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青柳いづみこのメルド日記


2005年3月20日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 2)
 
   パリに着いたときはさんざんだったが、帰りは実にスムーズだった。
  帰国便が出発するのは1月23日(日)夕方。その日はパリ近郊に住んでいるヴァイオリニスト、クリストフの家に行って、そこから直接空港に向かうことにした。午前中に車で迎えに来てもらう約束をとりつけたので、ホテルの勘定をすませ、貸し携帯をフロントに預ける。前回書き忘れたが、日本からヴォーダフォンを持って行ったにもかかわらず、充電器を忘れてしまったので結局使えず、急遽借りることにしたのだ。
  11時にクリストフ到着。荷物(本や書類が多すぎてなかなか閉まらなくて困った)を車に積み込み、高速を30分ほど走って彼の家に到着。大きな庭つきの一軒家にはルーマニア人の奥さん(ピアニスト)と可愛い二人の子供が住んでいる。
  着いたとき、ちょうど子供たちがわいわいいいながら、パソコンに入れたコンサート用のポートレイトを選定しているところだった。今年はエネスコの聖年にあたるとのことで、夫妻でさまざまな催しを企画しているという。私は奥さんにユカタをプレゼントし、彼女からはルーマニア人の画家のカレンダーをもらった。

  昼食はアフリカ料理で、クスクスに鳥のカレーをかけたようなもの。おいしかった。指揮者だったクリストフのパパも来ていて、ひとしきり往年の名演奏家談義に花が咲いた。前回に書いたサンソン・フランソワの「ウィスキー」の話もそのとききいたものだ。パパはミュンヘンでジャン・ポネル演出のドビュッシー『ペレアスとメリザンド』を指揮して大成功をおさめたのだが、たまたま私はミュンヘン旅行中にその舞台を見ている。1970年代後半のことである。
  『ペレアスとメリザンド』は留学中に2度接したが、どちらも演出がキッカイだった。パリで見たときは、たぶん日本の能に影響を受けたのだろう。黒子のような女性たちが舞台転換のたびに変なものを持って出てくる。泉は巨大な鏡、塔はただの椅子。ミュンヘンの舞台は反対に説明過剰で、意味不明なダンサーたちが袖に待機していて、ペレアスとメリザンドの心理描写を踊りであらわすという、私にしてみれば余計なことをやっていたのだが、もちろん、そんなことはパパには言わない。

 2時ごろにサヨナラして空港に向かう。途中は道もすいていて、あっという間に着いてしまった。来たときに、地下鉄の駅で重たい荷物をかかえて右往左往したのがウソのようだ。チェックインをすませ、クリストフに「またね!」と挨拶して免税店へ。大好物のドライ・ソーセージやワイン、オー・ド・ヴィー「マール・ド・ブルゴーニュ」を購入。
  飛行機の中はすいていたので、3人がけの席を占領し、ほとんど寝ていたからあっという間に日本に着いてしまった。機内でフラゴナールの練り香水を購入。成田エクスプレスも新宿にとまる列車がすぐに来て、これまたあっという間に家に到着。
  さて、それからが大変。まず文芸美術保険組合に電話して、盗まれた保険証の再発行を依頼する。このごろでは銀行の本人確認が厳しくなり、これがないと、キャッシュカードの再発行依頼もできない。母が入所している施設にも電話し、彼女の保険証も一時送ってもらうように依頼する。というのは、盗まれたサイフの中には私が管理している母のキャッシュカードもはいっており、これがひとすじなわではいかないのだ。

  その週は銀行まわり。各銀行によってビミョーに対応が違うのが面白い。一番簡単だったのがM銀行で、送付されている紛失届に捺印して事項を書き込み、保険証のコピーと一緒に送れば再発行してくれる。ただし、保険証に書いてある住所に送付されるということで、施設の方に行ってしまうのが面倒だ。
  T銀行では、住所が2つあることは認めてくれたが、本人が窓口に来られない場合、自筆で記入した紛失届と委任状、母と私の保険証の実物が必要だという。やれやれ。
  一番ハラが立ったのがメインバンクのU銀行。こちらは主人の口座の代理人カードを紛失したのだが、銀行から送られてきた照会状やハンコ、保険証、主人の自筆の委任状まで持って行っているのに、本人が窓口に来なければ再発行しないと主張する。サラリーマンなのに、ウィークデーの営業時間にどうして来られるの? カミナリを落としたら少し態度が変わり、勤め先に電話して確認をとるという。ところがまた、こういうときに限って電話が全然通じないのだ。交渉の結果やっと受理してもらったが、銀行側は、照会状のサインと銀行に残っている主人のサインまで照らし合わせて確認したらしい。

  残務整理の間に、2回も音楽会に行った。25日はサントリー・ホールで、アルゲリッチの企画による「グルダを楽しく想い出す会」。当初は、アルゲリッチが初めてベートーヴェンの『協奏曲第五番・皇帝』を弾くというのでチケットを申し込み、それに合わせて帰って来られるように旅行の日程も組んだのに、昨年暮れに連絡がはいり、やはりアルゲリッチが初めて弾くモーツァルト『協奏曲第二十番』に変更になったという。やっぱり、『皇帝』は荷が重かったんだなぁ、と思った。
  アルゲリッチは、もともとベートーヴェンの協奏曲は一番と二番しか弾かない。四番はアラウがあまりにすばらしく弾くので、自分が台無しにしてしまうのが怖い、と言っている。五番はいったいどんな理由なんだろう? ただ単に譜読みしたり暗譜したりするのがかったるくなったのだろうか。今回の来日でもアルゲリッチはお定まりのキャンセル騒ぎで、17日の室内楽演奏会のときには来日せず、25日が最初の演奏会だったという。危ないところだった。

  プログラムの最初はグルダの二人の息子たちとアルミンク指揮新日フィルによるモーツァルトの『二台ピアノのための協奏曲』。創意工夫に富んだモーツァルトをきかせてくれたパパ・グルダに比べると、息子たちは大人しい。それに、細かいあんまり音がはっきりしない。母親の違う兄弟だからだろうか、アンサンブルもあんまりよく合っていない。これは、ちょっとお寒かった。
  前半の最後は、グルダの作品。アルゲリッチお気に入りのチェリスト、ゴーティエ・カプソンによる『チェロ協奏曲』は、ジャズありロックあり民謡あり、突然行進曲ありと、さまざまなもののごったまぜの作品で、いかにもグルダらしい。チェロのパートは超絶技巧(のように聴こえるだけかもしれないが)で、拍手喝采を浴びていた。

  最後は、お待たせ、アルゲリッチのモーツァルト。ところが、アルゲリッチにはきわめて珍しいことながら、どうもどこか危なっかしいのである。アルゲリッチのパートが始まるたびに、大丈夫かしら? とちょっとドキドキする。アルゲリッチの独壇場であるはずのオケとの対話もあまりうまく行っていない様子。受け渡すたびに、何とか自分のパートが終わってほっとしたという感じがうかがわれる。もっとも、同じ協奏曲を弾いた27日のときにはすばらしい演奏だったというから、きっと初回で慣れていなかっただけなのだろう。

  その27日には、小林研一郎指揮新日フィルの定期演奏会に出かけた。曲目はシューマンの『ピアノ協奏曲』とマーラー『交響曲第1番』。ソリストは園田高弘さんの予定だったが、亡くなられたために伊藤恵さんが代演した。伊藤さんは、今書いているピアニスト論のミケランジェリの件でインタビューさせていただいたことがある。コンサート・ゴアーで知られる伊藤さんは、ミュンヘン留学中、キャンセル魔で知られるベネデッティ=ミケランジェリのコンサートを、何と十回も聴いていらっしゃるのだ。
  シューマンは伊藤さんのお得意のレパートリー。大オーケストラをバックに、しなやかでダイナミックで、聞きどころをきちんとおさえた演奏で感心した。とりわけ、第1楽章の第主題の最初の音が、ピアノなのにピーンと通ってきたのが印象に残っている。

  次の日は大阪に飛び、学部3回生の特殊研究のオーディションの審査。2回生のときに選抜試験で選ばれた学生たちで、このオーディションで合格しないと特殊研究に残ることができない。私のクラスでは3年ほどつづけて惜しい人材を落としてしまっているので、今年こそがんばらねば。といっても、私ががんばってもどうなるものでもないが。
  課題曲はショパン『バラード第4番』とプロコフィエフ『ソナタ第3番』。バラードの最初の2、3ページは音色や歌い方のコントロールが難しいし、最後のコーダでは手がひきつりそうになる。プロコフィエフは体力勝負で、瞬発力のあるテクニックが要求され、とりわけ最後のページがきつい。どちらも難所だらけの曲だったが、私のクラスに配属されていた2人は無事に合格した。ほっ。

  帰国早々とびまわったために疲れが出たのか、週末はカゼで寝こんでしまった。
  2月4日はティアラ江東小ホールで、セミナーの受講生、戸張勢津子さんのコンサート。オンド・マルトノの久保智美さん、新阿佐ヶ谷会にも来て下さったソプラノの篠崎由美子さんとの共演である。「フランス音楽のエスプリ」と題したプログラムの最初は、オンド・マルトノのソロでミカエル『月の典礼』(1964)。オンド・マルトノは鍵盤楽器なのに単旋律で、何だか不思議な感じがする。ついで、篠崎さんと戸張さんによるドビュッシーの歌曲集『ビリティスの歌』、戸張さんのソロでラヴェル『鏡』より「悲しい鳥」と「道化師の朝の歌」。戸張さんの透明でシャープなのに、どこかはかなげな音がすごく魅力的だった。

  後半は、ヴェルレーヌの詩「巷に雨の振るごとく」に、フォーレ、ドビュッシー、ルクレールが作曲した3曲の歌曲を披露する趣向で、これが面白かった。フォーレとドビュッシーはソプラノとピアノ、ルクレールはソプラノとピアノとオンド・マルトノ。篠崎さんがオンド・マルトノの伴奏で歌うバイエという現代作曲家の『トリプティック』(1994〜97)もすこぶる面白かった。歌詞はなく、擬音語のようなもので叫んだりつぶやいたり早口言葉を言ったり。パリで演劇活動をしてきたという篠塚さんにぴっ
たりだ。

  2月10日はエッセイ集『双子座ピアニストは二重人格?』出版記念のライヴ。門前仲町の「門仲天井」ホールでの昼夜2回公演。思えば、1990年に初のエッセイ集『ハカセ記念日のコンサート』を出したときも、六本木のノマドというライヴハウスで、やはり昼夜2回のトーク&ライヴを企画したものだ。それからもう15年。
  今回の会場を紹介して下さったのは、音楽プロデューサーの池田逸子さん。ジャズや芝居、落語ではよく知られたスペースとのことで、使用料がとても安い。ピアノは出演者が寄附したスタンウェイのM型グランド。一度試弾してみたら、ジャズにも使うのでかなりぺらんぺらんしていたが、調律の名手の斉藤孝さんにお願いして何とかクラシックにも耐える楽器に生まれ変わった。ちょっとレガートが効きにくかったけれど。

  一番の問題は、会場のセッティングで、全部出演者側でやらなければならない。床には式台が沢山置いてあり、それを積み上げて適当な段差をつくるのが重労働だ。男性の手が必要ということで、セミナーの受講生の方に応援を頼み、出版元の音楽之友社からも助っ人に来ていただいた。
  段々ができたら、その上にパンプ椅子を並べる。椅子に2種類あり、うしろに「コニカ」と書いてあるものと「ライオン」と書いてあるものを交互に並べる、というところがおかしかった。いずれもこのスペースを愛するファンから寄贈されたものだという。

  ホールの隣に小さな控え室があり、そこの天井から椅子を出してこなければならない。出す方も大変だが、その間中天井板が開きっぱなしで、冷たい風が吹きつける。演奏前に冷えるのが大嫌いな私としては、ちょっと参った。
  マチネは2時から。朝日夕刊の情報ランドに出たこともあって、お客さんは沢山いらして下さり、途中で椅子を足したほど。エッセイ集の内容を説明しながら、クープランやラモー、ドビュッシー、ショパンの小品を弾いていくという構成である。  『双子座ピアニストは二重人格?』というタイトルの由来や、この本を出して以来、まわりで「双子座カミングアウト」があいつぎ、それがまた妙にあてはまっていたりするのでおかしい、というような話をした。収録されているのは20年前からいろいろなメディアに発表してきた文章たちで、それぞれ思い入れがある、というようなことも。

  編集に苦労したこともお話した。普通、こういう「寄せ集め」のエッセイ集はそれぞれがばらばらな印象を与えることが多いものだが、用語・用事・表現を含めて、ずいぶん手を入れた。編集者の荒井恵理子さんの助けを得て、並べ方もずいぶん工夫した。各章の終わりにコラムを配するのは荒井さんのアイディアで、とても評判がよかった、等々。そのあと、知的障害者の兄のことを書いたコラム「感覚指数」を朗読したらちょっと涙が出てしまい、そのあとの演奏が少し乱れた。
  ソワレは7時から。前半は落ち着いていたし、「感覚指数」の朗読も感情移入しすぎないでうまくできたが、2回目で少し疲れていたのか、後半のショパンがよれてしまった。いつも2公演をやるたびに思うのだが、両方を足して2で割ればちょうどよくなるのに。 それでも、お客さんは熱心に聴いて下さり、トークのときには納得してうなづいたり、面白い話で爆笑したり、ライヴならではのコミュニケーションが楽しめた。

  終了後はサイン会。普通はロビーで行うのだが、とにかく場所が狭く、エレベーターの前にかろうじて受付用のテーブルが一台置けるくらいしかないので無理。ピアノの前にテーブルを運んでセッティングしていただいた。
  マチネの出席者には詩人の片岡直子さんや小池昌代さん、フランス文学者の出口裕弘さんご夫妻、「マルドロール友の会」で知り合った立花英裕さんと前川嘉男さん、ドイツ文学者の田辺秀樹さん、音楽ライターの山尾敦史さん。ソワレの方はフランス文学者の鈴村和成さん、高橋洋一さん、ドイツ文学者の川村二郎さん、メディア・プロデューサーの寺司正彦さんなど。雑誌や出版社では『音楽の友』『ショパン』『クラシックジャーナル』『サンデー毎日』、光文社文庫・集英社文庫・文春文庫(いずれも後書きを書いている)、白水社、哲学書房、日経BP社の編集者の方や、朝日新聞、聖教新聞の
記者さんがいらして下さった。

  楽しい会だったが、最後にとんでもないハプニングが起きた。池田さんから言われて会場のセッティングとマチネ、ソワレそれぞれの受付には助っ人を頼んでおいたのだが、後片付けの人員を確保しておかなかった。池田さんは私が調達すると考え、私は池田さんかホールが調達なさるものとばかり思っていた。完全に打ち合わせ不足である。
  私が控え室を片づけ、ホールに行ってみると、聴きに来て下さった方々が片づけをやっていらっしゃる。そのときはどういうことかわからず、池田さんに依頼されたのだろうぐらいに考えて二次会の会場に行ってしまったのだが、あとで状況をきいて仰天した。ホールの支配人がお客さんを集め、今晩中にどうしても片づけをしてもらわないと困る、と半ば強制的に働かせてしまったとのこと。といっても力仕事なので、数少ない男性陣はコキ使われたようだ。
  手伝って下さった方々には、この場を借りておわびと御礼を申しあげます。

  一応、「門天ライヴT」としておいたので、アンケートには、「U、Vとつづけていただきたい」「アットホームな雰囲気がよかった」という声も寄せられた。でも、どうだろう。クラシックの演奏家は、やはりクラシック向けのホールで、吟味されたピアノで弾いた方がいいのではないか、とも思うのである。
  小さなスペースだから発信するものは多少レベルダウンしてもいい、という考え方は、私は好きではない。どんなときでも、どんな場でも、そのときの自分の一番いいものをお客さんに受け取っていただきたい。
  でも、クラシックのピアニスト全般の「近寄りがたい」イメージは好きではない。ピアニストも同じ人間なのだ、クシャミもすればトイレにも行く、というところは強調したい。
  と同時に、クラシックの聴衆は、演奏家にそういうことを望んでいるのだろうか、とも思う。『オズの魔法使い』のように、「近寄りがたい神秘的なピアニスト」というイメージにすすんで騙されたいのではないだろうか? 何も、自分で自分の幕をひきはがしてしまうこともないではないか(てか、もうとっくにはがしちまってるけど)。
  うーむ。こういう二律背反で悩むところが、多価値人間の双子座なのかなー。


MELDE日記・目次
2005年2月26日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 1)
2005年1月5日/吉田秀和さんの留守電
2004年12月20日/音楽は疲労回復に役立つ!
2004年11月22日/有名にならない権利:クートラスとアルカン
2004年10月23日/14年越しのエッセイ集
2004年10月5日/プレイエルとベヒシュタイン
2004年8月25日/アテネ五輪 アナウンサーと解説者のビミョーな関係
2004年年7月4日/松田聖子体験
2004年6月1日/「メロン三姉妹」と美智子さま>
2004年4月16日/アンリ・バルダ追っかけ記
2004年3月10日/小さな大聴衆
2004年1月20日/大変なんです!!
2003年12月12日/テレビに出てみました
2003年9月13日・14日・15日・16日・17日/方向音痴のシチリア旅行 その II
2003年9月10日・11日・12日/方向音痴のシチリア旅行 その I
2003年9月8日/アンリ・バルダの講習会
2003年8月17日/東京湾大花火大会
2003年7月28日/世界水泳2003バルセロナ
2003年7月11日/新阿佐ヶ谷会・奥多摩編
2003年5月31日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[III]
2003年5月28日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[II]
2003年5月22日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[I]
2003年5月3日/無駄に明るい五月晴れ
2003年4月5日/スタンウェイかベーゼンか、それが問題だ。
2003年2月12日/指輪
2003年1月13日/肩書き
・2002年12月23日/ 年の瀬のてんてこまい
・2002年12月9日/批評とメモ
・2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル
・2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽
・2002年9月26日/青山のブティック初体験
・2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
・2002年3月28日/新人演奏会
・2002年3月1日/イタリア旅行
・2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち
・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて


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