トップページ| プロフィール |コンサートCD書籍
執筆&インタビューMERDE日記 |新MERDE日記 |お問い合わせ



青柳いづみこのメルド日記


2005年5月30日/第7回別府アルゲリッチ音楽祭
   
  5月22日午前中、大分に飛んだ。別府アルゲリッチ音楽祭の最終日『室内楽マラソン・コンサート』を聴くためだ。
  6月中旬ごろ刊行の『ピアニストが見たピアニスト 名演奏家の秘密とは』(白水社)ではアルゲリッチをとりあげている。2年ほど前には文芸誌の『すばる』で別府音楽祭を取材し、総合プロデューサーの伊藤京子さんにもインタビューをお願いした。そんなことのお礼とご報告も兼ねてだった。

  1996年に始まった別府音楽祭も、今年で第7回を迎える。『すばる』でリポートした第5回のときはアルゲリッチの来日が遅れ、キャンセルさわぎで大変だったし、昨年もあまり体調がすぐれなかったときく。しかし今年は絶好調で、19日のオーケストラ演奏会でも、プロコフィエフの『協奏曲第一番』を鮮やかに弾いてのけたあと、アンコールにショスタコーヴィチの『協奏曲第一番』まで弾いてしまったとか。
  プログラムを見たら、「室内楽マラソンコンサート」も豪華メンバーで、常連のミッシャ・マイスキー(チェロ)やセルゲイ・ナカリャコフ(トランペット)の他にも、ヴィオラの神様のようなユーリー・バシュメットが出演するという。アルゲリッチの出番もいつになく多い。聞き逃してなるものか、そんな感じだった。

  まー、しかし、たった1日あけるのにどんなに大変だったことか。そのころの私は、なんだかとてつもなくことが多かったのだ。5月8日からの週は、単行本の再校ゲラをかかえてフーフー言っていた。13日が提出期限だったのだが、ついに終わらず。その日は、朝日新聞の地方版で連載している「中央線の詩」のカメラさんが撮影にやってきた。けっこう寒い日だったのに半袖のTシャツひとつで、元気な青年だ。まず手はじめに、ピアノに向かって座っているところを撮るという。コンサートのポートレイトではなく、「中央線界隈」の一住民としての役割を求められているのだから、そっぽを向いてむすっとしていればよろしい。これは楽だった。

  ついで、私の持ち物からいくつか撮らせてほしいとのこと。ヴェネツィアのお面を見せたらカメラさん、いたく気に入ってしまい、壁にかけて撮影することになった。アングルだとか照明だとかいろいろ凝っている。私のポートレイトを撮るときよりよっぽと手間をかけているじゃないか。ちょっとむかついたので、カメラさんのお尻に向けてピアノを弾きはじめた。ドビュッシーの『水の精』や『ラヴィーヌ将軍』、『亜麻色の髪の乙女』。やっとその気になったカメラさんも、パシャパシャ撮り出した。ドビュッシーというともっとお上品な音楽を連想していたらしく、『ミンストレル』のようなリズム物が受けた様子。もっとも、最終的にこのショットは使われなかった。
  次に、祖父からもらったインカの土偶をピアノの鍵盤の上に置いて撮影し、最後は祖父が手書きでつくった「阿佐ヶ谷會」の名簿を、やはり祖父がコレクションしていたドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』のスコアの上に置いて撮影し、取材終了。

  15日は、竹橋の国立近代美術館で「伊砂利彦−型染の美」展のイベントとしてドビッシーを弾いた。伊砂先生は京都在住の型絵染作家で、ドビュッシーの全24曲の前奏曲にちなんだすばらしい作品を制作していらっしゃる。いつかそれらに囲まれてピアノを弾きたいものだと思っていたら、やっと実現したのだ。といっても、展示室は狭いのでロビーでの演奏になってしまったけれど(この模様は、『文学界』7月号の巻頭随筆で書いた)。
  近美はピアノを持っていないので、日本ベーゼンドルファーから2メートルのグランドを運んでもらった。せっかく運んだのに、諸般の事情で一ステージ、わずか50分の出演である。宣伝もあまりしないでほしいと言われた。工芸館は重要文化財の建物なので、あんまり人が集まりすぎると床が抜けてしまうのだそうな。

  「伊砂利彦とドビュッシーの親和性−水をめぐって」と題したイベントは、午後2時から。『映像第1集』から「水の反映」、『前奏曲集』から「帆」「とだえたセレナード」「沈める寺」「霧」「水の精」「ラヴィーヌ将軍」をトークをまじえてメドレーで弾いて行った。椅子はほんの2、3列で、あとのお客さまは立ったまま聴いて下さる。入り口のところに人が固まっているので、純粋に展覧会を見に来た方々には邪魔になる。ピアノのそばでは館長さんが時計とにらめっこしている。
  というわけで理想的な環境とは言いかねたが、お客さまはとても熱心に聴いて下さり、あっという間に制限時間がすぎた。途中からベーゼンの音がしけてきたので、どうしたのかな、と思ったら、雨が降ってきたとのこと。敏感な楽器だ。

  そのあと、伊砂先生や、鎌倉で着物を制作していらっしゃるお嬢さま、京都からいらしたフランス文学者の富永茂樹さんご夫妻と、パリから帰られたフランス文学者の千葉文夫先生、富永さんとの仲立ちになってくれたみすず書房の尾方邦雄さん、同編集部の栗山雅子さん、伊砂先生を紹介して下さった佐藤信子さんとイタリアンレストランで打ち上げ。途中から、伊砂先生の仕事に興味を持った朝日のカメラさんとその彼女も合流して、賑やかになった。2次会は居酒屋。
  帰ってから、また家族とワインやチーズ(近美のイベントのとき、セミナーの受講生の方が差し入れて下さったもの)で打ち上げの仕上げ(?)をして結局午前さま。
  月曜日は完全な二日酔いだったが、ぼけた頭を叱咤激励しながら単行本のゲラの校正をして、火曜日に白水社に届けた。海外プレスの記事や原書の引用文などのチェックに時間がかかり、結局その晩も編集者と近くのそば屋に飲みに行って午前さま。

  18日はNHKスーパーピアノレッスンのテキストの締め切り。古今東西のピアニストのショパン演奏を聴き、キッカイ系とか完全無欠系とかおしゃれ系とか、いろんな系統に分けて論評するという依頼だ。この仕事は大いに楽しんだ。リストの孫弟子たちの演奏は思い切りデフォルメして派手な演奏、ショパンの孫弟子はペダル少なめで清潔な演奏。感心したのはカットナー・ソロモンで、何を聴いても思わず「うまい!」と唸ってしまう。逆にがっかりしたのは、超絶技巧と喧伝されているゴドフスキ。この人は超のつくあがり症で、ステージでも録音の場でもめったに実力を発揮できなかったというが、じゃぁ、いつたいいつ発揮したの? 
  夕方、白水社から単行本のカバーの色校がバイク便で届いた。3校はゲラ月曜日に上がってくるが、時間がないので社に来て見るようにとのこと。担当編集者が1時から会議なので、午前中に来てほしい、と書いてあった。でも、日曜日は別府音楽祭に行くし、その日はとうてい帰りつけない。飛行機を調べたら、月曜日の朝9時55分に着くフライトが一番早いことがわかった。白水社のあるお茶の水に到着するのが11時ごろ。
わっ、ギュギューのスケジュールだ。

  20日は6時起きで大阪音大。レッスンの合間に編集者とカバーの色校の打ち合わせする。レッスン室は携帯がつながらないし、電話はロビーの公衆電話まで行かないとないしで、けっこう面倒くさい。4時まで教えたあと、大阪芸術大学教授でフランス文学者の山田兼士さんと、眺望がすばらしい土佐料理の店でお食事。かつおのたたきや鰺の押し鮨がとっても美味しかった。8時すぎの新幹線で東京に帰る。
  21日は夕方からフランス文学者清水徹先生の奥様の美智子さんの個展で表参道の「アートスペースリビーナ」へ。最初の個展のとき、お面を使った「ヴェネツィア幻想」という絵がとても気に入り、2番目のCDのジャケに使わせていただいた。前回は静物を描いたものが多かったが、今回の個展は、息子さんのお嫁さんをモデルにした絵が中心。「時の流れのなかで」という作品に感心した。肩にはおったケープとドレスの布の質感が見事に描きわけられている。美智子さんが油彩画をはじめたのは五十代にはいってからなのだが、腕が上がったなぁ、と思った。会場で丸谷才一さんや四方田犬彦さんにお目にかかる。

  そのあとタクシーを飛ばして護国寺へ。和敬塾ホールで、マリンバ奏者通崎睦美さんのコンサート。彼女は銘仙の蒐集家としても有名だが、今回は、往年の名木琴奏者平岡養一さんの木琴をご遺族よりゆずり受けたので、そのおひろめだった。平岡さんの木琴はやさしくかろやかな音色で、通崎さんのふわっと浮き上がるような演奏ぶりとぴったりだ。この日も、通崎さんやピアノの鷹羽弘晃さん、新阿佐ヶ谷会の幹事で新潮社広告部の八尾さん、元新潮社のカメラマンの田村さんと近くの「半分亭」というおもしろい名前のお店に繰り出した。ロールキャベツやピザ、スパゲティなどを注文し、美味しい生ビールのジョッキを重ねた。こうしてみると、忙しいのは胃と肝臓のほうですね、もっぱら。
  帰ったあと、手もとに残っている初校ゲラで単行本の最終チェックである。ここで、トンデモナイことに気づいた。どうも私は、引用文のつきあわせをまったくしていなかったらしい。欧文については、編集者に現物をわたしてチェックしてもらったのだが、日本語の本は手もとに置いたままだった。しかも、時間がたってしまっているので、どの部分を引用したかさっぱりおぼえていない。

  しかし、事態は切迫していた。月曜日は別府音楽祭から出版社に直行し、その場でアカを入れなければ間に合わないのだから、仕事ができるのは明日11時15分発の飛行機(正確には、飛行機に乗るための電車)が出るまでの間。つまり、今しかない! うーぅ。仕方なく、眠い目をこすり、こすり、ゲラの引用箇所と引用した本の文章の照らし合わせをはじめた。また、こういうときにかぎって、引用した本がなかなか見つからない。やっと見つけても、引用したページがなかなか出てこない。結局、2、3の不明点を残したまま作業を終えたのが明け方の5時。仮眠をとったあと、羽田に向かう。
  睡眠不足はやはりよくない。無事チェックインをすませ、ゲート内で軽い朝食をとろうとバッグの中のサイフを探したが、ない! 一瞬、パリの地下鉄でサイフをすられたときのことを思い出した。同じように保険証からクレジットカードから何から入っている。やっと全部再発行してもらったところなのに。
  でも、どこでなくしたんだろう? ぼけた頭をしぼって一生懸命考えたら、思い出した。自動チェックイン機でカードを出したとき横に置いたのだ。あわててまた手荷物検査場をくぐり、カウンターに行く。また、何という奇跡だろう、私がチェックインした器械の横に、サイフはそのまま置いてあったのだ。まー、やれやれ。

  その後は何事もなく大分空港に着き、特急バスで別府北浜へ。バス亭そばのホテルにチェックインし、すぐにJRで大分へ。会場のグラシアタは駅から歩いて10分ほどのところにある。コンサートは夜の7時半までつづくからお腹がすくだろうと思ってお弁当を買い、ついでに日本酒の小瓶も買って開演の3時ぎりぎりに到着した。
  「室内楽マラソンコンサート」では、音楽祭の出演者たちがさまざまな組み合わせで室内楽を演奏する。世界をとびまわっている超一流アーティストもいれば、アルゲリッチが発掘してきた若き奏者たちもいる。曲目や出演者はだいたいのところしか発表されず、当日の飛び入りや思いがけないアンコールもある。コンセプトとしては、聴衆がアルゲリッチ・フレンズの集まりに招かれ、めったにない顔合わせのアンサンブルを楽しむというもので、別府アルゲリッチ音楽祭の名物になっていた。いつもは別府のピーコンプラザで開かれるのだが、今年は規模の大きな大分のグランシアタでの公演だ。

  のっけから、アルゲリッチとトランペットの人気者、セルゲイ・ナカリャコフが出てきた。曲目は、シューマンの『幻想小曲集』から抜粋。クラリネットのために作曲されたものをフリューゲルホルンで吹いているのだが、どうも今ひとつぱっとしない。超名手同士の顔あわせなのに、音が聞こえてこないのである。飛行機がかなり揺れたので一時的に難聴になったかと思って何回もあくびをしてみたが、いっこうによくならない。
  アルゲリッチは、ほとんど初見のような弾きぶりで、とくに終曲では、複雑な下降形のパッセージでミスタッチ(珍しい・・・)するなど、荒さが目立った。アンサンブルもやや荒い。ヴァイオリンですらアルゲリッチの指のスピードに追いつくのが大変なのだから、発音に時間のかかる管楽器はなおさらだ。いかに名手ナカリャコフといえども、アルゲリッチにダカダカダカっとトレモロを弾かれてしまうと、同じパッセージを同じスピードで吹くのはしんどそうだった。

  つづくステージは、アルゲリッチお気に入りのジプシー・ヴァイオリニスト、ゲザ・ホッスがシューマン『ヴァイオリン・ソナタ第1番』を弾く。第4回の音楽祭で、アルゲリッチの伴奏でクライスラーの『愛の悲しみ』を弾いたときはとてもよかったが、ソナタとなると別物だ。銘器ガダニーニを弾いているとのことだが、音は遠くのほうで鳴っているようで、あまり迫ってこない。大分のグランシアタは、室内楽には少し大きすぎるのではないだろうか。アルゲリッチもホッスのヴァイオリンを立てようとしてどんどん背景にしりぞき、ピアノのパートをペダルで溶かしてしまうので、余計輪郭が曖昧になる。
  ここで気づいたのだが、アルゲリッチは、メロディの歌いだしをはっきりマークしない癖がある。メロディがはじまってしばらくして、やっとラインが見えてくる。ところが、アルゲリッチが可愛がっているホッスもまた同じような歌い方をするので、なんだか真ん中だけふくらんだメロディがごろごろころがっているような印象を受ける。

  つづく韓国のドン=スク・カンとピアノのアレクサンダー・ドーシンのブラームスがとてもよかっただけに(このときは、ちゃんと音が聞こえた。ピアノのタッチは底まで届いていたし、ヴァイオリンの弓も弦に当たっていたので、突然難聴になったわけではないことが判明した)、なぜ前のヴァイオリンが17分も弾いたのにこちらはたった6分なんだ、とちょっと思った。
  ここで小休憩。読売の松本記者や日経の池田記者、評論家の百瀬喬さん、以前、「音楽の友」でインタビューしていただいた石戸谷結子さんや、「ムジカノーヴァ」でインタビューして下さった真島雄大さんにもお会いした。
  休憩後の最初は、若いピアニスト、アレクサンドル・ドルニンクがドビュッシーの『ミンストレル』と『亜麻色の髪の乙女』を弾く。『ミンストレル』は思い切ってテンポを揺らした演奏だが、面白いを通りこして、少しやりすぎの印象がある。こういうとき、コルトーやサンソン・フランソワならルバートしたあとさっとテンポを戻して全体をまとめるのだが。グルダ作曲の『プレリュードとフーガ』はジャズっぽくてスリリングだった。

  次は、アルゲリッチとミッシャ・マイスキーの共演でショスタコーヴィチ『チェロ・ソナタ』。当日のプログラムには載っていたが、事前には発表されていなかったものらしい。二人はすでに2003年4月にブリュッセルでこのソナタをライヴ・レコーディングしている。キャンセルさわぎに揺れた第5回もそうだったが、別府音楽祭はマイスキーの安定感に支えられているようなところがある。
  アルゲリッチもマイスキーを信頼しきっているのだろう。音も充分出ていたし、キレがあったし、さっきのシューマンとは大違い。とりわけ、ギラギラした金属的なタッチで弾きまくった第2楽章のワルツは圧巻だった。第3楽章の出だし、ごくかすかな音で哀愁たっぷりに歌うマイスキーのチェロもきれいだったなぁ。第4楽章のサルカスティックな表現はアルゲリッチの独壇場。マイスキーはアルゲリッチのスピードに追いつこうと身体をくの字に折り曲げてトレモロを弾く。

  ここで一時間の大休憩。持ってきたお弁当でも食べようかと思っていたら、石戸谷さんから、レセプションがあるらしいから行きましょうと誘われる。今回は取材じゃないんだけど、まっ、いいか。同じビル内のホテルの一室に、きれいなテーブルがセットされ、サンドイッチや果物、ケーキが用意されていた。伊藤京子さんのお母さまにお会いする。以前に『すばる』で記事を書いたことをとても喜んで下さった。でも、音楽祭の公式記録書には、他の新聞や雑誌の記事は紹介されているのに、私が30枚も書いた文章は全然載っていなくて、チョット気を悪くしていたのだ。
  隣の百瀬さんに、報道陣ではないし、ライターでも評論家でもないので取材するのが大変なんです、とグチをこぼすと、『ムジカノーヴァ』の初代編集長だった百瀬さんも、雑誌を立ち上げたころはまるで認知されていなくて、事務所から取材の許可が出なくて苦労した、と言っていらした。
  お正月に吉田秀和さんの家を訪問したとき、秀和さんが、「自分は批評を書くので演奏家とはあまりコンタクトをとらないようにしている、なるべく距離を置くようにしているが、あなたはもう僕らの仲間なんだから、遊びに来てもいいんですよ」と言われてすごく複雑な思いがした、という話をしたら、百瀬さんも真島さんも大笑いしていた。
笑ってすむ問題かよ。

  休憩も終わって再び会場へ。ピアノはアルゲリッチ、ヴァイオリンはドン=スク・カンと清水高師、ヴィオラはユーリー・バシュメット、チェロはマイスキーという超豪華メンバーで演奏されたショスタコーヴィチの『ピアノ五重奏曲』は、すさまじい演奏だった。ピーンとはりつめた緊張感、深刻でときにグロテスクな表現。ショスタコ特有のいりくんだ感情のひだがきめ細かく奏出される。アンサンブルにも感心した。ヴァイオリン2本の透明な音色にヴィオラとチェロの豊麗な音が溶け合い、そこにアルゲリッチのパンチのきいた音が重なって、雄大なサウンドをつくり出している。

  ここでまた私は、公式らしきものを見つける。アルゲリッチは、子供のころからひっかくような弾き方ばかりしていて、レガートがきかなかったという。手とり足とりレガート奏法を教えたのは師のスカラムッツァである。おかげでアルゲリッチはすばらしいカンタービレ奏法を身につけたのだが、速いパッセージでは、指で音を結ぶかわりに手前にひっかいて弾くことが多い。だから、音と音の間を保つことができず、どんどん走って行ってしまうのだ。
  ところが、ショスタコを弾くときのアルゲリッチは、バシュメットやマイスキーのこってりした音に対抗するためだろうか、動きのあるパッセージでも腕の上下動を使い、充分に重さをかけてタッチしているのだ。こういう弾き方なら、いくらアルゲリッチでも先に行くわけにはいかない。叩きつけるようなタッチには凄味があったし、バスの音はズーンと腹に浸みる。錯綜したフーガのあと、ピアノのパッセージでさっと終わるあたりはとてもかわいらしかった。

  ここでアルゲリッチの出番は終わり。客席は一生懸命拍手して何回かカーテンコールがくり返されたが、結局アンコールは弾いてくれない。
  最後のセクションでは、ナカリャコフがジャン=バティスト・アルバン「『ヴェニスの謝肉祭』による変奏曲」を吹く。伴奏は、別府音楽祭の弦楽アンサンブル。ヴァイオリンのメンバーに芸高・芸大の同級生塚原るり子さんの名前を発見してびっくりした。
  ナカリャコフのトランペットは、プクプクプクとすごいスピードで連打したり、まったくミスなしにアルペジオを吹いたり、この楽器では考えられないほどの超絶技巧なのだろうが、音楽として聴いた場合、拍の間が詰まってしまったり、リズムに乗りきれていなかったりして、どうもしっくりこない。弦楽アンサンブルともあまり合っていなかった。それでも聴衆は大いにわき、ナカリャコフは何回もカーテンコールされた。

  しっくりこない感は、つづく演目にもあった。カイロ生まれのカーメル・ブトロスというバリトン歌手がアレクサンダー・ドーシンのピアノ伴奏でシューマンの『リーダークライス』や『ミルテの花』から四曲を歌う。アルゲリッチお気に入りの歌手ということで、なるほどいい声だとは思ったが、どうしてこのメンバーの中で、この順番で突然出てくるのか、意味不明。他の奏者たちは、それまでに何らかの形で出演しているが、彼の出番はここだけなので、待機しているのも大変だったろう。
  最後の二つのステージは、マイスキーとバシュメットが、弦楽アンサンブルをバックに、それぞれチャイコフスキーの『弦楽四重奏曲』と『弦楽六重奏曲』の一部を弾いてしめくくる。遠慮深いアルゲリッチのことだから、ゲスト二人にトリをゆずったのかもしれないが、正直言って、鳥肌の立つようなショスタコの『ピアノ五重奏曲』を聴いてしまったあとでは影が薄かった。プログラム構成もアルゲリッチの発案なのだろうか。全体のプランが見えず、行き当たりばったりのところが、彼女らしいとも言えるし、限
界を感じるとも言えるし。

  プログラムに発表されていた曲目はここまで。「最後の出し物は当日のお楽しみ」と書かれていたが、いくらカーテンコールをくり返しても、出演者全員がそろって出てくるだけでアンコールの気配がない。結局、8時前にお開きになった。
  即興性がウリの「室内楽演奏会」でアンコールがなかったのは、かえすがえすも残念だった。何となく、楽しみにしていたデザートをとりあげられた気分? 最後のステージが弦楽アンサンブルだったので、ピアノが舞台の奥に下げられてしまっていたことも影響したのかもしれない。ピアノの蓋があいていれば、また別のアンサンブルが聴けたかもしれないのに。事務局ももう少し遅くなるだろうとふんでいたらしく、9時からと予告されていた懇親会の開始が少し早まった。

  第5回の懇親会は別府の杉乃井ホテルのレストランが会場だったが、今回はグランシアタと同じビル内のホテルの大広間。大分県知事や別府市長のスピーチもあり、全体に規模が大きくなっているようだ。会場には、『ピアニストから見たピアニスト』でお話を伺った海老彰子さんやお姉さまの裕子さんも来ていらした。弦楽アンサンブルで出演していた塚原るり子さんに伺ってみたら、アンコールは最初から予定されていなかったとのこと。とくにショスタコの『ピアノ五重奏曲』のフーガは合わせるのがむずかしいし、アルゲリッチはこの曲を弾くのがはじめてだったので入念にリハーサルをくり返していたという。そちらに手をとられてシューマンにはあまり時間がとれなかったのかもしれない。弦楽アサンブルの出演順もなかなか決まらず、最終的に確定したのは昨日だったとか。

  懇親会にはアルゲリッチも出席していたのだが、不思議なもので、くいつくようにインタビューした第5回のときのようにコンタクトをとろうという気が起きなかった。単行本で百枚かけて評論してしまったあなので、あくまでも距離を置いて外から眺めていたいという気持ちが強い。ノンフィクションの作家にも共通する心理なのだろうか、今度誰かにきいてみよう。
  おいしいワインを飲み、おいしいお食事を沢山いただいたあと、石戸谷さんと同じホテルだったので、伊藤京子さんのお母さまに車で送っていただいた。もう11時半になっていたが、別府に来たからには温泉にはいらなくちゃ、と展望風呂と露天風呂に行く。浴槽からお月さまが見えてとてもきれいだった。

  次の日は6時起き、別府湾を眼下にのぞむ露天風呂で朝湯をつかったあと、昨日買ったお弁当で朝食。6時40分発の特急バスで空港へ。おみやげ売り場で城下カレイのぐい呑みや焼酎、食料品を買い込む。
  羽田からまっすぐ白水社に向かい、3校ゲラの最終チェックと引用文の赤字写し。結局、2時間半ではとても終わらず、編集者が会議に出席している間は一人で校正して、夕方5時の「夕焼け小焼け」がきこえてきたころにやっと終了した。
  別府からのおみやげをかかえて帰る途中ものすごい夕立にあい、下着までずぶ濡れになったりして散々だったが、何とかたどりつき、焼酎やさつまあげで家族と祝杯をあげた。飲んでいる最中に編集者から電話で、また新たな確認事項が生じたりして大変だったのだが、とりあえず何があってもエンカイになってしまう青柳でした。


MELDE日記・目次
2009年7月23日/受賞とテレビ出演 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2009年1月8日/パリ近郊のコンサート
2008年10月16日/人生みたいだったドビュッシー・シリーズ
2008年7月27日/天使のピアノのレコーディング
2008年7月23日/5月のメルド!
2008年3月23日/母の死とドビュッシー・シリーズ
2008年1月5日/ドビュッシー・イヤーの幕明け
2007年11月5日/大田黒元雄のピアノ
2007年9月20日/ビーイングの仕事
2007年8月19日/越境するということ
2007年4月9日/吉田秀和さんの文化勲章を祝う会
2007年2月9日/カザフスタンのコンクール ( II ) 『ピアニストは指先で考える』に収録
2007年1月20日/カザフスタンのコンクール ( I ) 同上
2006年9月12日/10冊めの著作が出版されます!
2006年6月20日/美術とのコラボレーション
2006年1月5日/750ユーロの時計
2005年10月25日〜11月2日/セザンヌの足跡を追って──南仏旅行記
2005年9月30日/『ぴあ・ぴあ』ただいま7刷中
2005年8月28日/”気”の出るCD?
・2005年7月6日/ラジオ深夜便
2005年6月23日/ぴあ・ぴあ (*) 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2005年5月30日/第7回別府アルゲリッチ音楽祭 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2005年4月10日/朝日新聞の書評委員
2005年3月27日/ジャス・クラブ初体験
2005年3月20日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 2)
2005年2月26日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 1)
2005年1月5日/吉田秀和さんの留守電
2004年12月20日/音楽は疲労回復に役立つ!
2004年11月22日/有名にならない権利:クートラスとアルカン
2004年10月23日/14年越しのエッセイ集
2004年10月5日/プレイエルとベヒシュタイン
・2004年8月25日/アテネ五輪 アナウンサーと解説者のビミョーな関係
・2004年年7月4日/松田聖子体験
・2004年6月1日/「メロン三姉妹」と美智子さま
・2004年4月16日/アンリ・バルダ追っかけ記  『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
・2004年3月10日/小さな大聴衆
・2004年1月20日/大変なんです!!
・2003年12月12日/テレビに出てみました
2003年9月13日・14日・15日・16日・17日/方向音痴のシチリア旅行 その II
2003年9月10日・11日・12日/方向音痴のシチリア旅行 その I
2003年9月8日/アンリ・バルダの講習会 『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
2003年8月17日/東京湾大花火大会
2003年7月28日/世界水泳2003バルセロナ
・2003年7月11日/新阿佐ヶ谷会・奥多摩編
・2003年5月31日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[III]
・2003年5月28日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[II]
・2003年5月22日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[I]
・2003年5月3日/無駄に明るい五月晴れ
・2003年4月5日/スタンウェイかベーゼンか、それが問題だ。
2003年2月12日/指輪  『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2003年1月13日/肩書き
・2002年12月23日/年の瀬のてんてこまい
2002年12月9日/批評とメモ
・2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル  『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
・2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽
・2002年9月26日/青山のブティック初体験
・2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
・2002年3月28日/新人演奏会
・2002年3月1日/イタリア旅行
・2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち
・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて


トップページ| プロフィール |コンサートCD書籍
執筆&インタビューMERDE日記 |新MERDE日記 |お問い合わせ

Copyright(c) 2001-2005 WAKE UP CALL