【関連記事】「大田黒愛用のピアノで綴るピアノと歌曲の夕べ」レッスンの友 2010年8月号 インタビュー

「大田黒愛用のピアノ(一九〇〇年製スタインウェイ)で綴るピアノと歌曲の夕べ」の企画・構成・演奏を行なう青柳いづみこさんに訊く。

我が国の音楽評論の草分けである大田黒元雄(一八九三〜一九七九)が愛用したピアノ(一九〇〇年製スタインウェイ)を使って、?大田黒元雄と『音楽と文学』の仲間たち?と題した、「ピアノと歌曲の夕べ」というコンサートが、九月二十四日(金)、東京・築地の浜離宮朝日ホールで開かれる。(企画・構成・ピアノ:青柳いづみこ、ソプラノ:釜洞祐子、バリトン:根岸一郎、主催:朝日新聞社・ミリオンコンサート協会)

演奏されるピアノ曲は、大田黒が自らコンサートで弾いて紹介した曲目から、ドビュッシーが取り上げられる。このコンサートを企画し演奏する青柳さんにお話を伺った。

大田黒さんが弾いた曲目からドビュッシーを取り上げる

—大田黒元雄さん愛用のスタインウェイを使ってコンサートをなさるということですが、その経緯をお話しください。

「大田黒さんのピアノは、杉並区立大田黒公園内の記念館で保存されていました。最初に修復されて演奏できるようになったのは、二〇〇〇年のことです。その後、毎年文化の日に杉並区民を対象にコンサートが開かれていました。年に一回だけですから、応募者はすごく多かったのですが、聴けるのは抽選で五十名だけでした。

そのコンサートの二回目と最後の回に頼まれて演奏したのです。二〇〇七年の時に、『これ以上このピアノを使用するのは難しいので、これが最後のコンサートになります。もったいないですね』と話したら、聴衆の間で『確かにもったいないから、募金活動をして修復しましょうよ』という気運が盛り上がったんです。たまたまその中に、ご自分の楽器を神戸の有名な修復師の山本宣夫さんに修復してもらった方がいらして、すぐに頼んでみましょうという運びになりました。

当時の部品を使う関係から見積もりも結構高かったのですが、私も含めて、杉並区在住のクラシック演奏家の方を中心に『守る会』というのを区で結成して、その会を前面に出して募金活動をしたんです。残念ながら予定額の半分弱くらいしか集まりませんでしたが、残りは区が補填してくれて、無事修復が済みました。今年の四月にはお披露目コンサートも開かれ、メディアにも取り上げられたのですが、杉並区民だけが対象で、記念館でやりましたから、聴ける人が限られているんです。

今ではもうその存在すらあまり知られなくなってしまいましたが、大田黒元雄の業績というのはとても大きいと思いますので、一度ピアノを区外に運んでコンサートをやろうと思ったわけです。

大田黒元雄さんは、ロンドン留学時代に買い集めた楽譜や書籍などをもとに、一九一五年、『バッハよりシェーンベルヒ』という画期的な本を出版して、音楽評論の先駆となった方です。

その名声を慕って、野村光一さんや堀内敬三さん、菅原明朗さんなど、のちに楽壇の重鎮となる音楽青年たちが大田黒さんのもとに集うようになりました。

大田黒さんは、その青年たちと新しい音楽を勉強しようと、一九一五年から一六年にかけて、大森山王の 自宅をサロンとして『ピアノの夕べ』というコンサー トを開き、自ら演奏していました。

今回のコンサートでは、その曲目からドビュッシーのピアノ曲を演奏します。後半は、サロンに集った堀内敬三が訳詩をつけた、いわゆる泰西名歌と、菅原明朗の非常に珍しい歌曲をご紹介します」

—その『ピアノの夕べ』は、どのくらいやっていたのですか?

「二年間、ほぼ毎月開いていたようです。ほとんど 大田黒さんの独演会でした。でもプロフェッショナルな演奏家ではないわけですから、東京音楽学校(現・東京藝大)の先生が聴きに来たりすると、素人だと見下すようなところもあったようですが、評論家が自分で演奏するというのは、大事なことだと思います。すごく勇気がありますよね。

大田黒さんは日本で最初に本格的なドビュッシーの評伝を書いていますが、『ピアノの夕べ』でも、当時はバリバリの現代音楽だったフランス音楽やロシア音楽、北欧の音楽、アメリカの音楽を紹介しています。当時のプログラムが残っていますが、斬新さと先見の明に驚かされます。

近代の大作曲家たちがまだ生きている頃に、自らピアノを弾いて、リアル・タイムで紹介したわけです。まだクラシックの黎明期であった大正時代の初期に、そういう音楽を紹介し、クラシック、特に近代音楽の普及に力を尽くしたという功績は、非常に大きいと思います。またそこから野村光一さんや堀内敬三さんたちが巣立っているわけです。

ですから本当は、大田黒さんがご自身で弾いて紹介した曲目による連続コンサートができたらいいな、と思っているのです。

大田黒さんと祖父(青柳瑞穂)とは親交がありました。今度弾く『牧神の午後への前奏曲』のピアノ・ソロ版の楽譜は、大田黒さんがロンドンで演奏に接したボルヴィックが編曲したもので、祖父もその楽譜を持っていたのです」

—他に菅原明朗作曲の歌曲も演奏されますが、お祖父様の作詞による曲が二曲ありますね。

「はい。『丘の上』は慶應義塾の応援歌ですから知っていましたが、『白い姉の歌』は全く知りませんでした。菅原明朗の曲は楽譜が出版されていないので、初演はされていますが、その後誰も演奏していません。今回のコンサートのために彼の歌曲の楽譜を集めようと、国立音大の図書館で探していたらこの曲を見つけて、祖父の作詞だったのでビックリして、これは是非やらねば、と思ったのです。この曲は映画音楽なんです。大佛次郎原作の『白い姉』という一九三一年の無声映画の主題歌ですが、何とも言えない、ヘンテコな歌ですよ(笑)」

晴れやかで、 明るい音色のピアノ

—ところで、このピアノはどんな音なのですか? 

「何と言っても、すごくいい音です。一九〇〇年製のハンブルク・スタインウェイなんです。現在のハンブルク製はハンブルク工場独自の部品で作っていますが、このピアノは、ニューヨークから部品を送ってハンブルクで作っていた時期の楽器で、当時のニューヨーク製の晴れやかで明るい音色をそのまま残している、とても貴重な楽器なんです。

写真で見てお分かりのように、このピアノは外側が寄せ木細工で、脚が八本あるんです。この寄せ木細工が剥がれやすくなっているので、下手に触るとはらっと落ちてしまうんです。それをニスで塗ってしまうと、元の姿を損ないますでしょう。しかも脚が八本で、それが今のピアノと違って華奢ですから、運ぶために外して、また会場ではめるのも大変なんです。ですからこのピアノは、運ぶのがとても難しい。そして運送費が普通のピアノの倍くらいかかってしまいます。だからと言って運ばずに記念館でやったら五十人限定で、ほとんど知られずに終わってしまいます。どうしても一度、区外に出したいと思ったわけです。

今回運んでみて、ダメージが少ないようでしたら、先程も言いましたように、連続コンサートもできるかも知れません。でも、めちゃめちゃ赤字です(笑)。 」

—そうでしょうね。でもコンサートは楽しみにしています。有り難うございました。

人物注記) 
野村光一:一八九五〜一九八八、 音楽評論家  
堀内敬三:一八九七〜一九八三、 音楽評論家、作詞・作曲家  
菅原明朗:一八九七〜一九八八、作曲家  
青柳瑞穂:一八九九〜一九七一、仏文学者、詩人、美術評 論家、骨董品収集家
以下同)

大田黒公園記念館 ピアノ・コンサート 
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