対象は何であれ、その芸術家の一般には知られていない一面に反応し、光を当てるのが好きだ。印象主義の作曲家ドビュッシーでは真逆に思われる耽美主義への傾倒を、恩師安川加壽子の場合は、優雅なフランス派としての顔の裏に壮絶な異文化との戦いを、そして、20世紀音楽の旗手高橋悠治功については、意外に思われる仔情性と浮遊感を。
ミヨー《ボヴァリー夫人のアルバム》は、ジャン・ルノワーソレの映画のために作曲された音楽であり、フローベールの小説にもとづくテキストの朗読を伴う、いわゆるメロドラマだ。クセナキスはじめ20世紀音楽を硬質なスタイルで弾き、人気を博した高橋悠治とでは、いかにもミスマッチと受けとられかねない。しかし、実際に高橋のピアノ、筆者の朗読でアルバムに収録してみると、これほど作品にフィットし、またこれほど聴く人を震撼させる演奏もあるまいと思われた。
テキストの翻訳も高橋に依頼した。自由間接話法というフローベール特有の文体で、そのまま読むと息が切れてしまう。適宜間合いを入れたのが奏したか、言葉の余韻から音が立ちの蔭り、最後の響きに言葉がすべり込むあたりが心地よかった。
ミヨーが映画音楽をもとにピアノ小品集を編纂したのは1933年のこと。翌年、著名なピアノ教師マルグリット・ロンの生徒たちのコンサートで初演された。ミヨーの妻マドレーヌは、ずっとあとになって朗読っきの演奏をきき、自らもテキストを作成することを思》~ついたという。注目すべきはその並べ方だ。恋愛小説を読みすぎた町医者の妻エマが、レオンという若い男と知り合い、その男が去るとロドルフという遊び人が出現し、さらにレオンが出戻ってくる。マドレーヌの選択は非常にランダムで、出戻りレオンとのエピソードのあとにロドルフがあらわれたりする。出戻りレオンにも去られて意気消沈する「喪失感」と、ロドルフに愛されて絶世の美を謳歌する「舟歌」が並んで置かれていたり。
フローベール学者たちと相談しながら、原作との関係性を明らかにし、その上で、朗読部分だけでひとつの物語として読めるように工夫した。
ミヨーの音楽は、重厚なフローベールの原作に比していかにも軽い。ところが、《アレバム》のために抽出され、組み換えられたシーンにはめ込んでいくと、その軽みが言いしれぬ無常観を生むから不思議なものだ。読むほうも音に触発され、「いったいなぜ、人生はこうも充たされないのだろう……」とかうパラグラフなど、自身の思いも重なっていっそう感慨深いものになった。
(青柳いづみこ)
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