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2003年8月17日/東京湾大花火大会
8月10日は東京湾大花火大会。朝日新聞社のチャーターした屋形船で見物するという願ってもないお誘いを受けた。書評委員会関連の参加者は、記者さんたちの他に、大阪からこのためにいらしたという哲学者の鷲田清一さん、フィリピン帰りの評論家山形浩生さん、前に沖縄旅行を企画して下さったノンフィクション作家の与那原恵さん、阿佐ヶ谷在住の経済学者松原隆一郎さん。
花火はいいけれど、学芸部の方から浴衣着用というお達しが来て、これが大騒ぎだった。たしか、大学院のころ(30年前・・・)に仕立ててもらったチューリップ模様の浴衣があるはず。衣裳部屋をひっかきまわして大汗をかいたのに、いくら探しても見つからない。しからば買うしかない。娘に同行してもらって、阿佐ヶ谷のパールセンターという商店街に出かけた。
ちょうど七夕祭りの真っ最中で、和装専門店には、いろとりどりの浴衣がディスプレイされている。私はとにかくモノが決められない性格で、これは模様はいいけど生地が、とか、ステキだけど値段が・・・とかそれぞれの違いを比較検討ばかりしていて、全くことが進まない。「あれが似合うと思うよ」という娘のひとことで、黒地に花模様のものを求めた。帯は・・・。昔は結んでいたのだが、今はすっかり忘れてしまって自信がない。つけ帯といって、うしろに蝶結びの部分を差し込む式のセットを買った。色は店の人のすすめで黄色。
浴衣と帯はそろえても、まだ下駄や袋が必要だ。次の日、七夕祭りを見物に来て下さった与那原さんと商店街をぶらついて、赤い鼻緒のサンダルを買った。ぽっくりみたいで、少し底に厚みのあるところが気に入ったのである。袋は、とある店のワゴンサービスに出ていた網の手さげを与那原さんと色違いで購入。彼女の浴衣は藤色ということで、袋も藤色。私は浴衣の花柄のひとつにはいっていた赤。いくつになっても女性同士の買い物は楽しい。
ひとしきり見物したあと、北口の居酒屋で終電ぎりぎりまでおしゃべりした。書評委員会にはいっていなかったら、こんな風に全く畑違いの方と交流することもなかったろう。もっぱら図書館にこもって調べものをしていればいい研究者と違って、ノンフィクションは現場での取材が命。とりわけ与那原さんのお仕事は、暴力団や犯罪、震災など究極のテーマにからむことが多い。取材のタイミング、関係者からの話のひき出し方などとても勉強になった。
次の日は朝から浴衣の着付けの練習。西友でもらってきたパンフレットを参考に、何度か着てみる。浴衣のサイズは165センチ。私は背が153センチしかないので、書いてある通りの位置で腰ひもをしめると、おはしょりがとんでもなく長くなってしまう。何度かためした結果、指示された位置よりウェスト寄りにしめることにした。つけ帯セットの扱いにも手こずった。下帯を胴体にまきつけたあと、蝶結びの部分をとりつけるようになっているのだが、帯のまわし方、ひものとめ方についての詳しい説明がないのだ。試行錯誤の末、やっとマスターした。
ところが、いざ着付けてみると、花柄の黄色の分量が思った以上に多く、帯も黄色で、なんだか黄色黄色してしまう。おまけに膨張色なので、ただでさえ太いウェストが余計太く見える。再び七夕祭りの商店街に走って、今度は赤のつけ帯を買ってきた。与那原さんが、浴衣用の下着も買ったと言っていらしたのを思い出して、ついでにそれも購入。
花火大会の当日は、余裕を見て、出かける1時間前に着付けをはじめる。おはしょりもだいたいうまく始末でき、帯もきちっと結べてまずは上出来。ところが、サンダルもはいて鏡の前に立ってみると、鼻緒も赤、袋も赤、帯も赤で、今度はやたらに赤々しい。急遽、ピアノの模様を折り込んだゴブラン織りの手提げを持っていくことにした。あんまりモノがはいらないから、財布は小さいものに入れなおし、化粧品も最低限ですませる。
全部終わった時点で娘に点検してもらう。つけ帯のひもははみ出ていないか、おはしょりがぼこぼこになっていないか、帯は黄色でなくてよかったか。全体に派手すぎないか−−。「いいんじゃない?」ということで、出かけることにした。台風一過でものすごいお天気。まさか浴衣にサングラスはできないので、学生さんにいただいた日傘をさす。実際に歩いてみると、すそ幅が狭いので、いつものように大股で歩けない。駅まで思わぬ時間がかかった。
待ち合わせ場所の東西線木場駅に着いてみると、浴衣必着と言っていらした男性の記者さんたち、誰も浴衣を着ていない。裏切り者め! でも、女性記者さんの吉村さんは、叔母様の着物だという、白地にすっきりした花柄の夏物の着物(浴衣ではない)にアップの髪で、ステキな若奥様という感じ。お母さまに着つけていただいたという。与那原さんは、沖縄で購入された藤色に亀甲模様のすずしげな浴衣に紫の帯。同色の藤色のレースの靴下に下駄で、とっても色っぽかった。こちらは本まで買ってご自分で着付けられたとか。ど派手な花柄に真っ赤な帯、赤い鼻緒のサンダルの私は、30年ばかり若作りかなぁ。でも、普段コンサートで黒地に花模様のドレスを着ているので、私的には違和感がない。
船宿に行く途中、七夕祭りで買ったという与那原さんの下駄の鼻緒が切れてしまい、ちょっと心配した。阿佐ヶ谷の商店街のことなので、なんだか責任を感じる。店に持って行って抗議したい気分だ。すぐに船宿のおかみさんがかわりの下駄をもって来て下さったので、一件落着。
屋形船ではおいしいじゃこめし弁当にビール、記者さんたちの差し入れのワイン、おつまみなどで大いに盛り上がった。フィリピン帰りの山形さんが、検疫を通していないというマンゴーを持ってきて下さって、これがすばらしくおいしかった。ジューシーで香り高く、日本で食べるものとは違う果物のよう。こってりした赤ワインによく合う。
30分ぐらいで皆さんすっかりできあがってしまったが、そのあとが大変。台風は過ぎたが、海はまだ荒れている。目的地に着いてからは止まっているので、余計揺れが大きく感じられる。花火まではまだ1時間半もあるし、だんだん気持ちが悪くなってきた。甲板に出て吐き気を鎮める人、横になって仮眠をとる人、いろいろである。私も途中から少しあやしくなってきたので、帯をゆるめ、屋上に行って新鮮な空気を吸っていた。だんだん暮れなずんできて、まわりのビルに火が灯っていくさまは美しい。海風はとても気持ちがよく、次第に酔いを忘れた。
7時きっかりに花火がはじまった。まず横の灯台脇からどどどーんと火花が上がって、これが前口上のよう。ついで、船の真正面に見える湾の各所から次々に打ち上がっていく。場所は離れているのだが、空中でドッキングするようにコンピューターで管理されているとか。そのうち、花火師もいらなくなるのだろうか。
全体は3部形式になっているらしく、最初の20分ほどはオーソドックスな丸い花火。ひゅるひゅるひゅると長い光があがっていって、しばらく消えるタイプのものは、あとでいろいろなところに花が咲くので人気があった。花の形から長く尾をひいてしだれ柳のように垂れ下がってくるものは、尾の先が海までとどくのではないかと思うほど。思わず、手をさしのべてしまいたくなる。お気に入りの花火が上がると、思わず歓声や拍手が沸き起こった。気持ちが悪かった人も、寝ていた人も、花火がはじまったらすっかり元気になってしまったらしい。
中間部は、どらえもんやタマちゃんの顔に見えるもの、星型やハート型のものなど、かわり花火が、これでもか、これでもかという風に打ち上がる。風の流れも計算しなければならないし、とくにタマちゃんのひげなど、空でちょうどいい形になるように火薬を仕込むのは、それは大変なことだろう。これがコンサートだったら、作者はどんなところを工夫して曲を作ったか、とか、演奏するのはどこが難しくて、鑑賞者はどの点に注目して聴けばよいか、など解説でいろいろ説明してくれるのだが。
3部作の最後は大輪の花がいくつも重なり、1時間20分の競演のクライマックスへと盛り上げていく。パチパチとダイヤモンドのようにはじける花火は、ずっと見つめていると目がチカチカする。打ち上がるたびにダーン、ダーンという音とともに地鳴りがして、自分が打たれるのではないかと思うほど。いつもは人の頭越しに見るのだが、屋形船の、それも屋上だから、さえぎるものがない。文字通り満天のショーを堪能した。
下船後は、汐サイトの3億ション(?)マンションに住んでいらっしゃる、書評委員のお一人で日本史が専門の武田佐知子さんのお宅に乗り込んだ。真下に東京湾を望む武田さんのフロアーは、花火大会の絶好のヴューポイント。お友達が35人も集まって楽しまれたとのことで、テーブルにはすごいごちそうが並んでいた。屋形船に乗れなかった松原さんの奥様と小学校1年生の坊ちゃんもここで花火見物なさったのだ。
浴衣姿の女性も沢山いらしたが、彼女たちの着付けを見るともなく見ていた私は、突然、恐ろしいことに気づいた。何と、皆さん、合わせ目が反対ではないか! 着物の場合は男性、女性にかかわらず左前に着付けるらしいが、私は洋服と同じように右前に合わせてしまっていたのである。そういえば、下着を着るとき、ひもの位置からして必然的に左前になるので、おかしいな、男ものを買ったのかな、と一瞬思ったが、まさか洋装と反対に着る習慣になっているとは気づかなかった。30年前に浴衣を着たときは母がそばにいていろいろ教えてくれたのだが、すっかり忘れてしまっていたのである。
幸い、着付けの先生がいらしたので別室でなおしていただき、人ごこちついたが、最後に「メルド!」の出た一夜だった。
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