|
2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル
10月から11月にかけて、全9回の「ポリーニ・プロジェクト」を全部聴き、ルポを書く計画を立てた私だが、普段あまりコンサートに行かないのでどうも気が重く、会場に赴く前はお腹が痛くなったり、吐いちゃったり・・・登校拒否気味である。そんな中、11月4日と6日の「ポリーニ・プロジェクト」のちょうど谷間の5日に、アンリ・バルダというフランスのピアニストのリサイタルを聞きに行き、実に爽快な気分で戻ってきた。どうもクラシックというのは、とりわけ日本で聴くと肩が凝ることか多いのだが、うまくはまればかえって疲れがとれるものだと、改めて納得した次第。
さて、「知られざる幻の巨匠」というタイトルがついたこのピアニスト、安川門下の大先輩、高野燿子さんに強く薦められて聞きに行くことにしたのである。「私がいいって言ったら、絶対いいんだから」と燿子さんはおっしゃる。高野燿子さんといったら、私が子供のころにすでに大スターで、父などはラジオで放送があるたびに録音して聴いていたものだ。かわいらしくてセンスがよく、とくにモーツァルトなど本当にステキな
演奏をなさった。
燿子さんは、今年の7月にパリでバルダのリサイタルを聴き、是非これを日本の聴衆にも聴かせたい、と思われたそうだ。会場取りも印刷物もチケット販売もプロモーションも、何もかも燿子さんの仕切りで招聘が実現した。
チラシの経歴を見ると、バルダはエジプトのカイロ生まれ、パリで安川先生のお師匠さんだったラザール・レヴィに師事、パリ国立音楽院を首席で卒業後、クライバーン・コンクールに入賞、ジュリアード音楽院でも研鑽を積んだ。現在は、パリ国立音楽院のピアノ科教授もつとめている。81年にN響の定期に招かれているが、今回が2回目の来日とのこと。
ホールはトッパン・ホール、燿子さんの努力もあって、客席は超満員だった。プログラムはパリのリサイタルと同じで、シューマン『クライスレリアーナ』、クレーフという現代作曲家の『ピアノ・ソナタ作品15』、ラヴェル『高雅で感傷的なワルツ』『クープランの墓』である。都合でシューマンは聴けなかったが、前半の2曲目からホールにはいった。
いかにもレヴィ門下らしく、ひじを上下にはねあげるような動作が安川先生を思い起こさせる。フランスのピアニストというと線の細いイメージがあるが、バルダは上体にパワーがあり、ピアノが朗々と鳴りひびく。ときどき金属的な響きもするが、それが少しも耳障りにならない。トッパン・ホールは500席ぐらいだが、1500席ぐらいのホールで聴いてみたいピアニストだ。
私と同年に生まれ、2000年にはもう亡くなってしまったクレーフという作曲家、16歳でパリ音楽院の作曲科を卒業した早熟の天才だったが、24歳のときに俗世界を離れ、宗教や哲学の研究に没頭した。98年に普通の生活に戻って作曲を再開するが、間もなく亡くなってしまったという。今日演奏されたのは、彼が弱冠17歳のときの作品。前衛的な作風ではないが、かなり錯綜したテキストで、演奏至難の曲に聞こえたが、バルダは堂々と弾ききった
圧巻だったのは、ラヴェルの『高雅で感傷的なワルツ』。アルゲリッチの煽情的な名盤があるが、それとは全く印象の違った演奏だった。叩きつけるようなタッチで始まった最初の曲は、内声の対位法的な動きを強調して、非常に新鮮に聞こえた。舞踏曲の得意な人らしく、ワルツ特有のつんのめるような二拍目のつくりかたが巧みだ。これは、参考になるゾ。2曲目もかなりテンポが早く、大胆に音を出して弾いているが、ふと立ち止まったときの響きの美しいこと。3曲目は、文字通りオルゴールのように軽やかさ
だが、ときおり内声の動きが強調されるために、こんなひびきもあったんだな、とびっくりする。4曲目の速いこと、そして、やはり思いがけない線がくっきり浮かびあがってくること。もしかして、隠れたところでとんでもないテクニシャンなのではないかな、と思った。6曲目はすばやいアルペジオがとても難しいのだが、本当に目にもとまらぬ早業で弾いてのける。7曲目は、美しかった。「ラ・ヴァルス」と同じモティーフが出てくる曲、イントロの半音階の動きを思いきりゆっくりとって、ひとつひとつの響きを確かめるように弾く。ある曲はとんでもなく早く弾いてのけるかと思うと、こういう風にゆったりと間をとって弾く、その緩急が自在で、しかも全体のバランスがとれている。やはり、並みのピアニストではない。3拍目の尻尾をはねあげる、その音が光って美しかったこと。中間部の技術的に難しい部分が、どこをどう弾いているのかわからないほど速いのに、きちんと輪郭が浮かび出て、形が少しも崩れなかったのにも驚かされた。8曲目は、音色もタッチも緩急も自在の一語に尽きる。普通は単なるゆったりした曲にしか聞こえない終曲が、これほどさまざまな局面を持つ多彩な音楽として奏出されるのを聴いたのは、初めてだった。
『クープランの墓』も、驚異的な演奏だった。バルダは、非常にスケールの大きなピアニストだが、クラヴサン奏者のように繊細で軽やかなタッチも持っている。「プレリュート」はものすごいスピードで、しかしきわめてクリヤーに弾かれた。「フーガ」も、ポリフォニックな動きがくっきりと浮かびあがり、端正だが少しも冷たくない演奏。「フォルラーヌ」では、やわらかい音からオートマティックな音、光る音からくもった音まで、本当にさまざまな音色がとびかっていた。少し乱れたのは「リゴードン」。ひじを上下させる動きで弾くから、そのテンポにあわせてどんどん進んでいってしまう印象があり、メロディが十分に浮かびあがってこない。しかし、「メニュエット」では、十分に指のレガートをきかせ、非常に美しい旋律を奏でていた。いろんなことのできるピアニストだ。最後の「トッカータ」は、えっ、こんなテンポで弾き出して大丈夫なの? というぐらいすごいテンポだった。ひじの上下動で叩きつけるように弾くが、指先はしっかり鍵盤をとらえていて、ひとつひとつの連打音はクリヤーにはいっている。トッカータの動きは最後まで乱れず、たいていのピアニストが息切れを起こす最後のクライマックスでも、線的な要素を強調しながら弾ききった。パワーとメカニックに加えて、頭脳的なテキストの読みも感じさせる合わせ業の演奏。弾き終わったあと、「大変だったよ−」というように手をブラブラ振ってみせた動作もかわいらしくて、好感をもった。
ステキだったのは、アンコールのショパン。現代曲を弾くときは鋭い音や重厚な音を出し、ラヴェルのときは澄んだ音や輝く音、クールな音を出すのに、ショパンを弾くと、本当にほんわかとのびやかで柔らかい音になる。このパレットの豊富さ! 「マズルカ」のリズムの自在さ、メロディ・メーキングの自然さ、「ワルツ」のフィギュレーションの見事さ、リズムの軽やかさにも感心させられた。六曲目のアンコールは、頬に手を当てて「おやすみなさい」の仕種をしながら、ショパンの「子守歌」。しなやかなゆりかごのリズムにのって、オルゴールのような音色でやさしい、やさしい歌が歌われる。すみずみまで神経の通った繊細な音と表現。本当にオールマイティなピアニストだった。
|