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青柳いづみこのメルド日記

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2004年12月20日/音楽は疲労回復に役立つ!

  12月18〜19日はちょっと忙しいスケジュールだった。
  18日は6時起き。8時40分発のフライトで大阪に行き、音大で学生さんのレッス ンである。学部専攻科の方は一人50分、学部生と院生は1時間と決めている。それぞれ試験が近いので、大曲がつづく。学生さんの状態によっては基礎練習に戻したり、ペダルのトレーニングをしたり。

  3年生のオーディションの課題にはプロコフィエフの3番のソナタとショパン『バラード4番』が出ている。プロコフィエフでは指にまかせてがむしゃらに弾くより、タッチにリズムをもたせる方がうまくいく。左手の音形など不規則なので指づかいがむずかしい。指と頭を一致させるために、楽譜に全部書きこんでもらった。『バラード』はペダリングが大事。バスの響きだけ残して上の濁りは取るペダルなど、ほんのちょっとした加減がモノを言うのだ。
  びっちり5時すぎまでレッスンしたあと、学生さんたちと梅田に向かう。この日は年内最後のレッスンなので、忘年会がわりに食事をすることになっていた。OB生も来てくれて総勢8人。イタリア料理の美味しいレストランで一次会、中国茶の専門店で二次会・・・。楽しいひとときを過ごしてホテルに戻ってみたら、もう11時を過ぎていた。

  19日午前中は甲陽園にある建築家の方のお宅でプレイエルとエラールのピアノを弾かせていただくことになっている。東京の自宅でネットで検索したところ、9時30分に阪急の快速電車で西宮北口まで行き、次の夙川には普通電車に乗り換え、そこから甲陽園行きの電車に乗ると、59分に着くという。
  ところが、寝不足で頭がぼんやりしていたので、ホテルを出てJRの駅に行ってしまった。「西宮」と「快速」が頭にこびりついていたらしい。また間の悪いことに、ちゃんと9時30分発の新快速があったのだ。飛び乗ったところでちょっと不安になり、「あのー、西宮北口って行きますか?」ときいてみた。乗客の方はしばらく考えたあとで「もしかしてそれって阪急電車じゃありませんか?」

  そうだったのだ! 重い荷物をかかえてトボトボとJRの駅に向かう。が、もちろん9時30分発の電車はもう出てしまっている。それでも10分遅れに乗れたから到着も10分遅れですむかと思うと、これが大間違い。夙川で延々10数分待たされ、やっと甲陽園に着いたときは10時20分ぐらいになっていた。
  改札口を出ると、建築家の方が車で迎えに来て下さっていた。恐縮しつつお宅へ。芸能人や政財界の邸宅が軒を連ねる六甲山の中腹にあるお宅で、大きく窓を切ったサロンからの眺望がすばらしい。

  美しいマホガニー色のピアノが二台並んでいる。一台は1890年ごろのエラール、もう一台は1950年ごろのプレイエル。6枚目のCDはラモーのクラヴサン曲をレコーディングすることになっており、いろいろなピリオド楽器を試している最中。早速プレイエルの方を弾いてみた。
  ん? この音、このタッチ・・・。何か弾きおぼえがあるゾ。伺ってみたら、もう亡くなったベーゼンドルファーの元社長のコレクションのピアノをお買いになったとのこと。あれだ! とすぐにわかった。ずいぶん前、磐田のセンターに伺ったときに弾いたことがある。社長秘書の福田多恵子さんから、プレイエルの会社がなくなる(ドイツの会社が買い取ってメーカーそのものは続いたが、音もタッチもすっかり変わってしまった。今はまたフランスの会社に戻っている)少し前の楽器だというご説明があった。鳴らしてみると、蜂蜜色の響きがひろがる。イメージが拡がっていくようなピアノで、思わず、ああ、ほしいなー、と思ったのを今でも覚えている。

  ショパンが、「疲れているときはエラールを弾くが、調子がいいときは自分で音がつくれるプレイエルを弾く」と語った楽器。なかなかコントロールが難しい。タッチは少しもちゃっとした感じで、装飾音など気をつけないと足をとられてしまう。でも、本当によく歌う楽器なのだ。というより、この楽器で弾いていると一人でに歌いたくなってくる。
  テンポも少し遅めになる。たとえばお年寄りとお話するときは少し言葉をはっきりと発音し、わかりやすく説明するように心がける。そうすると、一人でに優しい気持ちが沸いてくる。それと同じような感じだ。こういう楽器を弾いていると、楽器が弾かせる演奏というものがあることがよくわかる。

  『鳥のさえずり』や『ガヴォットと変奏曲』では、少しタッチを薄したり厚くしたりするだけで表情に微妙な変化が生まれる。こんな経験も珍しい。そして、プレイエルなのに切れも悪くない。装飾音もごく軽いタッチでころころはいる。『ひとつ目巨人』など深々とした低音に乗って、クラヴサン曲特有のすばやいパッセージがとても気持ちよく弾けた。
  エラールは、まだ平行弦の時代の楽器なので音が狂いやすい。半音ぐらい下がっている感じか、あるいは最初からそのぐらいに調律しているのか。ダブル・エスケープメントを最初に開発したエラールのピアノは、メカニック的に優れていて、連打音がすごいスピードではいる。ピアニストたちを悩ませるラヴェルの『道化師の朝の歌』だって、このピアノなら平ちゃらだろう。

  ためしにショパンの『華麗なるワルツ第1番』を弾いてみた。案の定、右手の連打音が面白いようにはいる。何だか超絶技巧の持ち主になったような気分だ。ラモーもごきげんに弾けるが、『異名同音』や『ミューズたちの対話』など情感たっぷりの曲ではプレイエルの方がこくが出る。お酒で言えば、エラールは端麗辛口、プレイエルは豊潤中口というところか。
  試弾を終えたあと、少しお話した。建築家の方は音楽の専門家ではないが、チェロを中心に楽器のコレクションをしていらっしゃるとのこと。プレイエルを買うにあたっても、わざわざ現地まで行ってショパン時代の楽器も見てみたが、どうしても当時の音の復元が難しいことがわかり、比較的新しい年代のものをお求めになったとのこと。

  ルネ・ラリックのコレクターとしても有名な方ということで、サロンの壁の一角をガラス張りの陳列棚にして美しい花瓶を並べていらした。透明な花瓶など、これが出てきただけでラリックの研究者が全部論文を書きなおさなければならないほどの逸品とか。
ひとつ買い求めると、関連して次々に買ってしまう。その作家の全貌を知らないと気がすまない、とおっしゃっていらしたのが印象的だった。祖父も古美術品のコレクターだったので、そのあたりのお気持ちはよくわかるが、奥様はじめご家族は大変でしょう、と申しあげた。

  ピアノも、スタンウェイやベーゼンドルファー、ベヒシュタインやブリュトナーの古い楽器などほしい品は沢山あるが、スペースの関係から二台で止まっています、と笑っていらした。
  12時半ごろに辞去して車で甲陽園まで送っていただく。また延々と電車を待って夙川に行き、梅田から新大阪に出て、のぞみで名古屋まで行き、こだまに乗り換えて浜松まで行き、さらに在来線に乗り換えて磐田で下車。今度は、ベーゼンドルファーのショールームである。

  15時ごろに伺うお約束をしていたのだが、甲陽園で予定を少しオーバーしてしまい、しかも電車や列車の接続が悪い。それでも13時半ののぞみに乗れればこだまがすぐ来たはずなのだが、ここでも10分遅れてしまったために間に合わず、名古屋で15分待ち、浜松では10分待ち。そこからタクシーで数分。到着したときは16時をまわっていた。
  松本さんという技術者の方に案内していただく。ショールームの二階には、1814年製のブロードウッドとか1880年のエラール(美しい絵で覆われている)、1888年のベーゼンドルファー(ウィーン式アクションで、ペダルを踏むたびにダンパーががたっがたっと上下するのでびっくり)などがずらりと並び、さながら楽器博物館の様相を呈している。

  映画の撮影用に作られたという金ぴかのエラールは1903年製。コルトーが愛用していたというダブル・グランドのプレイエルは、シャム双生児のようなピアノで、四角い胴体の両方に鍵盤がついている。一台でデュオができる珍しいタイプだが、左右の鍵盤によって微妙にタッチが違うのが面白い。私は向かって右側の方が好みだった。
  1916年製のブリュトナーは園田高弘さんがレコーディングに使った楽器とのこと。中音域から高音域にかけて補助弦がついていて、ほわんほわんと豊かな響きが出る。ドビュッシーも、1904年にエンマと駆け落ちした先のジャージー島でこのタイプのブリュトナーを買ったのだ。『亜麻色の髪の乙女』や『沈める寺』を弾いてみると、ペダルを踏まなくても音が面白いようにのびる。『前奏曲集』は、このピアノを念頭に置いて書かれたのかもしれない。

  私が一番好きだったのは1840年、つまりショパンが弾いていた時代のプレイエルだ。タッチがすごく浅いのだが、保存状態がよく、くっきりと音が出るし、何より雰囲気がすばらしい。ラモーでも『鳥のさえずり』や『ロンドー形式のミュゼット』など音が少ない曲はごきげんだった。
  2時間ほどとっかえひっかえして弾いたあと、少し新しい楽器も弾いてみたくなって下に降りて行った。今度出たというベーゼンドルファーのフルコン・モデルは、響板がインペリアルと同じ大きさで、音がすごく明るくなった。ドビュッシーの『水の反映』や『運動』などを弾いてみる。タッチに気を配らなければならないアンティーク・ピアノと違って、モダンの楽器は手慣れているからスムーズにことが運ぶ。同年代の親しい友人と話しているような気分。

  あっという間に時間はすぎ、おいとまする時刻になった。もうこだまはこりごりだったので、浜松にとまるひかりに乗ることにした。磐田19時18分発の電車に乗れば、19時45分発のに間に合う。タクシーを呼んでいただき、磐田の駅に行く。在来線から新幹線に乗り換え、さらに1時間15分で品川に着く。新宿まで行って中央線に乗り換え、中野で総武線に乗り換える。
  こう書いていくとひどく面倒なようだが、実は全然疲れていないのである。肩はすっかり軽くなり、梅田でJRの駅から阪急の駅に向かっていたときのような重たい疲労感はすっかり消し飛んでしまった。頻繁な乗り換えにも、電車の待ち時間にも少しも苛立たない。それぞれ個性的でステキな楽器を思う存分弾かせていただき、また、ある程度は乗りこなすこともできたので、すっかりストレス解消してしまったらしい。
  やっぱり、音楽は疲労回復に役立つ。そう再認識した一日だった。


MELDE日記・目次
2004年11月22日/有名にならない権利:クートラスとアルカン
2004年10月23日/14年越しのエッセイ集
2004年10月5日/プレイエルとベヒシュタイン
2004年8月25日/アテネ五輪 アナウンサーと解説者のビミョーな関係
2004年年7月4日/松田聖子体験
2004年6月1日/「メロン三姉妹」と美智子さま>
2004年4月16日/アンリ・バルダ追っかけ記
2004年3月10日/小さな大聴衆
2004年1月20日/大変なんです!!
2003年12月12日/テレビに出てみました
2003年9月13日・14日・15日・16日・17日/方向音痴のシチリア旅行 その II
2003年9月10日・11日・12日/方向音痴のシチリア旅行 その I
2003年9月8日/アンリ・バルダの講習会
2003年8月17日/東京湾大花火大会
2003年7月28日/世界水泳2003バルセロナ
2003年7月11日/新阿佐ヶ谷会・奥多摩編
2003年5月31日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[III]
2003年5月28日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[II]
2003年5月22日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[I]
2003年5月3日/無駄に明るい五月晴れ
2003年4月5日/スタンウェイかベーゼンか、それが問題だ。
2003年2月12日/指輪
2003年1月13日/肩書き
・2002年12月23日/ 年の瀬のてんてこまい
・2002年12月9日/批評とメモ
・2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル
・2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽
・2002年9月26日/青山のブティック初体験
・2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
・2002年3月28日/新人演奏会
・2002年3月1日/イタリア旅行
・2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち
・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて


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