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青柳いづみこのメルド日記


2006年6月20日/美術とのコラボレーション

  メルド日記もずいぶんご無沙汰してしまった。愛読者のみなさん、ゴメンナサイ。
  2005年10〜11月にセザンヌの旅に行って帰ってきてから、メルド! と叫びたくなることがなかったわけではない。いや、むしろしょっちゅうあったのだ。でも、それを書きつける時間があったら、単行本の執筆や調査、依頼された雑誌原稿や演奏・講演その他をもろもろをこなさなければならない。覚悟はしていたが、やっぱり1ヶ月日本をあけると残務整理が大変だった。いい思いをしたんだからしょうがないけれど。
  とりあえず、2006年前半の印象としては、満員札どめがあいついだこと、美術館や芸術館、文学館でのコンサートが多かったこと。

  2月は、毎週ピアノを弾いていた。4日は横浜美術館で開催された長谷川潔展の関連イベントとして「美術と音楽を楽しむコンサート・パートII」に出演。
  長谷川潔は駒井哲郎(祖父の友人で、ロートレアモン『マルドロールの歌』の豪華本装画を担当した)の尊敬する銅板画家で、1918年、大正7年にフランスに渡り、1980年に亡くなるまでずっとパリで制作をつづけた方である。私が依頼されたのは、長谷川潔ゆかりのフランスのピアノ曲を弾くことだった。横浜美術館とみなとみらいホールの共催で、この二つの施設がタイアップするのははじめてとか。
  「パートI」は美術展のオープニング前で、会場はみなとみらい小ホール。ソプラノの野々下由香里さんが、山田耕作とドビュッシーの歌曲をお歌いになった。横浜美術館の学芸員猿渡紀代子さんのほどよい解説と興味深いスライドの数々、野々下さんの美しい歌声でとても快いイベントだった。
  私が出演する「パートII」は美術展がはじまってからなので、会場のグランドギャラリーで行うとのこと。横浜美術館にうかがって打ち合わせしたら、長谷川潔が祖父とも接点があるらしいことが判明した。
  学芸員の猿渡さんは長谷川潔の研究者でもあり、3巻にわたる研究書を書いていらっしゃる。長谷川は音楽評論家の太田黒元雄や詩人の堀口大学、日夏耿之介と親しい関係にあり、大森にあった長谷川邸は、長谷川が渡仏するまでの6年間ほど彼らのたまり場だったという。

  堀口大学は亡き祖父青柳瑞穂の恩師だし、日夏耿之介は阿佐ヶ谷の天祖神社の境内に住んでいて、堀口の主宰るす文芸誌『パンテオン』の寄稿者だった。日夏がどこかの教
育機関に祖父を推薦するため、巻紙に毛筆で書いた推薦文も残っている。そして大田黒元雄は荻窪の広大な屋敷に住み、シェーンベルクやドビュッシーを研究し、『パンテオン』の版元であった第1書房に多大な出資をしていた。
  大田黒が外遊時に買った100年前のニューヨークスタンウェイは今も大田黒記念館に所蔵されていて、私も一度弾いたことがあるが、すばらしい音色のピアノだった。  その太田黒が1915年にドビュッシーの作品を弾くコンサートを開き、長谷川潔がプログラムの装丁を担当しているのだ。猿渡さんにみせていただいたら、『牧神の午後への前奏曲』のピアノ版や『子供の領分』、『ベルガマスク組曲』から「月の光」、『前奏曲集』から「亜麻色の髪の乙女」「沈める寺」などを弾いている。
  『牧神の午後』のピアノ版は祖父も所蔵していて、ぼろぼろになった楽譜が家にある。『牧神』は1894年作だが、『前奏曲集第1巻』は1910年の作曲。ということは、太田黒はほぼリアルタイムで演奏していたことになる。残念ながら長谷川が日本を旅だった年にドビュッシーは亡くなってしまったけれど。

  こんなすごい縁があろうとは・・・。お話を伺って私はすっかり興奮してしまった。打ち合わせのあと、館長さんにも紹介していただいた。館長さんは私の顔をみて、『ピアニストが見たピアニスト』、愛読していますよと言ってくださった。私はすぐさま、祖父のこと、堀口や日夏との浅からぬ関係のことなどをお話した。こんなお仕事をいただいてとてもうれしい、私でお役に立つことがあったら、何でも・・・。でも館長さん
は私の顔をみて、『ピアニストが見たピアニスト』、面白かったですよ、とくり返すだけだった。
  私は、ピアニストについての本を書いたフランス音楽専門のピアノ弾きとして、単にイベントで演奏するために雇われたのだ。
  コンサートの進行じたいも、私の興奮に水をさすものだった。当初の打ち合わせでは、まず猿渡さんがパリ時代の長谷川潔について講演をなさり、後半は私が、長谷川がプログラムを装丁した大田黒元雄のコンサートの曲目を中心に演奏するという手はずになっていた。ところが、2週間ぐらい前になって順序がひっくりかえり、まず私が演奏して、そのあと猿渡さんのお話という流れになったと連絡がきた。
  これは全然違うことですよね。なぜ長谷川潔展のイベントでドビュッシーを弾くのか、なぜこの曲目なのか、私の身内と長谷川潔との接点について、お客さまが何も知らされない状態で演奏がすすむことになる。音楽も文学も美術も渾然一体となっていたよき時代の雰囲気を再現しようとするのだったら、受け皿の方も通りいっぺんではなく、もう少し工夫をすればよいのに。
  進行表を見たら、演奏時間は30分、トークなし、アンコールなし。美術展は午後6時までだが、お客さまが完全に退場するのにどうしても30分はかかる。それから椅子を並べ、コンサート&レクチャーのセッティングをするので、開演は7時半になるという。

  横浜美術館のグランドギャラリーはけっこう広く、席は400席ほど用意するということだった。そんなに埋まるかしらと心配していたが、売れ行きは好調で、チケットぴあでもホールのチケットセンターでも早々に売り切れてしまったらしい。電話して断られた友人は、私に連絡してくる。自主公演ならすぐにチケットをお送りできるのだが、依頼公演はこういうとき不便だ。ホールの方に事情をお話して席を用意していただいた。
  当日は、2月だから当たり前だが、とても寒い日になり、リハーサルのころから粉雪がちらちら舞いはじめた。美術館のお客さまが退場してから開場までの30分間でリハをすませる。グランドギャラリーは3階ぶんぐらい吹き抜けになっていて、2階にあたるところに演壇がもうけてある。猿渡さんはここで話をなさる。私はさらに上の階で、下から見上げるとスポットライトが当たって神殿のよう。
  ピアノはみなとみらいホールのものが運べず、美術館にあるヤマハのフルコン。プログラムを練習していると、技術の方から「PAをつけますか?」ときかれた。会場が広いので、音が聞こえにくいと困るからアンプを通したらどうかという提案らしい。
  当惑して調律師さんに相談したら、リハを客席から聴き、ピアノの向きを変えたりいろいろやってみて、そのままでなんとかなるでしょうとのこと。私自身、PAを通した音がきらいなのでほっとした。
  開場前はスタッフのみなさんがいろいろと手筈を整えて号令をかける。開場30秒前、25秒前、4、3、2、1・・・。なんだかテレビ番組のようだった。

  控室で準備をしていると、スタッフの方がいらして、演奏が終わったあと話を入れていただけないかと頼まれる。あれ? 打ち合わせでも進行表でもしゃべりはナシのはずだったのに。本番30分前になって突然トークと言われても、そのための調査もしていないし、原稿もつくっていない。もっと打ち合わせで詰めておけばよかったと残念だった。
  猿渡さんの講演のスライドの準備に予想外に手をとられることがわかり、間をもたせるためだったらしい。そうか、当初の予定では講演が先だったから、リハのときに準備すればよかったのだ。それにしても、どうして順序が入れ替わったのだろう?
  あとで知人にきいたら、このとき、もっと残念なことが起きていたのだ。開場は7時だが、6時半ごろから相当長い列ができていたらしい。全自由席だから、よい席をとりたいと思ったのだろう。そこに、おりからの雪である。お年寄りの方が多かったが、美術館の前は吹きさらしで、雨よけもない。椅子もない。カフェにはいって温まろうと思っても、貸し切りと書いてある。中にはドンドン戸を叩いている方もいらしたとのこと。でも、場内は開演前の大わらわだから、スタッフの誰もドアをあけようとはしない。
ガラス戸ごしに全部見えるので、外にいる方々は余計やりきれない気持ちだったろう。  7時半開演になり、私が神殿の上のようなステージに出て行ったとき、客席が妙に冷え込んでいる感じがしたは、そのためだったのか。やっと温まってきたと思ったらもう終わってしまった。

  曲目を弾き終え、長谷川潔とドビュッシーと祖父の浅からぬ縁についてほんのさわりだけお話したあと、着替えて会場に戻り、猿渡さんのお話を伺った。パート1ではみなとみらい小ホールだったのでスライドがよく見えたが、美術館のグランドギャラリーは大きすぎて、遠くの席からはあまりよく見えない。せっかく貴重な映像を映してくださったのに、これも残念だった。
  だいたい、どのみち美術展が終了したあとコンサートをするのだから、どうしてみなとみらい小ホールではいけなかったのだろう? ホールなら、ロビーで待っていただくことができるし、少なくとも雪の中で立ちんぼする必要はなかったろう。音響設備も整っているから、ピアノの音もよく聞こえたろうし、スライドもはっきり見えただろう。
  どうも今ひとつよくわからない企画だった。
  会場に来てくださった方にとっては、やはり私の出番があっという間に終わってしまったこと、アンコールがなかったこと、トークが短かったこと、猿渡さんとのからみがなかったことなど、不満が残ったようだ。依頼されたステージなので仕方ないが、いつもは依頼公演でも自分で仕切ることが多いので、私にとっても不完全燃焼のステージだった。

  美術館のコンサートというは、客筋はハイブローだし、文化のかおりただようし、私たちにとっては心おどるステージなのだが、どうしても美術側からの発想に傾きがちだ。タイアップとは名ばかりで、音楽は添え物でしかなくなる危険性がある。
  2月17日、18日に京都芸術センターで行なわれた「音とかたちの出会い」も、いくつか思惑ちがいなことがあった。こちらは『週刊新潮』の「とっておき私の京都」第4回でも紹介されたイベントで、型絵染の作家伊砂利彦さんの作品に囲まれてドビュッシー『前奏曲集第1巻・第2巻』全24曲を弾こうという試みである。
  伊砂利彦さんは大正13年、京都の友禅の染め物職人の家に生まれ、伝統的な工芸の手法を活かしながらムソルグスキー『展覧会の絵』やドビュッシー『交響詩・海』『前奏曲集第1・第2巻』全24曲、スクリャービン『炎に向かいて』など音楽作品にインスピレートされた作品を制作してこられた方だ。
  音楽学者ではないので、作曲の経緯や作曲家の意図などに精通されているわけではないが、すぐれた直感をもって一気に音楽の核に踏み込み、伝統的な型絵染の手法で見事な「かたち」にしていらっしゃる。伊砂さんが制作されたドビュッシー『前奏曲集』のパネルに囲まれてピアノを弾くことは、私の長年の夢だった。       

  2005年5月に東京近代美術館の工芸館で生前回顧展(これは珍しいことで、作り手にとっては非常な名誉だという)が開かれたときも、伊砂さんのたっての希望で演奏つきのレクチャーが実現したが、部屋が狭く、作品を展示した場所でピアノを弾くことができなかった。
  近代美術館の工芸館は建物全体が重要文化財ということで、収容人数もきびしく制限されている。本来なら大々的に宣伝したいところだったのに、館長さんから、「人があふれると困るのでなるべく知らせないで下さい」と言われてしまった。それでは2回レクチャーしましょうか? ギャラは1回ぶんでいいですから、とご提案したのだが、会場整理に手間がかかるとの理由で却下。
  ベーゼンドルファーのフルコンを運んでいただいた場所は展覧会の会場入り口近く、二階の階段の踊り場で、椅子を置くスペースもないので、お客さまは立ったまま。あまり長い時間も何だからというので、レクチャー時間は45分程度におさめて下さいと言われた。限られた時間で、伊砂利彦と音楽、ドビュッッシーとの出会い、作品の相似や絵画と音楽のコラボレーションについて語り、さらに該当作品を演奏するのは至難のわざだ。

  幸い、お客さまは沢山いらして下さり、ベーゼンのピアノも快調で楽しく語り&弾きすすんだのだが、ふと前方に目をやると、館長さんがちょうど視界にはいるところに立っていて、しきりに時計を見ていらっしゃる。そんな! まだ30分しかたっていないのに・・・。それからは、館長さんが分きざみで時計をごらんになるのが何となく目についてしまった。
  45分のプログラムが終わると、館長さんはばね仕かけのように前に出てきて、「大変ありがとうございました。それではこれで・・・」とおっしゃる。でも、まだアンコールも済んでねぇんだよ。
  あとで伺ったら、やはり消防法で一定の場所に長時間人が集まることも禁じられており、館長さんは気が気ではなかったらしい。階段の踊り場は展覧会への入り口にもあたり、純粋に展示を見にこられた方は群衆を避けて大きく迂回しないと入場できない。「何かもめごとがあったら真っ先に言われますから」。館長さんは申し訳なさそうに弁解していらした。
  そんないきさつがあるので、京都では欲求不満を解消したいと意気込んでいたのだ。

  とりあえず、演奏する場所を選定する必要があった。京都芸術センターはコンサートホールではない。明倫小学校という昔の小学校を改装した建物で、小さなステージのある講堂と78畳の大広間、体育館を改造したフリースペースなどが候補にあがった。型絵染という作品の性格からすれば一番ふさわしいのは大広間だが、収容人数が少ない上に、下が畳。全部音を吸ってしまう。フリースペースはすりばち状になっていて音響はよいが、作品を飾る上で問題がある。
  講堂は200人ぐらい収容できるという。天井が高く、音響は一番よさそうだ。ただし、講堂の常として舞台にも窓にも厚いカーテンがかかっているので、これをとっぱらうことが条件のひとつ。舞台は使わず、ピアノをその前に置き、四方の壁に穿たれている細長い窓に作品を飾る。窓の数は20だが、作品数は24。一部を柱に架ければよいということになった。
  会場が決まったところで、具体的な話しあいにはいった。センター所有のピアノは、明倫小学校時代からあるペトロフという古いピアノと、スタンウェイのB型。ペトロフは修復する必要があり、現在「ペトロフの会」をつくって募金を集めているとのこと。センターとしてはこのピアノで演奏してほしいのだろうが、いかんせん修復前の古いピアノということで、デリケートなコントロールを必要とするドビュッシーの前奏曲集にはやや苦しい。スタンウェイの方が状態はいいけれど、やはり前奏曲集の全曲演奏には小さすぎる。
  コンサートに使用するピアノは他から運ばせることにして、ペトロフをどこかで使うために、コンサートの翌日にポストトークを提案した。ドビュッシーの『前奏曲』全24曲を弾くというのは、ピアノ弾きにとっては並大抵の作業ではない。聴衆の理解のためには伊砂作品やドビュッシーの紹介をしながら演奏していった方がいいのかもしれないが、演奏のクオリティが下がってしまう。

  17日(金)のコンサートでは演奏に専念する。そのかわり、18日(土)のポストトークでは、伊砂利彦さんにインタビューし、作品解説もしながらペトロフ・ピアノで何曲か演奏したらどうだろうか。大変けっこうというわけで、そういう運びで決定した・・・はずだった。
  ところが、セザンヌの取材でパリに行っている間に、この日程がひっくりかえってしまったのである。「思惑ちがいそのI」は、この日程。
  最初はセンター側から、「18日(土)にコンサート、19日(日)にポストトークで、どちらも開演は14時」というメールをもらった。「日曜日は都合が悪いので、当初の予定通り17、18日にしてほしい」とメールを打ったところ、今度は「17日にプレトーク、18日にコンサートと決定しました」というメールが来た。理由をきいた
ら、土曜日にコンサートをする方が集客に都合がよいというようなことらしい。それではやむをえないとOKした。
  チラシの校正段階でもいろいろとやりとりがあった。伊砂利彦さんの「妖精はよい踊り手」の絵を大きく使い、ブルー系で仕上げたとてもステキなデザインだったが、メインタイトルとして「音とかたちの出会い 伊砂利彦とドビュッシーをめぐって」と書かれているだけで、私の名前もピアノ演奏の情報もタイトル内にははいっていない。これではコンサートの告知だということがわからず、伊砂利彦さんの展覧会の案内で、添え物に音楽があるように読めてしまう。マネージャーに助言してもらって、訂正をお願いした。

  ようやくチラシができたのが、コンサート1月前を切った1月19日。普通ならありえないタイミングだが、なぜかチケットはよく出て、2月6日にはチケットぴあ取扱分が売り切れてしまったらしい。センターでの取り扱い分も売り切れ、当初は200席を予定していたが、急遽250席設営を検討している、と連絡がきた。
  読売新聞に記事が載り、朝日新聞でも紹介記事が出ることがわかった。せっかく新聞で紹介してもらっても、問い合わせに対して満席だと断らなければならない。ここで私は、再び2回公演を(同じギャラでよいから、と)提案した。しかし、こちらも見合せたいと却下されてしまった。
  センターではコンサートの翌日から伊砂作品による展覧会を予定しており、公演終了後すぐに準備にとりかからなければならない、というのが理由のひとつ。もうひとつは、すでにお断りしているお客様があるので、今から公演を増やすことは公平さを欠くという配慮だったらしい。その後、日本経済新聞からも取材の問いあわせがあったのだが、すでに満席で今から記事にしてもお客様をがっかりさせるだけだから、と断腸の思い
で断った。

  「思惑ちがいそのII」は、ほかならぬ伊砂作品の展示のこと。伊砂利彦さんのドビュッシー『前奏曲集』は、3枚だけが東京国立近代美術館、残りは京都の国立近代美術館におさめられている。センターの方で、両美術館と作品貸与について交渉したが、京都の方から許可がおりなかった。センターの展示環境について、きちんとした湿温度が保てないと判断されたらしい。美術館側からはガラスケースに入れて展示することを要求されたが、センターの設備では無理なので断念した。そのことが判明したのが12月である。
  ここでびっくりしたのは、伊砂利彦さんがコンサートと展示会のために新たに制作しましょうと申し出られたことだ。型絵染なので元の型はあるわけだが、版画と同じように1枚1枚染めなければならない。紙の状態、染めるタイミングなどで変わってくる。気力と体力・集中力の要る仕事で、82歳とご高齢なのにたった2ヶ月で全24枚を制作しようというエネルギーと意欲には一同感服した。
  しかしまぁ、作品を使うイベントを開催するなら、美術館との交渉はイの一番にしておかなければならないことだ。センターの事務局と最初に打ち合わせたのが9月だから、ずいぶんのんびりしている。
  そして、結果的にこのことがずいぶんコンサートに影響したのである。2月17日に会場練習に行ってみてわかったのだが、急遽制作された作品は、東京や京都の近代美術館におさめられているものより小さなサイズだった。いきおい、窓に架けるわけにはいかず、舞台を黒いカーテンで覆ってその前に並べる形になったようだ。伊砂作品に囲まれてドビュッシーの前奏曲を弾きたいという私の願いは、ついにかなわなかった。

  「思惑はずれそのIII」は、音響のことである。コンサートで弾く楽器はなかなか決まらなかったが、ある友人から京都の森田工房を紹介され、そこで修復した1927年製エラールのフルコンサートを使わせてもらうことになった。リストが愛用したことで知られるエラールは、戦前はスタンウェイよりずっと高く評価されていたマークである。
  森田工房が所蔵しているフルコンは、音色がやわらかく、色彩感にあふれ、フランス音楽にふさわしい軽やかなタッチを持っているが、新しい楽器のようにバンバン音は出ない。音を吸ってしまう厚いカーテンなど是非ともはずしたいところだが、絵には背景が必要だから、こちらも仕方がない。
  最終的に客席を300に増やしたにもかかわらず前売りは完売、朝日新聞に当日券が若干枚出ると報道されたので、たくさんの方が集まってくださった。ピアノの前ぎりぎりまで客席が並び、エラールの繊細な音は背景の黒幕とお客さまが吸ってしまい、場所によってはあんまりよく聞こえなかったようだ。

  「思惑はずれそのIV」は、プレトーク。ピアノのリハーサルが終わったあと、プレトークの打ち合わせをした。それまで私は、自分がマイクを握って司会進行し、伊砂利彦さんにインタビューするものとばかり思っていて、新幹線の中で資料を読んだり、それなりの準備もしていた。
  東京近代美術館で試みたように、伊砂利彦と音楽、ドビュッシーとの出会いについて語り、伊砂作品ともっとも幸福に合体していると思う前奏曲を何曲かペトロフ・ピアノで披露する。翌日のマチネにコンサートなので、プレトークは45分ぐらいにおさめる。
  しかし、打ち合わせがはじまってみると、他に司会の先生がいらして、その方がイニシアティヴをとり、伊砂さんや私にインタビューしたり、演奏曲を誘導したりすることが判明したのである。えっ、そんな。話がちがう。
  しかも、前半・後半45分ずつのしっかりしたコンサート仕様である。それでも、打ち合わせのときには前半2曲、後半2曲のみにとどめたい旨を申し出たのだが、実際にはそうはいかなかった。
  司会の先生が伊砂利彦さんにインタビューし、伊砂さんがそれにこたえて何か具体的な作品名をあげる。すると、「是非ともその曲を聴いてみたいですよね・・・」てな展開になる。私は予定外の曲を弾かざるをえない。もちろん、次の日に全曲弾くのだから前の晩にだって弾いてもいいではないかと思われるかもしれないが、楽器が違う。
  コンサートで弾くエラールはとてもデリケートな楽器で、古いピアノ特有のタッチがあり、それに合わせてこちらもセッティングしている。プレトークで弾いたペトロフは、こちらも古い楽器だがエラールよりはずっと重厚で、別のセッティングをしなければならない。リハのときはずっとエラールを弾いていたので、自分が演奏するつもりにしていた何曲かしか弾いていなかった。

  もうひとつの問題は入場料である。コンサートは有料だが、プレトークは無料なのである。45分の簡単なものなら、お客さまは翌日のコンサートへの前哨として、曲や作品にも理解ができ、より興味をかきたてられたにちがいない。しかし、実際の「プレトーク」は、音楽の演奏もたくさんあり、作者自身による作品解説もたっぷりあり、それだけで充足してしまうような充実した内容だったのである。しかも無料!
  有料のコンサートは、トークなしで、伊砂作品を前に−−たぶん、大部分の聴衆の方には難解な−−ドビュッシーの前奏曲を弾くだけである。両方いらした方は、割り切れない思いをいだくにちがいない。センターの館長さんからの申し入れもあり、私は、いろいろ迷ったあげく、トークを入れることにした。これは、私的には本当に不本意だった。
  そして、いざトークを入れるとなると、徹底的に入れてしまうのが私の性分だ。言葉の濫用。演奏会後、猛烈な自己嫌悪に陥り、しばらくたちなおれなかった。
  コンサートに寄せられたアンケートでも、大部分の方はトークを入れたことに賛成だったが、次のような感想を寄せてくださった方もいらっしゃる。
  「せっかく音とかたちのハーモニーを楽しんだ後、トークが入って興ざめでした。残念。時間が短かっただ配慮でしょうけれど、『前奏曲集』の余韻が台無し」  私も同じ意見です。
  最初に伊砂利彦さんの「とだえたセレナード」を見たとき、私はそこからドビュッシーの音楽が聞こえてくるような気がした。音楽と美術は、どちらも言葉を超えたところからはじまる芸術だ。私が思い描いていたのは、次のような光景である。会場を暗くし、次々と前奏曲を演奏していく。演奏される音楽に相当する作品だけに次々とスポットを当てていく。聴衆は、美術の鑑賞と音楽の鑑賞を同時に行なう。そして、伊砂作品から発するものとドビュッシーの音楽が発するものが、言葉を介さずに溶けあう瞬間を体験する。

  見果てぬ夢。せっかくの希有な時間と空間を言葉で汚してしまって・・・とおわびすると、伊砂利彦さんは反対のことをおっしゃった。大部分の方には、言葉で説明しなければ本当のところまではわかりません。わかりやすい言葉で解説してくださったおかげで、作品に対する理解も音楽に対する理解も深まった。また、こういうイベントを開いた意義も十分に伝わったと思います、と。
  伊砂さんの奥様は体調をくずして当日お見えにならなかったが、伝えきくところによると、伊砂作品をよく理解し、的確な言葉で表現したことに対する感謝の念を表してくださったとのこと。光栄だった。
  そして、私を一挙にハッピーな気分に浸してくれたのは、伊砂さんからの思ってもみないすばらしいプレゼントだった。何と! 私がとくに気に入っているとステージで発言した「とだえたセレナーデ」と「沈める寺」の2枚を、わざわざ制作して送ってくださったのである。
  ドビュッシーの「とだえたセレナーデ」は、グラナダのアルバイシン地区から漏れ聞こえてくるフラメンコの断片ではじまる。聴き入ろうとするとすぐにとだえて、別のものがはじまる。伊砂作品の「とだえたセレナーデ」は、五線譜が無数に並んでいる。最初のうちは規則正しく並んでいるのだが、とちゅうからそれがくずれ、かたっと斜めに傾いて、今にもこぼれ落ちそうになる。伝統的な技法をきちっとおさえながら、それをわざとはずしてみせたドビュッシーの語法を見事にとらえた傑作だ。
  「沈める寺」は、ブルターニュの海辺の町イスに伝わる物語。悪魔と結託した娘が水門をあけてしまったために、町も大伽藍も一夜にして海の底に沈んだが、今もときおり、波間から教会の鐘の音と僧侶の読経の声が漏れ聞こえてくる。伊砂作品では、中心よりやや右よりのところに音の振動をあらわすオシログラフのような線が浮かび、その周囲を微妙な水のゆらめきがとりまいている。芸術センターで展示された作品ではこのゆらめき部分が少し薄かったのだが、私にいただいたものはとてもうまくもやもや感が出ている。

  イベントとしてはいろいろ思惑ちがいがあったし、伊砂さんが2ヶ月で制作してくださった作品も、客席のうしろの方から見ると少し遠かったけれど、演奏面でも、1927年製のエラールを十全に活かせる環境とはいえなかったけれど、やってよかった。
  「プレトークから拝聴しましたが、伊砂さん、青柳さんの互いにその伎倆、教養、芸術を認め合っておられる、それを感じさせるお二人の会話が心地よかった。
  演奏と展覧の合体、音と絵の融合でそれぞれがさらに高まったにように感じ、惹かれました。『目で聴きし沈める寺や春の宵』」
  コンサートから4ヶ月。やっと振り返る勇気が出たアンケートの一枚を読みながら、しみじみ感じいっている。

  *「音とかたちの出会い」コンサートと伊砂作品については、伊砂さんのHPをご覧下さい。
   http://www.t-isa.jp
 これで出てこない場合は、伊砂利彦で検索し、「型染・伊砂利彦のホームページ」をクリックし、さらに「音とかたちの出会い・会場の様子」をクリックして下さい。コンサート風景や作品の写真がたくさん掲載されております。

MELDE日記・目次
2006年1月5日/750ユーロの時計
2005年10月25日〜11月2日/セザンヌの足跡を追って──南仏旅行記
2005年9月30日/『ぴあ・ぴあ』ただいま7刷中
2005年8月28日/”気”の出るCD?
2005年7月6日/ラジオ深夜便
2005年6月23日/ぴあ・ぴあ
2005年5月30日/第7回別府アルゲリッチ音楽祭
2005年4月10日/朝日新聞の書評委員
2005年3月27日/ジャス・クラブ初体験
2005年3月20日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 2)
2005年2月26日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 1)
2005年1月5日/吉田秀和さんの留守電
2004年12月20日/音楽は疲労回復に役立つ!
2004年11月22日/有名にならない権利:クートラスとアルカン
2004年10月23日/14年越しのエッセイ集
2004年10月5日/プレイエルとベヒシュタイン
2004年8月25日/アテネ五輪 アナウンサーと解説者のビミョーな関係
2004年年7月4日/松田聖子体験
2004年6月1日/「メロン三姉妹」と美智子さま>
2004年4月16日/アンリ・バルダ追っかけ記
2004年3月10日/小さな大聴衆
2004年1月20日/大変なんです!!
2003年12月12日/テレビに出てみました
2003年9月13日・14日・15日・16日・17日/方向音痴のシチリア旅行 その II
2003年9月10日・11日・12日/方向音痴のシチリア旅行 その I
2003年9月8日/アンリ・バルダの講習会
2003年8月17日/東京湾大花火大会
2003年7月28日/世界水泳2003バルセロナ
2003年7月11日/新阿佐ヶ谷会・奥多摩編
2003年5月31日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[III]
2003年5月28日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[II]
2003年5月22日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[I]
2003年5月3日/無駄に明るい五月晴れ
2003年4月5日/スタンウェイかベーゼンか、それが問題だ。
2003年2月12日/指輪
2003年1月13日/肩書き
・2002年12月23日/ 年の瀬のてんてこまい
・2002年12月9日/批評とメモ
・2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル
・2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽
・2002年9月26日/青山のブティック初体験
・2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
・2002年3月28日/新人演奏会
・2002年3月1日/イタリア旅行
・2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち
・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて


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