【書評】「ピアニストが見たピアニスト」週刊読書人 2005年7月29日 評・中野 雄(音楽プロデューサー)

練達の文章

苛烈で哀しい「人生の書」味読、精読を薦めたい一冊

[驚異的な指の根元の(傍点=根元の)バネ、素速い反射、各指の)完璧な分離、強靱な手首は幼時に培われたものだろう](アンダーライン・中野)

著者本人がピアニスト、それも本格的なコンサート)・ピアニストならではの記述である。引用は本書の51頁、ベネデッティ=ミケランジェリの章からの一節であるが、およそクラシック音楽に関心のある読者なら、「なるほど!」と納得して、次の瞬間からCDの聴き方・DVDの観方が一変しそうな文章が、この本には満載されている。

とりあげられているのはリヒテル、ベネデッティ=ミケランジェリ、アルゲリッチ、フランソワとバルビゼ、ハイドシェツクの六人。

まずこの人選が面白い。グルダなど独墺系のピアニストがいないこと、そしてポリーニやバレンボイムなどが、この六人と関連して語られはするものの、主人公としては登場していないこと。最後の二人が、特別の愛好家は別として、一般には馴染みの薄い音楽家であること。人選のおおまかな理由は、著者が“あとがき”に記しているが、この書物、実は『ピアニスト列伝』ではなく、音楽家、とりわけステージ・アーティストの現実の生き方を活写した「人生の書」なのである。

或る時期から、リヒテルは楽譜を前に置き、譜めくりを従えながらコンサートを行なうようになったが、実は譜面が眼の前にあるだけで、演奏中見てはいなかったという話。抜群の記憶力の持ち主であった彼が、何故ステージで楽譜を必要とするようになったのか。

“超”の字のつく完全主義、ミケランジェリの寄せられた「ミケランジェリ以外は、誰も要らない!」という讃辞と、終生ついて離れなかった「氷の巨匠」というイメージ。

天衣無縫、不羈奔放――向かうところ敵なしの観あるアルゲリッチが、ソロ・リサイタルを拒否するようになった理由。

そして、衆目一致して「巨匠コルトーの後継者」と認めていたフランソワの天才ぶりと自己破滅の経緯。

一流アーティストのステージ人生とは、かくも苛烈で、しかも哀しいものかと、本書を手にとった音楽愛好家はわが眼を疑うかもしれない。

然り。著者が描き出している彼等・彼女等の人生は、ここに書かれている通りなのである。プロデューサー=企画・制作者として日常この種の人たちと生活を共にしている私は、「そうか。やはりそうだったのか」と呟き、各行に傍線を施し、ときに感想を書き込みながら、三日がかりで繰り返し読んだ。これからも、何度か繙くことになるだろう。

アルゲリッチの章に、「今晩の成功が、そのまま明晩へのプレッシャーになる」という言葉があって、一瞬、胸が刺されるように痛んだ。そして著者の師匠であるバルビゼが、マルセイユ音楽院の院長というしかるべき地位を得た事情を記述した文章に、「音楽は、それで生活の糧を得る必要がなければ、すばらしいものだ」という言葉を見つけたときは、苦笑しながらではあるが、うなずいた。

或る日突然、「死んだ世代のピアニストの第一人者」と呼ばれるようになった貴公子ハイドシェックの章は、本人といささかの面識があるだけに、読み進むのがつらかった。

著者は、“現代の演奏”に厳しい見解を記している。賛成するもよし、批判するも自由。とにかく練達の文章である。愛好家諸氏には、味読、精読をお薦めしたい。

ピアニストが見たピアニスト—名演奏家の秘密とは(単行本)
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