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青柳いづみこのメルド日記


 2003年7月11日/新阿佐ヶ谷会・奥多摩編

 阿佐ヶ谷文士を愛する人々が集う「新・阿佐ヶ谷会」は、2002年1月を皮切りに、年2回のペースで開催されている。いつもは先人たちが集った阿佐ヶ谷の自宅を会場にしているが、2003年6月は奥多摩遠足に行った。昭和17年、つまり戦時中に御獄に行き、玉川屋というソバ屋で懇親会を開いた阿佐ヶ谷文士たちの例に倣って、御獄渓谷を散策し、ソバを食おうという趣向。ついでに、漫画家つげ義春ゆかりの宿五州園に泊まり、翌日は御獄神社に詣で、奥多摩の名酒澤乃井の酒蔵を見学するという盛り沢山な企画である。

 実はこの遠足、5月末に予定されていたのだが、玉川屋さんに不幸があって店を休むという。やむなく1ヶ月延期したが、これがかえってよかった。予定していた5月31日は季節はずれの台風でものすごい風と雨の日。JR青梅線は風が強いと走らないと言われるから、きっと中止になっていただろう。6月28日は梅雨の晴れ間で曇り空、暑からず寒からずのちょうどいい遠足びよりだった。

 故事に倣って12時半に立川駅集合。メンバーは川本三郎さん、岡崎武志さん、萩原茂さん、間村俊一さん、八尾久男さん、セミナーの受講生で、八尾さんとアテネ・フランセで同級の戸張勢津子さん、日本経済新聞社の小林さん、国連社の小野里さん、新潮社の近藤さん、私の9名。本家より3名も多いぞ。本家には遅刻者も出たということだが、何故か全員ほぼ時間通りに集合。間村さんだけが若干遅れたが、予定の電車には間に合った。近藤さんはあとからの参加。

 萩原さんと八尾さんが編集し、岡崎さんがイラストを書き、間村さんが装丁した、なんとも贅沢な「遠足のしをり」を配られる。表紙には、小学生の帽子をかぶり、胸に名札をつけた人物が4人。私、上林暁、川本三郎さん、木山捷平。スター的存在の太宰治をカットしたあたりが、いかにもこの会らしい。
 中をあけると、参加者たちが綴った奥多摩行の思い出が詳録されている。

 「阿佐ヶ谷会で、奥多摩へ行ったのは、二月五日だった。名取書店の林宗三郎君の案内で、御獄駅前の玉川屋で蕎麦を食い、梅も見るのであった」(上林暁)
 「名物ということだから、私はそばを五、六杯も平らげるのは平らげたが、そしてなるほどうまいとは思ったが、しかしそばがうまいからとてさびしさが帖消しされるわけにはいかなかった」(木山捷平)
 実はこの二人、遅刻組である。上林が荻窪を出たときは12時15分だったが、同じ車内に木山捷平を発見して安心した。案外こんなとき早いのが太宰治で、懐に岩波文庫を3冊もしのばせていたという。岡崎さんは、この故事に倣って岩波文庫を持ってきていた。

 青梅線の沢井で下りて、多摩川上流の河原づたいに散策する。楓橋を渡ると寒山寺というお寺の鐘突き堂がある。昭和17年のときには、誰かが早速ぼーんと撞いたが、ふと見ると、「むやみに叩いてはいけない」という張り紙がしてあった。その鐘は戦争で供出されてしまい、現在吊られているのは昭和40年に再建されたもの。張り紙もないことなれば、一同かわるがわるぼーんとやっていた。季節はずれの除夜の鐘のよう。

 再び橋を渡って、川沿いの遊歩道を歩く。水の色は濃い緑色。現在の多摩川上流はカヌー競技の格好の練習場らしく、岩の間を走り抜ける急流に旗を立て、鮮やかな赤や黄色のカヌーがさかんにターンをくり返している。カーヴによって、右側の人が必死で漕いだり、左側がおおわらわだったり。コーチ役は岩場に立ってタイムを計る。そうかと思えば、昔ながらの網笠をかぶってのんびり釣りをしている人もいる。何だか不思議な光景だった。

 途中、「お山の杉の子」の歌碑を見て、3時前に玉川屋到着。大正4年の操業で、多摩川の渓流を見下ろす二階建ての茅葺き屋根の家。明治時代の民家を生かしたものだという。本家たちは大座敷に通され、それぞれものした色紙が今も壁の隅に飾られている。祖父は川ざかなを愛で、木山は八杯もソバを平らげたと書いてある。私たちはグループなので、離れの座敷に案内された。

 昭和17年の会のときは、まず将棋を一局ずつ戦ってから飲み会だった。将棋を指さない我々は、いきなりビールと酒。1ヶ月前は申し訳なかったと澤乃井の冷酒の差し入れがある。蕎麦ビールというのもあって、ちょっとベルギー・ビールに似たフルーティな味わい。二日酔いしないようにと、沖縄から持ってきたウコンを配る。

 先人たちの食した鱒の塩焼きは品切れ、鯉の洗いはなかったが、ヤマメの塩焼きとフキの佃煮、岩茸の酢のものを注文。とくにヤマメはふっくらと焼き上がり、すばらしい。可愛いザルに盛られた蕎麦も香り高く、コシがあってとても美味しかった。汁もこってりして、しかも甘ったるくなく、絶妙の味わい。このあと五州園でまた宴会があるので、木山のように7杯も8杯も平らげるわけにはいかないが、何人かはおかわりしていた。勿論、私も。

 ここで、岡崎画伯が、色紙に恒例の似顔絵を書きはじめた。ちらっと鋭い視線を投げかけてはさらさらっと書くのだが、これが本当によく特徴をとらえている。昭和17年のときには、報道班員として徴用中の井伏鱒二、小田嶽夫、中村地平の3人に寄せ書きをしたためたという。我々は、岡崎さんにもう一枚お願いして、サバティカルでパリ滞在中の篠田勝英さんに寄せ書きをした。

 30分ほど散歩して五州園に到着。男性陣は下の部屋、戸張さんと私は渓流を見下ろす6畳ほどの部屋に通された。ここで、お風呂をめぐってちょっとしたハプニング。風呂は、崖を下ったところにあり、渓流を目の前にした風情のある岩風呂なのだが、貸し切り制でひとつしかない。汗を流そうとしたら、下の男性陣がはいっているという。しばらく待ったのち、あいたと電話がかかったので下り行ったのだが、ドアをあけたら、まだバスタオルに身を包んだ小野里さんがいらした。上がり湯は出ないので、風呂桶から直接汲むようにとの忠告。温泉ではないのだが、もともと水のいいところなのだろう、とてもすっきりしたいいお湯だった。

 私と交替に、今度は戸張さんが入浴。窓から見ていると、男性陣が次々に風呂場に下りて行く。まだ彼女上がって来ないよー、と注意したのだが、若い人は覗きに行ったみたい。鍵がかかっていてはいれなかったようだが。五州園はトイレも男女兼用だったし、あんまり女性にはやさしくない宿だ。
 宴会は私たちの部屋の隣の大広間。ここでも、澤乃井の差し入れがあった。実は、川本三郎さんがNHKブックスから出した料理小説集で、この澤乃井を愛飲していると書いたところ、蔵元が感激して、是非見学にいらして下さいと申し出があったとか。我々も思わぬお相伴に授かって大賑わいだった。

 驚いたことに、ほぼ全員が阪神ファン。今年は18年ぶりの優勝が濃厚なこともあって、実に意気軒昂、八尾さんはアカペラで六甲おろしを熱唱したりして、夜遅くまで野球談義に花が咲いた。戸張さんと私は少し先に部屋に引き揚げ、こちらは3時まで女同士の話で大いに盛り上がったけれど。
 翌日は、快晴。誰の心がけがよかったんだろう? 昨夜は大分飲んだはずだが、ウコンがきいたのか、皆さんさわやかな笑顔だった。朝食のあと、岡崎さん、間村さんは仕事があるとのことで出立。近藤さんは生まれたばかりの赤ちゃんの世話で、こちらも先に帰られた。

 バスに乗って滝本駅まで行き、ケーブルカーに乗車。たった6分なのだけれど、関東1だという平均勾配22度の急勾配、上下駅の標高差は424メートル。御獄山駅に着いたあと、さらにリフトに乗って、御獄ビジターセンターまで行く。うぐいすの鳴き声がすぐそばに聞こえた。
 標高929メートルのところにある武蔵御獄神社で驚いたのは、参道の両側にずらっと並んでいる石碑。それも古いものではなく、たとえば東京都中野区鷺宮の有志住民とか、ごくごく身近な団体の参拝記念が彫りつけてある。そのうち新阿佐ヶ谷会の石碑も建てなければならないね、などと冗談を言いながら、いつ果てるともしれぬ階段をのぼり、ようやく山頂の神社に到着。

 汗をふくひまもなく、少し下ったところにある中里介山の文学碑を見にゆく。ニヒルな剣士、机龍之介の試合は、この境内で行われたことになっているとか。記念写真を撮って下山し、滝本駅からバスに乗って御獄駅、さらに歩いて沢井駅前の小澤酒造へ。母屋は元禄時代から建っている茅葺き屋根。現在の社長はまだ40代だが、家族とともにこの家に住んでいるという。山陰の田舎にある母方の祖母の家も江戸時代中期の茅葺き屋根だから、手入れが大変だろうな、と同情した。

 ここで30分ほど利き酒をしてから寒山寺近くの「ままごと屋」という豆腐料理の店で昼食をとるはずだったのだが、澤乃井酒造の営業さん、川本三郎一行ということでリキがはいっている。酒蔵の説明からはじまり、米の磨き方の講釈、ひのきの樽、琺瑯の樽、ステンレスの樽の違いなど滔々としゃべり出したら止まらない。だんだんお腹がぐーぐー鳴ってきた。外部の人は誰ものぼれない屋根裏にも案内され、樽の口がずらっと並んでいるところを見せていただいた。醸造している間は二酸化炭素が出るため、ずんどう樽の時代には、誤って覗き込んで窒息死する人もずいぶんいたとか。現在は、口を狭くする技術ができて事故は少なくなったが、それでも年に何人かは犠牲者が出るという。杜氏も命がけの仕事なのだと思った。

 大吟醸の古酒を寝かせている蔵にも案内された。ラオチュウのようなもので、だんだん飴色になってくる。これを酒屋さんにおろして紫外線を当てると、一気に茶色になってしまうとのこと。ワインと同じようにヴィンテージがついていて、それぞれ味わいが微妙に異なるそうだ。
 圧巻は、今年になってはじめて作ったというひのきの樽。杉の木を一本切り倒して半年寝かせたあと、赤肌と白肌の板にして樽をつくる。ひのきの匂いが残っていると樽酒になってしまうので、洗うのが大変だったという。これで醸した酒は門外不出で、パーティなどで出しているが、まだ8本分残っている。そのうちの一本を試飲していただきましょう、と言われる。期待は高まる。

 そのあとも、名酒の源となっている湧き水についての説明があったあと、やっと「ままごと屋」に到着したのが午後2時。元は紅葉亭といって寒山寺を訪れた文人墨客が滞在した庵だったが、改装して料亭になった。経営しているのは、澤乃井の社長のお母さん。澤乃井と同じ岩清水で作った豆腐や湯葉がメインで、可愛らしいお盆に少しずつお料理が盛られている。
 営業さんが携えてきた幻の酒で乾杯。一口飲んで、うなる。うま味が舌の奥にツーンとはいっていって、奥をきゅっと刺激してひろがる感じ。温度が低いときは少し酸味があるので、なるべく常温にさらしておいた方がいいですよ、と言われる。たしかに、温度が高くなるにつれ徐々に酸味は薄れ、うま味が舌全体にひろがるようになった。

 私は夕方東京で取材がはいっていたので、皆さんより少し先に失礼し、売店で「蔵守」という1996年の古酒を2本買い、奥多摩をあとにした。あとで八尾さんからメール、皆さんも次の電車で帰路につき、車中まことに気持ちよく舟を漕いでいらしたとのことだった。


MELDE日記・目次
2003年5月31日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[III]
2003年5月28日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[II]
2003年5月22日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[I]
2003年5月3日/無駄に明るい五月晴れ
2003年4月5日/スタンウェイかベーゼンか、それが問題だ。
2003年2月12日/指輪
2003年1月13日/肩書き
・2002年12月23日/ 年の瀬のてんてこまい
2002年12月9日/批評とメモ
・2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル
・2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽
・2002年9月26日/青山のブティック初体験
・2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
2002年3月28日/新人演奏会
2002年3月1日/イタリア旅行

2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち

・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて


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