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2007年2月9日/カザフスタンのコンクール ( II ) 12月5日からはいよいよ予選の審査がはじまった。集合時間は朝の9時。ホテルのロビーに行くと、ウズベキスタンのグマノフ教授の他に、大阪音大との仲介役をつとめた下さった韓国のキム・ナネ先生とパリ音楽院で初見のクラスの教授をつとめる若いピアニスト、フローラン・ボッファール氏が加わっていた。 ホテルのドアを一歩出ると、うおーっ、と思わず叫ぶほどの寒さ! この日はちゃんと古着屋さんで買ったミンクのコートを着込んでミンクの帽子をかぶり、ボワつきの手袋をはめていたのだが、それでも寒かった。雪は降っていなかったが地面が凍ってつるつるすべる。韓国の先生はボッファール氏に、私はグマノフ先生に手をかかえてもらって音楽院まで歩いた。 コンクールにはジュニア(12歳〜15歳)とシニア(16歳〜26歳)の2部門がある。初期教育に興味のある私は、ジュニア部門の審査をすることになって大喜びだった。審査員長はキム・ナネ先生で、私のほかにボファール氏とグマノフ氏。 ちなみにシニア部門の審査院長はオーヴァキロヴァ夫人で、ほかにイギリスのヘイミッシュ・ミルン氏、モスクワ音楽院からはスタニスラス・イゴリンスキー氏、北京中央音楽院のパオ・チュン氏。国際コンクールにしては審査員が少ない。 宣伝が遅れたせいか受験生はあまり多くなく、ジュニア部門のエントリーは24人、実際に受けたのは16人。うち11人はカザフスタンで、残りはキルギスタン、韓国、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、ロシアが各1人だから、ほとんど国内のコンクールである。 シニア質部門のエントリーは34人で、こちらも何人かは棄権したようだ。多いのは賞金で、ジュニアの一位は千ドル、二位が七百ドル、三位五百ドル、シニアは一位が一万ドル、二位は五千ドル、三位は三千ドル。 審査の前に、主宰者のオーヴァキロヴァ夫人から採点方法について簡単な説明がある。25点満点で採点すること。最高点と最低点は切り捨てること。自分の生徒の採点には加わらないこと。 ここまではどのコンクールも同じだが、オーヴァキロヴァ夫人はさらに、公正を期すために一人一人の採点が終わったらすぐに点数を提出し、あとで修整してはならないと申し渡した。フィギュア・スケートや体操の点数と同じ方式だが、音楽コンクールでは珍しい。最初のうちは受験生の総体レベルがわからず、楽器の状態も悪いので、点数はどうしても低めにおさえられてしまう。他の受験生を聴いたところでだいたいの基準を定め、それによって修整していくのが普通なのだが。 予選課題曲は、ジュニアもシニアもほぼ共通していて、バッハかショスタコーヴィチの『前奏曲とフーガ』、古典のソナタ、自国の作曲家の作品を弾く。練習曲は、ジュニア部門がチェルニー、クレメンティ、モシュコフスキー、ショパン、リスト、ラフマニノフ、スクリャービンから2曲。シニア部門はショパン、リスト、ロシア物で2曲選択する。 ジュニアの本選は20世紀音楽を含む25分以内のプログラム。シニアは、やはり20世紀音楽を含む20分のプログラムのほかに、プロコフィエフの『サルカズム』とかリストの『鬼火』とかアルベニスの『トリアーナ』とかドビュッシーの『喜びの島』など、「6分以内のヴィルトゥオーゾ・ピース5曲」を提出し、予選終了後に審査員が演奏曲を指定する。あとできいたら、5曲そろえるのがとてもきつかったようだ。 シニアのコンクールは大コンサート・ホールで開かれるが、ジュニアの方は室内楽ホールである。最初のうちは、グロトリアン・スタインヴィヒのピアノがひどく狂っていることが気になった。オーヴァキロヴァ夫人も、よいピアノは沢山はいったが、調律技術の伝達がまだまだで、カザフスタンの調律師たちは、調律・調整とは何たるかをよく知らないので困ると話していたものだ。 受験生は暗譜で弾くのに、最初のうちは譜面台がはいったままになっていた。これも、調律師が慣れていないせいだろう。やっと5番目のヴィタ・カーンさんが気がつき、自分ではずして舞台袖に置いていた。ホールの遮音も悪く、階上からは誰かがハノンを練習しているのが聞こえてきたり、入り口がちゃんと閉まっていなかったり、いろいろと気になった。 演奏でびっくりしたのは、練習曲の中でチェルニーを選択する生徒が意外に多かったことである。旧ソ連の国々の教育ベースはモスクワ音楽院方式だから、チェルニーは勉強させないのかと思っていたら、大違い。これは、カザフスタンの生徒が多かったことも関係していたかもしれない。 カザフスタンの子供たちは、ひじや腕を動かさない、どちらかというと指弾きの奏法で、柔軟性よりは手首や指先の強靭なバネを使って弾いていた。旧ソ連だからと期待していたのにロシアンメソッドの気配はなく、チェルニーだろうとショパンだろうと、フレージングもリズムもなく、ひたすらがらがらまわすだけなのだ。それでもお国もののカザフスタンの曲を弾くときだけはやたらに元気になる。その曲がまた、オープニング・コンサートで聴いた民族音楽そっくりで、バラキレフの『イスラメイ』を単純にしたような連打が多い。ドンブラーを掻き鳴らす手首の動きそのままに、鍵盤を激しく連打する子供たちの演奏には迫力があった。よほど前腕が強いのだろう。 カザフスタンの料理は圧倒的に肉が多く、ホテルの朝食バイキングにも鳥や牛肉と野菜の煮込み、ミートボールの料理などがずらりと並ぶ。野菜料理にすら挽き肉がはいっている。遊牧民だからいつも肉が必要なのだという。強靭な筋肉はそのたまものかもしれないと思った。 対して、ロシア、アゼルバイジャン、ウズベキスタンの子供たちは手首や腕をしなやかに使って弾き、音楽にふくらみは出るが、個々の音はあまりはっきりせず、透明感に欠けるうらみがあった。このあたり、やっぱりどちらかになるんだなぁと思ったものだ。 結局、カザフスタンの参加者11人中本選に残ったのはたった3人だったので、やっぱり硬いのは嫌われたらしい。カザフスタンより極端だったのはキルギスタンからただ一人参加した男の子で、ひたすら指先だけで弾ききるのにはまいった。音も、ピアノが狂っているせいもあるがびんびんキャンキャンで、何だか戦後すぐの日本の弾き方みたい。 本選出場者は、アゼルバイジャン、ロシア、韓国各1人、カザフスタン2人の計5名が80点以上ですんなり決まったが、カザフスタンとウズベキスタン、どちらも12歳の少女が78点で並び、合格させるか落とすかで議論になった。 カザフスタンとウズベキスタンは隣同士なのに、どうしてこうも奏法が反対なのだろう。もっともウズベキスタンはたったひとりの12歳の少女しか参加していなかったが、何を弾くにも肩から腕全部を使い、ひじをぐるぐるまわして弾くので大ごとになる。いっぽうカザフスタンの子は強靭な手首と指先でひたすらガラガラ弾きまくるタイプで、フレージングもリズムの躍動感もゼロ。どっちもどっちなのだが、チャンスを与えるという意味で、二人とも残すことになった。 ジュニアコースの審査は一日で終わってしまったので、12月6日はショッピングに出かける。同行はキム・ナネ先生とボッファール氏、通訳のアイドレイ。音楽院の車でバザールに行った。 バザールといっても屋台ではなく、ちゃんとしたショッピングセンターになっている。以前に来たことがあるというキム先生の先導で3階へ。オープニング・セレモニーで民族音楽のオーケストラが着けていたような民族衣装がたくさん並んでいる。途中の銀行で200ドルをカザフスタンの通貨テンゲに変えたのだが、いったい高いのか安いのかさっぱりわからない。 キム先生はお友達にあげるのだといって羊の毛を織ってつくった小物入れや室内履きを大量に購入していた。私は、小さなお店に飾られていた唐草模様のショールを3点。カザフ模様を刺繍したクッション・カバーを2点。竹珊瑚のネックレスを1点。女性陣があんまりああでもない、こうでもないとウィンドー・ショッピングをしているので、うんざりしたらしいボッファール氏は途中で逃げ出してしまった。 買い物が終わったあと、音楽院に戻り、シニア部門の予選を聴きに行った。中国の審査員パオ・チュン氏から、モスクワ音楽院で勉強中のロシア人がピカ一だときかされていたからだ。ジュニアのコンクールは、バッハのプレリュードとフーガの間でも人が出入りしたり、至極のんびりした雰囲気だったのに、シニア部門では大ホールの入り口に番人がついていて、ひとつのプログラムが完全に終わるまで立ち入らせないようにがんばっている。 私が到着したときはちょうどはじまったばかりで20分ぐらい待たされた。やっと一人終わってホールにはいると、すぐに次がくだんのロシア人の学生、ダニール・ツヴェトコフ君。聞き逃さずにすんだ。 長い髪をうしろで束ね、マッカーサー・グラスみたいな色つき眼鏡をかけて出てきた彼は、なるほどスーパー超絶技巧の持ち主で、ショパン『作品10−2』とリスト『鬼火』を圧倒的なスピードで、しかも音楽的に処理しつつ、羽根のように軽やかに弾いてみせる。このごろ、この2曲を弾きこなすピアニストも多くなったが、予想の上を行く鮮やかさで、しかも個々の音がクリアで、疾走するスピードの中でポリフォニーも見事に弾きわけている。双眼鏡で見ていたら、右手の4と5の間がまるで親指と人指し指のあいだのように深くくれていた。しかし、モーツァルトのソナタはひたすら退屈。バッハも風にふかれているようで、何だか心にひびかない。ロシア人はとても歌謡性にすぐれているが、和声感にとぼしく、とりわけ立体感に欠ける印象がある。 その後、カザフスタンの音楽院でオーヴァキロヴァ夫人に師事しているディアナ・アイドスさんとユーリア・バラビチェバさんの演奏も聴いた。といっても、オーヴァキロヴァ夫人は対外交渉に忙しくて生徒たちの面倒を見るひまがなく、孫弟子なんだそうな。 アイドスさんは指があまり強くなく、柔軟性に頼るタイプ。バラビチェさんは筋力があり、やはり『作品10−2』をものすごいスピードで弾いていたが、最後で息切れしてしまった。彼女は指の分離が驚異的で、猫のような敏捷さが魅力だ。カザフスタンの作曲家ツバノヴァの『ミラージュ』は、うまくホールの音響を利用したすばらしい演奏だった。 ジュニアの本選は12月7日。7人の合格者のトップバッターは、カザフスタンのヴィタ・カンさん。弾きはじめようとしたところで、何だかステージが暗いことに気づいた。舞台照明を入れ忘れたらしい。 カンさんはオーヴァキロヴァ夫人がプロデュースする音楽院の生徒で、他のカザフスタンの受験生よりはずっとやわらかく、よく感じて弾いていて好感をもった。ロシア物は情緒てんめんたるものも、ラフマニノフの『プルチネッラ』のようにコミカルなものも得意なようだが、この人の問題はベートーヴェンなどクラシックのスタイルだ。あと、曲と曲の間をあまりにもあけすぎて印象が散漫になる。 次は韓国の12歳の少女、キム・ジスーさん。強靭な指の持ち主でリストのパガニーニ練習曲から『狩り』や『第四番』、ショパンの『作品10−4』などむずかしい曲を弾ききったが、ひじに力がはいっているらしく、どうも動きが硬い。ショパンの『ワルツ作品64−2』などマズルカを模したリズムが全然はずまない。ベートーヴェンの『ソナタ作品2−1』でもテーマのアーフタクトが強拍に聞こえてしまう。全体にテンポが速すぎてエチュードのように聞こえた。もう少し音楽的にも技術的にもしなやかさを身につけないと、いずれ壁にぶつかるだろう。 3人めはロシアの12歳の少年。シューマンの『アラベスク』は年齢不相応でモーツァルトみたいだった。シューマン特有のポリフォニックな奏法ができていなくて、上のメロディだけになってしまう。ただ、瞑想的なところなど響きが非常にきれいだった。チャイコフスキー『ガンサルの思い出』では音楽する喜びにあふれていたし、ナゼツキンの『ジョーク』はひょうきんさをうまくあらわした見事な演奏だった。この人はもうステージ慣れしている。 次は、本選に残すかどうかでもめたウズベキとカザフの2人の少女だが、結論から言えばどちらも残さなくてもよかったという演奏。ウズベキスタンの腕まわし少女、ユーリア・シェックさんは、スカルラッティまで腕の重さをかけて弾いている。しかし、カザフスタンの子供と同じく前腕は強靭らしく、コープランドの『ねことねずみ』では連打を駆使してコミカルな演奏を展開していた。 カザフスタンの指弾き少女、アリーナ・カラシェヴァさんは、メーンデルスゾーンの『ロンド・カプリチオーソ』を全然腕のモーションなしに弾いていた。連打はやっぱり得意で、左右のオクターヴの交替は機関銃のようだったけれど、ペダリングが悪くてものすごい騒音をまきおこしていた。 6人目もカザフスタンのアディーナ・サディコヴァさん。もう15歳になっているので、特有の指弾きを脱してもう少し大人っぽい演奏をする。旋律を歌わせようとはしているのだけれど、どこかつくりものっぽくて妙な抑揚がついてしまう。しかし、ラフマニノフの『舟歌』はその抑揚がかえって新鮮でとても面白く聴けた。 ダントツだったのは、最後に登場したアゼルバイジャンの15歳の少女、というかもう女性に見えるのだが、ファリーダ・ルツァエヴァさん。すでに音楽的に成熟しており、とりわけショパンのノクターンでみせたメロディの歌わせ方は特筆に値する。ラフマニノフもたっぷりとロシア風の情緒を漂わせるが、バッハは明らかにロマンティックすぎだったし、リストの練習曲の半音階など、もっと音の粒が聞こえてほしかった。アゼルバイジャンの作曲家の作品でも、重音の連続などうまく動いていなかったから、指先のテクニックが少し足りないのだろう。しかし、本選のアゼルバイジャン物は変拍子のリズムに乗ってエキサイティングだった。 予選と合わせて点数を集計してみると、アゼルバイジャン少女がダントツで48.25点、2番目はラフマニノフ『舟歌』のカザフ少女で46.3点、ロシア少年が45.3点、韓国少女は45.2点と拮抗している。最初に弾いた長考少女が42.8点でつづいている。 ここで、審査員長のキム先生がびっくりするようなことを言い出した。プレデジントのオーヴァキロヴァ夫人は、アゼルバイジャンとカザフスタンの点数が「たった1.95点しか」離れていないから、二人をエクゼコで1位にしたいと言っているというのだ。でもどうして? フランスのボッファール氏がクレームをつけた。ほぼ2点近く離れているのだから、点数通り1位と2位にすべきだ。もし自分が1位の点数をもらっていて、当然自分一人が1位のはずなのに点数が離れている人といっしょにされたら気分を害するに違いない。 私もそう思ったから、1位1人、2位1人、3位2人を主張した。キム先生は再度オーヴァキロヴァ夫人と協議して、結局その通りにするかわり、4番目の点数の長考少女に特別賞を与えることにしたいと言ってきた。要するに、カザフの子供になるべく賞をあげたいわけね。私は、韓国少女よりずっとこの長考少女の方がよいと思っていたから、賛成した。国際コンクールってこんなふうに、点数をつけてしまったあとで会議をやっていろいろと「調整」するんだろうか? ひとつ思いついたのは、オーヴァキロヴァ夫人がロン=ティボー・コンクールの2位だったことだ。いっぽうで、もし自分が他の受験生といっしょにエクゼコの一位にされたら・・・と抗議したフランスのボッファール氏はヴィアナ・ダ・モッタ・コンクールで優勝している。みんな、それぞれの経験から割り出して審査しているのね。 この協議の間、ウズベキスタンのグマノフ氏はなんだかもぞもぞして時計ばかり見ていた。きくと、自分のお弟子さんがシニアのコンクールに出ていて、ちょうど出番のころだという。審査会議が長びくので気が気ではなかったらしい。 やっと片づいたので、グマノフ先生と大ホールに急ぐ。あんまり急いだのですべってころびそうになった。グマノフ先生のお弟子さんは、ウズベキスタンの美女、シャキロヴァ・ギュクリュクさん。グマロフ氏は私の横で、文字通り手に汗を握りながら聴いていた。ヒンデミットの『ソナタ』はあまりにがっちりつくられすぎていて、ともすると衒学的な印象を与えがちだが、ギュクリュクさんの炎のようなアプローチで、とても活き活きと演奏された。楽しかったのはヨハン・シュトラウスの『トリッシュ・トラッシュ・ポルカ』をシフラが編曲したピースで、全身を鞭のようにしならせて表現する。ラヴェルの『道化師の朝の歌』はちょっと入れ込みすぎて速くなってしまい、あぶないところがあったが何とか弾ききった。全曲聴き終えてグマノフ先生に祝福の握手を求めたら、先生の手は汗びっしょり。ほっとしたように心臓をおさえていた。 つづくアゼルバイジャンのアヤン・サラホヴァさんはとても音楽的で、スコット『ネグロ・ダンス』などはごきげんな演奏だったが、多少パンチ不足。プロコフィエフの『ソナタ第7番』では和音がうまくつかめず、口をあけて弾いていた。カザフスタンの子供たちと足して2で割ったらちょうどいいのに。 いっぽう、これでもかとパンチをきかせてくれたのが、中国のツァイ・ウェイ・ウェ イさん。彼女は17歳でシニア部門最年少。ゴムまりのような体つきで二の腕はアルゲリッチなみに太い。いきなりプロコフィエフの同じソナタを弾丸のように弾きはじめた。しっかりした打鍵、きれのよいリズムで、アヤン・サラホヴァさんに差をつける。しかし、決して技術偏重ではなく、2楽章では滔々した雄大な音楽が流れ、感動的だった。フィナーレはノリノリ、最後の和音とともに勢い余って椅子から立ち上がってしまったので、終わりだと思った聴衆から盛大な拍手がきた。これで少し集中力がそがれたのか、ラフマニノフの『前奏曲作品23−5』ではバスにミスが目立ったのが残念だった。いったいにロシアン・メソードは足先で床をふみしめて弾くため、どうしても肩に力がはいって左右の跳躍がやりにくくなるようだ。 次も中国人の男性で、パン・シャオ・キングさん。体格がよく、腕を乗せ掌をちょっと動かすだけでたっぷりとした響きが出る。楽器が鳴りきっているのには感心したが、どうも音楽に緊張感がない。ムソルグスキー『展覧会の絵』はあまり感心しなかった。 ピアノの楽しさを満喫させてくれたのはカザフスタンのラビガ・デュッセムバエヴァさん。ひっつめ髪でのっしのっしと歩いてくる姿は野菜市場のおばさんのようだが、演奏はしゃれたもの。ドビュッシーの『ピアノのために』はものすごいスピードのなか、目のさめるような鮮やかさで弾かれた、何よりすばらしかったのはウェーバー『無窮動』。まぁ、その軽やかなこと、しゃれていること、即興的な魅力にあふれていること。客席は興奮した。そしてきわめつけはロッシーニの『セヴィリアの理髪師』のアリアをギンズブルクがアレンジしたピース。まるでオペラの一場面を見ているようで、自在に歌い、自在にパラフレーズする。20世紀初頭ヴィルトゥオーゾたちはこうやって聴き手を楽しませたのだろうな、無味乾燥なヴィルトゥオーゾではなく、エンタテインメントとしての技巧主義がこれからのトレンドだなと思った。 9番目は、カザフスタンの人気者、セルゲイ・キム君。眉毛がきりりとしていて、カンフー映画の俳優のよう。バッハ−ブゾーニの『シャコンヌ』は、最初のうちは肩に力がはいりすぎていたが、次第に音楽にはいりこんで、最後は集中力のあるいい演奏になった。チャイコフスキー『四季』から「8月」、ラフマニノフの『前奏曲作品23−2』と、プログラムが少し短すぎたようだ。 次がお目あてのロシア人、ツヴァトコフ君。ベートーヴェン『アテネの廃墟によるロンド・カプリチオーソ』をリストか何かみたいに弾きまくり、審査員の顰蹙を買っていた。5つのヴィルトゥオーゾ・ピースとしてはリスト『半音階的大ギャロップ』、ドビュッシー『交替する3度』、野菜市場おばさんと同じウェーバー『無窮動』、パガニーニ=リスト『カンパネラ』、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』と並べ、そのうちドビュッシーとストラヴィンスキーを弾くことに。『交替する3度』は、予選で弾いた『鬼火』や『作品10−2』ほどのスーパー超絶技巧は感じられず、一番の難所ではちょっとこんがらがっていたので、かえって人間味を感じたほど。しかし、『ペトルーシュカ』は、ぎらぎらした色彩感と切れのよいピアニズムでさすがの演奏。中国の審査員、パオ・チュン氏も言っていたように、テクニックという面ではコンクール外のレヴェル。古典に問題あり、だけれど。 ツヴァトコフ君が興奮した聴衆に3回も呼び出されたので、あとの2人のカザフ女性は弾きにくかったのではないだろうか。もうコンクールは終わった、そんな雰囲気だった。ディアナ・アイドスさんはまた渋いブラームス『作品119』を選び、深々とした自然な音楽をつくりだしていたが、和音のダイナミクスに欠けることがある。最後のユリヤ・バラビチェヴァさんは、アルベニスの『アストゥリア』でカザフ的手首の強さを思う存分発揮していたし、プロコフィエフの『サルカズム』も打鍵の強さとしなやかさでハマリの演奏だったが、やはり肩をしめているので両端が開きにくく、そのぶんミスが多くなる。 聴き終わって食事をする部屋に戻ると、審査員たちが点数表を前に侃々諤々の議論を展開していた。ジュニア・コースと同じ問題だ。ロシアのツヴァトコフ君は46.85点、カザフの野菜市場おばさんは45.25点と1点以上の開きがあるのに、エクゼコにすると騒いでいる。ジュニアと違ってボッファール氏も私も何も言えないので、その通になってしまった。2位は45.1点の中国『展覧会』君と44.9点のカザフの星君のエクゼコ。これは妥当だろう。3位も2人いて、44点を得た中国のツァイ・ウェイウェイさんとウズベキスタンのギュクリュクさん。グマロフ先生、よかったね。 食事の席でカザフのデュッセムバエヴァさんのことが話題になった。オーヴァキロヴァ夫人によれば、彼女はカザフにいたときは単なるテクニシャンだったが、たった2年モスクワに行っただけで音楽の楽しさに目覚めてステキなピアニストになったという。同じカザフでもロシア人のあとに弾いたアイドスさんは明らかに指先のテクニックが足りなかった。ジュニアのうちはしっかり指先のバネを養い、大きくなったら腕や手首を解放して色彩感とフレーズ感と躍動感をつけることができるのだろうか? これが日本なら硬いままで終わってしまうことが多いのだけれど。 オーヴァキロヴァ夫人自身も、カザフの音楽院にいたころは指先のテクニックばかり追求していたので、師事していた先生がそれでは退屈だといつも顰めっ面をして爪ばかりはじいていた、と話していた。 話のついでにモスクワ音楽院で師事した先生の話になり、ショパンの『作品10−8』の最初のトリルを弾くとき、はじめから鍵盤の上で指を動かさず、飛行機が着地するときのように、まず空中でトリルの形に動かしておいて徐々におろしていくといいと教わったそうだ。そう、これはいいヒントかもしれない。脱力といっても、単に力を抜いただけではふわふわになってしまう。まず指先をしっかり訓練する。強靭な指ができあ がったところで、それを宙に浮かせる。体操やシンクロの空中姿勢のように。 もうひとつおもしろい話をきいた。ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』のサブ・テーマはカザフの民謡で、カザフの子が弾くと歌いすぎてしまう、やはりクラシックなのでそれなりに抑制しないといけないとオーヴァキロヴァ夫人が言っていた。ピアノ曲に八木節が出てくるようなものか。 またトースト・タイムになり、演説を求められたので、こんな話をした。 「カザフスタンの人々が、音楽院でも自分たちの民族の歴史や文化を学び、自分たちの音楽を大切にしていることを知り、とても参考になりました。日本が西洋音楽を導入してから150年ほどになります。最初のうちは西洋に追いつけ追いこせで活気はあったのですが、ずいぶん無理をしてきたように思います。 一番よくなかったのは、日本の民族性、日本人らしさを否定してしまったことではないでしょうか。日本人は繊細で静謐な音楽に向いているのに、そうした特性は無視し、ひたすら西洋の価値観で解釈し、西洋風の弾き方をとりいれようとしました。西洋音楽をやる上では、「日本的」という言葉は否定と同義語だったのです。日本人形のような平面的な顔を無理矢理メイクで立体的に見せようとするように。結果的に、単なる猿マネか似て非なるものができてしまったように思います。 今、世界のピアノ界で日本は、国際コンクールに大挙しておしかけるので有名ですが、その割りに本選まで残る人数は少なく、何か教育に問題があるのではないかと指摘されています。それでも国際コンクールで優勝するピアニストはいますが、国際的に活躍しているピアニストは極端に少ないようです。そうこうしているうちに韓国、中国が台頭し、世界的なマーケットという意味では、すっかりそちらが主流になってしまいました。それは、韓国、中国の人々が西洋音楽を学ぶ上でも自分たちの民族性にこだわり、解釈や奏法に活かそうとしたからではないでしょうか。 コンクールのオープニングセレモニーでカザフの民族オーケストラの演奏が紹介されたのはすばらしいことだと思います。私たちは、西洋音楽については少しばかりのことは知っていますが、日本の伝統音楽については何も知りません。歌舞伎の下座音楽についてきかれても、何も話すことができません。教わっていないし、何も調べていないのは恥ずかしいことです。 明治政府の洋楽導入以来、表面的な西洋崇拝がおし進められ、どこかボタンがかけ違ったまま誰も疑問をさしはさまずに邁進してきたツケが、今ドーンときているように思います。 このコンクールの審査をさせていただいたことで、あらためて日本人がヨローッパの音楽をやることの意味を考えるきっかけを与えられたような気持ちでおります」 英語ではうまく言えないので、まずフランス語でしゃべり、英語も堪能なボッファール氏に英訳してもらい、さらにそれを通訳さんがロシア語になおすというややこしい演説になった。 さて、12月8日はいよいよ終了演奏会。ジュニアコースからは優勝者のアゼルバイジャン少女が出場し、バビロフの変拍子の曲を弾くと、あっさりと下がって行った。ウズベキスタン美女はあでやかな銀色の衣装でシュトラウス−シフラを再演し、野菜市場おばさんはコンクールのときと同じブルーの衣装でロッシーニ−ギンズブルクを再演。中国のウェイウェイちゃんはリストの『カンパネラ』を、いかにも中国人らしく、カデンツァのトリルまで全部克明に彫り込むような演奏。ロシアのピカ一君は『ペルルーシュカ』のフィナーレを再演したほか、アンコールに応えてドビュッシーの『カノープ』を瞑想風に。 受験生たちの演奏にも興奮したが、それにも増してすばらしかったのは終了コンサートで聴いた審査員たちの演奏である。スタートはフローラン・ボッファール氏で、ドビュッシーの『金色の魚』を弾いた。20世紀音楽を得意としていて、ブーレーズ率いるアンサンブル・インテルコンタンポランで演奏していたこともあるボッファールは、普通のドビュッシー弾きとはひと味違った知的で興味深いアプローチを見せて喝采を浴びた。 中国のパオ・チュン氏は、普通ならアンコール・ピースで逃げるところ、正攻法でプロコフィエフ『ソナタ第3番』を弾いた。途中あぶないところもあったが、テキストが頭に、運動が腕と手指に叩き込まれているのだろう、けっして大くずれしないのはさすがだ。 オープニングセレモニーに出席しながら演奏しなかったスタニスラフ・イゴリンスキー氏は、エリザベート・コンクールで2位になった実力の持ち主である。食事のあと、いつも座談を中座して練習に行っていた。毎日の練習の結果弾いたのはショパンのマズルカ1曲だったが、その演奏はノスタルジーに溢れ、胸がキュンとなった。 最後はオーヴァキロヴァ夫人。コンクールの組織委員長として、アルマティ音楽院と自分の音楽院の院長として、カザフのクラシックピアノ教育に邁進し、予算をもらうべく行政にも働きかけ、自身も活発な演奏活動をしている夫人は、事務局の人が彼女はいったいいつ練習するんだろうと不思議がるほど忙しいのだが、終了コンサートの席上、まず、コンクールの開催にあたって尽力してくれた事務局のメンバーに花束を贈り、それからピアノに向かってラフマニノフの『前奏曲』とショパンの『華麗なる大円舞曲』を弾いた。 自分では集中できなかったと言っていたが、さすがにすべての運動が「ミザンプラス(はまるべき場所にはまっていること)」であり、ラフマニノフには深々とした情念を込め、ショパンには華やかな雰囲気をちりばめ、スケールの大きな演奏だった。聴くうちに、自然に涙が流れ出た。黄金時代のモスクワ音楽院に学び、ものすごいレベルの中で切磋琢磨したあと、ソ連の崩壊で突然はしごをはずされてしまった。それぞれの国に帰り、必ずしも環境が整っていないなか、資金もないなか、次世代によき時代の神髄を伝えようと懸命の努力をしている旧ソ連出身の先生たち。彼らの誇りと矜持のようなものがひしひしと伝わってくるコンサートだった。 コンサートのあとは主催者側の招待で市内のレストランで送別会。若い子たちを指導している先生たちと、基礎教育などについて少し話をした。共産圏はチェルニーの練習曲をあまり使わないときいていたのに、子供たちが積極的に弾いていたのでびっくりしたと言ったら、ネイガウスのシステムでいろいろな練習曲をさせるが、なかでもチェルニーは、高校生までしっかり弾かせると言っていた。だから我々はこれほど強いのだと自信満々。でも、子供たち硬かったなー。 ついで、大活躍だった通訳さんたちの紹介。私を空港に迎えにきてくれたシディングは一般大学のピアノコースに学んでいる学生。眼鏡がおしゃれでいつもミニ・スカートですごくスタイルがいい。ギターを弾くアンドレイはフランス語と英語が堪能。本来はボッファール氏付きの通訳さんだったのだが、ボッファール氏が英語を話すので、どちらかというと私の通訳さんのようだった。もう一人、シェーベルクで論文を書いている音楽学の学生さんはイギリスのミルン氏付。3人とも、カザフの誇るスーパージェネレーションとのこと。学生なのにオーヴァキロヴァ夫人はじめ要人をファーストネームで呼び、コンクールの採点集計にまで参加する若者たちの姿はたのもしかった。 こういう場に出るたびに感じるのは、語学の壁。韓国のキム・ナネ先生はシカゴに留学していて英語が堪能だし、グマノフ先生とイゴリンスキー氏はロシア語。私も、もう少し英語をしっかり勉強しておけばよかった。 9日はいよいよカザフを離れる日。午前中は、キム・ナネ先生と韓国の受験生母娘とホテルそばのスーパーマーケットに買い物に行った。旅行案内書で見た馬乳酒「クムス」を買うのが目的だったのだが、「クムス」「クミュス」などいろいろ言ってみたが、発音が悪いのか、店員に馬に乗る仕種をしてみせてもわからない。蒸留酒のコーナーをうろうろしてみたが、結局見つからずじまい。 店員さんの中で一番地位の高そうな男性のところに行って「クムス」と言ってみたら、うなづいてついてこいというそぶり。喜びいさんで行ったら、乳製品のコーナーだった。お酒ではなく、馬のミルクそのものだ。早速ホテルで味わってみたものの、酸っぱいのと臭いのとでとても飲めなかった。あとでわかったことだが、馬乳酒はこのミルクを何回もかきまぜて発酵させてつくる。7月〜9月の間しか店には出回らないそうだ。 通訳さんのシディングが車で迎えにきてくれて、同じ飛行機に乗るツァイ・ウェイウェイさん母娘と空港に行く。プロコフィエフの戦争ソナタを弾いてシニア部門の第3位に入賞した中国のお嬢さんだ。ステージでは貫祿たっぷりに見えたが、Gパンに着替えるとまだあどけない高校生。ジュニア部門の審査員だがシニア部門の本選も聴いた、と言ったら、アドヴァイスがほしいというので、聴いて感じたことを少し話した。付き添いのお母さんに、大きな成果を上げた娘さんを誇りに思うでしょうと言ったら、「疲れた・・・」とひとこと。でも、疲れていたのは私の方で、飛行機の中では話もせずに寝てしまった。 北京の空港に着いたのは真夜中の12時。パリ行きの便は次の日まで出ないから空港ホテルをとってあったのだが、ウェイウェイさん母娘がいなかったらちゃんと行き着けたかどうかわからない。北京のタクシーは危ないといううわさだったので、送迎バスがないかとバウチャーに書かれている電話番号に電話してもらったところ、空港内にレセプションがあるという。広い構内をあちこち走りまわってようやく発見。 ウェイウェイのお母さんが、早口の中国語でしゃべる受付嬢といろいろ交渉してくれた結果、送迎バスを出してくれことになったらしい。バスの発着所まで付き添い、母娘で同乗してくれた。これはとても心強かった。コンクールから帰ってきて一刻も早くお父さんや家族に会いたいだろうに・・・。 ホテルでチェックインし、部屋まで上がったところで抱き合ってわかれた。このウェイウェイさんとはその後もメールでやりとりしている。 |
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