時代にはマッチしていたからこそ、あれだけの指揮者になったわけです。実際にあれだけ正確に振れる人はいませんから、《遊戯》のような込み入ったテクスチュアもあそこまで明快にしてくれたことは、非常にありがたかったです。」

- ブーレーズの音楽論などが流行った後に、青柳さんの研究ももちろんそうですが、神秘主義など周辺のことに関心が移っていったように思いますが、現在はどういう傾向といえるでしょうか。

「今のドビュッシー研究は、誰も知らないものを掘り出すのが流行っていますね。掘り出して、くっつけたり(笑)。」

- 研究は、本来演奏に役立つものでないと……

「つまり、われわれはそれを弾くわけですから。演奏しなきゃ、音楽じゃない(笑)。

演奏と研究の相互補完の中で

- その点、青柳さんの場合、ピアニストと研究者の両面が、まったく両立していらっしゃいますね。

「このごろ両立してきたと思います。以前は本を書くとピアノを半年演奏しなかった時期もあったのですが、あるとき、これを最後にと思っていたコンサートで、私の演奏が本で言っていることと全く反対だと酷評されてしまって-それは本の誤読が原因でしたが-それでやめるにやめられなくなったというわけです(笑)。」

- 演奏が、研究の原動力にもなっているのですか。

「もともとは留学から帰ってきてデビューした頃、ドビュッシーは印象派のイメージが強かったので、『あなたのドビュッシーにはルノワールが足りませんね』などと言われました(笑)。そういう固定観念に対して急には反論できなかったのですが、それは違う、と直感酌に思いました。この直感を資料的に確かめることによって、誰にも何も、言わせない状況になりたいと思ったんです。そのぐらい自分の直感には自身を持っていました。資料的に結果がでてくると、すごく嬉しかったですね。」

- 今でも、ドビュッシーは印象派といわれてしまう傾向がありますね。

「根強いですね。日本人は印象派が好きなんです。そこですね(笑)。」

ドビュッシーの神秘
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