2004年6月1日/「メロン三姉妹」と美智子さま
また「天使のピアノ」を弾く機会があった(5月15日)。知的障害児施設の滝乃川学園が所有するこのピアノのことは、2002年9月3日付けの「鹿鳴館時代のピアノ」で書いたので省略するが、今回は立教女学院のチャペルで、オルガンの坂戸真美さん、チェロの小山みどりさんとの共演。
前半は、私がトークで「天使のピアノ」を紹介しながらクープランやドビュッシーの曲を弾き、坂戸さんと小山さんがソロやデュオでバッハやブラームスの名曲を演奏される。後半は、フランスの現代作曲家デュプレが書いたオルガンとチェロのための作品で始め、私が「天使のピアノ」のソロでしめくくる。
つまり、私はソロだけで他のお2人とのからみはないはずだったが、美智子皇后さまがいらっしゃることになったため、アンコールとして「ねむの木の子守唄」をオルガンとピアノとチェロ用に編曲したものが用意された。
編曲者の田丸彩和子さんは、ずいぶん苦労なさったらしい。オルガンとピアノと2つの鍵盤楽器を使う編成はめったにない上に、「天使のピアノ」は普通のアップライトよりずっと音が小さい。普通に重ねたらかき消されてしまって聞こえないことはわかりきっている。オルゴールのような音色を活かして、なるべく上の方の音を使い、ピアノにメロディが出てくるところはオクターヴで音量を増やし、盛り上がる部分ではチェロを使う、等々。前日にリハーサルをして、オルガンの音量を調節していただくなど、打ち合わせを重ねた。
このとき、演奏の打ち合わせだけではなく、ドレスの打ち合わせもしておこうと思っていたのだが、すっかり忘れて帰ってきてしまった。
当日は10時にホール入りした。楽屋に行ってみると、お2人のドレスがかけてある。何と! 2着ともみどり。チェロの小山さんは光沢のあるグリーンで、オルガンの坂戸さんはさわやかな若草色。実は、私のドレスもエメラルド・グリーンだったのだ。客席には、わざとコーディネイトしたように見えたらしいが、全く偶然の「メロン三姉妹」になった。
「天使のピアノ」を弾くのはこれが3度めだが、過去のコンサートのときは、ピアノの所有者で鹿鳴館の名花とうたわれた石井筆子さんを意識して、チュールでスカートをふくらませたドレスを着ることにしていた。しかし、今回は事情が違う。演奏終了後、美智子さまとの懇談会の席が設けられ、時間がないのでドレスのまま移動するようにと言われていたからだ。
背中にアクセントがあって、移動にじゃまにならないシンプルなドレスといったら、「水の音楽」のリサイタルのときに来たエメラルド・グリーンのものしかなかった。肩全体を三重のドレープが覆っていて、うしろから見るとけっこう優雅っぽい。何となく、美智子さまがよく着ていらっしゃるケープつきのドレスにも似ているかな?
開演は14時。美智子さまは15時に開始される後半からご観覧されるという。学園がこっそり見せてくれたスケジュール表には、14時45分に立教女学院にご到着、47分にお休みどころに着かれ、7分間ご休憩されたのちコンサート会場の聖マリア聖堂に向かわれ、59分に御席ご着席とある。文字通り分きざみ。
前半のプログラムは、フランスの18世紀ロココ時代、ルイ14、15世に仕えたクープランのクラヴサン曲『百合の花ひらく』『葦』ではじめた。
「百合はブルボン王家の象徴だったそうですが、咲き初める清らかな百合の花は、石井筆子さんを連想させます。また、エジプトで紙の原料になったパピルスの意味の葦も、たおやか中に芯が強く、これまた筆子さんを連想させます。写真で見る筆子さんは、意志の強そうな顎ときりっとした眉、澄んだ瞳の知的な美人ですね」などと話をする。
ドーリングピアノで弾くと、タッチや装飾音に時間をとる必要があるので全体のテンポがゆっくめになる。あとできいたら、この2曲が一番「天使のピアノ」の音色に合っていたという。
ベートーヴェン『エリーゼのために』を弾いたあと、次のドビュッシー『アラベスク』との間にトークをはさむ。「天使のピアノ」の所有物石井筆子さんは1861年生まれ。62年生まれのドビュッシーとたった一歳違いなのである。そう思ったらとても親近感がわく。
しかも、何故か、二人のエポック的な年が重なっていることが多い。九州の大村藩の名家に生まれた筆子さんが上京した1872年は、ドビュッシーがパリ音楽院に入学した年でもあった。英仏語に堪能な筆子さんは、79年、グラント前大統領に語学力を絶賛されているが、そのころドビュッシーは作曲家をめざし、最初の歌曲を習作していた。そして、筆子さんが19歳でフランスに留学したころ、ドビュッシーもチャイコフキーのパトロン、フォン・メック夫人のお供でロシアやヨーロッパ各地を旅行していたのだ。
筆子さんが最初の結婚をした1884年は、ドビュッシーが作曲の登竜門ローマ大賞を得た年でもある。翌年、筆子さんは華族女学校のフランス語教師に就任。ドビュッシーの『アラベスク第1番』が書かれた88年には、大日本婦人教育会の発会式で演説し、同会の理事に就任している。
『アラベスク』が終わると、私の前半の出番は終わり。オルガンとチェロの独奏や合奏はすべてバッハで、坂戸さんが『コラール』を独奏、山本さんのチェロと『G線上のアリア』を合奏したあと、最後に山本さんのソロで『無伴奏チェロ組曲第1番』から「プレリュード」「サラバンド」「ジーグ」。
絶対に遅れてはならないということで、お話を短くしたり、繰り返しを省略したり、出入りを迅速にするようにしたら、予定より5分も早く終わってしまった。
後半の開始はオルガンとチェロの合奏で、フランスの現代音楽作曲家デュプレ『チェロとオルガンのためのソナタ』。次に私が、「天使のピアノ」でショパンのワルツ5曲を弾く。アップライトということで心配したのだが、これが意外にいい感じだった。『
華麗なる大円舞曲』の連打音もまあまあ出てくれたし、モダン・ピアノと違ってとても優雅な雰囲気なので、弾いている方ものどかな気分になる。
ワルツの間にトークをはさむ。美智子さまは1階の中ほどにお座りなので、その辺りを意識してお話した。
「このピアノは、明治18年ごろに横浜の西川楽器が、ドイツ人技術者ドーリングの指導のもとにドイツの部品を使って製作したピアノということです。オーバー・ダンパーという特殊な機構で、いつもペダルを踏んでいるようなほわんほわんというひびきがします。縦型だからボリュームは出ませんが、ちょっと大正琴に似た味わい音色ですね。聞き慣れた名曲もまた違った味わいで聴けるのではないでしょうか。
今弾きました曲は、ショパンの『華麗なる大円舞曲』です。当時大流行していたウィンナ・ワルツの形式で書かれています。筆子さんも、障害児教育にたずさわる前は、鹿鳴館で慈善大バザーに参加したり、青木外務次官主宰の舞踏会に出席して、『ベルツの日記』でも美貌と才媛ぶりを絶賛されたり、大変華やかな生活を送っていらっしゃいました。
しかし、お三方のお嬢様がいずれも心身に障害を負って生まれ、その教育を通じて石井亮一先生とめぐりあい、後半生を障害児教育と保母の育成に捧げることになるのです。
私も、父違いの兄が滝乃川学園にお世話になっております。兄が母のお腹に宿っていたとき、夫が三池炭鉱の爆発事故で亡くなりました。兄は、そのショックで障害を負って生まれてきたといいます。母や祖母の苦しみを知っているだけに、その哀しみ・苦しみを個人のものにとどまらせず、広く社会的な活動に昇華された筆子さんのお心は本当に尊いと感服致します。
今度は、筆子さんの密やかなお哀しみを現しているような憂愁のワルツ第3番と、よく知られた『小犬のワルツ』をつづけて弾きます」
「天使のピアノ」は鍵盤がとても軽いので、『小犬のワルツ』はころころまわってきれいだったらしい。ここまではうまく行ったのだが、「御前演奏」の見えないプレッシャーで、大好きな『ワルツ第7番』の繰り返しをひとつすっとばしてしまった。最後は『遺作のワルツ』。
アンコールの最初は「天使のピアノ」の独奏で、ラザール・レヴィの『子守歌』。レヴィは恩師の安川加寿子先生がパリで習った先生で、この曲も安川先生に捧げられている。
「実は、この曲は美智子さまに聴いていただきたいと選びました。何年か前に安川先生の評伝『翼の生えた指』を上梓しましたところ、美智子さまが読んで下さったとのことでした。それを知ったのは、芸大時代の同級生岡崎悦子さんからのお電話でした。実は、安川先生は晩年にリウマチに苦しまれたのですが、当時はまだリウマチ科がなかったので、専門的な治療を受けるのも大変でした。その後もまだ設立されていないと書いてしまったのですが、実は、本の出る2年ほど前にようやく設立されたとのこと。リウマチ患者の会にかかわっていらっしゃる美智子さまは、私の無知を正すようにと岡崎さんに電話をかけて下さったのでした。そのとき岡崎さんはちょうどレッスン中で、生徒は、先生が突然電話でものすごくかしこまって話しはじめたので、何事が起きたかとびっくりされたそうです」
最後は、坂戸さん、山本さんと「天使のピアノ」で『ねむの木の子守唄』を演奏し、繰り返しからは歌手の方にも加わっていただいて、全員で合唱した。終演は15時50分。計ったようにぴったりだった!
美智子さまは55分にお休みどころに移動され、16時05分から滝乃川学園の理事長先生やコンサート実行委員長の奥村美恵子さん、「天使のピアノ」を復元・調律された小野哲さん、そして出演者で懇談会が開かれる。時間がないからと急かされ、「メロン三姉妹」ドレスのままお休みどころに向かった。
初めてお会いする美智子さまはとてもおきれいで、肌が透き通るように美しい。お声もとてもすずやか。安川先生の本について御礼を申しあげたら、こちらの方こそ失礼致しましたと仰ったので、すっかり恐縮してしまった。
アンコールで弾いた『子守歌』の話になり、1950年、ラザール・レヴィのリサイタルもお聴きになったとのこと。「『子守歌』、弾いてごらんになりますか?」と伺ったら、「あら、だってとても難しそうで・・・」と仰るので、「美智子さまならきっととてもステキにお弾きになれますよ」と使い古したコピーの楽譜をお渡しした。「よろしい?」とすぐにご自分の手元におしまいになったので、本当に楽譜がごらんになりたかったのだなと思った。
お心くばりには感服する。出席者一人一人にふさわしい話題を選び、過不足ないようにお話かけになる。オルガンの坂戸さんには、どこかの過疎地にオルガンを制作している工場があり、民宿も経営している、という話をなさる。「あんまり過疎地なので警備の必要がないということで、私どもも泊まることができたんですよ」と茶目っ気たっぷり。
チェロの山本さんは、お父さまが学習院の先生で、天皇ご一家と何度かテニスをなさったとのこと。彼女がその話をしたら、「まあ、じゃあキコちゃんとも?」とおっしゃり、どうも秋篠宮の紀子さまのことらしい。宮内庁の座席表にはお父さまのお名前がなかったので、廊下で待機しているように言われたのだが、山本さんがそのことをお話しすると、「まぁ、どうしてここにいらっしゃらないのかしら・・・」という感じで、すぐにお呼びになった。
「天使のピアノ」はどんなタッチなんでしょう、と私の方をお向きになってから、調律師さんに何も話しかけていらっしゃらなかったことに気づいてそちらをお向きになり、ピアノのメカニズムのことなど質問していらした。「一度弾いて見たいわ」と仰っていたので、学園にも弾きにいらっしゃるかもしれない。「前半も聴きたかったわ」と仰って下さったので、すかさずCDを出して、聴いていただけなかった『アラベスク』ですと申しあげたら、「まぁ、あのピアノでお弾きになったの?」「いえ、残念ながら」「私ね、アラベスクが本当に好きで・・・」 あっという間に15分が過ぎ、いや、5分ぐらい遅れたかな、美智子さまはお車でお発ちになった。カメラのフラッシュの嵐。塀によじ登って撮っている人もいる。
タクシーの運チャンが、今日は井の頭通りがすごい警備で、と言っていた。こうしてお出かけになるたびに沢山の人が動く。予定は分きざみで、警備される側も窮屈でいらっしゃるだろうが、する方も大変だなと思った。
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