【書評】「グレン・グールド 未来のピアニスト」週刊朝日 2011年9月30日 評・小池昌代(詩人)

演奏家は、どう創造に関わるのか

音楽好きなら人それぞれに、グールド体験というものがあるだろ。私が初めてグールドに驚いたのは、彼の弾く「トルコ行進曲」を聴いたときだ。そんな弾き方は初めて聴いた。なぜグールドより前にグールドのように弾く人がいなかったのか。現代日本文学で言えば、町田康のようなもので、グールドはまったく新しい文体を創造したのだった。 聴いた瞬間、音楽が透明になって、曲の構造があらわになる。数式を次々解き明かしていくようなバッハ。かたやブラームスの間奏曲集において発揮されたようなロマンに満ちた演奏もあった。多面的で、しかも刻々変化していく人。グールドを捕まえるのは至難の業だ。

世に次々と送り出されるグールド関連本。今回、新たに登揚したのが青柳いづみこによる本書である。同業者である現役ピアニストがグールドについての考えをまとめた。その点でも珍しく興味深い。 著者は演奏者であるほかに、ドビュッシーの研究でも知ちれ、ドビュッシーを演奏したCDも多い。パワフルな頭脳の持ち主だが、直感的な人でもあり、『水のまなざし』という初の小説を昨年、上梓した。喉を痛め、声が出なくなったピアニストのたまごが主人公。弾きながら思うままに鼻歌を歌ったグールドとは、表と裏だが、ピアニストにとっての「歌」の意味を、考えさせられた物語だ。

青柳自身は本書冒頭で、グールドの格別熱心な聴き手ではなかったと書いているが、私はこの二人に通底するものがあると思う。考える演奏者であること、矛盾を抱く複雑さと、目に見えないものをつかみとり、言語化する卓抜な能力を持つことなど。 時に、グールドを語る人は、彼に自己を投影し、彼に取り込まれて我を忘れてしまう。その点、青柳が保つ冷たい距離感は、グールドに被さった虚像を剥がすのに必要不可欠なものだったと思う。

後半、とりわけ十五章以下、創造とは何なのかという側面からグールドが解剖されていくあたりは、音楽以外の人間にも多大なヒントが用意されている。 クラシック音楽は、再現芸術といわれる。作曲家は創造するが、ならば演奏家は、どう創造に関わるのか。 ある著名なピアニストに、著者が.ドビュッシーのピアノ曲の解釈について尋ねた折のこと。「先生からそのように習ったから」という答えしか返って来ず、独自の意見が聞かれなくて驚いたと書いている。

「第二次世界大戦前後から『純正主義』が主流になり、テキストに忠実な演奏が求められるようになった」とあるが、そこにコンクールの弊害も加わって、二十世紀のクラシック音楽界では、楽譜通りに間違いなく弾くことを最上目的に掲げた演奏家たちが育っていった。こうした土壌から、グールドが出てきたのである。 「ボクは作曲家になりたかった」と自ら語ったという、グールドの作った曲は、しかし音が古く時代遅れ、「時代遅れでいいじゃない」と抗ってみても、そこにはついに「個性的な声」がなかったという指摘などは、哀しむより前に、深い感慨を呼ぶ。

グールドは、解釈し演奏することで、作曲家がインスピレーションを受けたところまで、分け入って降りていく。降りたところで最大限「創造の領域」に参加した。 1964年11月、引退した年に、トロント・ロイヤル音楽院の卒業式で、グールドが述べたという祝辞が紹介されている。ここに詳細を書く余裕がないが、「存在しないものの存在」を人間社会と結びつけた、感動を呼ぶ話である。わたしは詩を書いてきた者だが、詩の根本のみならず、生の神秘的構造が、ここでもぱっとあらわになった気がした。 グールドは音楽を語りながら、すべての創造し生きる人間の背中を押し、未来へと向かわせる。「創造の秘密」にまで粘り強く迫った本書は、音楽の外にも開かれた本である。

グレン・グールド 未来のピアニスト
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