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| 2002年12月23日/ 年の瀬のてんてこまい 2002年の12月は妙に予定が重なった。それも、それぞれアサッテの方を向いた仕事で、それぞれに準備が要るという、いつもの私のパターン。 すべては、東京に何十年ぶりだかの大雪が降った9日の月曜日に始まった。前日、「すばる」に掲載されるポリーニ・プロジェクトの原稿30枚と朝日新聞の書評2本(出口裕弘「三島由紀夫 昭和の迷宮」と篠田節子「静かな黄昏の国」)をメールで送った。私は、同じく朝日新聞の「今年の3冊」の選定と、13日の慶応大学でのシンポジウムの準備をしていた。 「今年の3冊」は、字数こそ短いが、一年間に読んだ本の中からこれぞという3冊を選ぶのだから、大変だ。他の先生方にきくと、「マイ・ベスト・スリー」型と「諸般の事情で書評にとりあげられなかった3冊」型にわかれるという。私は後者で行くことに決めたが、2週間に一度開かれる書評委員会で書評権を得た本だけでも毎回6〜7冊はあるから、自分で買って読んだ本も含めると膨大な数になる。書斎やピアノの部屋に散乱する本の山から、これはと思う10冊ほどを探し出してきてもう一度読み返し、さらに1冊120字に要約するのは、もしかすると一冊の本の書評を書くより厄介な作業かもしれない。原稿の締め切りが17日、その前に書名だけ知らせなければならず、その締め切りが、ちょうど慶応のシンポジウムと同じ13日の金曜日。 そのシンポジウムは「文学と音楽」というお題で、今さらドビュッシーでもあるまいと思い、「ラヴェルとレーモン・ルーセル」というテーマでピアノを弾き、かつしゃべることに決めていた。11月28日に打ち合わせがあり、それぞれ15分ぐらいずつ発表してから全体の討議に移るという。ラヴェルの作風が、ジャリの「超男性」やカフカの「流刑地にて」、ルーセルの「アフリカの印象」や「ロクス・ソルス」など一連の機械文学といわれるものに似ていると思ったのはずいぶん昔のことで、廃刊になった「音楽芸術」のラヴェル特集で15枚ほどの記事を書いたこともある。(ラヴェルとルーセルは2歳違いで、全く同じ時期にパリ音楽院のピアノ科に在籍していたのだ)。このときは誰にも注目してもらえなかったが、慶応のシンポジウムなら、このとりあわせの突飛さや面白さもわかってもらえるのではないかと思った次第。といっても思いついたのが20年ぐらい前だから、詳しいことは全部忘れてしまっていて新たに資料を調べ、まとめるのが、これまた大変だった。 ピアノも練習しなければならないし。18日には、安川加寿子先生の関西での追悼演奏会(大阪・いずみホール)が予定され、安川先生のご紹介で大阪音大に奉職している私も弾くことになっていた。先生の追悼演奏会は東京、大阪と1回ずつ出演させていただいたが、一人でステージをつとめるリサイタルと違って、曲数は少ないが、妙にプレッシャーがかかる。何となく、会場のどこかで先生が聴いていらっしゃるような気分になり、緊張してしまうのだ。 そんなわけで、この3つのことだけでも十分大変だったのに・・・。「文学界」の編集者から電話がかかってきたのは、午後2時ぐらいだったろうか。秋に原稿を送り、やりとりを重ねてきた130枚の小説が、急に2月号にに掲載されることになったとのこと。この小説は、一度ゲラになったものの、タイトルが悪いというのでハンギングになっていたもので、掲載はたぶん3月号になると言われていたから、もう一度PCに戻してさらに推敲を重ねていたところだった。タイトルは後追いで決めればいいから、とにかく原稿(FD)だけすぐに送ってほしいという。普通、文芸誌の締め切りは月の20日だが、2月号は年末進行で早く、どこも10日前後に繰り上がる。雪でバイクが出ないから速達で送るように言われ、すべてを放り出して原稿を読み、気になるところに手を入れ、疑問点は質問状の形で添付し、タイトル案もつけて郵送した。 翌11日、「ムジカノーヴァ」の編集長からメールで、「メルド日記」に書いたアンリ・バルダの批評を、これも2月号に転載してくれるとのこと、原稿が少し長いので8枚以内に縮小する作業が加わった。「群像」の編集長からも、2月号の「読まずに来た本」というコラムに3枚書いてほしいという依頼。何でみんな2月号なんだ! と思いながら「プルーストとドビュッシー」を執筆。夕方、「すばる」編集長から、ポリーニ・プロジェクトのゲラが出たという電話。戻しは16日だと言われたが、その日は、13日に出るはずの「文学界」のゲラの戻しの日でもあり、同時進行は無理と言ったら、少しでも早い方がいいからと、その日深夜にバイク便でゲラ到着。 そんな騒ぎの中、朝日の「3冊」の書名と「群像」の原稿をメールで送り、ピアノを練習し、小説のタイトルを考え、慶応の講演の準備をしていたわけだが、 実は、もうひとつやらなければならないことがあった。21日に、ワーグナー協会関西支部の例会で、「ワーグナーがフランス世紀末に与えた影響」について3時間も講演することになっていて、依頼のお電話をいただいたときはこんな忙しい時期にあたるとは夢にも思っていなかったのだが。考えてみれば、小説のゲラは13日に出るから、シンポジウムのあとはそれに専念したい。何といっても、初の小説なんだもの。16日に戻したあとは、18日の「こわーい」コンサートの準備でピアノを弾きまくらなければならない。19日に東京にトンボ帰りしても、夜はジャン・フルネ指揮のドビュッシー「聖セバスチャンの殉教」があり、プログラムに解説を書いた関係で聴きに行くことにしている。しかも、20〜21日は大阪音大の年内最後のレッスン日にあたっている。 ということは・・・12日中に、ある程度までワーグナーの方の準備もしておかなければ、絶対に間に合わない!! これがまたハンパではなくて、ドビュッシーや先輩作曲家ショーソンがとくに影響を受けたワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」「パルジファル」の楽劇を聴き、さらに、ショーソンのオペラ「アーサー王」や交響詩「ヴィヴィアーヌ」、ドビュッシーのバレエ音楽「遊戯」、管弦楽のための「ジーグ」、歌曲集「雅びなる宴」、ピアノのための「前奏曲集第2巻」、「ヴァイオリン・ソナタ」、未完のオペラ「アッシャー家の崩壊」「ロドリーグとシメーヌ」も聴いて、ワーグナーからの引用や無意識に影響を受けたと思われる箇所を探し、さらに、フランス世紀末のワーグナー受容史の簡単な年表をつくり、ボードレールやマラルメ、ショーソンやドビュシーの個別のワーグナー体験やワーグナーに対するコメントを集めて論評し・・・。 13日は、慶応に行く前に新宿で「文学界」の編集者と会い、ゲラを受け取った。ついでにタイトルの相談もして、20案ぐらいから「水のまなざし」に決定。内容とはあまり関係ないけれど、語感がきれいだから、という理由。これは、祖父が訳したガスカール「種子」の一節から取ったのだ。 シンポジウムの会場に行ったら、ピアノの調律をしている。慶応では、前に何回か弾きつつしゃべる講演を行ったことがあるが、いつもピアノの状態が悪く、あまりうまくいかなかった。今度こそと思って、コンサートのときにお願いしている調律師の方を手配していただいたのだが、大学側の予算の関係でコンサート・チューニングは無理、普通の家庭のピアノ用の調律しかできないと言われた。シンポジウム開始まで10分ほどあったので、曲を弾いてみたが、普段あまり使っていないピアノらしくて、あまり響かないし、タッチも固い。 打ち合わせでは一人15分と伺っていた発表がとても長く、しかも、他の3人の方が発表していらっしゃる間、ずっと壇上にいなければならない。前に、同じシンポジウムを聞きに行ったときは、たしか発表される方だけが壇上にいらしたように記憶していたので、打ち合わせで確かめておかなかったのが間違いだった。用心して手袋をはめて待っていたが、だんだん手が乾燥して、ガチガチに冷えてくる。結局、私の出番になったのは2時間後ぐらいで、演奏の出来は見るも(聴くも?)無残。でも、ピアノ弾きとしては言い訳できない。 発表の方も、あとできいてわかったのだが、当日のパネリストの方が英米文学中心だったので、会場にはフランス文学関係者はあまりいらしていなかったとのこと。取り合わせの妙をねらったラヴェルとレーモン・ルーセル、及び機械文学というテーマも、ごく一部の方以外にはあまり面白がっていただけなかったようだ。それでも、高名なシェイクスピア学者の高橋康也さん(今年亡くなった)のご子息でオペラの評論もなさっている高橋宣也さんの司会による討論はとても面白く、音と言葉のはざまについて、かなりつっこんだ意見が交換されたのは収穫だった。発表時間をもう少しおさえて、こちらに時間を割ければよかったのにと思ったが、流れだから仕方ない。だいたい、「音楽と文学」という壮大なテーマで、発表を15分でまとめろという方が無理なのだ。 週末は、「すばる」と「文学界」のゲラ校正で明け暮れた。どちらも大きな問題がいくつかあり、それをクリヤーするために何回も原稿やPCの画面を読むので、目が真っ赤になる。PCのキーボードの打ちすぎで右手の中指の調子もおかしくなり、あわてていきつけの鍼灸医に飛んでいった。「すばる」は16日深夜にFAXで戻し、電話でいくつかやりとりして校了。「文学界」の方は、編集者が夕方以降出かけてしまうというので、翌日まわし。また、ピアノが弾けない。この日は、「ムジカノーヴァ」の連載「ピアニストは指先で考える」と、バルダのコンサート評のゲラも来た。 17日は、耳はワーグナーを聴きながら、目は小説のゲラ校正で一日が暮れた。あるシーンについて、編集者が何気なく指摘したひと言がひっかかり、ぴたっとはまる表現が見つかるまでなかなか先に進めない。しかも、PCの画面や打ち出し原稿で見ていたときは気がつかなかった欠点が、ゲラになると妙に目についてくる。あるページの表現を簡潔にすると、別のページの冗漫さが急に浮かびあがってきたり。 まぁ、これと同じことは、コンサートのリハーサルで、初めてステージで弾いたときに起きるんだが。相談しようと思っても、年末進行で編集者の出入りが激しく、お昼ごろ編集部に来てすぐに出かけ、4時ごろ戻ってきてまた6時に出かけ、9時半ごろまた戻ってくるという。こちらはこちらで、次の日のコンサートのために鍼灸医の予約を入れているから、その間2時間は外に出なければならない。しかも、治療を受けてから2時間はピアノが弾けないという制約もある。結局、9時半に戻ってくるはずの編集者が10時半までつかまらず、やっと連絡がついてすべての原稿をFAXし終えたときは11時をまわり、ピアノを練習できる時間はすぎてしまっていた。朝日の「今年の3冊」もこの日が締め切りだったが、結局書けず、のばしてもらった。再校が18日夜中に出るというので、大阪のホテルの電話番号を伝えた。その夜のうちに校了にする必要があるとのこと。 18日は、8時ごろに起きてピアノを練習し、夫が出張でいないので、大学受験を控えた娘のために晩御飯(ポークのノルマンディ風リンゴ添え)をつくり置きし、お昼前に家を出た。出る直前、「群像」からゲラがFAXされてきた。みると、18日夜までに戻せと書いてある。私は22日まで戻らないから、もう少し遅かったら落ちていたところだぞ。飛行機は14時発。15時についてタクシーでいずみホールの真正面にあるホテルに向かう。車内で「群像」編集部に電話をかけ、校正を済ませたが、ホテルに着いてみたら、部屋にもFAXが備えつけられていた。 この日は朝日の書評委員会の開かれる日なのだが、 ウィリアム・ウィルソンではないので出席できない。欠席する場合は、事前に本のリストを送ってもらい、どの本を書評したいか記者に伝えることになっている。ホテルにはいったのが4時。リハーサルが始まるのが5時。朝日に電話したが、担当の記者はまだ到着していない。やっとつかまって書名を伝えたのが4時45分だった。リストアップしたものを全部送ってもらえるわけではなく、委員会で討議して担当を決める。その討議に参加できないと、どうしても発言権が弱まるから、書評したい本が手にはいりにくくなる。 リハーサルは無事済み、出番まで仮眠をとる。この日は7人の出演者があり、私は最後だったので、だいたい8時半ごろ弾くことになる勘定だ。コンサートというのは不思議なもので、リハのとき調子がいいと本番は悪く、リハでどじってどうなることかと思っていると、本番は絶好調だったりする。というわけで、この日の演奏も今イチ。最後の方でやっと集中してきたかと思ったら終わってしまった。ただ、他の出演者の方々が弾きこんでいて下さったので、ピアノ自体は暖まっていてとれとれの状態になっていたけれど。こういう感覚を知ってしまうと、なかなかステージでの演奏がやめられない。 困ったものだ。終わったあと、ロートレアモンのシンポジウムでお会いした大阪芸大の山田兼士先生や、出演者の一人で安川コンクール優勝者の谷博子さん、学生さんやOBの方々とホテル内のレストランで打ち上げし、さらに谷さん、OBの榎木さんと部屋でおしゃべりした。何しろ、「文学界」から2校の校正がFAXで届くのだから、寝るわけにいかないのだ。12時をすぎてもFAXは届かず、お二人とも帰ってしまい、さらに待つこと2時間。やっと、疑問点だけFAXが届き、 それについて30分ほど考えて返事をし、「校了です」と言われたのが午前3時。 19日は8時53分の「のぞみ」で東京へ帰り、ワーグナーの講演の準備。楽劇とドビュッシーやショーソンのどの作品のどの部分を例として提示するかは決まったが、今度はそれぞれの引用箇所の時間を計って、3時間の講演時間内におさめる算段をする必要がある。こういうとき、本だったら、読みながら写してしまえばいいのだが、音はずっと聴いていて、切る場所を決めなければならないから、やたらに時間がかかる。しかも、21日の会場はCDを流す設備がなく(カセットやヴィデオはあるという話だった)、小さなラジカセを持ち込むとのこと。音が悪くなるから、なるべくCDをカセットにダビングして持って行こうと思ったが、時間の関係で一部しかできなかった。ぎりぎりまで仕事して、すみだトリフォニー・ホールに行き、「聖セバスチャンの殉教」を聴く。あまりに疲れていて、ときどきこっくり居眠りしてしまった。 翌日は、時間と競争でワーグナー講演の原稿を書き、打ち出し、2日ぶんの晩御飯(鳥のクリーム煮と香草焼き)をつくり、10点ほどのCDとスコアをかかえて11時55分発の飛行機に乗った。レッスンは午後1時半から。一人一時間ずつ4人の方のピアノを聴いたあと、クラスの忘年会があり、学生さんやOBの方々と梅田のレストランで会食。久しぶりにリラックスして楽しいひと時だった。その日は梅田そばのホテルに泊まり、講演の原稿に従ってCDに付箋をつけて番号をふり、どのトラックを呼び出すかを明記する。引用するCDが多いので、これをしておかないと講演のときに混乱する。 ワーグナー協会の事務局から、講演会場の地図をFAXしていただいたのだが、山なす郵便物&本にまぎれてどうしても見つからなかった。ホテルから電話してもう一度送っていただく。 21日、9時半から午後1時まで、4人の学生さんのレッスンをしたあと、梅田からタクシーで会場に向かった。ワーグナー及びドイツ音楽はまるで門外漢だし、熱烈なファンの方々の前でお話するとあって、目茶苦茶緊張した。ショーソンの「アーサー王」は珍しがっていただけたようだが。慶応のシンポジウムで司会をなさった高橋さんがわざわざ来て下さっていて、心強かった。 22日、また8時53分発の「のぞみ」で東京に戻り、家に帰ってみたら、「文学界」の編集者から「校了が2日のびた」というメールがはいっていた。そんなことなら、18日のコンサートあと、まわらない頭をふりしぼって考えなくてもよかったのに・・・。 レーモン・ルーセルとラヴェルも、ワーグナーとフランス世紀末も、いずれ書きたいと思っている「作家=作曲家のコレスポンダンス論」の重要なテーマで、そのベースになればと思って講演をお引き受けしたのだが、実際問題として時期が近すぎたし、その間に演奏やら小説やらコンサート評やら書評やらコラムやら音楽雑誌の記事やらがはいったので、とんでもない騒ぎになってしまった。来年は、少し仕事の焦点をしぼることができればよいのだが。 |
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