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青柳いづみこのメルド日記



2005年6月23日/ぴあ・ぴあ
                               
  新刊本『ピアニストが見たピアニスト 名演奏家の秘密とは』(白水社)を私は、つづめて「ぴあ・ぴあ」と呼んでいる。かわいいでしょう?
  刊行して1週間。少しずつ感想が寄せられている。書いた当の本人はすっかり忘れてしまっていて、どこかをほめていただくと、そんなこと書いたっけ、とまた読み返したり。

  前著の『双子座ピアニストは二重人格?』のタイトルは賛否両論なかばしたが、「ぴあ・ぴあ」はおおむね好評のようだ。私はずっと『ピアニスト論』と呼んでいたんだけれど、最初のゲラのときは『ピアニストにしか書けないピアニスト論』というタイトルになっていた。ちょっと長いですね。 それから編集者が『名演奏家の秘密』というのを提案してきたが、間もなく類似のタイトルがあることが判明した。さて困ったな、と思っていたところ、国立近代美術館で伊砂利彦展を見てる最中に今のタイトルがひめらき、「名演奏家の秘密」は副題にまわして、しっぽに「とは」をくっつけた。 
  装丁もおおむね好評だ。こちらは、当初二種類の案があった。ひとつは、ピアニストたちの写真が全部上に並んでいるもの。タイトルが横にバンと来るので目立つけれど、音楽書としてはよくあるタイプの表紙だ。もうひとつは最終案に似ていて、左側に鍵盤の形にトリミングした写真を配し、タイトルや副題が右側に寄っているもの。すっきりしているがちょっと地味で、文字が弱い感じがする。年10回通っている大阪の音大に行って学生さんたちにどっちがいい? と尋ねたら、これがまたちょうど半々にわかれた。結局、鍵盤の案のほうを採用して、タイトル文字を少し大きくし、副題には赤を入れてもらった。

  とりあげたピアニストは六人。個々の音楽人生を追い、問題点をあぶり出し、個別に論評を加えるだけではなく、それぞれ一人ずつ、多かれ少なかれピアノ弾きに共通している普遍的な問題の代弁者になってもらった。
  「負をさらけ出した人」リヒテルは暗譜の問題、「イリュージョニスト」ミケランジェリはピアノで歌うことの問題、「ソロの孤独」のアルゲリッチは早期教育とステージトラックの問題、「燃え尽きたスカルボ」フランソワは、即興性とキャリアの継続という二律背反の問題、「本物の音楽を求めて」のバルビゼは室内楽とソロの問題、「貴公子と鬼神の間」のハイドシェックは19世紀的解釈と20世紀的原理主義とのせめぎあいの問題。
  これはかなり意図的にやったのだが、資料を読み込むうちに一人でに明らかになったこともある。たとえば、一流ピアニストの直感が想像以上にすごいということ。リヒテルが描いてみせる一見荒唐無稽な「音楽プログラム」、フランソワがドビュッシーやショパンについて語る詩的な言葉、アルゲリッチの断片的なつぶやき。彼らが音楽学を勉強したという話はきかないし、図書館にこもって文献を漁っていたとも思えないのだが、これが本当にピタリと真実を射抜いているのだ。一生を費やして文献研究やテキスト研究をしても、作品とハダカで相撲を取っている彼らが一足とびに至ってしまう核心にはとうていたどりつけないだろう。
  とりわけフランソワが音楽を語る「言葉」には魅せられた。彼のフランス語そのものが音楽的だ。声、抑揚、リズム、繊細な言葉のえらび方。そして、いつも人間的なものと作品解釈をむすびつけるそのやり方。本の中には書かなかったが、たとえばショパンの唐突な転調について、「まるで、たった今まで親しくしゃべっていた人が急に死んでしまったような」と表現したりする。

  私の最初のエッセイ集『ハカセ記念日のコンサート』(ショパン)を読んで下さった方なら、たぶん恩師ピエール・バルビゼが亡くなったときの文章をおぼえていて下さるだろう。彼はフランソワと無二の親友だった。二人は体型がそっくりで、背は158センチしかなかったが、腕だけはバルビゼのほうが少し長かった。あるとき、燕尾服を忘れてきたフランソワがバルビゼのものを借りたら、裄丈が長すぎて手の交差する部分でつかえてしまったという。
  バルビゼは、パリ音楽院を卒業したあと、ピガール広場のお品のよくないキャバレに雇われて、ジャズを弾いてお金を稼いでいた。ときどき、作曲家のピエール・プティもやってきて、ベートーヴェンの『熱情ソナタ』を弾きあいっこした。言葉づかいも大変にお下品なバルビゼは、それを「淫売宿の講習会」と呼んでいた。バルビゼが女の子とデートしている間は、フランソワがかわりにジャズを弾いた。するとすごくおひねりが多くて、バルビゼを悔しがらせた。いつか、書きたいと思っていた。あのころのサンソンとピエールのことを・・・。その思いがかなって嬉しい。 
  しかしまた、なつかしがっているだけでは「論」にならない。最後にパリの国立図書館に行ったとき、『フレンチ・ピアニズム』という英語の研究書でバルビゼのロング・インタビューを読むことができたのは幸運だった。解釈も「厳格」、奏法も「厳格」で押し通したバルビゼが、自分の受けたピアノ教育を率直に語っている。とりわけ、フェラスとともにフォーレの『ヴァイオリン・ソナタ』をエネスコの前で弾いたら、「バルビゼ君、レミントンのタイプライターみたいにピアノを弾いてはいけないよ」とさとされた話には、思わず膝を叩いた。バルビゼの「曲げた指」は私たち弟子にとっても悩みの種だったのだが、まさかお師匠さん自身が自己批判していたとは。

  ミケランジェリは、まったく別の理由から書きたいと思った。ある日、フランス文学者の清水徹さんから、ミケランジェリのCDボックスを贈られた。その最初の一枚に、ジュネーヴ・コンクールで弾いたリスト『ピアノ協奏曲第1番』の録音がはいっていた。これは本文でも書いたが、本当に椅子からころげ落ちるほどびっくりしたのだ。えっ、ナンダ、ナンダ、これがミケランジェリなら、私たちが知っている「氷の巨匠」ミケランジェリはいったいなんなんだ、というわけである。
  ミケランジェリの分析には、私自身、ピアノを教えるときの経験が大いに役立った。どうしても音楽が前に出てこない生徒さんというのがいる。カタツムリさんのように殻の中でじっと閉じこもっている。ところが、音楽面でいろいろヒントを与えたり、こちらに信頼を抱かせるように仕向けたり、作曲家や作品の背景を説明したりしているうちに、少しずつ音楽が言葉をもちはじめる。やわらかく、やさしくなってくる。人間的になってくる。フレーズが呼吸できるようになってくる。

  その過程が、ミケランジェリは反対だったのだ。何かあるに違いない、と思った。意図的なものか、心理的なものか、過去のトラウマか。おそらく、その全部だろう。
  自分自身のトラウマにヒントをもらうこともある。教えていてとても嫌なことがあったとき、裏切られたような気分になって、めんどくせーや、死んじゃおーかなー、などと一瞬思ったときに、ふと思いたってミケランジェリの弾くショパン『マズルカ集』を聴いてみた。
  それまで、このディスクは私にとってさほど親しみのもてるものではなかった。むしろカタツムリさんの演奏のように聞こえていた。でも、そのときはまったくそういう風ではなかった。もしかすると、私自身がカタツムリさんになっていたから、カタツムリさん同志で語らうことができたのだろうか? 心のひだがすみずみまで感じられた。繊細に悩んで繊細に苦しんで、繊細すぎるがゆえに誰にも言えなくて、自分の中でどうどうめぐりしている状態。タマネギの皮むき。とりわけ、最後のマズルカの転調のたびに、ミケランジェリの心がひと筋、ひと筋切り刻まれているのが手にとるようにわかった。涙も出ないぐらいイタい。

  一番評判がいいのが、アルゲリッチの章。フィルム『真夜中の対話』の存在を教えてくれたのは、少し前までヨーロッパに留学していたある若い編集者の女性だ。彼女を通してジョルジュ・ガショ監督に連絡をとり、特別にダビングしたものを送ってもらった。
  日本ではインタビュー嫌いで通っているアルゲリッチだが、海外のメディアでは驚くほど率直に自分の痛み、自分の負の部分を語っている。心理学が好きだという彼女は、自分で自分を実験動物化して観察しているようなところがある。なんといっても衝撃的だったのは、7歳か8歳のときに、ベートーヴェン『協奏曲第1番』や『モーツァルト協奏曲第20番』を、ブエノスアイレスのコロン劇場という、サントリーホールみたいな大劇場で弾いたときのエピソードだ。
  ステージに出る前、トイレに駆け込んだアルゲリッチは、膝をかかえてぶるぶるふるえていた。ひとつでも音をはずしたら、自分は死ぬんだと思いつめていた、と彼女は言う。そのときのベートーヴェンの録音がCDになっている。まったくノーミスの演奏ではない。オーケストラが重々しいテンポで提示部を演奏しているのに、アルゲリッチはソロを弾きはじめたとたん、2倍ぐらいテンポを上げている。独自の解釈というわけではあるまい。たぶん、指のおさえがきかなくて速くなってしまったのだろう。アルゲリッチは、普通の人とは反対に、速く弾きすぎないために練習しなければならないそうだから。

  リヒテルは、すでに主要な本だけで3冊も出ている。私の役目は安楽椅子探偵さんで、それぞれのコメントから彼の真意を推理することにあった。本文に書かなかったことを少しだけ。リヒテルは、楽曲のゆっくりな箇所ではとても暗い、沈み込んだ演奏をするが、いざ指が派手に動きまわる場面になると俄然火がついて、デモーニッシュな演奏をする。『バラード第4番』など、二種類の音楽が共存しているような奇妙な印象を受ける。
  これはたぶん、リヒテル自身が演奏を充分にコントロールできていなかったためだろうと思う。普通のピアニストなら、それまで習得したさまざまなテクニックにあてはめて個々の運動を処理するところ、晩学のリヒテルにはあてはめるべきテクニックの引き出しがなかったのだ。だからいつも全力投球、全力疾走。ひとつ間違えば奈落の底に転落しかねないぎりぎりの崖っぷちでの演奏がものすごい迫力を生み、聴き手にかつてないカタルシスを与える。
  ハイドシェックの章は、彼が私の質問に答えて、A4の紙の裏表びっしりに書いてくれた七十二枚もの解答が核になった。何ごとにも正直な彼は、こちらが気づかって触れないようにしていた腕のアクシデントについてもつぶさに語ってくれた。だから、こちらも、故障した腕で『ハンマークラヴィーア』を弾きながら、自分の解釈をまさに一音ごとに解説してくれたハイドシェックの姿を、メモ書きしたスコアから浮かび上がらせることができたのだ。

  ピアニストがピアニストを論じるというのは、技法面や心理面の分析など、有利なことばかりが取り沙汰されるが、実際には、報道陣でもなくライターでも評論家でもない身としては、取材拒否されることもしばしばなのである。インタビューを申し込んでも断られるし、文芸誌「すばる」のレポートだってあやうく拒否されかける。評論家やリポーターとしての「顔パス」がないので、楽屋にすらはいれないことだって、あった。
  そりゃーそうだ、私だって、「裏を知っているので騙せない」同業者のインタビューなんて死んでも受けたくないし、ましてや批評を書かれるなんて、おぞましいかぎりだ。でも、ハイドシェックはまったく嫌悪感を示さず、どんなきわどい質問にも真正面からぶつかってきてくれた。多謝!
  1970年代の客観的解釈・技術至上主義の時代の波をもろにかぶってしまったハイドシェックの悲哀は、その時代にちょうど学生だった私にはわかりすぎるほどよくわかる。これが小説家や画家や作曲家なら、ブームの波が過ぎ去って、作家自身の肉体が滅んでしまったあとでもリバイバル可能なんだけれど、演奏は時間芸術だからなー。


MELDE日記・目次
2009年7月23日/受賞とテレビ出演 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2009年1月8日/パリ近郊のコンサート
2008年10月16日/人生みたいだったドビュッシー・シリーズ
2008年7月27日/天使のピアノのレコーディング
2008年7月23日/5月のメルド!
2008年3月23日/母の死とドビュッシー・シリーズ
2008年1月5日/ドビュッシー・イヤーの幕明け
2007年11月5日/大田黒元雄のピアノ
2007年9月20日/ビーイングの仕事
2007年8月19日/越境するということ
2007年4月9日/吉田秀和さんの文化勲章を祝う会
2007年2月9日/カザフスタンのコンクール ( II ) 『ピアニストは指先で考える』に収録
2007年1月20日/カザフスタンのコンクール ( I ) 同上
2006年9月12日/10冊めの著作が出版されます!
2006年6月20日/美術とのコラボレーション
2006年1月5日/750ユーロの時計
2005年10月25日〜11月2日/セザンヌの足跡を追って──南仏旅行記
2005年9月30日/『ぴあ・ぴあ』ただいま7刷中
2005年8月28日/”気”の出るCD?
・2005年7月6日/ラジオ深夜便
2005年6月23日/ぴあ・ぴあ (*) 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2005年5月30日/第7回別府アルゲリッチ音楽祭 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2005年4月10日/朝日新聞の書評委員
2005年3月27日/ジャス・クラブ初体験
2005年3月20日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 2)
2005年2月26日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 1)
2005年1月5日/吉田秀和さんの留守電
2004年12月20日/音楽は疲労回復に役立つ!
2004年11月22日/有名にならない権利:クートラスとアルカン
2004年10月23日/14年越しのエッセイ集
2004年10月5日/プレイエルとベヒシュタイン
・2004年8月25日/アテネ五輪 アナウンサーと解説者のビミョーな関係
・2004年年7月4日/松田聖子体験
・2004年6月1日/「メロン三姉妹」と美智子さま
・2004年4月16日/アンリ・バルダ追っかけ記  『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
・2004年3月10日/小さな大聴衆
・2004年1月20日/大変なんです!!
・2003年12月12日/テレビに出てみました
2003年9月13日・14日・15日・16日・17日/方向音痴のシチリア旅行 その II
2003年9月10日・11日・12日/方向音痴のシチリア旅行 その I
2003年9月8日/アンリ・バルダの講習会 『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
2003年8月17日/東京湾大花火大会
2003年7月28日/世界水泳2003バルセロナ
・2003年7月11日/新阿佐ヶ谷会・奥多摩編
・2003年5月31日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[III]
・2003年5月28日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[II]
・2003年5月22日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[I]
・2003年5月3日/無駄に明るい五月晴れ
・2003年4月5日/スタンウェイかベーゼンか、それが問題だ。
2003年2月12日/指輪  『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2003年1月13日/肩書き
・2002年12月23日/年の瀬のてんてこまい
2002年12月9日/批評とメモ
・2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル  『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
・2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽
・2002年9月26日/青山のブティック初体験
・2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
・2002年3月28日/新人演奏会
・2002年3月1日/イタリア旅行
・2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち
・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて


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