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2007年8月19日/越境するということ 去る6月4日朝、テレビのワイドショーを見ていたら、2日前にピアニストで作曲家のハネケンこと羽田健太郎さんが肝細胞ガンで亡くなっていたというニュースが流れてきた。58歳だった。 ハネケンさんとはついにお会いする機会がなかったが、2年前に『ピアニストが見たピアニスト』が出たとき、「週刊文春」のコラムでちょこっと感想を書いてくださったことがある。有名なピアニストでもステージのプレッシャーは大変なものらしい・・・というような内容だったように記憶している。 ハネケンさんご自身も「徹子の部屋」に出演なさったとき、「プレッシャーをまぎらわせるために朝起きるとビール、昼はもう少し濃いアルコール、夜ももちろん・・・・」というお話をなさっていた。飲みすぎで肝臓をこわし、テレ朝「ニュースステーション」の「夜桜中継」での演奏をしばらく休んでいらしたこともある。 新刊の『ピアニストは指先で考える』もお送りしていたし、「ムジカノーヴァ」の7月号からはじめたインタビュー・コーナーにも、機会があったらお出ましいただきたいな、などと思っていた矢先だった。 訃報をきいて思ったのは、越境するのはストレスがかかるということである。 羽田健太郎さんは桐朋音大の出身で、NHK−毎日音楽コンクール(現在の日本音コン)のピアノ部門で3位に入賞している。芸大の先輩、加藤美緒子さんが1位になった年で、本選のときにはピアノ科総動員で聴きに行っていた。 課題曲はベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第4番』。現在では何曲か協奏曲をチョイスできるようになっているが、当時は全員が同じ曲を弾かなければならなかった。羽田さんも、いかにもファイナリストらしくがっちりした演奏を聴かせていたが、第3楽章の最後、第1楽章のイントロのテーマをフォルティッシモで奏でる場面になって、突然ものすごくジャズっぽいノリになったことを鮮明におぼえている。 というより、他の部分は忘れてしまったし、他の本選出場者の演奏も忘れてしまったのに、羽田さんのフィナーレのその部分だけは、今もまざまざとよみがえるのだ。よほど印象が強かったものとみえる。 私たちの学生時代も、作曲科の学生は生活費や学費を稼ぐためにジャズ・クラブでアルバイトしていたが、ピアノ科は珍しかったのではないだろうか。ジャズなんか弾いたらタッチが荒れるとか、表現が安っぽくなるとか言われていたような気がする。「楽譜に忠実に弾く」が全盛のころだったから、自由にインプロヴィゼーションするのが基本のジャズは一段低く見られていたかもしれない。高校時代、ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』が大好きで、教室のうしろのピアノでよく弾いていた私は、むしろそちらの方がうらやましかったのだけれど。 モーツァルトとかベートーヴェンとか決まったテキストがあり、どんなに調子が悪くても一応道なりに弾けば形になるクラシックと違って、そのときどきの霊感やひらめきで勝負しなければならないジャズ・ピアニストは本当に大変だろうと思う。クラシックのステージなら、すべてのプログラムが終了したあとのアンコールのようなテンションとノリ具合で最初っから最後まで行かなければならないわけだから。ジャズのプレイヤーの多くがアルコールやドラッグにはまるのもわかるような気がする。 その後、ショパン協会の理事会で羽田さんのクラシックの先生だった有賀和子先生にお会いした。学生時代の羽田さんは有望株で、有賀先生も卒業したら留学させようとかいろいろ思案していらしたそうだが、結局、当時の言い方で「軽音楽」に行くことになった。というより、即興演奏、アレンジなんでもござれで、しかもコンクール入賞の腕前だからテクニックばっちり、スタジオ・ミュージシャンとしてひっぱりだこになり、そちらで活動がまわりはじめてしまったのだろう。 それでも羽田さんは、クラシックへの思いをもちつづけていたようだ。ご自分では有賀先生に破門されたと思い込んでいたそうだが、先生は全然そんなふうには思っていらっしゃらなかった。ある時期からクラシックの演奏会にも出演するようになった羽田さんがレッスンに来ると、よろこんでラフマニノフやチャイコフスキーの協奏曲を指導なさったとのこと。 有賀先生はクラシック畑の偉い先生だから、どうしてもクラシック寄りの考え方をなさる。ああいう軽音楽はどうしたって一瞬の勝負でしょう? やっぱり弾きこんで深めていくこともやりたくなったのよ、でも長いこと即興に慣れちゃっていると、なかなかむずかしくってね・・・。ラフマニノフの最後のところなんて指がついていかないし。 お話をうかがっていて、学生時代にもどって先生に忌憚のない意見を言われながらチャイコフスキーやラフマニノフを弾いていた羽田さんは、きっととても楽しかったんじゃないかな、と思った。 こんなことを書くのも、私自身、この5月ごろから秋にかけてピアノに戻ろうとしているからだ。肩書はピアニスト・文筆家となっているけれど、現在の私はモノ書きとしての活動のほうが主になっている。最新刊の『ピアニストは指先で考える』(中央公論新社)は初版5千部があっという間に売り切れ、刊行2週間たたないうちに増刷になった。つられて、旧著の『ショパンに飽きたら、ミステリー』(創元ライブラ リ)まで増刷になった。『翼のはえた指』も白水社のUブックスにはいることが決定している。そのほか単行本の企画が通っているものだけで5〜6冊はあるし、書きさえすれば出るだろう本もたくさんある。 文芸誌『すばる』ではフォル・ジュルネ音楽祭をレポートし、このレポートシリーズも大分原稿がたまってきたので、そろそろ単行本になりそうだ。以前『華道』という雑誌に連載していた「花とメルヘン」を使ったCDブックの話ももちあがっている。『図書』の連載も好評で、終了後には単行本になるだろう。新たな雑誌連載の依頼も、新聞の短期連載の話もきている。 外から見れば順風満帆のようだが、本人はけっこうテンパっているのだ。本も10冊めを終えるころからだんだん書くのがしんどくなってきた。単発の雑誌原稿も、今は依頼の電話がかかってくると軽い疲労感を感じる。パソコンの画面を見ていても集中できず、すぐにネットサーフィンをはじめてしまう。ひところはネットオークションにはまっていて、といっても資金に限りがあるので、そのとき書いている原稿の原稿料ぶんだけオークションにつぎ込もうと決めたら、まわりに3〜4万の商品がごろごろ増えてしまった。そんな状況だ。 こんなとき、たまたまレコーディングの話をいただいたのは本当にありがたいことだ。実は、依頼されたのは5月だったのだが、前著『ピアニストは指先で考える』の校了が4月中旬で、それから準備しても間に合わない。いったんお断りしたのだが、再度7月中旬はどうでしょう? と打診があった。この日程だってものすごく無理があったのだけれど、ちょうど書くのが辛くなっていたときだったので思い切ってお受けすることにした。曲目はドビュッシー『12の練習曲』と『版画』。 それからの2ヶ月といったら! 久しぶりに学生時代に戻ったようなピアノ漬けの毎日で、朝起きると歯を磨く前にピアノ、ご飯と買い物の時間をのぞいて一日中ピアノで、夜もぎりぎり11時半までピアノ。ずっと固い椅子に座っているとお尻には痣ができるし、練習のしすぎで腕は痛くなるし、楽譜の読みすぎで目はチカチカするし頭はぼーっとするし、勘を取り戻すまでがたいへんだ。 修羅場だったが、理屈ではなくとても楽しかったし充実感があった。どうも私のイメージの中で書くことは負、弾くことは正という意識があり、これがいつまでたってもぬぐいきれないようだ。 結局、レコーディングの現場でも修羅場で、9月に一部積み残してしまったから、まだピアノを弾いている。連載はすべて前倒しで書き、単発でくる依頼原稿(『レコード芸術』のグールド論とか『サンデー毎日』の書評とか『女性作曲家音楽祭』のレポート40枚とか)もなるべくさっさと片づけてまたピアノの前に戻ろうとする。 8月下旬〜9月のスケジュールは気が遠くなるほどたいへんだ。22日〜24日は軽井沢八月祭の取材。そのあと草津音楽祭を見学して、26日に帰宅。27日はNHKラジオ深夜便「こころの時代」の打ち合わせ。29日は、朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」のインタビューと撮影。そのあと、東京会館で日中文化交流協会の打ち合わせ。11月に視察団として北京と上海、内モンゴルに行くことになっているのだ。31日は読売新聞連載「言葉を生きる」の締め切り。これは9〜10月と毎週金曜日に締め切りがくる。2008年はドビュッシー没後90年にあたっていて、朝日新聞社主催の4回連続コンサート(3月20日、5月24日、7月12 日、9 月27日) も決まっているから、マネージャーさんとチラシやプログラムの相談もしなければならない。 8月5日には市川文化会館主催のオーディション審査。6日はNHKラジオ深夜便の収録。「こころの時代」は45分ずつ2回の番組なので午後いっぱいかかる。7日は小金井の宮地楽器でのレクチャーコンサート。8日は栃木のコンセールマロニエのオーディション審査。9日は月一回のドビュッシーのセミナー。17日が三重文化会館での積み残しレコーディング。19日は日仏会館主催の文化講演会「知られざるドビュッシー 未完のオペラ『アッシャー家の崩壊』をめぐって」。20日は『図書』や『ムジカノーヴァ』の連載締め切り。 23日があるピアノ教育団体の支部での公開講座。今年のテーマは変奏曲で、曲目はヘンデルの『調子のよい鍛冶屋』やショパン『ドイツ民謡による変奏曲』、モーツァルト『わがいとしのアトーネによる変奏曲』、ベートーヴェン『ソナタ作品14−2』、ハイドン『ソナタHOB49』、モーツァルト『ソナタK331』、ベートーヴェン『ソナタ作品31−2』、ベートーヴェン『ソナタ作品26』、シューマン『アベッグ変奏曲』、リスト『パガニーニ練習曲第6番』。 ふー。24日にも何かあったようだが、忘れてしまった。 ところで、NHK−ラジオ深夜便のお話は、ひょんなことからいただいたのだ。この日記と同じころにアップされる「UP」という東大出版会のPR誌に、以前朝日の書評委員会でご一緒していた比較文学者の池上俊一さんがすばらしい論考を書いてくださった。この記事が深夜便「こころの時代」のパーソナリティをつとめている鈴木健次さんの目にとまり、出演を依頼されたというわけだ。 池上さんの論考についてはお読みいただけばわかると思うが、私のこれまでの仕事のうち大きな評伝3冊を論じてひとつのまとまった流れをつけてくださったあと、ジャンルを超えて仕事をしているとどちらの世界からも異端扱いされてまともな活躍ができないのは残念だ、と書いてくださっている。 実は、私がピアノに救いを求めたのも、10冊めの『音楽と文学の対位法』があまり話題を呼ばなかったことに深い無力感をおぼえたからだ。もちろん、朝日新聞に書評を寄せてくださった巽孝之さんと「二〇〇六年評論ベストワンである」と書いてくださった鴻巣友紀子さん、『すばる』の読書日誌でとりあげてくださった阿部日奈子さんをはじめ、高く評価してくださる方はいらしたのだが、全体としては、売れ行き も含めてどうも反応が鈍いという印象があった。 池上さんは「筆者の言葉を借りれば『音と言葉が交錯する、その瞬間をいかに言語化するか』という困難な課題を、平明な叙述で軽々とこなしている」と書いてくださったが、大部分の方にとっては「平明」ではなかったようで、かみ砕いて書いたつもりが化学方程式のような「音楽用語」の壁にはばまれ、内容を理解し、論じる以前の問題でつかえてしまったようだ。 いっぽうで、小林秀雄のように頭からはいって頭に抜けていくような音楽論、作曲家論はさかんに読まれ、論評されている。ステージで作品を演奏し、音楽とがっぷり四つの相撲をとろうとしている実践者の経験談は要らないんだと暗澹たる気分に陥った。あらためて音楽と文学の間に横たわる深淵を思い知らされたのだった。 その壁は、ドビュッシーの評伝を上梓したときすでに感じていた。池上さんの論考は実に的を射たもので、まさに私が言いたかったことをズバリととらえてくださっているので、ここに引用させていただく。 「ことは音楽と文学の二律背反に人一番苦しんだドビュッシー個人の問題に止まらず、音楽言語そのものに関わる根本的な問いへと繋がっていく。そのため本書は、全体として、音と言葉の間に横たわる深淵とそれを架橋する可能性、ひいては、現在そして未来の音楽のあり方への提言になっているのである」 池上さんは他のところで、私の叙述が「まるで科学者のよう」だと書いてくださっているが、私は実際に科学者の娘で、考え方もそれっぽい(らしい)。ドビュッシーという材料を使って私が証明しようとしたことは、私にとってはひとつの科学的な定理で、それぐらいの意味はあると思っていたが、誰もそのことに気づかないのがむしろ不思議だった。 そして、それはドビュッシー自身が不思議がっていることにもつながるのだ。 「私が何かを見つけたとすれば、それはまだ誰も手をつけずにいたごく微小なものを見つけたということなのです。びくびくしながら、こっそりあなたに打ち明けますと、私の考えでは、今まで音楽はまちがった原理に立って安閑としていたんです。あまりにも『書く』ことを心がけすぎたのです。音楽を紙のために作っているのですよ。耳のために作られてこそ音楽なのに」 ドビュッシーが「発見」したことを言葉の世界に置き換えてみれば、すぐにわかる。いくら前衛的な文学でも、まさか「あ」「い」「う」「え」「お」をばらばらにして小説を書いたりしないでしょう。マラルメのように言葉から既成の意味をそぎ落とそうとした詩人だって、まったく何の意味ももたない造語をつくったわけではないでしょう。言葉のなかに隠れた意味、斬新な意味、思いもよらない方向に向かう意味を探りはしても、それは言語の境界を越えた意味ではなかったでしょう。 音楽はそれをやってしまったわけだ。ひとつのフレーズ、言葉としてのまとまり、それが人間の生理にもたらすもの、つまり「耳のために書く」という、一番大事なことがなおざりにされた。そして、それがどんなにおかしなことかということについて誰も気づかなかった。なぜなら、ドビュッシーも言っているように、作曲界はまず「書法ありき」だからだ。「何を書くか」ではなく「何で書くか」だけが問題にされたからだ。 「音楽の書法というものが重視されすぎているのです−−書法、方式、技術が。音楽を作ろうとして、観念を心のなかにさぐる。すると、自分のまわりに観念をさがさねばならなくなる。観念を表現してくれそうなテーマを結び合わせ、組み立て、空想のなかでひろげる、ということになる。そしてそういうテーマを展開させ、変形させているうちに、ほかの観念をあらわすような別のテーマに、ふと行きあたる。こうして形而上学が作られます。だが、そんなものは音楽ではないのですよ。音楽なら、聞く人の耳にごく自然に、すっと入ってゆくはずです。抽象的な観念を、ややこしい展開の迷路のなかにさぐる必要などないはずです」 ジャズやポピュラー・ミュージックが、語法の進化を視野に入れつつ人間の「生理」や「耳」とおりあいをつけようとしたのに対して、クラシックは少し形而上学に走りすぎたきらいがある。観念の表象として見事な20世紀音楽は数多くあるけれど、その見事さが逆にクラシックから聴衆を遠ざける結果になったとはいえないだろうか。 もし、もう少し多くの人がドビュッシーの「微小な発見」の意味に気づき、そのことについて真剣に考えていたら・・・。 |
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