【関連記事】随筆「音楽になったエドガー・アラン・ポー ドビュッシー〈アッシャー家の崩壊〉をめぐって」三田文学 2009年夏期号 文・青柳いづみこ

来る九月二十四日、東京浜離宮朝日ホールで開催予定のコンサー ト「音楽になったエドガー・ポー」に向けて、ドビュッシーのオペラ『アッシャー家の崩壊』(一幕二場・未完)の稽古を始めたところだ。配役はロデリック・アッシャー(バリトン)とその妹マデリーヌ(ソプラノ)、アッシャー家の侍医(バリトン)ロデリックの友人(バス・バリトン)の四人。オーケストラを雇うお金はないので、私がピアノで伴奏する。

原作は言うまでもなく、今年生誕二百年を迎えたエドガー・アラン・ポーの怪奇小説である。脚色はドビュッシー自身で、ボードレールの仏訳にかなり手を加えている。

ポーの原作は『早すぎる埋葬』と『ウィリアム・ウィルソン』をドッキングさせたようなプロットで、アッシャー家の末裔であるロデリックとマデリンが鏡の映像のように似通っているところがミソなのだが、何とドビュッシーはこの二人の年齢をぐっとひきはなし、ドッペルゲンゲルにとり殺される恐怖というパターンをあっさり崩してしまった。

ドビュッシーはまた、原作ではほんの少ししか登場しないアッシャー家の侍医の役割を大幅に拡大させ、マデリンに横恋慕し、兄をさしおいて勝手に生き埋めにするというグロテスクなキャラクターに仕立てている。

台本のほうは三種類もできたのにかんじんの音楽はさっぱり筆が進まなかった。ファイナル・ヴァージョンにつけられた音楽は、一場がヴォーカル・スコアの形で清書されたものの、二場の途中で途切れ、マデリンの歌う「幽霊宮」のアリア、あちこちの断片、そしてラストなど、全体の三分二程度しか残されていない。

”印象派の巨匠”ドビュッシーとポーのとりあわせに驚く向きもあるかもしれないが、ドビュッシーはマラルメの火曜会に出席したただ一人の音楽家だったし、仲間うちにいたピエール・ルイスやアンリ・ド・レニエ、アンドレ・ジッド、ポール・ヴァレリーという詩人たちは、みなボードレールが翻訳したポーの詩や散文にかぶれ ていたのである。

一八九〇年、音楽評論家のアンドレ・シュアレスはロマン・ロランに宛てた手紙で、ドビュッシーは若手の有望株だが、残念なことに、当世流行の文学、ボードレールのように「地獄行きが決定的な」輩が標榜する頽廃的な美学に傾倒しすぎている書いている。

シュアレスによればそのころドビュッシーは、「エドガー・ポーの短編、中でも『アッシャー家の崩壊想を得て、心理学的に展開するテーマにもとづく交響曲を作曲中」だったらしいが、この作品は痕跡を残していない。しかし、九三年作の『弦楽四重奏曲』の循環テーマは、のちに書くことになるオペラ『アッシャー家』の主題に酷似している。

九月の「音楽になったエドガー・ポー」コンサートは、この『弦楽四重奏曲』で開始する。研究者たちはドビュッシーの出世作を中世の教会旋法にあてはめて分析してきたが、『アッシャー家』というまったく異なった光を当てると、さてどんな風に聞こえるのか。

次の演目は私のピアノ独奏で、ドビュッシーの『前奏曲集第2巻』から、「水の精」と「カノープ」を演奏する。どちらも、『アッシャー家の崩壊』と同時進行していて、「水の精」にはマデリンとロデリックのテーマ、「カノープ」には、地下の墓から出てきたマデリンがロデリックの部屋の扉を叩く音を模した崩壊のテーマが使われている。

同じくポーにもとづく笑劇で、『アッシャー家』と抱き合わせで構想されていた『鐘楼の悪魔』からわずかに残ったピアノ小品も合わせて演奏する。

エドガー・ポーにもとづく音楽作品を書いたのは、ドビュッシーだけではない。ロシアの作曲家ラフマニノフは『鐘』という合唱交響曲を書いているし、やはりロシアのミャスコフスキーにもポーの 『大鴉』にちなんだ『交響詩・沈黙』がある。

編成の大きなものはステージに乗せられないので、九月のコンサートでは、ハープの登場する作品を二曲とりあげる。フランス近代のハープ奏者で作曲家でもあったアンリエット・ルニエ『幻想的バラード』は、ポーの「告げ口心臓」にヒントを得た作品で、ハープ奏者の間では超絶技巧で知られる曲だ。ドビュッシーが可愛がっていた弟分のアンドレ・カプレには『赤死病の仮面』がある。当初はクロマティック・ハープとオーケストラのために書かれたが、のちに弦楽四重奏とハープのための作品に改訂された。

ドビュッシーがオペラ『アッシャー家の崩壊』の作曲を通してめざしたのは、「音楽における苦悩への前進」だった。ドビュッシーと周辺の作曲家たちが、どこまでポーの世界に肉薄し、苦悩と恐怖を音楽言語化しているか、企画した私自身も興味深々なのである。

ドビュッシー〈アッシャー家の崩壊〉をめぐって
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