トップページ| プロフィール | 今年の活動 | 新刊新譜コンサートCD書籍書評、CD評 |
執筆&インタビュー日記 | E-メール



青柳いづみこのメルド日記

「MERDE/メルド」は、フランス語で「糞ったれ」という意味です。このアクの強い下品な言葉を、フランス人は紳士淑女でさえ使います。
「メルド」はまた、ここ一番という時に幸運をもたらしてくれる、縁起かつぎの言葉です。身の引きしまるような難関に立ち向かう時、「糞ったれ!」の強烈な一言が、絶大な勇気を与えてくれるのでしょう。
ピアノと文筆の二つの世界で活動する青柳いづみこの日々は、「メルド!」と声をかけてほしい場面の連続です。読んでいただくうちに、青柳が「メルド!日記」と命名したことがお分かりいただけるかもしれません。



2003年9月13日・14日・15日・16日・17日
  /方向音痴のシチリア旅行 その II


 9月13日(土)。シチリア旅行も後半。3泊したパレルモのホテルをチェックアウトし、荷物を引いてアグリジェントへ。8時40分発の列車。イタリアの鉄道は遅れたり汽車がなくなってしまったりトラブルが多いときいていたが、順調に運行。車窓から見る海が美しい。感激する。2時間後に到着。その前、アグリジェント・バッサの駅で下りようとしたら、乗客に止められる。もうひとつ先の駅だったのだ。鉄道の駅にも、日本のような大きな駅名表示がなく、ホームのうしろに小さく掲示されているだけ。
 無事、アグリジェント・チェントラーレ駅に降りたが、そこからが大変だった。最初の予定では、まずバス会社の旅行案内所に行ってピアッツァ・アルメリーナ行きのバスの時刻を調べる。それから、旧市街の教会を訪ねて、下に降りて神殿の谷を見る。荷物も駅に預ける予定だったが、土曜日だから(?)閉めていると言われ、あてがはずれる。

 観光案内書の地図を見ると、駅を背にして前に2つの広場があり、向こう側の広場の右手に市の観光課、右手にバス会社のインフォーメーショがあるように書いてある。しかし、いくら捜しても見つからない。これはあとでわかったことだが、高低に差があるため、空間が把握しにくかったのだった。地図では平面に書かれているが、実際には、広場はバスより高い位置にあり、階段をのぼるか、横の坂をのぼっていかなければならない。
 やっと広場を見つけて市の観光課にかけこんだが、おもちゃの地図のようなものを渡してくれるだけで、さっぱり見当がつかない。地図が小さすぎて入り組んだ道がわからない上に、実際の通りの上にもほとんど名前が書かれていない。市の観光課の正面にあるはずのバス会社のインフォーメーションも見つからない。荷物をかかえてあたふた走りまわり、結局、さらに奥にあるバス会社のターミナルに行った。

 行ったはいいが、どこで時刻表をもらえばよいのかわからない。娘に荷物番を頼んできいてまわった結果、SAISというバス会社のチケット売り場にたどりついた。たどりついたはいいが、売り場のおばちゃんは、にべもなく「ニエンテ」という。ピアッツァ・アルメリーナへのバスは、次の日の日曜日は全然出ないという意味だ。月曜日ならあるという。印刷した時刻表がないので、紙に書いてもらった。タオルミーナへのバスの時刻表ももらった。カターニャで乗り換えて、4時間25分。汽車なら4時間10分で着くのに。結局、無駄なかけずりだったわけ。

 娘を待たせていた場所に戻り、お昼を食べる場所を捜したが、これがまた見つからない。観光案内書には、旧市街のアテネア通りから階段をのぼったところに手軽なピッツァリアがあると書かれている。荷物をかかえてのぼったが、休み。娘が見つけたピッツァリアも休み。また娘と荷物を置いて探索に出かけた。やっと小さな店を見つけ、喜びいさんで呼びに行ってみると、たった今閉めたばかり。12時なのに。あきらめて駅に戻ったら、駅前にひとつレストランがあった。全く期待していなかったが、これが意外に美味しかったのである。私はサフランの香りをつけたフェットチーネの海の幸ソース。娘はヴォンゴレ・スパゲッティ。2人でミックス・サラダを注文した。何があってもパスタがおいしいので許してしまう国、イタリア。

 お腹がいっぱいになったところで教会に行こうかと思ったが、丘の上にあるアグリジェントの旧市街は階段だらけで、目ざすサンタ・マリア・デイ・グレーチ教会はずっと上の方にある。とても荷物をひっぱりあげられるようなところではない。午前中は12時までだったから、もう閉めてしまっているだろう。15時〜18時まで開いているから、あとでまた来ることにして、駅前からタクシーを拾ってホテルに行った。荷物込みで15ユーロ。海辺の宿。部屋の前にはプールがあり、その先には波うち際。絵に書いたようなリゾート・ホテルだ。アメニティ・グッズもエトロで統一していて、おしゃれ。

 フロントで、神殿の谷を見に行くにはどうしたらいいのかときいたら、またしてもコピーしたわかりにくい地図を渡された。フロントの人はホテルの前の方に×印をつけ、ここがバス・ストップだ、2番に乗るように、という。ところが、言われた場所にはバス停はなかった。しばらく待っていたが、全く何も来ない。あとでわかったことだが、バス亭はホテルから5分ほど歩いた場所にあったのだ。業を煮やして、考古学博物館ま
でタクシーを呼んでもらう。駅からホテルまで15ユーロだったのに、途中の博物館まで13ユーロもとられた。ホテルから呼んだためだろう。

 考古学博物館の前には、紀元前3世紀の集会所の遺跡がある。段差のない劇場のようなつくりだ。博物館の入り口はヴィラ風で、内部もきれい。とてもよく考えられた陳列だ。娘はギリシャ時代のアンフォーラの図柄を丹念に見ていた。中央に、地下から二階まで吹き抜けで、神殿の谷のゼウスの神殿を再現した空間があった。柱を支える巨大なテラモーネ像のひとつが残っていて、7.75mの高みからみおろしている。いくつか残った頭も陳列されていたが、これも巨大。神殿の規模がわかろうというものだ。

 15時ごろに博物館を出て、遺跡見物にとりかかる。でも、入り口はどこにあるのだろう? 博物館の出口でみやげ物を売っていたおじさんにきいたら、フランス語が堪能で教えてくれた。神殿の谷は2つの部分にわかれ、北側は博物館と古代ローマの居住区域、神殿への入り口は南に1キロほど下ったところにあるのだという。観光案内書ではこういうことをきちんと書いてくれないので、実際問題として困る。

 神殿入口のチケット売り場にも、フランス語のわかるお姉さんがいた。コンコルディアの神殿、ヘラの神殿など目玉がある右側の入り口は22時まで開いているが、左側は19時で閉めてしまうらしい。神殿の谷は夜間はライトアップされるので、コンコルディアはそのときに見ればよい。先に左側にはいることにする。ものすごい陽差し。さえぎるものもないので、炎天干しである。帽子をかぶり、サングラスをかけているが、首筋がじりじり焼ける。人間バーベキューにされる気分。



写真9

 手前には、博物館に模型が展示されていたゼウスの神殿跡がある。ただでさえ未完の上に、カルタゴに破壊され、地震で倒壊し、ほとんど原型をとどめないほど崩壊している。瓦礫の間で、柱を支えるテラモーネ像の模型が横たわっていた。遺跡をぐるっとまわって行くと、向こうの方に4本だけ残った柱が見えてくる。カストールとポルックスの神殿跡だ。周囲の建造物の破片をつなぎあわせたらしく、あちこちに接着剤のあとが見えるが、かえって完全な遺跡よりも好きだ。真っ青な空に映えるラセット茶の柱を楽しんだ。(写真9)

 16時半ぐらいで切り上げて、駅行きのバスを待つ。チケットは前のバーで売っているが、停留所はない。バーのおじさんにきいたら、腕をぐるりとまわして、あの辺で待っていろと言う。道のまんまん中で、陽差しを遮る木もない。パレルモの大雨以来娘の傘が見あたらないので、2人で1本の傘をさしながら、いつ来るかわからない、停まるかどうかすらわからないバスをひたすら待つ。この時間が長かったこと。案の定、やってきたバスは全く停まる気配がなく、死に物ぐるいで傘をふりまわしたら何とか停まってくれた。

 途中で止められて腹を立てたらしい運転手、すごいスピードで走る。あっという間に駅に着いてしまった。ちなみに、途中のフェルマータでは、ちゃんと屋根のついた停留所があった。駅から坂をのぼって、さらに階段をのぼる。行きあったおじいさんに、サンタ・マリア・デイ・グレーチ教会はどこ? ときいたら親切にも途中まで一緒にのぼって教えてくれた。しかし、とにかくイタリア語なので要領得ない。ジェスチャーから
察するに、そんなに近くはなさそうだ。先々で親切に教えてくれるおじさんやおばさんに道をききながら、どんどんのぼって行ったが、一向に着かない。

 最後は旧市街のど真ん中、崩れかけた建物の壁にはさまれた細い通りに行きついた。重そうな買い物袋を下げたおじいさんが、よろよろと坂道をのぼっていく。お昼のぶどう酒を飲みすぎて半分酔っているようなおじいさんも、まわらない口を必死でまわして「この教会だが、閉めている」と教えてくれる。みると、横にマリア様の像があって、花が飾られていた。旅行案内書に「教会が閉鎖されていたら、管理人に頼むとドアをあけてくれる」と書いてあったのでドアをどんどん叩いたが、誰も出てこいな。めざすのはその教会ではなく、別の教会だったのだ。



写真10

 あきらめて大聖堂を捜している途中で、突然、サンタ・マリア・デイ・グレーチ通りに行きあった。しかし、目の前の建物には鉄骨が組み立てられ、ベニヤ板やトタンが貼りつけられている。修復中なのだろう。呆然としていると、近くで鐘が鳴った。階段の途中にある家の窓辺に座っていたおばあさんが、「ドゥオモ」と言いながらしきりに上をさす。登っていったら、大聖堂があった。西暦千年に建てられ、その後何度となく修復され、ノルマンの司教に捧げられた教会だという。ドゥオモ広場には車が並び、扉の前には正装した人々がむらがっている。またしても結婚式だったのだ。この国は、教会という教会で結婚式をしているのか。だいたい、そんなに簡単に結婚して大丈夫なのか。厳格なカトリックで離婚できないはずなのに、などと悔しまぎれに考える。 (写真10)

 教会の内部も輝くばかりに豪華だったが、結婚式もすごく派手で、男性はタキシード、女性はロングドレスに香水の匂いをぷんぷん漂わせている。いつものことだが、くずれかけた町並み、とぼとぼ歩くおじいさんやおばあさんの姿と、何とそぐわない光景だろう。
 帰り道は、いったん来た道はおぼえているという娘をナビゲーターに駅まで下り、2番のバスでホテルに向かう。毎度のことながらどこで降りたらいいのかわかない。運転手にホテルの名を言ったら、すぐにOKと言った。教えてくれるのかと思っていたら、全然合図がない。近くに言ったら、手をうしろの方にやって、もう通りすぎたという。そんな、ひどい。次の停留所で止めてもらい、ピッツァ屋さんに道をきいてあともどりした。

 部屋にはいると、まだ陽は高く、目の前のプールで泳いでいる人々がいる。とても楽しそうだ。すぐに水着に着替えて、ムームーをはおり、プールサイドに行く。係員がバスタオルを持ってきてくれた。水温はちょうどいいのだが、いささか深すぎて水が顎の下まで来る。いや、私の背が低すぎるのだろう。立っているとおぼれそうなので、ぴょんぴょん飛んでいなければならない。それでも、ハシゴなどつかまるものがあるところはいいが、プールの縁にはとっかかりがなく、泳ぎ出しでちょっとおぼれそうになった。泳いでいる途中で足をついても、うまく立てなくて水を飲んでしまうかもしれない。短い方の端を何往復かしたところで早々に引き上げた。でも、気持ちよかった。

 娘が風呂にはいっている間、テラスに出てビールを呑みながら、日没を見ていた。


写真11
だんだん雲が赤くなってとてもきれいだ。 あたりが暗くなるにつれて、プールサイドの円いランプがともりはじめる。何故か、耳の奥にラヴェルの『鏡』の第1曲、「ノクチュエル」が響いていた。家族と友人たちに手紙を書く。(写真11)

 フロントで地図をもらい、ライトアップされた神殿を見に行く。神殿の谷入り口まで3キロだからほんの2、3分だよ、と言われる。まさか、私たちが徒歩で行くとは思っていないのだろう。旅行会社の人に、夜はライトアップされた神殿を見に行きたいから、神殿の谷付近のホテルをとってほしい、と頼んでおいたのに。もっとも、案内書には「神殿の谷にも近い」と書いてあった。車で近いという意味なのだろう。

 スタートは7時40分。これが大変なんてものじゃなかった。とにかく、歩道がない。後ろから車がびゅんびゅん走ってくる。車が来ないときは道が暗いから、石につまづく。懐中電池などというしゃれたものは持っていない。30分ほど歩いてようやくはるか彼方にライトアップされた神殿が見えてきた。とんでもなく遠い。それでも、歩くしかない。いくら歩いても、神殿は一向に近づいてこないのである。もどかしいことこの上ない。

 ようやく入り口に着いたときは、8時20分になっていた。50分も歩いていたことになる。とてもじゃないが、徒歩で引き返すのは無理。入口で警備員のおじさんにタクシーを呼んでくれないかときいたら、別のおじさんが、どこに帰るのか、ときいてきた。サン・レオーネのホテルと答えたら喜んで、自分はその近くでトラットリアを経営している。もしよかったら食べていかないか、あなた方がいい時刻にここで待っているから連れて行ってあげよう、帰りも勿論送ってあげる、と言う。娘はぼったくりではないかと不安だったようだが、私は大丈夫だろうと判断した。9時30分に同じ場所で、と約束する。



写真12


 

ライトアップされたコンコルディア神殿は壮麗で、かつ非現実的だった。闇の中に黄金色に浮かび上がって見える。ちょうど火星が出ている時期で、角度によっては屋根の上から見える。観光案内書で見た写真では、民族衣装を着た少女たちが神殿の上で輪踊りを踊っていたが、今は柵で囲ってはいれないようになっている。パエストゥムのドーリア式神殿を見たときも思ったが、少し整いすぎているような気がした。(写真12) 私的には、入り口付近にある柱が8本だけ残ったヘラクレス神殿の方がよい。ここは中にもはいれるし、台座に座っていろいろな角度から眺めることもできる。(写真1
3)
 夜風は涼しく、気持ちよい。アグリジェントの旧市街の夜景もすばらしい。十分堪能したあと、下に降りていった。9時20分。トラットリアのおじさんは入り口で待っていてくれた。最後までタクシーを呼んだ方がいいと主張していた娘は、彼が警備員のおじさんたちと握手していたので、安心したらしい。

 車に乗ったあとも、完全に信用したわけではなかった。サン・レオーネに行くはずなのに、横に曲がってヘラの神殿前を通りすぎたりする。何度も「きれいでしょう?」と話かけてくる。要するにライトアップされた神殿を見せたかっただけのようだ。やがて車は、我々が歩いてきた道を苦もなく後戻りし、サン・レオーネに向かった。


写真13

 店は飾らない、でもこぎれいなトラットリアで、テーブルには花が飾られ、壁にはかわいい小皿が沢山かけてある。店主のおじさんはでっぷり肥っているが、注文を取りに来たのは小さな痩せたおじさん。私は前菜として海の幸のマリネ・ファンタジアをとり、ハウスワインの白を頼んだ。

写真14

ピッチャーに入れられたワインはライトアップされた神殿に負けないぐらい黄金色に輝き、濃厚でしかも甘くなく、きりっとしている。娘は海の幸のリゾットをとり、これがまたとんでもなくおいしかったらしい。アルデンテの米にふっくらしたムール貝。私の注文したムール貝のスープも最高だった。蓋のついた白い容器に溢れんばかりにはいっている。ムール貝はパエリャなどによくついて来るが、いつも干からびた印象がある。こんなに独特な味わいの貝だとは思わなかった。濃厚なスープの旨さはいうまでもなし。一滴残さずにたいらげた。(写真14)
 帰りはおじさんに送ってもらい、少し多めにチップをはずんだらとても喜んでいた。いろいろとことの多い一日だったが、こんなハプニングが旅を楽しくさせるのだ。

 9月14日(日)。今日はアグリジェント最後の日。朝7時に起き、荷物をつくってから朝食に行った。パレルモのホテルと同じようにブッフェ形式だが、内容は少し劣る。大好きだった小さなころんとしたソーセージがないし、プロシュート(生ハム)もない。しかし、ルビー色のオレンジ・ジュースはおしいかった。娘は朝からケーキを食べていた。

 フロントでタクシーを呼んでローマ時代の住居跡へ。着いたのが9時半。汽車は12時20分発なので、バスを待っている時間がない。タクシーの運転手と交渉して、見終わったころコンコルディアの神殿の下で待っているように頼んだ。約束は11時。
 昨日とはうってかわって曇り空。廃墟が余計痛々しく見える。ローマ郊外のオスティア・アンティーカのように壁が残っていなくて、わずかに家々の土台と床のモザイクの残りが見える程度。ところどころ柱も見える。重要なところは屋根で覆われて、ガラス戸から床のモザイクをのぞく形。オスティア・アンティーカでは保存が悪く、砂に埋もれてしまっていたことを思い出す。娘は、巻き貝が落ちていると言って不思議がる。よく見たら、カタツムリらしい。こんな乾いたところで、どうして棲息できるのだろう?

 それにしても、壮大な風景だ。水平線の彼方に海、その手前の崖の上にヘラの神殿が見える。ここから遺跡の中を歩いていけば行きつくはずだ。地図を見ると、住居跡にわずかに残る柱をぐるっとまわった道が神殿の丘までつづいているはずなのだが、どこを歩いても行きどまりになる。どうも道がなくなってしまったようだ。一度は歩きかけた道をまたひき返し、コンコルディア神殿の方に出る道を通って行く。海を背景にした昼間のコンコルディアは美しかった。ヘラの神殿ははるか彼方に見える。そのときすでに10時20分で、かなり時間が押している。急いで歩く。曇り空だったが、暑くなってきた。


写真15

 草原を横切ってコンコルディアの神殿に着いたところで、神殿前の大きな道に上がる。そこからは、沢山の観光客が歩いていた。崖を登ってようやく神殿の前にたどり着いたのが10時40分。遠くから眺めているときは神々しかった神殿だが、そばで見ると荒々しい黄土色の肌で、柱の長さはまちまち。ところどころ鉄骨が組み立てられ、まるで歯の矯正をしている子供のようだ。少し感興をそがれる。コンコルディアと同じように柵で囲われて中にはいれないようになっている。しかし、神殿前から見る海の景観は抜群だった。(写真15)

 10時50分に丘を降り、5分遅れで駐車場に到着。運転手が待っていた。ホテルに戻ってチェックアウト。フロントのお姉さんに汽車の時刻を確かめる。12時20分アグリジェント発、15時35分にカターニャ着。10分待ちでメッシーナ行きに乗り、16時30分にタオルミーナ着。日曜日だったが、通常通り運行しているらしい。お姉さんはしきりにバスで行くことをすすめていた。

 駅で水を買って汽車に乗る。スーパーのビニール袋を下げた挙動不審の禿げおやじがいて、そばに来ようとする。車両を変わっても追いかけてくる。屈強そうな男性が2人いる車両に移った。男性の荷物が置いてある席の横に座ったのだが、禿げおやじは、その荷物をどけてくれないかと頼んでいる。あわてて、さらに車両を変わり、隣にカップルのいる座席に移る。禿げおやじは追いかけてきたが、隣がふさがっているのを見て通りすぎて行った。今度は大丈夫。ホテルのお姉さんが心配するわけだ。乗車時間はおよそ3時間。よく揺れ、よく止まる汽車だ。私は寝てしまったが、娘は心配でずっと起きていたらしい。

 4、5分遅れでカターニャに着いた。着いたはいいが、乗り継ぎ列車のホームがわからない。15時45分には発車してしまうのに。向こうのホームで止まっている電車がそうだろうと思い、急いで階段を駆け降り、また駆け登る。荷物が重い。ところが、ホームで乗客と話していた人物に「メッシーナ?」ときくと、「違う、トリノ行きだ」という。また階段を駆け降り、駆け登り、電光掲示板を見る。メッシーナ行きは出たばかり。呆然としたが、ホームにいたおじさんきいたら、タオルミーナは止まっているあの電車だと言う。また階段を駆け降り、駆け登り、今度は車掌の制服を着たおじさんにきくと、その通りだという。迷っているとベルが鳴り、大急ぎで荷物をひっぱりあげた。デッキに大きな荷物を置いてたむろしていた若者に「どいて!」と叫び、娘に「早く乗りなさい!」とどなる。まるで、戦争直後の買いだし列車のようだ。

 結局、この列車はたしかにトリノ行きだが、メッシーナにも止まることが判明した。旅行会社から送ってもらった時刻表を見てメッシーナ止まりかと思っていたのだが。「どうやってトリノに行くの?」と娘。「たぶん、海の中をじゃぶじゃぶ泳ぐんでしょ」と私。イタリアの汽車は、何が起きてもびっくりしない。
 予定より早く16時20分に到着。しかし、すごい大雨。どしゃぶりの中をプルマンに乗り、市内へ。運良くタクシーが1台ターミナルに止まっていたので、すぐに乗り、ホテルの名を告げる。そんなに遠いはずはないが、あたりをぐるぐるまわったあげくに到着。料金は10ユーロ。これは仕方ない。傘も2人で1本しかないし、荷物をかかえてとても歩いてこれなかったのだから。今度のホテルは3ツ星。物価の高いタオルミーナでは、なかなか他の都市に見合うホテルが取れないらしい。今までのホテルに比べれば落ちるが、感じのいい部屋。バスタブがついているのが助かる。ただし、どの部屋にも備えつけられていると書いてあったテレビはなかった。テラスからは海とドゥオモが見える。


写真16

 雨はほぼやんだので、すぐにギリシャ劇場へ。娘はホテルで休みたいというので、私だけ。メインストリートのウンベルト1世通りには可愛らしいおみやげ屋さんやアクセサリーの店が立ち並んでいる。パレルモのヴィットリオ・エマヌエーレ通りをもっと高級にしたような感じだ。右に折れるとギリシャ劇場に行き着く。階段をのぼると、突然半円形の劇場内に出る。海とエトナ山を従えた壮大な借景劇場だ。名前こそギリシャだが、赤レンガづくりの壁に灰色の柱が立っているところはローマ型で、南仏のオランジュ劇場に似ている。エトナ山は残念ながら雲に隠れていたが、こんなところでオペラを観たいものだ。 (写真16)

 帰りにウンベルト1世通りを歩いていたら、バス会社の案内所を見つけた。シラクサやピアッツァ・アルメリーナのツアーが出ている。シラクサは月曜と火曜、ピアッツァ・アルメリーナは火曜日だけ。ただし、マジョリカ焼きの町、カルタジローネとカップリングになっている。やはり個人で行った方が自由がきく。明日娘とシラクサを見に行けるなら、火曜日は私だけツアーに参加してもいいなと思った。

 旅行案内書に出ていたトラットリアを見つけて、ホテルに帰り、すぐに夕食に出る。トマトやナス、赤ピーマンなど野菜の蒸し煮カポナータが最高においしかった。娘は小海老のリングイーネを注文する。海老がぷりぷりだったとのこと。私が頼んだフェットチーネは、ソースのコクが今イチ。イタリアなのに、BGMにロドリーゴのアランフェス協奏曲が流れてきて、大笑いだった。ホテルに戻って入浴。パレルモのホテルはお湯がぬるかったし、アグリジェントはシャワーしかなかったので、久しぶりに熱い湯にはいり就寝。

9月15日(月) 。朝8時起床。このホテルには日本語をしゃべるインド人らしきお兄ちゃんがある。昨夜彼に、駅に行くプルマンの時刻表はないかと尋ねたら、メッシーナ門の外、歩いて15分ほどのターミナルに行くしかないと言われた。早く起きて見に行こうと思っていたが、寝坊してしまった。娘はかぜ気味。出かけられるどうか微妙だという。

 朝食は下の食堂。3つ星ホテルだが朝食は2つ星並み。乾いたパンに甘いパン、ジャム、バター、ヨーグルト、紅茶ぐらいしかない。娘を置いてバス・ターミナルに時刻を調べに行く。途中でバス会社の案内所に寄ったが、ツアー以外の時刻はわからないと言われる。ホテルに帰りついたのは9時35分。10時15分発のバスなら乗れるタイミングだったが、娘のせきがひどいのでとりやめ。あとでホテルのロビーのファイルを見ていたら、何と駅行きの時刻表があった。そうならとそうと言ってくれればよかったのに。無駄に往復したわけ。ここまで休むひまがなかったし、天気が悪いので、今日は休養日にあて、シラクサには明日行くことにする。従って、ピアッツァ・アルメリーナのツアーは断念。午後になったら、眺望がすばらしいというカステルモーラに登ってみよう。午前中はこれまでの旅行について記す。あまりにことが多く、半日で1日分の行程しか進まなかった。

 12時半に掃除のおねえちゃんが来たので食事に出る。メッシーナ門の外に出てピッツァリアにはいる。ピッツァひとつと飲み物で7.5ユーロのセットを注文。私は生ハムとキノコのカプリチョーザ、娘はメランザーネ(ナス)のはいったノルマ。ナポリ風の厚いものではなく、クラストのカリカリしたタイプ。おいしかったがちょっとこげていた。それにしても量が多い。これからピザを頼むときは2人で1つで十分だ。

 ぶらぶらと歩いてみやげ物店にはいり、カステルモーラの上は寒いだろうとショールを買う。レンガ色に黄色の模様がはいったもの。15ユーロ。他の店では30ユーロぐらいしていたので、お買い得。それからロープウェイに乗る。天気がよくないので海の色が今イチ。でもすごい景観。私はこれに乗ればイゾラ・ベッラに行けると思っていたが、実際はそこからかなり歩かなければならない感じで、すぐに引き返す。

 通りをぶらついて、娘のピアス(穴をあけたばかり)を買う。マルカジットの台にピンクトルマリンのはいったぶらさがりタイプが気に入ったらしい。24ユーロ。それから、娘はまだ見ていなかったギリシャ劇場に行く。少し雨。上から見た写真を撮る。エトナ山は残念ながら今日も雲の中。後ろの通路に出ると、こちら側にも海がひろがっている。どちらを向いても海。全く贅沢なところに劇場を建てたものだ。

 まだ買い物をするという娘とわかれてカステルモーロ行きのバスに乗る。インテルブス社のプルマンの運転手は、本当に運転がうまい。標高529メートルの断崖絶壁の道。ただでさえ道が狭いところにもってきて、片側は違法駐車の車でいっぱい。そこを何もひっかけずに曲がっていく。車体が崖の向こうにはみ出してしまうのではないかと思うほど急な角でも、一度ですっと曲がる。対向車が来ると器用に避ける。これには感心した。

 約15分でターミナルに着く。16時すぎ。バスは1時間ほど待って再び降りる。乗り遅れないようにしなくちゃ。ターミナルから階段を上がっていくと、途中に展望レストランのようなものが見える。天気が悪いので閉めている。さらに山道をのぼって13世紀の廃城に上がる。展望台にわずかに城壁が残っている程度。風が強いので、余計荒廃した印象がある。ただし、眺めはものすごい。はるか下にさっきのバス・ターミナルが見える。足がすくむ。360度のパノラマで、3方が海。1方が切り立った山。海の色は濃い藍色で、イゾラベッラのあたりだけがエメラルド色をしている。上から見てもかなり白い波が立っている。この城の城主は毎日こんな風景を見ていたのだろうか。

 降りる途中にはレストランやみやげ物店がある。店頭のワインを見ていたら、おばさんに呼び止められた。アーモンドの甘いワインをすすめられたので、辛口の方がいいと言ったら、レモンのリキュールを出してきて、これならセッコだという。ウソつけ、甘いリキューで有名じゃ。あんまりしつこいので、絵はがきを買っただけで出てしまった。17時発のバスを逃すと2時間ないので、早めに降りる。行きにも気づいていたことだが、バスの中の時計が4分進んでいる。行きはそれでも対向車が多くて少し遅れて着いたが、帰りはどうだろう。見ていたら、ちゃんとバス内の時計に合わせて出てしまった。乗り遅れた人は可哀相。今度は真ん前だったので、崖から落ちそうな感覚を味わうことができた。

 帰り道、ウンベルト一世通りの店で目をつけておいたあやつり人形を買う。仇役のリナルドは、目がぱっちりしていて睫毛が長く、とてもハンサム。黒いマントを着けた隊長さんもいた。オルランドはないの? ときいたら、大きな人形ならあるという。娘に相談してみよう。喉が痛いと言っていたので、薬局でトローチを買う。イタリア語でどう説明したらいいのかわからない。喉をおさえてせきばらいをしてみせたら、すぐに出てきた。
 ホテルに帰り、日記をつけてから買い物兼食事に出る。さっきの店に行ったら、なんとリナルドと同じ大きさのオルランドが出ている。たぶん、私がオルランドがないとさわいだので、出してきたのだろう。すぐに買った。あとのお客さんも隊長さんの人形を買っていた。ここの人形は他の店と比べてつくりが丁寧だし顔もいいので、回転が早い。

 まだピアスがほしい娘の買い物につきあう。通りの端から端まで見たが、ぴったりくるアクセサリーがなかった。決めておいたレストランで食事。前菜にブルスケッタをとる。トマトのソースがおいしい。まだお腹が本調子ではない娘は、魚介類を避けてラザーニャ。少し冷たかったとのこと。私は魚のスープ。これは当たりだった。鯛、いわし、サバ、ひらめなど沢山の魚のあらのようなところを使っている。魚は身がしまって新鮮。ただし、うろこが舌にさわる。うろこを剥ぐ習慣がないのだろう。スープはブイヤベースのような感じで、薄切りのパンがひたしてある。ムール貝も海老もあさりも新鮮。2人で25ユーロ。昨日の店より安くておいしかった。雨が大分ひどくなってきたのでホテルに帰って風呂にはいり、就寝。夜半に娘が大分咳き込んでいた。

 9月16日(火)。シチリア旅行最後の日。朝6時半に起きて朝食。7月15分にホテルを出てバス・ターミナルに向かう。昨日よりはよい天気。45分発のプルマンに乗って駅に行く。予定していた8時発のシラクサ行きは季節列車だったことが判明。こういうときイタリア語が読めないと不便だ。しかし、すぐあとに8時17分発のインターシティがある。3ユーロ高い。座席はリクライニングだし冷暖房はついていて快適。しかし、速さの方はローカル列車と7分違いぐらい。2時間10分後にシラクサに到着。

 駅でひと悶着あった。帰りの汽車、15時45分か16時20分発に乗ろうと思って時刻表を見たら、何やらいろいろ書いてある。駅員にきいたら、土曜日だけとか月曜日だけという限定列車らしい。本日のタオルミーナ行きは14時20分か17時05分発しかないと言われる。ガーン。17時05分の汽車が着くのは19時15分。ところが、駅からのプルマンは19時に出てしまい、19時30分のバスは日祭日のみ。次は20時まで来ない。仕方がない、見物を少しはしょって14時20分の汽車に乗ることにしよう。

 大急ぎで考古学エリアに向かう。道は迷わずに行けたが、20分程かかった。タオルミーナと同じウンベルト1世通りをカターニャ通りに曲がり、さらにジェローネ通りをまっすぐ北上すると、左にネアポリ考古学公園が見えてくる。


写真17
 古代ギリシャ劇場は白く輝いていた。ここのに来るのは長い間の夢だった。タオルミーナの劇場を建てたヒエロン2世によって拡張されたシチリア最大の劇場。1万5千人を収容できるという。舞台には柱が残っていないし、座席も大分倒壊し、芝生に埋もれているところもある。しかし、真っ白な岩を刻んだ舞台と石段は、森の濃い緑に映えて目にまぶしい。一番上にのぼると、向こうの方に海が見える。5、6月にはギリシャ悲劇が上演されるという。一度観てみたいものだ。記念に、石段に座っている写真を撮ってもらった。(写真17)

 有名なディオニソスの耳は、高さ23m、奥行き65mの巨大な洞窟。要するに石切り場で、壁画があるわけではない。前日に雨が降ったためか、上から水滴が落ちてきて、底に水溜まりができていた。音響効果がよいというので、やたらに大声をはりあげる人がいる。ローマ闘技場は赤レンガづくり。コンサートが開かれるらしく、架設のステージと客席がとりつけられている。柵で囲われていて、中にははいれなかった。

 ここまでの見物でお午になってしまった。あと2時間。旧市街にあるアレトゥザの泉に急ぐ。旅行案内書によると、泉のそばのみやげ物店は1時で閉めてしまうため、パピルスの製品が買えなくなるのだという。途中、ウンベルト一世通りでピッツァのテイクアウトの店を探したが、別の店に変わってしまっていた。情報が古いぞ、「地球の歩き方」。すきっ腹をかかえたままオルテジア島の橋を渡り、海辺の道を歩く。観光船も停泊しているが、すでにオフ・シーズンなのか、誰も乗っていない。少しもの淋しくなった。

 目標の水族館を通りすぎ、アレトゥザの泉にたどりついたのが、1時10分前。見物はあとまわしにしてパピルスの店に行く。ギリシャの壺絵からマリア様まで、いろいろな図柄のものを額に入れて売っている。娘は小さい額を友人に、私は中くらいのものを2つ購入。近くのテイクアウトの店てアランチーニを買い、アレトゥザの泉のほとりでぱくつく。一種のライスコロッケで、チキンライスのような米の間にミートソースとグリーンピースを詰め、油で揚げてある。おいしかったが、ややさめていた。



写真18

 アレトゥザの泉は、海から数メートルしか離れていないのに、清水が沸き出している。濃いみどりあおの水面にはさざ波が立っている。シマノフスキの名曲『アレトゥザの泉』の涼しげなピアノの前奏を思い出した。真ん中には棕櫚やパピルスがおい茂り、白いアヒルが気持ちよさそうに泳いでいる。ぐわっ、ぐわっ。ときどき、逆立ちして嘴を水の中に突っ込み、何か食べている。淵には黒々したものがうごめいている。よく見たら、大量のなまずだった。(写真18)狭い橋を隔てて向こう側は海。淡いすみれ色で、タオルミーナの海とずいぶん違う。天気があまりよくなかったせいもあるが。

 しばらく両方の眺めを楽しんで帰路へ。ドーリア式のアテネ神殿の上に建てられたというドゥオモは、昼休みで閉めていた。この広場は、大司教館をはじめバロック様式の大邸宅がずらりと並んでいて、荘厳な眺めだ。ウンベルト1世通りの起点、パンカリ広場にはアポロンの神殿があり、2本の円柱が残っている。石造神殿としては現存する最古の遺跡かもしれないとのことだが、アグリジェントを見てしまったあとでは何とも迫力不足。絵はがきを買うのに手まどり、駅に着いたら、何と汽車の発車3分前だった。タオルミーナ行きは5番線。ところが、階段が工事中で降りられない。1番線のホームを降りて線路の間を走り、ホームによじのぼった。汽車に乗ったとたんベルが鳴る。あぶなかった。

 タオルミーナから16時30分のプルマン(来たときと同じ)で市内へ。娘は先にホテルに帰る。こちらの方が天気がよく、のどかなよい夕方。店をぶらついて娘に最適なピアスを発見。星型に月がついている。あとで知らせよう。カステルモーラの上ですすめられたレモンのリキュールを買う。途中でジェラート(いちごとココナッツ)も買い、食べながらギリシャ劇場へ。3回めなのに、心はやる。

 エトナ山はついに顔を出してくれなかったが、少なくとも雨はふっていないので、座席に腰をおろすことができる。ときおり雲の切れ間から陽がさしこみ、赤レンガを明るく照らす。アーチ型の窓の間から見る海は、濃い上品な藍色だ。かなり波がたっていて、岸辺近くは白く泡立っていた。木の緑、海の藍色、劇場のレンガの色、柱の灰色が快く目にとびこんでくる。いろいろな劇場を見たが、こんなにくつろげるものは初めてだ。ちびちび飲むレモンのリキュールがおいしい。かすかに苦みがあり、次に甘さがひろがる。甘いのだがあとに嫌味を残さずに、さっと溶ける。ぼーっとしながら閉館時間まで過ごした。

 帰ってみたら、またトラブル。明日の空港への送迎時刻を知らせるFAXが来ていないことが判明。あわててローマの事務所に電話する。日本語でOKと書いてあったのに、英語しかダメと言われた。先方はFAXを送ったと言っていたが、ホテルには届いていないと説明。8時10分のピックアップを確認。食事がてら街に出る。星型のピアスは娘が気に入り、買うことに。私はタイルをひとつ買う。娘は、ずっと躊躇していたもうひとつのピアスも買う。私の宝石好きが遺伝したかな?

 メッシーナ門を出で下の道を歩いていたら、偶然、旅行案内書に出ていたトラットリア「イル・バッカナーレ」を発見した。大きなあやつり人形を飾った賑やかな雰囲気の店だ。最後に小羊を食べようかとも思ったが、土地の名物ペッシェ・スパダ(メカジキ)のメッシーナ風を注文することにした。給仕さんが嬉しそう。ついでに、白ワインも。娘はまだお腹の具合がよくないとのことで、ニョッキのペスト(バジル)ソース。お店からのサービスで、最初にブルスケッタが出てきた。ニンニクがよくきいている。ついで娘のサラダと私のカポナータ。カポナータは甘すぎで、昨日の店の方がおいしかった。娘はデザートにシチリアケーキも頼む。これもひたすら甘かったとのこと。合計で35ユーロと1番高かったが、美しいタオルミーナの夜景も眺められて最高のしめくくりだった。

 9月17日(水)。出発の日。6時半に起きる。荷物をつくり、朝食へ。フロントにインド人らしき人がいたのて、送迎のFAXが届かなかったのでやむをえず電話したことを説明する。迎えの車は8時10分ということだったが、娘が、ホテル前の広場でサングラスをかけて手をふっているおっちゃんがいると言う。食事をすませて外に出ると、やはり送迎車だった。8時10分は私の聴き間違えで10分前だったか・・・。

 車に乗ってすぐ、坂道でどーんと渋滞。全く動かない。事故か? ときいたら、死人が出たという。詳細はわからない。10分ほど止まったら救急車の音がして、ようやく動き出した。下のホテルで日本人のご夫婦をピックアップして出発。ただでさえくるくるまわる道。急いでいるのでものすごい勢いですっとばす。前に座っているご主人は、まるでジェットコースターのようだと苦笑していた。ご夫婦は4日間タオルミーナに滞在していたそうで、寒くてビーチでのんびりする感じではなかったと言っていらした。新婚さんか?

 50分ほど走ってカターニャ空港に到着。チェックインのとき、私は荷物をひとつしか預けなかったが、娘はトランクにショルダーバッグをつけた形で預ける。ベルトで運ばれるとき、上と下がはずれかかって、大丈夫かな? と不安になる。身軽になったところでみやげ物店に行き、私はシラクサの神話・歴史という本、娘はサークル用のおみやげのお菓子を購入。フランスの空港と違って、ソーセージやチーズ類など物産がまるでない。

 飛行機は定刻通りに出発。1時間後にローマに着いた。AターミナルからCに移動し、免税店でレモンのリキュール、シチリアの白ワイン、グラッパを買う。グラッパは夫へのおみやげ。娘は化粧品を捜していたが、好みのものが見つからなかったとのこと。 ローマから乗った飛行機はモスクワ経由だった。3時間半後に到着。機内を清掃するので(たった3時間乗っただけなのに?)、手荷物を全部持って降りるようにというお達しである。お酒3本も持って降りなければならないのか。ちょっとうんざりする。

 モスクワの空港は、ソ連時代に訪れて以来だ。たしかに物資はずいぶん豊かになったが、どの店も判で押したように酒類と化粧品、ショール、キャビアにマトリョーシカ人形という品ぞろえ。ぐるぐるまわっても金太郎飴のようで面白みに欠ける。30分後に搭乗のランプがついたが、ゲートで荷物検査があり、長蛇の列。ロンドン行きの飛行機も同じゲートで、さんざん待ちぼうけをくわされた。モスクワからは、約8時間の旅程。となりに大柄な男性が乗ってきて、腕や足など私の領土まで侵害してくる。おまけに、すごいいびき・・・。これには参った。結局、成田までほとんど寝られなかった。

 成田空港の手荷物引換所で、最後のメルド! が待っていた。娘の荷物はショルダーバッグだけで、トランクが出てこなかったのである。カターニャでもちょっと心配したが、ベルトで運ばれる間に分離してしまったのだろう。どっと疲れが出る。私のトランクと全く同じ形状のため、カウンターでサイズを計ってもらい、書類をつくる。ローマでは行方不明の荷物が沢山あるので、出てくるかどうかわからないと言われる。もっとも、これは後日カターニャで発見され、ミラノ経由で無事宅配された。考えようによっては、宅配代を儲けたことになる。

 その夜は、まだイタリア気分。モンレアーレで買ってきた料理の本を見ながら、ペッシェ・スパダのメッシーナ風(トマトソースにアンチョビ、ケッパー、オリーブ等を入れて天火で焼く)、野菜のカポナータ(トマトとナス、赤ピーマンの蒸し煮。オリーヴとケッパーを加え、味付けは砂糖と酢)、インサラータ・ヴェルデをつくって、現地では食べそこねた小羊の肉も焼き、シチリア風に白ワインで乾杯した。

MELDE日記・目次
2003年9月10日・11日・12日/方向音痴のシチリア旅行 その I
2003年9月8日/アンリ・バルダの講習会
2003年8月17日/東京湾大花火大会
2003年7月28日/世界水泳2003バルセロナ
2003年7月11日/新阿佐ヶ谷会・奥多摩編
2003年5月31日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[III]
2003年5月28日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[II]
2003年5月22日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[I]
2003年5月3日/無駄に明るい五月晴れ
2003年4月5日/スタンウェイかベーゼンか、それが問題だ。
2003年2月12日/指輪
2003年1月13日/肩書き
・2002年12月23日/ 年の瀬のてんてこまい
2002年12月9日/批評とメモ
・2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル
・2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽
・2002年9月26日/青山のブティック初体験
・2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
2002年3月28日/新人演奏会
2002年3月1日/イタリア旅行

2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち

・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて


トップページ| プロフィール | 今年の活動 | 新刊新譜コンサートCD書籍書評、CD評 |
執筆&インタビュー日記 | E-メール

Copyright(c) 2001-2005 WAKE UP CALL
fountain@ondine-i.net