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青柳いづみこのメルド日記



2003年9月10日・11日・12日
  
/方向音痴のシチリア旅行 その I

 大学1年の娘とシチリア島周遊8日間の旅に出た。西欧に残るイスラム文化に興味のある娘の申し出によるものだ。シチリアはマフィアの国で危ないから、できたらツアーに 申し込みたいという娘。しかし、旅行案内書に出ているのは南イタリアとかけてあるプランが多く、シチリア島だけを周遊するものはなかなか見つからない。 飛行機をこちらで調達し、現地でのバス・ツアーに参加する方法もあるが、出発を土曜日に限定されている。ところで、この時期は飛行機が混んでいて、ツアーに参加できる フライトは全部満席だった。さんざんインターネットで検索したあげく、某旅行会社で見つけた「パレルモ・アグリジェント・タオルミーナ車窓の旅」というものに申し込んだ。

 ローマからパレルモに飛び、列車でアグリジェント、タオルミーナへまわる。帰りはカターニャの空港からローマへ飛び、モスクワ経由で東京に戻るという7泊9日の行程である。 飛行場からホテル、ホテルから飛行場への送迎は旅行会社がやってくれる。ホテルの選定と宿泊・朝食、列車のチケットもツアー代金に組み込まれる。パレルモ3泊、アグリジェント 2泊、タミルミーナ3泊は決まっているが、その他は自由行動。是非行きたいシラクサやピアッツァ・アルメリーナははいっていないが、パレルモかタオルミーナから行けばよい。 ドーリア式の神殿が残るセジェスタやセリヌンテにまわれないのは残念だが、一応こちらの希望を満足させる行程だった。

 9月10日(水)。成田発11時30分のアリタリア=ジャル便。チェックインの際、荷物を預けるかどうか迷う。旅行鞄は機内持ち込み制限内の大きさだが、今日の機体は ジャンボではないため、座席の下に荷物を収納できるかどうか微妙だという。荷物はなかば足乗せ台に使うのだから、上の棚に乗せるくらいなら持ち込む必要はない。 空港で買い物をするときは荷物が軽い方がいいし、どうしようか−−。迷った末にやっぱり持っていくことにした。参考書を沢山かかえてきた娘は、ひとつ荷物が多いので預けることに。

 カウンター近くの書店でミステリーを2冊買う。ついでにミシュランの旅行案内書を捜したが、見つからない。きくと、日本語版は廃止になったという。教会や博物館の開いている 時刻が不規則なイタリアでは、折角計画をたててもからぶりに終わることが多い。その点、ミシュランの情報は一番正確だったのだ。別の書店で大判のかなり詳しそうな案内書を 見つけた。海外のものの翻訳らしい。鉄道の発達していないシチリアでは、移動はバスが主流となるが、各バス会社ごとにオフィスが違う上に、ターミナルと鉄道の駅も離れている。 この案内書は、各都市のバスの発着所、所要時間なども詳しく書かれてある。少し重いが買うことにした。

 飛行機は定刻に出発。荷物も無事座席の下におしこめることができた。風が強くかなりゆれたが、その分1時間ぐらい早くローマに着いてしまった。乗り継ぎの間に買い物ができると 喜んだが、電光掲示板をいくら見てもパレルモ行きの飛行機が掲示されていない。私たちが着いたのは国際線でターミナルC。パレルモ行きは国内線でターミナルA。そのことが わかるまでにずいぶん時間を要した。

 出発ゲートをくぐったところで、さらに問題発生。娘の荷物の引き取り証がないという。ローマ経由パレルモ行きだから、本来は最終到着地で荷物をひきとればいいわけだが、 万が一ローマで留まっていたら厄介なことになる。よく調べたら、私の方のチケットの裏に引換証が貼りつけてあった。カウンターの人が間違えたのだろう。残り時間も少なくなったが、 私は免税店でグリーン・ティの小さいボトル、娘は財布を買う。

 パレルモ行きの飛行機も定刻通り出発して定刻より早く着いた。やはり風の影響らしい。ホテルへの送迎は旅行会社から手配されることになっている。出口のところで運転手の おっちゃんが名前を書いた紙を持って立っていた。まずは荷物のひきとり。しかし、ここで思わぬ時間をくった。ベルトは動くが、なかなか荷物が出てこないのである。ひきとり場は とても汚い。巨大な犬が警察官にひかれてうろついている。ときどき大きな声で吠える。麻薬犬だろうか、とびかかってきたらどうしよう、などといろいろ考える。

 30分ほど待ったところでようやく私たちの荷物は出てきたが、まだ出発できない。
一緒にホテルに行く日本女性3人の荷物が最後まで出てこなかったのである。飛行機はこういう ことがあるから怖い。結局、迎えのおじさんは彼女たちと残り、私たちは別のおじさんの車に乗ることになった。片言の英語にジェスチャーまじりだから簡単なことしかわからない。 大丈夫かな、と一瞬不安になる。駐車場は暗く、不気味な雰囲気。おじさんが荷物をひきとって車の後ろに乗せる。そのまま走り去ったらどうしようと、また不安にかられる。
 パレルモの街まで約30分。あたりは暗く、ほとんど明かりというものがない。ときおり山のすそ野に建物の光が見える程度。高速を降り、町中にはいってもひたすら暗い。 目抜き通りらしきところにはいっても、人通りというものがない。海辺に出てヨットの停泊する港をすぎたところで車は止まった。

 旅行会社のとってくれた4ツ星ホテルの部屋は、3階の海側。目の前の通りは、ニースばりに「イタリア人の散歩道」という名がついているらしいが、車がものすごい勢いで すっとばしていくので、全く風情がない。部屋は大きくてきれいだが、よく調べたらコンセントがないことが判明。これではパソコンをつなぐことができない。フロントに言ったら ボーイをよこしてくれたが、二股コンセントが合わなかったらしく、冷蔵庫のコンセントを抜いてパソコンをつないだだけで帰ってしまった。実際にはコンセントは機能せす、テレビを 抜いて使うはめに。

バスタブもついているが、シャワー栓がきちんとしまらず、いつも出っぱなし。ルームサービスを頼もうとしたが、フロントに行くとバーで注文しろと言われ、 バーに行くとレストランだという。面倒臭くなって部屋に帰り、機内の夜食で出たおにぎりを食べる。2個のうち1個はぱさぱさで食べるそばから床に落ち、余計不機嫌になる。 ふてくされる私をそばに、娘は明日の観光計画をたてていた。

 9月11日(木)。8時起床。ホテルの食事はブッフェ形式で生ハム、ソーセージ、サラミ等がおいしい。中でも、小さくてころんとしたウィンナが最高。少しすっぱいところがいい。 パンもいろいろな種類が出ていて、自分で切りわけるようになっている。お弁当用に少し多めに切ってハムを包む。果物は沢山盛ってあるのにサラダがなかった。

 この日は、6つの教会をまわる予定。それぞれの開く時刻と昼休みを列記してみよう。ノルマン宮殿の2階にあるパラティーナ礼拝堂は9時から11時45分、15時から16時45分。 その近くのエレミティ教会は9時から19時まで。カテドラーレも9時30分から19時までずっとあいている。ベッリーニ広場に面したマルトラーナ教会は8時から13時分、 15時30分から17時30分。となりのサン・カタルド教会は9時から15時30分。ジェズ教会に至っては7時30分から11時30分、17時から18時30分・・・。 かようにてんでばらばらである。やれやれ、よほど順番をうまくアレンジしないとまわれないぞ。娘と話しあって、一番のみどころのパラティーナから見物を開始することにした。

 ホテルのフロントで地図を頼むと、市の中心部分をコピーしたものを渡された。通りの名などかすれていて読みにくい上に、番号は書いてあっても索引のページがないから、どれが どの建造物かさっぱりわからない。海沿いのホテルから市内までは車で15分ほど。マイクロバスが運行していて、次は9時発だという。着くところはポリテアーマ広場。ところが、 地図でいくら捜しても、そんな名前の広場はない。とにかくバスに乗って、運転手に地図をみせてきく。何のことはない、ポリテアーマ劇場のところにある別の名前の広場だった。 さて、そこからパラティーナ礼拝堂のあるノルマン宮殿にどうやって行くか。運転手はしきりに指さして何やら言っているが、全くわからない。仕方なく降りる。

 地図を片手に歩こうとしたが、2人とも方向音痴なので、どの方向に地図を合わせて読めばよいのかすらわからない。通行人に「ノルマン宮殿?」ときいたら、歩くと遠いから 104番のバスに乗れ、と言われた。チケットは向かいの売り場で買う。イタリアのバスは、乗り方が難しい。日本のバスと違って時刻表がない。ずっと上の方に路線図はあるが、 あまりに字が小さくて、近視なのにメガネをかけていない私には、全く見えない。コンタクトを入れている娘にすら見えないという。101番は頻繁に来るが、104番はさっぱり 来ない。いつ来るかわからないバスを待つというのは、なかなか辛いものがある。

 20分ほど待ってやっとバスは来たが、乗ったら乗ったで降りる心配をしなければならない。何しろバス停に名前というものがなく、フェルマータと書いてあるのみ。これではどこで 降りたらよいかわからない。おばさんにきいたら、自分は先に降りるという。隣のおじさんが、自分が教えてあげると胸を叩いた。しばらく乗っていたら、おじさんが出口の方に歩いて 行く。ネクスト・ステーションだという。今の「ネクスト」なのかおじさんの降りるところの「ネクスト」かわらず、迷う。窓の外に宮殿らしきものが見えたので、降りてしまった。

 ビザンチン、イスラム、ノルマン、スペインなど様々な支配を受けたパレルモには、それぞれの文化を複雑に反映させた建造物が沢山ある。この建物も、モスク風の緑の円い屋根が ついていたり、柱もアラブっぽかったり、かと思うと柱はゴシック風だったり、不思議な感じだ。ノルマン宮殿かと思ったら、どうも違うらしい。観光案内書によるとパラティーナ 礼拝堂は2階にあると書いてあるが、2階などありそうもない。間違えたことに気づいて、外に出た。すごく暑い。雨傘を日傘がわりに使い、じりじりする陽差しの中を、独立広場めざして歩く。

 あとでわかったことだが−−この旅は、実にこれが多かった−−、おじさんはやはり「ネクスト」を自分の降りる次の停留所の意味で使ったのだ。かなり歩いたところで、左手に大きな 建物が見えてきた。これはいつものことだが、遺跡は発見できても、あまりに巨大すぎてどこからはいればよいのかわからない。階段がついていたので上がってみようかと思ったが、 違っていたらかなりのまわり道になるのでやめて、門をくぐる。


写真1
 あとでわかったことだが、これがポルタ・ヌォーヴァだった。(写真1)1583年造、ルネサンス・アラブ・ノルマンの混合様式だという。マニエリスム風の奇妙な像が浮き彫りにされていた。ぐるっとまわってようやくノルマン宮殿を発見。2階に上る。

 パラティーナ礼拝堂は、フランス語でいう「シャルジェ」。よくまぁここまで装飾したものよ。どのアーチを見ても、金色の背景から浮き出す形でビザンチン風のモザイク画が 描かれている。正面には、聖書を開いて見せているキリストの半身像。玉座の上方には使途を従えた全身像。上を見上げると天使に取り囲まれた半身像。
この他にも、古いアラブ建築を 反映したと言われる天井の「木製スタラクタイト」こと蜂の巣状のモザイク。アラブイスラムとビザンチン様式が融合した床の幾何学模様。大理石の柱の内側に至るまで、面という面 すべてがモザイクで埋めつくされている。何もない面というものがないことに驚かされる。しかも、それぞれの様式が異なっている。観光案内書にあった「モザイクのプラネタリウム」とは、 よく名づけたものだ。


写真2
 次はサン・ジェヴァンニ・デッリ・エレミティ教会。最初歩き出した道は行きどまり。そのあたりは集合住宅で、緑色の扉の前には老夫婦が椅子を出して座り、じっとこちらを見ている。 車のぶんぶん行き交う通りを歩いて左に曲がると、教会に出る。ここはとてもステキだった。灰色のレンガに棕櫚の緑がよく合う。アラブ風の赤いクーポラ(丸屋根)がかわいい。 装飾の何もないモスクがあり、よく見ると剥げかけた壁画が残っている。静かなたたずまい。隣がこじんまりした回廊で、中庭に熱帯植物が繁っている。上を見上げると丸屋根が見える。 心休まる空間だった。(写真2)

 次はカテドラーレを目指してヴィットリオ・エマヌエーレ通りを歩く。石畳の狭い通りだが、しゃれたみやげ物店が並んでいる。サンゴのネックレスを並べた店があり、思わず 見とれる。色がとても濃い。かわいいガラス製品を売っている店もあった。皮紐を通したヒトデ型の真っ赤なネックレスをぶらさげている。中にはいると、感じのいいおばさんが 小さな男の子と店番をしていた。ヒトデ型のネックレスは15ユーロ。青いのもある。光に当てるととてもきれいだ。両方下さい、というと、左ききの男の子が一生懸命伝票に値段を 書いてくれた。


写真3
 ショーウィンドーに気をとられて歩いているうちに、カテドラーレを見過ごしてしまったらしい。気がついたときはローマ通りになっていた。あとで戻ることにして、少し手前の マクエダ通りに戻る。ルネサンス時代の噴水で有名なプレトーリア広場は工事中で見られない。 仕方なくマルトラーナ教会に行く。パラティーナ礼拝堂と並ぶシチリア最古のビザンチン様式の寺院だという。 金色に輝くモザイクで埋めつくされているが、正面の祭壇はフレスコ画で、より華やかな感じがする。ちょうど結婚式をしていた(写真3)。

教会の装飾は豪華をきわめるのだが、結婚式はかなり質素で、花嫁さんのヴェールも短い。観光案内書には、「この教会は結婚式が多いので、重ならないように訪れよう」と書いて あるが、だいたい、どうやって事前に結婚式の有無を調べられるのだ。教会はどこも入場無料。観光客は結婚式でも自由に出入りできて、一応誓いの言葉をのべるときは列席者と 一緒に立ち上がったりする。結婚式側でもヴィデオを取っているが、観光客もカメラをパチリ。ほほえましい共存ぶりだった。

 となりのサンカタルド教会は、エレミティ教会と同じように赤い丸屋根が3つ並んでいる。ここは中にはいれなかったので、横すじのトラットリアで昼食を取る。おじさんとおばさんが 給仕をしている、気どらない定食屋さんだった。ミックスサラダはセロリ、トマト、オリーヴ、じゃがいもがオリーヴ油であえてあっておいしい。シチリア名物のいわしのブカティーニ。 サフランで色づけした太い麺に身をほぐしたサーディン、松の実、甘くない干しぶどうなどがあえてある。フェンネルがエキゾチックな味わいを添えている。デザートはなかったので 隣の店でココナッツのジェラートを食べ、水を飲む。

 ローマ通りを北上して州立考古学博物館に行く。ここは16世紀の修道院を改装したとのことで、入口にも趣がある。中庭には六角形の噴水があり、パピルスも繁っていて心地よい。 雨が近いというしるしか、雨虫がむらがって飛んでいた。中庭を抜けた先には、セリヌンテの神殿のフリーズを再現した部屋がある。C神殿のメトープ3点、F神殿のメトープ2点、 E神殿のメトープ4点。セリヌンテには行けなかったので、神殿の様子を思い浮かべる。手前の部屋は、歯をむき出してうなっているライオンの顔を並べた壁で囲まれている。 恐ろしげなのからどこかのんびりしたのまで、表情が微妙に違うのが面白い。

 ゆっくり見てまわったあと、見逃したカテドラーレに行った。案内書に書かれた地点に立ってみると、さっきノルマン宮殿だと思っていたものがカテドラーレだったことが判明。 内部は無料だが、宝物館は有料。宝冠にはエメラルドやルビー、トパーズなど沢山の宝石がついているが、あまりに大きすぎるので、かえって縁日で買う子供の指輪のように 見えてしまう。地下は、歴代の皇帝や王の霊廟になっている。お棺の上に横たわっている石像で、この間まで六甲山で通訳をしていたアンリ・バルダそっくりのものがあって、 思わず大笑い。寺院に戻ってトイレはどこかときいたら、警備員のおじさんが聖像の飾ってあるくぼみのうしろをさした。何のことだろうと思ってのぞいたら、裏手にトイレが あったのだ。しかも、紙はない上に鍵もかからない。娘と交替で扉をおさえて用を足した。

 ここまでで、5つの教会に考古学博物館まで観てしまった。予想以上に進行が早くて、少し時間が余った。見残したジェズ教会はまだ開いていないので、15時から17時まで 開いているカプチン修道院のカタコンベに行くことにした。また独立広場に戻って327番のバスを待つ。最寄りのバス停は2つ目か3つ目と観光案内書に書いてある。どっちか はっきりしてくれ一。バスはすぐに来たが、誰も乗っていない。個人タクシー状態。運転手に道をきいたら、3つ目で降りて少し戻って道を左にはいるようにと教えてくれた。 入場料は2ユーロ。10ユーロの札を出したのに、チケット係のお坊さんがおつりを1ユーロしかくれない。きっと5ユーロの札と間違えたのだろう。フランスでもそうだが、 年配の人はまだリラの方に慣れていて、ユーロの札が苦手なのだ。

 倍の料金をとられてもよいほど、カタコンベの中はすごかった。ローマと違って、葬られているのは一般市民。聖人とともに眠りたいと願った裕福な人たちが、カプチン派特有の 防腐処理をほどこされて埋葬されている。当初はミイラだったが、時を経てほとんど骸骨になってしまった。ペストが流行したときは、菌を退治するために遺体を洗わざるをえなかった こともあるという。どの遺体も正装して手を前に組み、少し俯きかげんに立てかけられている。首をがっくりうなだれているものもある。口を大きく開いているのもある。横に寝かされて 首だけこちらに向けているものもある。それぞれの人生はどういうもので、どんな亡くなり方をしたのだろう。ついつい想像してしまう。

一番怖かったのは子供の遺体で、晴れ着を 着せられているので人形に見える。しかし、顔や手足は骸骨なのだ。ときには保存状態のよい遺体もあり、髪の毛や口髭がそのまま残っていたり、皮膚もきれいに保たれていたりする。 1920年に2歳でなくなった少女ロザリア・ロンバルドの遺体などは、まったく寝ているようにしか見えない。ただしここは柵で囲われていて遠くから覗いただけだから、あとで 写真で見たときの印象。しばらくは、人形を見るたびにミイラを思い出した。

 カタコンベを出たあと目の前のバス停でバスを待ったが、これがなかなか来ない。時刻表があれば心づもりができるのだけれど。一緒に待っていたカップルはあきらめて帰ってしまった。 15分ぐらい待ってようやく到着。独立広場からまた歩き、(しょっちゅう通るね、と苦笑しながら)インフォメーションで初めてちゃんとした地図をもらった。それでも、 最後の目的地、ジェズ教会への道は本当に苦労したのだ。旧市街の道は細くて曲がりくねっているし、道の名前が記されていないことも多い。渡された地図にも小さな道の名前は 書いてないし、曲がり角にちょうど建物を示す数字が書いてあって、具体的にどこで曲がったらよいのかわからない。

ヴットリオ・エマヌエーレ通りからマクエダ通りに出て、さらに ボスコ通りを右に曲がったまではよかったが、そのあと道を間違えたらしく、いっかな教会は出てこない。いつのまにか、数年前までは地元の人すら立ち入らなかったと言われる 旧市街の真っ只中にはいりこんでいた。子供たちはストリート・サッカーをしている。どこかで爆竹を鳴らす音もして、一瞬、銃の音かと身構える。

 やがて市場に出た。広場は雑然としていて、ゴミだらけ。屋台の前にはおじさんたちがたむろしている。まわりの建物はほとんど廃墟に近いほど崩れている。この地区は教会だらけで、 あちこちにモスク風の円屋根や尖塔が見える。あれかしら、あっちかしら、とやみくもに歩いていたら、さらに道に迷ってしまった。道を尋ねても、尋ねる人ごとに言うことが違う。 あきらめて振り出しに戻ることにした。


写真4
 ボスコ通りに戻ったが、やはり曲がり角がわからない。余裕を持って出かけたはずなのに、教会の閉める時刻18時30分も迫ってくる。 ここで道をきいたおじさんが、突き当たったら右に行って少し戻るように、とジェスチャーまじりで教えてくれたのが正解だった。 やっと見つけた教会は、正面にマリア像が配されていて、いかめしい雰囲気。はいろうとした瞬間、中からオルガンの響きが聞こえてきた。宗教曲ではなく、メンデルスゾーンの 結婚行進曲』。ここもまた、結婚式だったのだ。(写真4) 花嫁さんは長いヴェールをひきずっていたが、何故か列席者が極端に少ない。ことに男性側は少ない。一瞬、駆け落ち かな? とか思った。

観光客は遠慮してうしろの方にいたが、浮浪児のような少年たちが3人、ひっきりなしに出たりはいったりしている。 教会の扉は開け閉めするたびにキーキー 音をたてるが、頓着しない。結婚式の列席者の間に座ったり、我々のうしろから手を出して、お金ちょうだい、とねだったり、すさんだ雰囲気だった。シチリア・バロックの好例と言われる教会は広大で、内部は豪華絢爛。 大理石づくりで全体に白く、天井はモザイクではなくフレスコ画で彩られ、柱にはしっくいの浮き彫りで バロック的な装飾がほどこされている。


写真5
 この壮麗な教会の外に、あの荒れ果てた旧市街がひろがっているのかと思うと、暗澹たる気分になった。(写真5)
 ホテルに帰る前に駅近くのバルサモ通り(長距離バスのターミナルが多いので、ひったくりのメッカだそうな)に立ち寄り、ピアッツァ・アルメリーナ行きのバスの時刻表をもらう。 ここから5キロのところに、モザイクが美しい古代ローマ時代の別荘があるのだ。ところが、これがひどい時刻表だった。1日8本あるうち、日曜日だけしか運行しないものが2本、 月曜日から金曜日までしか運行しないものが2本、土曜日だけ運行するものが4本・・・・とある。観光案内書に平日は1日7便とあるのは大間違い。
このうち午前中に出る便は 土曜日が6時5分、月〜金曜日は7時ちょうど、日曜日は9時発と、それぞれ1本ずつしかない。帰る方はさらにひどく、月〜金曜日など、17時05分にピアッツァ・アルメリーナを 出発して19時50分に帰る便のみ。土曜日や日曜日なら2時間5分で帰れるところ、40分も余計にかかっている。

行くとしたら次の日で金曜日にあたるが、朝7時にパレルモを 発って9時25分に着いたとしても、帰りつくのが19時50分では、1日無駄にしてしまう。かといって、13時発のバスでは、ピアッツァ・アルメリーナに着くのが15時05分、 そこからさらに別荘跡に行って見物して戻り、17時05分のバスに乗るのはほとんど不可能。これではまるで、行くなと言われているようなものである。よってあきらめる。 アグリジェントに行ったら、またバスを捜してみよう。

 ホテルは中央駅から歩いて10分ほど。夕食はホテルのレストランで取ることにした。やはり少し高めで、パスタも庶民的なトラットリアでは6ユーロ台なのに、こちらは11ユーロ 以上もする。さんざん迷ったあげく、22ユーロでオードブル、サラダ、パスタ、デザートにグラス・ワインがついてくるブッフェを注文した。フロントで渡され た5パーセントの 割引券を出したら、シャンパンをついでくれた。ウェルカム・ドリンクだろう。オードブルはすこぶるおいしかった。アランチーニという、シチリア名物の米のコロッケ、ズッキーニの マリネ、ピーマンの肉づめ、海の幸のサラダ、米のサラダ、小海老のサラダなど。温かいパスタもあると書いてあったので待っていたが、給仕さんに「フィニート?」ときかれて ナイフやフォークを片づけられてしまった。そのかわりデザートのプレートが来た。娘はアップルパイと苺のケーキを半分ずつ。私は、フルーツカクテルにワインの残りを入れて食べた。 これは、マルセイユでピアノを習ったバルビゼゆずりの習慣。

 やっと独立広場に着いたら、モンレアーレに行く309番がすぐそこにいる。ところが、チケットを買う間に出てしまった。よくきいたら、チケットは120分間同じものが使えるので、 前のチケットが有効なのだ。つまり、運転手に頼んだら80ユーロかかるところが、たった1ユーロでモンレアーレまで行けてしまうことになる。独立広場のバスターミナルも、 ひっきりなしにバスが出入りし、車がクラクションを鳴らし、神経にさわることおびただしい。次のバスはわりあいにすぐに来て乗ったが、今度は道路の渋滞で、なかなか進まない。 いらいらしっぱなしで35分後にモンレアーレ到着。

すでに11時30分になっていた。 広場にはどっしりしたドゥオモがあり、ここの頂上のテラスから隣の修道院の中庭を見ることができるという。その締切りが12時なので、気が気ではなかったのだ。

写真6
階段をひたすら のぼって上に行く。 金網の向こうに見える中庭は広大なのに静かで美しく、たった今までの喧騒を忘れる。(写真6)屋根の赤茶色、柱と壁の灰色、中庭の棕櫚やオリーヴの緑が しっくり溶けあって心地よい。イタリアは、何かと腹の立つことの多い国だが、歴史的建造物がすばらしい、あるいはパスタがおいしい、等々ですっかり帳消しにしてしまう力がある。 洞窟のような通路を通って反対側に出ると、塔の頂上まで登っていけるようになっている。人が一人体をはすかいにしてやっと通れるぐらいの狭く急な階段。あまりの高さに足が ふるえるが、体をのばすと寺院の外側の美しいモザイクが目の前に迫ってくる。手すりにも美しいモザイクのタイルがはってあった。

下に降りてドゥオモの内部を見る。パラティーナ礼拝堂と並び賞される建物だが、私的にはこちらの方が印象的だった。パラティーナでは椅子が封印されていたのに対して、こちらは ゆっくり座って見ることができたからでもある。パラティーナと同じように金色に輝くモザイクで装飾されたアーチを、古代の神殿のような柱が支えている。(写真7)

写真7

 ちょうど12時だったせいもあり、聖書を片手に持ったキリストが悲しそうな顔をして、「おなかすいたよう」という感じで見下ろしているような気がした。外に出て売店でシチリア 料理の本を買う。娘は修道院とドゥオモの写真集を買っていた。売り子のおばあさんが上品でとてもいい感じ。観光地なのにすれていなくて、端数をおまけしてくれた。

 ついで、隣の修道院にはいる。さっきは上から見下ろした回廊だが、実際に足を踏み入れると、細かいところに目が行き、また感激する。美しいアーチを形作っている228本の柱。 対になった円柱のすべてに、それぞれ異なったモザイクがはめこまれている。金色が基調。海老茶色と黒が、柱の灰色によくマッチしている。モザイクは、ところどころ剥がされて しまっているものもある。また、柱の間を木の枠で支えているところもある。さぞかし修復が大変だろう。教会は無料なのに修道院は有料だったが、その意味もわかる。
 庭は4つに 区切られ、それぞれ木が植えられている。アルハンブラ宮殿のヘネラリーフェと違ってオレンジがないのが残念。片隅に柱で囲まれた噴水があるが、水は出ていなかった。座っていると 時が止まってしまったような静けさ。いつまでも眺めていたい感じにとらわれる。しかし、お腹がすいてきたので、移動。
 海の方にぶらぶら歩いていくと、海に向かってせり出したような感じのピッツァリアが見つかった。テラスにのぼると、白い建物が立ち並ぶ盆地の向こうに、真っ青な海がひろがって いる。パノラマつきのレストランだが、値段は思ったほど高くない。私が注文したのは、サフランの味のついたタリアテッレのシェリー風クリームソース。頭つきの中型海老と小さな 海老がのっている。海老のみそがソースに加わって、とてもおいしい。娘はヴォンゴレ・スパゲッティ。赤キャベツとチコリのサラダを二人で分けて食べる。

 景観と味の両方を楽しんだあと、少し町中を散歩してからバスでパレルモに帰る。今度は15分で着いてしまった。109番のバスも独立広場のターミナルで待っていた。中央駅から 101番にのりついでローマ通りに行く。人形劇の劇場「パペット座」が考古学博物館そばの小さな通りにあるはずなのだ。かわいい絵を書いた扉は見つかったが 、現在ツアー中で 10月にならないと開かないと書いてある。あきらめて、ホテルでポスターを見た一座の方に行くことにする。カテドラーレの向かいの道をはいったところで、17時から上演される らしい。娘はローマ通りかマクエダ通りで買い物をする予定 だったが、どの店も高級すぎてニーズに合わない。捜しているうちに、ヴィットリオ・エマヌエーレ通りに来てしまった。

 途中の曲がり角で、大きな人形が看板がわりに立っているのに出くわした。細い細い通りを行くと、人形劇のポスターが貼ってあり、17時と18時の2回公演があると書かれている。 探していたものとは違う。のぞいたらおじさんが出てきて、私の持っていたパペット劇場のメモを見て、この劇場とは兄弟の関係だ、と手まねで言う。客ひきをしたいのだろう。 まだ17時30分だったので、あとで来るといい置いてヴィットリオ・エマヌエーレ通りに戻る。

 前にガラスのヒトデを買った店より少し手前に、太陽や月の陶器のペンダントをディスプレイしている店がある。はいったら、この前とは逆にかわいい女の子がお母さんの手伝いを していた。おみやげ用に、太陽、太陽が月をかくしているもの、月のペンダントを買う。娘は星のピアスを買いたかったらしいが、残念ながら片方しかなかった。私の分に買った月の チョーカーをひとつゆずる。もう人形劇のはじまる時間だ。急いでカテドラーレの真向かいを左にはいる、やはり細い細い道。太ったおばさんがチケットを売っている。8ユーロ。 2つの部屋をつなげたような劇場で、壁には人形がずらりとかかっている。

 開演前にでっぷりとお腹の出た、ちょっと凄味のあるおじさんが出てきて、人形劇の歴史を熱っぽく語る。イタリア語なのでさっぱりわからないが、シチリアの人形劇にはパレルモと カターニャの伝統がある。カターニャの人形は大きく、舞台の上から操作する。パレルモは袖から操作するので、手足が曲線を描いてしなやかに動く、という感じ。題材はオルランドの 恋の物語。あとで調べたら、中世騎士物語にもとづくもので、ヒーローは「ローランの歌」のローランのことで、恋人のアンジェリカは東洋の姫とある。

 最初に天使の羽根をつけた人形が出てきて口上を述べる。次に悪魔が出てきて、ひとしきりとびまわったあと、やはり口上を言う。オーケストラの甘い音楽。オルランドとアンジェリカの ラヴ・シーン。ちゅっちゅっちゅっと音を立ててキスをする。そこにリナルドがあらわれて決闘になる。オルランドは兜に赤い羽根がついているが、リナルドは緑。戦いと言っても 派手に剣を打ち合わせるだけで、バリ島の舞踊のように様式化されている。自分のことで決闘しているのに、アンジェリカは「まあ!」とも「おお!」とも言わず、手で顔を覆うことも せずに、ただじっとしているのがおかしい。人形遣いが2人しかいないせいか。

 場面は刻々と変化し、それにつれて背景も変わる。王様(シャルルマーニュ大帝か?)が出てきて調停する。なぜか戦争になる。いろんな国の兵士が登場する。ばかにでかい兵士や チビのサルのような兵士(ヤリを持ってきーきー声でしゃべる)、ジンギスカンの孫みたいな東洋系の兵士、アラブ系、ターバンをまいたトルコ系など、いろいろ。どの兵士も退場する とき、まずくるっと反対の方を向き、ミエを切るように顔を左右に向けながら大股でがくんがくんと出て行く。この歩き方はうつってしまいそう。


写真8

やがて戦場の場面になり、それぞれがオルランドと派手に撃ち合う。切られた兵士の中には、体がまっぷたつに割れてしまうのもある。首を切られた兵士はそのままとびはねて後ろに 行ってから倒れる。最後に緑色のへびが出てきて、真っ赤な口をあけて襲いかかる。やられたあとも最後まで芋虫のような尻尾をぴくぴく動かしているのがかわいかった。それから 突然正装した王様や王妃たちが出てきて、道化がおかしな踊りを踊ったあと、オルランドとアンジェリカの結婚式でおしまい。かわいそうなリナルドさんはどうなったのだろう?(写真8)
 最後におじさんが出てきて、オルランドの人形を持たせてくれた。すんごく重い。航空鞄の半分程度だから10キロぐらいか。舞台の裏も見せてくれた。四層にわかれていて、それぞれ 人形がセットされている。背景もスクリーンのように巻き上げられている。切られる人形は、ちゃんと体が半分でとりはずせるようになっていることもわかった。

 18時からはもうひとつの人形劇。ヴィットリオ・エマヌエーレ通りに戻り、人形が道しるべをしている通りを曲がったら人が並んでいた。前の演目が遅れているのだろう。チケット もぎりはおばあさん。5ユーロだった。こちらはオペラ仕立てで、最初に音楽師が軽やかにステップを踏みながら口上を言う。この足さばきは秀逸。オルランドはベッドでいびきを かきながら寝ている。やおら起きて、突然「アンジェリカ、アモーレ・ミオ!」と叫ぶ。すぐにアンジェリカとのラヴ・シーン。キスの回数までさっきと同じ。でも、あとは大分 違っていた。アンジェリカの声が男性の裏声なのがおかしい。いろいろな国の兵士と打ち合う前にヘビが出てきて、切られたあと尻尾をぴくぴくさせていた。

 こちらのお話は、オルランドとリナルドの決闘シーンにしぼられている。剣を打ち合うだけではなく、足を踏み出してちゃんと戦闘する。よりリアル。そのあといろんな兵士と戦闘。 打たれた兵士が首をちょんぎられても次の背景に言ってとびはねたり、まっぷたつに割れたりするのは前と同じ。伴奏の音楽は手まわしオルガン? 音からすると古い縦型ピアノのよう。 上の方がとくに狂っていて、オクターヴが合わない。弾き手の方も、オクターヴの連続になるととても苦しそう。オルランドが全部の兵士をやっつけたあと、リナルドがあらわれて、 さらに決闘シーンがつづく。夜まで戦ったが決着つかず、ひとまず寝ることにする。しかし、お互いに気になって交替に起き上がる。それが何度かつづいたあと、2人で同時に起きてしまう。 すべては明日だ、と話しあってまた寝る。大きな月が通りすぎる。

 9月12日(金)。この日が最大のメルド日。まず郊外の町モンレアーレに行こうと思って、ホテルからタクシーを拾った。運転手にバスの出る独立広場、と言ったら、モンレアーレに 行くのかという。そうだと言うと、車で行ってあげる、ついでにマッシモ劇場、カタコンベ、パラティーノ礼拝堂にもまわってあげようと言う。80ユーロとかとんでもない値段を紙に 書く。独立広場に行っても8ユーロかかるからその方が得だというが、冗談ではない。あんな近くで8ユーロもとられてたまるか、と車を降りて中央駅に向かう。運転手は何か 叫んでいるようだったが、無視。中央駅から109番のバスに乗れば10分程度で独立広場に着くのである。ところが、これが間違いのもと。他のバス、たとえば101番はいくらでも 来るのに、109番はいっかな来ない。ひっきり なしに出入りするバス、クラクションを鳴らしっぱなしの車。ぺちゃくちゃしゃべりまくる土地の人。ものすごい喧騒である。 40分経過。頭に来て別のバスでも行けないかと探しはじめたところに、うしろの方の乗り場に109番到着。何だかさっぱりわからない。

 朝になって小鳥が鳴き、舞台は明るくなる。また決闘。ここでリナルドはオルランドに切られて死んでしまうのだ。天使が飛んできて花をまく。オルランドは、自分で殺しておいて 大声をあげて嘆く。舞台の後ろから噴水が吹き出し、それをくんで死体にかけてやるところでおしまい。舞台の袖から人形遣いが姿をあらわした。舞台や人形を見なれた目にはガリバーの ようだった。あとで絵はがきを見たら、有名なクティッキオ・ファミリーの一族らしい。

 大いに満足して食事場所を探すべくヴィットリオ・エマニュエーレ通りに出たところで、ものすごい大雨。娘が携帯の折り畳み傘を持ってくるのを忘れたため、2人でひとつの傘で 歩いたが、片側はずぶぬれになってしまった。ローマ通りを抜け、駅に着いたものの、雨は一向にやまない。その途中、どこかで雨宿りしようとピッツァリアかレストランを捜したが、 見つからない。駅に着いたら何かあるだろうと思ったのだが、これが大間違いで、やはり何もないのだ。駅はとても暗い。裏に出てみたり、さんざん迷った挙げ句、小さなトラットリアが 店を出しているのを発見。雨に濡れて寒くなってきたので、とにかくはいることにする。

 メニューを見ると、ものすごく安い。大衆的な店なのだろう。背の高い兄ちゃんが注文をとっている。娘はカルボナーラのスパゲッティとグリーン・サラダ、私はプロシュート入り ラグーソースのタリアテッレ、ミックスサラダを注文。これが8時。ところが、8時20分になっても30分になっても40分になっても、水ひとつ出てこないのだ。おまけに、 手伝いをしている小さな女の子が、サラダに使うオリーブ油とワイン酢を持って行ってしまった。あんまり腹が立ったので、店主らしいおじさんに時計をさしつつ「クワランタミヌーテ!」と 抗議をしたら、私のスパゲッティとサラダはすぐに持ってきた。

遅れて娘のスパゲッティも到着。しかし、水は出てこない。店主のおじさん、何か飲み物はいらないのか、と呑気なことを 言っている。その水を50分待っていたのだと説明したら、手をひろげて、外の客が沢山いて・・・と言い訳している。私たちが抗議しているのを見て、部屋の隅でのんびりビールを 飲んでいた土地のおじさんか、自分のも来ない、と言っていた。食べ終わったのが9時。ところが、「御勘定(コント)」と頼んでも、これがまた一向にやってこない。じれてメニューを 見て、計算して置いて出ようとしたら、やっと持ってきた。2人で17ユーロとすごく安かったが、チップは置かずに店を出る。

 そんなこんなで、女性は夜遅く1人で歩かないようにと言われているパレルモを9時すぎに歩くはめになってしまった。しかし、ここでどこからともなく黒い犬があわられて、あとに なり先になりしながら、お伴をしてくれたのである。これはずいぶん助かった。丸い眼をした、とてもかわいい犬だ。どうも娘に親近感をいだいているらしい。ホテルの入り口まで 来たらちゃんと立ちどまり、名残り惜しそうにずっとこちらを見ていた。

MELDE日記・目次
2003年9月8日/アンリ・バルダの講習会
2003年8月17日/東京湾大花火大会
2003年7月28日/世界水泳2003バルセロナ
2003年7月11日/新阿佐ヶ谷会・奥多摩編
2003年5月31日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[III]
2003年5月28日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[II]
2003年5月22日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[I]
2003年5月3日/無駄に明るい五月晴れ
2003年4月5日/スタンウェイかベーゼンか、それが問題だ。
2003年2月12日/指輪
2003年1月13日/肩書き
・2002年12月23日/ 年の瀬のてんてこまい
2002年12月9日/批評とメモ
・2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル
・2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽
・2002年9月26日/青山のブティック初体験
・2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
2002年3月28日/新人演奏会
2002年3月1日/イタリア旅行

2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち

・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて


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