2005年3月27日/ジャス・クラブ初体験
3月24日、ミュージックペンクラブのパーティに出席した。音楽評論家の青澤唯夫さんの『名指揮者との対話』(春秋社)がミュージックペンクラブ賞を受賞されたので、ひとことをお祝いを申しあげたかったのだ。
会場で、ジャズ評論家の岩浪洋三さんにお会いした。亡くなったヤスケンこと文芸評論家の安原顕さんからの紹介で何度かコンサートにも来て下さっている。安川加寿子先生の評伝『翼のはえた指』が、やはりミュージックペンクラブ賞をいただいたとき、推薦して下さった方だ。
しばらくお話しているうちに、これから、ローランド・バティックという、ウィーン出身でジャスも弾く、クラシックも弾くピアニストのライヴがあるから行きましょう、と誘われた。
わっ、ジャズのライヴなんてはじめてだ。
6月に刊行予定の『ピアニスト論』でサンソン・フランソワの項目を執筆していたとき、フランソワがジャズクラブでピアノを弾いたり談笑したりしているフィルムを見たことがある。そこに出演しているミュージシャンの名前も、演奏されているジャズのスタイルも全くわからなかったが、その場の楽しそうな雰囲気だけは十分に伝わってきた。
ドビュッシーの『パスピエ』を弾くフランソワの横で真剣な表情で彼のタッチに見入る黒人のジャズ・マンの様子はほほえましたかったし、フランソワと仲がよかったという歌手ナンシー・ハロウェイの歌もかっこよかった。
岩浪さんや若手のジャズ評論家杉田宏樹さんとタクシーで乗りつけたのは、南青山のボディ&ソウルというライブラウス。細長いお店で、入り口近くにピアノ(ヤマハのC3)が少し斜めに蓋全開で置かれ、ピアノのしっぽのあたりにベースとドラムスの椅子と譜面台、正面にヴォーカルのマイクスタンド。ステージを囲む形で円テーブルがいくつか置かれ、奥には細長いテーブルと椅子、右奥にもステージを横から見る形でテーブルと椅子が用意されている。60席ぐらいのスペースとのこと。
ステージを正面に見る一番いい場所に案内された。日本のクラシックのコンサートは夜7時から始まるのだが、ジャズのライヴは8時半スタートが普通だという。お客さんは三々五々集まってきて、それぞれ好みの飲み物とつまみ、料理をとりながら談笑している。ライヴハウスもいろいろだが、このボディ&ソウルは食事がおいしいので有名だという。私たちも、赤ワインのボトルと野菜のスティック、ピクルスを注文した。岩浪さんはジャズ評論の元締めなので、ひっきりなしに人々が挨拶にやってくる。
ローランド・バティックは、ジャズも弾く名ピアニスト、フリードリッヒ・グルダの弟子の一人で、ウィーン音楽アカデミーでピアノを学び、1975年にウィーン楽友協会でリサイタル・デビューした。先日アルゲリッチの「グルダを楽しく想い出す会」にも出演したグルダの息子パウルとはデュオ仲間で、ヨーロッパ各地で演奏している。1991年に録音したモーツァルトピアノソナタ全集では「ウィーン笛時計賞」を受賞、最近では9枚組の「ハイドン:ピアノ・ソナタ全集」が話題を呼んだ。
同時にバティックは、お師匠さんの意志を継いでジャズ・ピアニストとしても活躍している。1988年にはジャズのトリオを結成し、沢山のジャズ・ナンバーも作曲しているという。当夜は高樹レイさんという、ウィーンでバティックのトリオとレコーディングしてきたばかりの歌手のスペシャルライヴで、岩浪さんもCDに解説を寄せていらっしゃるのだ。
芸大時代、作曲家の友人たちはジャズクラブでバイトして小遣いを稼いでいたし、ピアノ科の友人で佐藤允彦の大ファンでピットインに通いつめていた人もいる。でも、私には何となく敷居が高かった。要するに勝手がわからないのである。用語がわからない、楽曲がわからない、アーチストの顔と名前を知らない、拍手やかけ声のタイミングがわからない、いい演奏と悪い演奏の見分けもつかない。たぶん、初めてクラシックのコンサートに行く人もそうだろうと思うけれど。
せっかく専門家が横にいらっしゃるので、杉田さんをナビゲーターがわりにして、いろいろと素朴な疑問をぶつける。オープニングは、ベースとドラムスを従えたバティックのピアノがメイン。杉田さんの解説によれば、最初にテーマを提示し、それからそれを自由に即興していく方式だという。なるほど、ベースもドラムスも一生懸命ピアノの方を見ている。残念ながら、素人耳にはテーマと即興部分の区別がつかなかった。
いっぽうで、クラシック的いじわる耳がでしゃばってくる。ピアノの音が鳴りきっていなくて、しけったおせんべいのようなのが気になった。天井も低いし、絨毯とかカーテンとかに吸収されて響きがカットされてしまっている感じだ。タッチも、細かい動きやペダルに響かせるところはきれいに出ているが、単音で歌うところは上から叩きつけるので、音がボコボコしている。バティックのクラシックを聴いたことがないので何とも言えないが、たぶん、ジャズ特有の奏法に切り替えているのだろう。
岩浪さんに、ジャズ専門の人とクラシックも弾いている人とでは違いがありますか?
ときいてみたら、クラシック畑から来ている人は、どうしてもちょっと固くなる、と言っていらした。固いというのは、リズムのノリを指すのだろう。クラシックは強拍にボトンと落とすのが基本だが、ジャズはそれを極力避けて弱拍に着地し、リズムをゆらしたりずらしたりする。クラシック出身者のジャズは、そのゆれ具合やずれ具合がどこか杓子定規になってしまうのではないだろうか。岩浪さんによれば、バティックにもそういう傾向はあるが、グルダよりはずっとしなやかで自在な感じがするとのこと。
二曲目は、バティック自作の『バガテル』。プロコフィエフの『トッカータ』とバラキレフの『イスラメイ』を足して二で割ったようなトッカータ系の曲で、ピアノ・ソロの間は強拍にポイントが置かれているが、途中からドラムスとベースがはいってくると、とたんにバックのリズムが浮かびあがり、ジャズっぽい雰囲気になるのが面白い。
三曲目から、高樹レイさんがセッショッンに加わる。今夜はヴォーカルがメインなので、歌手の声が好きか嫌いかで決まってしまうでしょう、と杉田さん。高樹レイさんの声はとても低く、ヘ音記号のレぐらいまで出る。かといってハスキーというわけでもなく、温かな包み込むような歌声だ。マイクの使い方はうまく、声をのばすところではぐっと離している。狭いスペースだが、音が割れたり雑音が出たりというトラブルは一切なかった。
問題は表現で、少し木目が荒いかなぁ、という印象。何か疑問を投げかけて、次のパラグラフではもう答えを出して自分で納得してしまう感じ。もう少し間のひだひだのところで細かなニュアンス、音色の変化をつけるとぐっと心に浸みる歌になるんじゃないかな。
歌詞が全部英語なのも壁のひとつだ。アップテンポの曲はリズムできかせるからいいけれど、スローバラードになると、やはり詩の内容が知りたくなってくる。これがクラシックのコンサートなら歌詞カードというものがあるのだが、ライヴハウスは基本的に常連が来るところだから、曲目表も歌詞カードもない。この点は松田聖子のコンサートと同じで、イチゲンさんのことは考慮に入れていないらしい。
拍手のタイミングはすぐにわかった。ドラムスやベース、歌、ピアノがちょっとソロっぽく活躍したあとはアーチストの紹介があり、曲の中でも拍手する。紹介がなくても、スリリングなパフォーマンスのあとは自然発生的に拍手が沸き起こる。ピアノ・ソナタの第一楽章が終わったところで拍手しようものなら、まわりからキッと睨まれるクラシックのコンサートとはえらい違いだ。
前半の最後の方でトロンボーン奏者が出てきたら、「あっ、向井滋春だ!」と、となりの杉田さんがびっくり仰天していらした。日本ではダントツのトップ奏者の方で、高樹さんと同じレーベルでCDを出している。ライヴ情報にもはいっていなくて、飛び入りの友情出演だという。さすがに迫力のある音と演奏で、ドラムもエキサイトして大いに盛り上がった。
ジャズは即興が基本なのに、譜面台に譜面を置き、一曲一曲めくりながら吹いていたので、いったい何が書いてあるのか興味しんしんだった。休憩中に向井さんご本人に伺ってみたら、やっぱり楽譜は単なる心おぼえで、メロディとコードネームしか書いていないとのこと。
クラシックだって、三百年ぐらい前は同じようなものだったのだ。クープランのクラヴサン曲の楽譜には、リズムも小節線もなく、真っ白な音符だけが並んでいるものもある。奏者はそれを見ながら、その場でアルペジオや装飾音を加えて自由に即興していたのだ。ベートーヴェンが『ピアノ協奏曲第4番』を初演したときだって、譜めくりした人がのぞいてみたら、楽譜には簡単な記号のようなものしか記されていなかったという。モーツァルトは自分の作品を二度と同じように弾かないのが自慢だったというし、ショパンだってリストだって即興演奏の大家だった。いったいいつからこんなに窮屈になったんだろう。 私たちのように、楽譜を「聖書」がわりにして、一字一句変えずに再現するという訓練を受けていると、即興演奏のできる人には、憧れと畏敬の念をいだいてしまう。「即興的な演奏」のシンボルのようなアルゲリッチですら、即興演奏ができたらどんなによかったろう、と語っているほどだ。アメリカでバッハを弾いたら、あるジャスのプレイヤーから、あなたの演奏は「スウィング」していると言われて、とっても嬉しかった、と。
ところが、洗足学園のジャズ科で教鞭をとっていらっしゃる向井さんはまるで逆で、クラシックの人たちが譜面通りに弾けるのはすごいと思う、尊敬してます、とおっしゃる。思えば、私たちだって、譜面に書いてある通りに弾いて弾きこんで弾きこんで自在の境地に達するのが理想なのだから、出発点は違っても求めるものは同じなのかもしれない。クラシックの場合は、「楽譜に忠実」が行きすぎて、自在の境地に達しないものでも評価されることがあり、それが一番問題なのだ。
クラシックのコンサートは7時に始まって9時には終わるが、ジャズのライヴの終了時刻は11時半ごろだという。休憩中にステージを囲む円テーブルのお客さんたちは全部いなくなったし、杉田さんもお帰りになったので、後半は少し客席が淋しくなった。
杉田さんのかわりに隣の席に坐った二人連れの男性は、ウィスキーのボトルを頼み、チーズの盛り合わせやカクテルシュリンプも頼み、高樹レイさんの歌に合わせて8ビートでテーブルを叩き、ときには歌を口ずさんでいたからよっぽどファンなのかと思ったら、次の曲では眠りこけ、その次の曲のときにはそそくさと帰って行った。
クラシックの大きなホールだと客席で寝ていてもさほど目立たないが、ここは狭いし明るいので、嫌でも目につく。ピアノは横を向いて没我の境地にはいっていられるが、歌手は正面を向いているし、お客さんの反応がもろにわかってしまうライヴハウスは厳しい。
ステージも客席も冷たいまま儀礼的な拍手をして「成功裏」に終わるクラシックのリサイタルも辛いけれど、ジャズのように、最初っから最後まで我々のリサイタルのアンコール状態のような境地を求められるのも、やっぱり辛いものがあるんじゃないかなぁ、と思った。というのは、人間、そんなに二六時中ノリノリではいられないからだ。
即興演奏に憧れを持っていた私だが、実際にはいくつかのパターンがあるようで、長時間聴いているとだんだん感覚がマヒしてくる。なまなかなことでは驚かなくなる。その夜演奏されたのはトラディショナルなスタイルらしく、あんまりぱっと目のさめるような斬新なサウンドやアレンジは出てこない。バティックのピアノもうまいんだけど、ジャズの場合、クラシック的にうまい必要は全然ないというか、その辺が微妙なところだ。
ステージから気持ちが離れているときには、ジャズ特有の最後のもりあげや、ヴォーカルのイエイっというかけ声も痛々しく聞こえてしまう。もちろん、楽曲やアーチストを聴き込んでいないので、楽しみ方のポイントがわからなかったせいもあるが・・・。 アーチストを乗せるのも下げるのも客席次第。今度はもっと勉強してから来ることにしよう!
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