【書評】『サティとドビュッシー先駆者はどちらか』(東京新聞 2025年10月25日)

対照的作曲家の友情、葛藤

評・小倉孝誠(慶応大教授)

 芸術や文学の領域では、同じ時期に2人の才能が並びたち、競いながらひとつの時代を画するということが起こる。19世紀末から20世紀初期に活躍したフランスの作曲家、ドビュツシーとサティもその例である。本書は2人の生と芸術を交叉させながら、音楽のみならず文学、バレエ、演劇、絵画の流れも絡めて、当時のパリの文化空間をあざやかに再現してみせる。
 ドビュッシーは貧しい家庭に生まれ、両親の期待を背負つてパリ音楽院に入学し、栄誉あるローマ大賞を受賞した。その後、私生活のトラブルなどを経験したが、次々に傑作を発表し、オペラ「ペレアスとメリザンド」以降は世間的な成功にも恵まれた。
 他方サティは、裕福な海運業者を父にもったが、怠惰な性格が災いして、パリ音楽院に入ったものの成績がふるわず、やがて学校を追い出された。その後は、酒場でピアノを弾きながら糊口(ここう)をしのぐ生活を続けた。
 その2人が知り合ったのは1891年頃、パリ北部モンマルトルだった。当時はカフェ「黒猫」を中心にボヘミアン文化が華ひらき、2人の若き作曲家はその洗礼を受けた。マラルメやレニエなど、象徴派詩人との親近性も2人に共通する。さらに、1889年にパリで開催された万博を見物した彼らは、どちらも異国とくにアジアの音楽に興味をひかれ、東洋趣味を採り入れた曲を書く。
 若い時の2人は互いの才能を認め合い、友情で結ばれた。しかし「ペレアスとメリザンド」が1902年に初演され、ワーグナー主義からの脱却を画した作品として高く評価された頃から、2人の関係に亀裂が入る。ラヴェルなど若い世代がドビュッシーを批判し、サティの革新性を持ちあげたことが、事態をいっそう複雑にしたようだ。
 著者によれば、ドビュッシーは耳の喜びのために、サティは眼のために音楽を書いたという。出自、性格、思想を異にする2人だけに、秘められた葛藤があった。著者はドビュッシー研究者だが、サティへのまなざしもやさしい。

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