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2006年1月5日/750ユーロの時計 作家の堀江敏幸さんから、『もののはずみ』(角川書店)というエッセイ集が送られてきた。 パリの古道具屋や蚤の市で見つけたささやかな「もの」たち。おもちゃ、文房具、かつての日用品、台所用品──。ひと財産できそうな骨董品ではなく、かといって実用にもならない、何の役にもたたない中途半端なガラクタ類についての、ごくごく短いけれど一行一行が宝石のよう磨かれた文章が、著者自身の手になる写真とともに美しく配置されている。 中に、「冬の腕時計」という一文があった。 「腕時計をなくすことにかけては、かなりの『腕前』だと自負している。高校入学時に叔父からもらったセイコーだけは例外的に十年間所持していたけれど、それも落とすか盗まれるかして、いつのまにか消えた。何度目かになくしたのがちょうどデジタル表示のおもちゃみたいな機種や著名なブランドのコピーが出まわるようになった頃で、以来、私は平均的な文庫本三冊より高価な腕時計をしたことがない。どんなに気をつけていても、はやければ数日、ながくても一年ほどでどこかへ行ってしまうからだ」 時計をなくす理由として、堀江さんは、手首に異物があるのを嫌うたちなので、いつもはずしてどこかに置いたり、ズボンのポケットにつっこんでおいたり、きちんと身につけておく習慣がないからだ、と説明していらっしゃる。 読んだ私は、ニヤリと笑った。ピアノ弾きの場合は、時計をなくすかっこうの言い訳があるからだ。ピアノを弾くと手首がはげしくふれるので、時計が狂いやすくなる。いや、これはデジタル時計になる以前のことかもしれないが、とにかくそれが刷り込まれているし、実際問題として手首をバンドでしめつけていたら指さばきに支障が出るから、弾く前に必ず時計をはずす。鍵盤の横や譜面台の上にのせる。そして──練習が終わったあと、つけるのを忘れるのである。自宅のピアノならいいが、大学の練習室、スタジオ、楽器店だと、そのままになってしまう。 というわけで、もったいないから、普段づかいの時計の値段は千円までと決めている。商店街を歩いていれば必ず、「メーカー倒産、本日かぎり大放出、ブランド物の時計がどれでも千円!」というのに出くわす。毎日、「本日かぎり」の大放出。 そして、電池切れになると、電池を交換する値段と「大放出」の時計の値段がほぼ同じだから、また新しいのを買う。そのくり返しである。 ところが、3〜4ヶ月前、何を血迷ったか、禁を破って文庫本十冊ぶんぐらいの時計を買ってしまった。 日本音楽コンクールの第3次予選を聴きに行ったときのこと、トッパンホールの最寄り駅の飯田橋構内で、古道具屋の屋台を発見した。貴金属・宝石類、バッグや靴とともに、ブランド物の時計もずらりと並べられている。ブルガリ、サンローラン、ニナ・リッチ、オメガ。中で、銀色のブレスレットウォッチが目にとまった。7〜8ミリの細いブレスレットの真ん中に四角く窓があけられ、ほんの小さな文字盤がはめこまれている。 とっさに、レクチャーコンサートで使うのにいいな、と思った。各曲の演奏時間があらかじめわかっている普通のリサイタルと違って、弾きながらしゃべるコンサートでは、どうしても時間がのび気味になる。目をあげたところに時計のあるホールならいいが、なかなかそうもいかない。腕時計は邪魔だから、譜面台に置く。すると、楽譜の陰に隠れてしまったりして、なかなかさりげなく時間がみられないのだ。 しかし、この時計なら細いし小さいし、はめたままピアノを弾いても邪魔にならないだろう。よし、買おう。 私としては清水の舞台から飛び下りるつもりで、「文庫本十冊」の時計を購入した。 ところが、駅の構内を出て、しげしげ時計を眺めたところ、大変なことに気づいた。この時計には竜頭がないではないか。いったいどこで時刻をあわせるのか? あわてて店にとって返す。売り子さんもねじの巻き方を知らなかったらしく、しばらく時計をひっくり返したりして考えこんでいたが、メーカーに問い合わせてようやくわけがわかった。 時計部分の横に、竜頭のかわりに小さなくぼみがある。そこに細いシャーペンの先をつっこみ、つっつくと時計が進む。もどすことはできないが、とにかく進む。それで時刻を合わせるのだという。もどすときは、ひたすら押しつづける。針がぐるっとまわって、しかるべき時刻のところに戻ってくるまで押しつつける。ちょっと不便だと思ったが、シャーペンで時刻を合わせる時計なんて、なんだかのんびりしていて気に入ってしまった。 その後何度かレクチャーコンサートで使い、前回のメルド日記で書いたセザンヌの取材旅行にもはめて行った。そして、見事になくした。 なくしたのは、取材も最後の方にさしかかり、パリ近郊のオーベール・シュール・オワーズに行ったときのこと。市庁舎の駐車場で車を止め、『首つりの家』などセザンヌが描いたスポットを見てまわり、観光案内所にも立ち寄って市庁舎に戻ってきたところで、ふと手首を見ると、時計がなくなっている! このブレスレット時計は、以前から少しストッパーが甘く、ある角度で手首をふると落ちてしまうことがあった。きっと、取材で夢中になっているうちに落としてしまったのだろう。一応、駐車場や車の中を探してもらったが、見つからない。あとの予定がおしているので、歩いた道を引き返すわけにもいかない。縁がなかったものとあきらめ、以降は携帯の時刻表示を時計がわりにすることにした。 とはいえ、堀江さんも「パリで腕時計をなくしたときは、やはりとても不便だった」と書いていらっしゃるように、街中に時計があふれかえっている日本と違って、フランスで時計を持っていないというのは、ちょっと困ることなのである。 高田美さんという、長らくピエール・カルダンのアシスタントをつとめていたパリ在住の老婦人にこの話をしたら、「あなた、時計がなかったら不便でしょう!」と言われてしまった。 高田美さんは、取材対象のピアニスト、アンリ・バルダに紹介していただいた89歳のおばあちゃま。カメラマンでもあり、世界各国で展覧会が開かれているときく。昨年背中を痛めたこともあり、ひとり住まいでは何かと不自由なので、カルダンさんが、かのマキシム・ド・パリの経営する超高級ホテル、ジダンス・マキシムのスウィート・ルームを手配した。一泊650ユーロ。グランド・ピアノ2台置いても余裕でだだっぴろいサロン、あんまり広くて風邪をひきそうな浴室。 私がお訪ねしたときは、サースさんというご友人のおばさま(フランス人と結婚なさった日本女性)がいらしていて、高田さんは彼女に、「この人時計なくして困ってるから、あなた、カルダンさんのお店に行って何かみつくろってきてあげて頂戴」とおっしゃった。 サースさん少しも驚かず、「どんなタイプのものがよろしいの?」とおききになる。 ん? これはプレゼントしてくださるということかな? と思った私は、「ブレスレットタイプで、あんまり重くないもの」と申しあげた。 承知致しましたというわけで、翌日早速カルダンの店に行って下さったサースさんから、私の携帯に電話がかかってきた。 「ブレスレットタイプはひとつしかなかったのですけれどね、なかなかけっこうなのがございましたよ」とおっしゃるサースさん。 「でも、お気に入ってくださるかわかりませんからね、おとりおきしてありますから、お店に直接行ってごらんになって下さい」 「お店って、どこにあるんですか?」 「あら、カルダンさんのお店ですか?」 「はい」 「ええっと、番地などはわかりませんけれどね、そうそう、大統領府のそばですよ。向かい側の角ですから、すぐにおわかりになりますよ」 ここで私は、「大統領府って何ですか?」とはさすがにきかなかった。 「なんという名前の通りなんですか?」 「フォーブール・サントノレ街ですよ」 さっそく『地球の歩き方』を見たところ、「大統領府」がエリゼ宮であることはわかったが、かんじんのカルダンの店については情報がない。 『地球の歩き方』にはブランド・ショップに関する記事もあり、有名店の場所を記したフォーブール・サントノレ街の地図まで添えられていたが、カルダンの店はもう有名ブランドとはみなされていないのか、カルティエはあってもカルダンは載っていなかったのである。 まぁ、いいや。見切り発車した私は、最寄り駅のサン・フィリップ・デュ・ルールで地下鉄を降り、フォーブール・サントノレ街を歩きはじめた。といっても、超のつく方向音痴だから、通りを正しく歩くまでが大変なのである。地下鉄の駅からは、ボエティ通りものびていて、まずそちらを歩いてしまい、しばらくたってから間違いに気づいて引き返すという、いつものパターン。フランスの通りには、曲がり角のところにしか名前が書いていないので、発見がとても遅れてしまうことがある。 やっとこさっとこお店にたどりつき、でてきたマダムに、マドモアゼル・タカタのご紹介で腕時計を・・・と行ったら、担当の売り子が今別のお客さんと外出している、30分ほどたったらもう一度来てくれないか、と言われた。 ガーン! フォーブール・サントノレ街でウィンドー・ショッピングする気もないし、30分ほどと言われても、どこで待てばいいのか。ここで私は、実にバカなことを考える。ピラミッド近くのネットカフェに行って、日本からのメールをチェックしておこう。 来た道を引き返してメトロに乗ればよかったのだが、私はそのままフォーブール・サントノレ街を歩きつづけた。エリゼ宮をすぎると、ソニア・リキエル、エトロ、ヴェルサーチ、クロエ、フェラガモなど、名前だけは知っているブランドの店が次々にあらわれる。 プラダとグッチの店を通りすぎると、ロワイヤル通りの角から先は、フォーブールなしの、ただのサントノレ街になる。それにしても長い通りだ。だんだん歩くのにうんざりしてきたが、通りぞいに地下鉄の駅が全然ない。ヴァンドーム広場を通りすぎ、サン・ロック教会の向こうにあるピラミッド通りを曲がったころは、足が棒になっていた。 ネット・カフェで一時間ほどすごし、今度はメトロに乗ってまた同じ駅で降り、ふたたびカルダンの店に行ってみたら、あら閉まっている! 携帯の時計をみたら、もう7時をすぎていた。 こんな感じで私は、何度かカルダンの店に行こうと努力してみたが、いつもうまくいかなかったのである。空間感覚が欠如しているので、お店などにはいると、必ず来たのと反対の方向に歩き出す悪いくせがある。フォーブール・サントノレ街はめっちゃ苦茶長く、いつまで歩いても別の通りにならないから、反対方向に歩いていてもそれと気づかない。 途中で、車の通りが激しい六叉路の交差点に行き当たると、うんざりするほど信号を待たされたあげくに渡った先が別の通りだったりして、ぐるぐるまわっているうちにどちらが正しい方向かわからなくなり、結局元に戻ってしまう。絶対にこの方向だと信じて歩きつづけても、いきなりオッシュ通りにぶつかったり、エリゼ宮のかわりに凱旋門が見えてきたり──。 2回目に行ったときも、やっとたどりついたと思ったら店はもう閉まっていた。次のときは、行ったのがたまたま休みの日に当たっていた。その次は、休みの日ではないのに、そして、まわりのブランド品の店は全部開いているのに、なぜかカルダンさんの店だけは閉めていたのである。 結局、5回目にようやくお時計さんとご対面することができた。担当の売り子さんは、体操のホルキナ選手に似たスラっと美人ちゃん。古着屋で見つけた偽革のジャケットに阿佐ヶ谷の商店街の「今日だけ倒産大放出」で買ったバッグといういでたちの私にチラリと視線を走らせたあと、緑色のケースにはいったくだんの時計をみせてくれた。
高田さんにお会いしてて時計のことをご報告したときも、私にはチョット高すぎた、と言ったら高田さん、「あらそう、私って値段てものがわからないのよ、少し負けてもらえないのかしら? いくらなら買えるの?」とかおっしゃっていただけなので、やっぱり私の早とちりだったんだな、と思った。 で、結論から言うと、私はひょんなことでこのお時計さんをゲットしたのである。 パリで泊まっていたのは、以前にメルド日記でご紹介した不遇の画家クートラスと親しかった日本人女性の所有するステュディオ。戸締りが大変厳重で、建物全体の鍵、各棟の他に、ステュディオ自体にはいる鍵が3つもついている。 部屋のドアはホテル形式で、鍵をかけなくてもバタンと閉まる仕掛けになっている。鍵はいつもウェストポーチにしまっておくのだが、ある日それを持たずにバタンとやってしまった。たまたま運悪くトゥーサンの休みに当たっていて、管理人事務所も閉めているし、所有者の女性は旅行中で連絡がつかない。またこういうときにかぎって、財布もパスポートもウェストバッグに入れたまま部屋に残してきてしまった。携帯は持っていたが、またこういうときに限って電池が切れている! さー、どうしよう。そのあと産経新聞パリ支局の山口昌子さんとお昼をご一緒する約束になっていたのだが、一文なしでは待ち合わせのレストランに行くことすらできない。通りに出てタクシーをつかまえようとしたが、ステーションには一台も止まっていないし、走っている空車も見当たらない。 しかたなく地下鉄の駅にもくりこんだ。といっても、チケットを買うお金がないから 、入り口からまっとうにはいるわけにいかない。出口のドア付近で待ち伏せして、誰か出てくるのを待ってすばやくドアをおさえる。パリのメトロは、出口の改札がないから、いったん中にはいってしまえばOK。たまーに検札が来るらしいが、少なくとも私は会ったことがない。 レストラン(クリントンがお忍びで来たというジビエの店)に行って山口さんにお金を借り、お食事をご一緒しながら対策を考えた。うっかり車や部屋の鍵をバタンとやってしまう人は多いらしく、鍵あけサービスの電話番号は沢山あるが、休みの日はふさがっていることが多く、時間がかかる上にとても高い。しかも、携帯が使えないときている。 結局、高田さんのレジダンスに行くのが一番、というのが、山口さんのご意見だった。その日は金曜日。管理人はたぶんトゥーサンの休みの間は出てこないだろう。ということは、金、土、日と3日間はどこかに身を寄せている必要がある。高田さんのところに行けば、きっとひと晩は泊めて下さるだろうし、電話であちこち連絡を入れることもできるにちがいない。 産経新聞のオフィスはシャンゼリゼ通りにあり、高田さんのところにも近い。山口さんの呼んだタクシーに同乗して、レジダンスそばでおろしていただいた。 高田さんは快く泊めて下さったし、着の身着のままで出てきた私に寝間着やジャケット(もちろん、全部カルダン!)を貸して下さった。高田さんはとても華奢なのに、なぜかサイズもぴったりだったのである。その夜はバルダさんも呼んで近くのレストランでお食事した。 高田さんは、タイガーという、バルダが名付け親の猫ちゃんと二人暮らしである。おみ足が少し不自由で、部屋の中でも杖をつく必要がある高田さんは、居間にベッドを置いてそこでお休みになる。私は、巨大な寝室のベッドを使わせていただくことになった。いつは、タイガーがベッドの下にもぐりこんで寝るという。私という闖入者にびっくりしたタイガーは、何度もベッドにとびのり、私のバッグやジャケットの匂いをうさんくさそーに嗅ぎ、大きな目をまんまるに見開いてこちらを窺っては、急にとびのいたりしていた。 次の日は午前中だけ管理人がくることがわかったので、山口さんに貸していただいたお金でメトロのチケットを買い、ステュディオに行って管理人に事情を話し、鍵をあけてもらった。ウェストバッグもパスポートも無事そのまま残っていた。 ふー。一宿一飯の恩義と思った私は、以前から私のピアノを聴きたいと言っていらした高田さんのために、レジダンスのレストランに置かれているピアノでドビュッシーを弾いてあげることにした。ボーイさんにドアを閉めてもらい、聴衆は高田さん一人。手ならしがわりにラモーの「鳥のさえずり」ではじめて、「ひとつ目巨人」まで行ったところで、ドビュッシーの前奏曲に移った。 高田さんが寄贈なさったというピアノはあんまりいい状態ではなかったが、なぜかとても気持ちよく弾けたのである。高田さんはいつも私の本を喜んで読んでくださって、「書くのがとても好きみたいね」と言っていらした。「弾くのはどうなの?」とおききになるから、「書くことほど楽ではないので、ときに義務感から弾いている」というようなことを申しあげたことがある。でも、このとき私のドビュッシーを聴いた高田さんは、「やっぱりピアノを弾くのも好きなんじゃない、あなた」と言ってくださった。
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