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| 2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽 ロシア語の翻訳家で新大宅賞作家米原万里さんの長編小説『オリガ・モリソヴナの反語法』を読んだ。米原さんをモデルとした少女が、父親の仕事の都合で滞在していたプラハのソビエト学校でオリガ・モリソヴナというダンスの先生に会い、大人になってからその先生の悲劇的な足跡を追うというストーリーで、涙と感動の物語である。 私はその中で、本場で生きたダンスを学んで帰った主人公が、日本のバレエ界の現状を知って失望し、踊りをやめてしまうくだりに心惹かれた。 「プレゼント攻勢でプリンシパルのステータスを確保するのは、日本の少なくない有名舞踊団で半ば公然と行われていることだ。 亜紀バレエ団で、藻刈富代が凡庸な才能とバレエには全く不向きな股関節の持ち主であるにも拘わらずプリンシパルの座を射止めたのは、藻刈の父親が団長の亜紀雅美に都内一等地のリハーサルスタジオをプレゼントした見返りだというのは、すでに日本のバレエ界の常識になっている。団を維持するための必要悪として団員たちも諦めている」 おっとォ、これは過激な発言。藻刈富代を草刈民代、亜紀雅美バレエ団を牧阿左美バレエ団と言い換えてみれば・・・ 「『どの団も慢性的金欠状態にあるのよ。桁違いに多数の視聴者を相手にする映画やテレビがある時代に、コピー不可能な舞台芸術を経営的に成り立たせるのは、そもそも無理があるんだな。それに日本には舞台舞踊に対する需要が伝統的にないでしょ。大多数の舞踊団は、興行ではなく、教えることで成り立ってるんだから、未だに女子供のままごとにすぎないのよ』」 こちらは、「舞踊界」を「クラシック音楽界」に置き換えるだけで、即、我々の世界の問題になってしまう。 物語の最後の方で、主人公はこんな告白をする。 「あたしが踊りを捨てたのはね、日本ではダンサーの社会的地位も収入も低くて苦しかったこともある。舞台舞踊に対する需要が極端に限られているのだから、そんなことはもともと覚悟の上だったけど、実際に飛び込んでみると、本当に苦しかった。 だって、舞踊団に寄付した額と、公演のときにもらえる役の重要度が比例しているんだよ」 基本的に個人プレーのピアノ弾きの世界では、こんなことはない(もしかすると、オペラ界ではあるかもしれないけれど)が、主人公の次の言葉には、我が意を得たり、とばかりにうなづく。 「日本にとってのバレエ自体がそうなのだけど、わたしが踊ろうとしていたキャラクター・ダンスだって、日本人の生活や風習の中から紡ぎ出されて代々受け継がれてきた踊りじゃないのよ。あくまでも借り物で、真似事。圧倒的多数の人々にとって、心の糧じゃないのよ。日本のバレエ界の惨状だって、根っこのところにはそれがある」 うん、日本のクラシック界の惨状だって、根っこのところにはそれがある。 北朝鮮に拉致された方々の報道を読んでいても、──政治的なことへの怒りや無力感とは別に──、人ごととは思えないときがある。24年間も「共和国」で暮らし、日本に帰ってきた方々は、それぞれの社会の違いを肌で感じ、口に言えないような断絶感、喪失感を味わっているだろう。 私も、長く演奏の世界にいて、このごろ文筆の世界に顔を出してみると、同じような断絶感、喪失感を感じる。その核にあるのは、米原さんの小説に出てくる「需要がない」「成り立たない」「借り物」というようなことだ。 たとえば、CD。本の場合は、こちらは書くだけて、販売は出版社がやってくれるが、クラシックの世界では、いわゆるアーチストものといわれるCDを出すときは、演奏家本人が何割か買い取るのが当たり前になっている。基本的にクラシックのCDは売れないからだ。このごろでは、放っておくと2、3百枚などということもあるらしい。 ある音楽雑誌の編集者にきいたら、LP時代は全レコードの10パーセントあったシェアが、CDになって6パーセントに下がり、カラヤンの死とともに3パーセントになり、現在は2から3パーセントの間を行き来しているという。統計学を学んだというその編集者は、そもそも5パーセントを下回ったら、その産業は成立していないも同じだと言っていた。 本を出すと、初版の部数の10パーセントは著者に印税が支払われる。ところが、クラシックのCDの場合、アーチスト印税は2、3パーセントが相場だ。それも、支払われない場合が多い。私は、最初から3枚目までのCDはアーチスト印税をもらっていないし、4枚目は、レコード会社から支払われるはずなのだが、リリースから1年たっても、まだ振り込まれていない。 コンサートも、同じだ。 リサイタルなどというときこえはいいが、 多くは演奏家の自主公演で、 会場も印刷費も広告費も演奏家の自腹で、 マネージメントを代行する音楽事務所にも決められた料金を払う。新聞や雑誌に広告を出しても、プレイガイドで売れるチケットはごくわずかで、 多くは演奏家が一族郎党、親類縁者、学校の同級生やお弟子さんたちに頼み込んで、さばいてもらう。今のピアノ界で、全くチケットを手売りせずにコンサートが開ける人は、ピアニスト人口の1割にも満たないだろうといわれている。これが本なら、全出版の9割が自費出版などということはありえないのだが・・・。 要するに、世界自体が「成立」していないのである。成立していないものに幼いころから一喜一憂し、子供時代と青春をささげ、命をすりへらしてきた私たちって・・・。 勿論、クラシック音楽はすばらしいものだし、演奏を通して偉大な音楽にふれる喜びは、何ものにも変えがたいのではあるけれど。 それでも、「成立」していない世界だけに住んでいれば、それが当たり前だと思って気にもとめなかったろうが、なまじ「成立」している世界に来てしまったものだから、さまざまな局面で、明らかに待遇が違うことを感じる。本を書きさえすれば売ってくれるなんて、何て楽だろう・・・。こちらの世界では普通のことでも、感激してしまって、元の世界に戻りにくくなる。差が倍加して感じられるからだ。でも、いったん元の世界で暮らしてしまった者は、なかなか新しい世界に順応しにくい。 そんなジレンマをいつも感じながら、仕事をしている。 |
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