【関連記事】「ピアニストが見たピアニスト」出版記念リサイタル 毎日新聞 2005年9月1日夕刊 文・梅津時比古(専門編集委員)

独自のドビュッシー研究を音に──演奏・文筆25周年リサイタル

音楽と文学の双方で成果を積み上げている青柳いづみこが「演奏・文筆25周年」を銘打ったピアノ・リサイタルを開く。

青柳はデビュー・リサイタルを開いた80年に、エッセーを初めて公にし、「ドビュッシー」「翼のはえた指」「真贋のあわいに」など8冊の著作と、5枚のCDで、まさに両道を極めてきた。最近作は、「ピアニストが見たピアニスト」の著作と、ラモー作品集〈やさしい訴え〉のCD。今回のリサイタルはその両作の刊行記念も兼ねている。「ピアニストが見たピアニスト」では、リヒテル、ミケランジェリ、アルゲリッチ、フランソワなど6人のピアニストを演奏に即して徹底的に分析。そこには同じ演奏家としての視点がふんだんに盛り込まれ、独自の演奏家論になっている。「こんな偉いピアニストたちについてどうのこうの書いたら、あなたがピアノ弾けなくなりますよ、と言われましたけれど」と笑う。

今回のリサイタルはラモーとドビュッシーを特集するが、同書には各ピアニストのドビュッシー演奏も細かく分析されている。「悪魔的に緻密なミケランジェリ、遊ぶところはフランソワ、一気に行くところはリヒテルにひかれるけれど、でも、自分が弾くときには身体的になるから、(彼らの演奏に)左右されることはないですね」演奏と学術研究の関係は、「自分が感じるドビュッシーを弾いたら、『あなたの演奏にはルノワールが足りません』と言われて、心外で、それなら自分のドビュッシーを証明しようと研究に入ったので、私にとって研究はもともと身体的なものだった。自分のなかにあるもやもやしたものが、言葉に行くか、音楽に行くか、の違いですね」ドビュッシー自体が、音楽と文筆の両方に目が行った音楽家だった。「私が抱えている音と言葉の問題をドビュッシーが体現しているような感じはあります。この人を解明すれば自分のことも少しわかるかな、と思った」

今回のリサイタルの副題「ラモーからドビュッシーへ」も青柳のドビュッシー論から生まれたものだ。「ドビュッシーは、ワーグナーに対抗するフランス的洗練の極をラモーに求め、ピアニズム的にもラモーのクラヴサンの2段鍵盤奏法を取り入れている。今度弾く『前奏曲集第2巻』は、『20世紀音楽の扉を開けた曲』と言われているけれど、私は発想としては2段鍵盤だと思うんです。その異なる鍵盤の音が混じって無調的なドビュッシーのオリジナル語法に発展した、ととらえている。それをラモーの作品と並べて弾いて証明しようというものです」知的で豊かなコンサートになりそうだ。

『ピアニストが見たピアニスト』出版記念リサイタル
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