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青柳いづみこのメルド日記


2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ

 長崎のコンサートで、不思議なピアノを弾いてきた。燭台のついたアップライトのピアノで、横文字で 「ドーリング・ヨコハマ」と書かれている。明治二十年ごろに横浜の西川楽器が、ドイツ人技術者ドーリングの指導のもとにつくった国産のピアノ第一号らしい。
 オーバー・ダンパーという特殊な機構で、いつもペダルを踏んでいるようなほわんほわんというひびきがする。縦型だからボリュームは出ないが、ちょっと大正琴に似た味わい深い音色だ。『エリーゼのために』ではじめ、クープランのクラヴサン曲やショパンのワルツなど軽い曲を弾いたあと、元NHKアナウンサーの下重暁子さんと対談した。
 このピアノを所有していたといわれるのは、知的障害児施設「滝乃川学園」(東京・国立市)の創設者夫人、石井筆(ふで)子。津曲裕次さんの評伝(大空社「シリーズ・福祉に生きる」四十九)がある他はまとまった研究はなく、女性史の中でもまだまだ忘れられた存在だが、実に大変な人物である。

 文久一年、大村藩の上級武士の家に生まれた筆子は、十二歳で上京、官立女学校に学ぶかたわら、ホイットニーの英語塾に通い、娘のクララと親交をむすんだ。明治十二年に前アメリカ大統領のグラント将軍が長崎を訪問した折には、流暢な英語で会見し、将軍をよろこばせている。写真で見る筆子は、意志の強そうな顎ときりっとした眉、澄んだ瞳の知的な美人だ。
 明治十三〜十五年にかけてフランスやオランダ、ベルギーに留学。帰国後は、同郷の名家の子息小鹿島果(おがしま・はたす)と結婚、華族女学校のフランス語講師として、のちに大正天皇のお妃になる九条貞子姫を指導したり、津田梅子とともにデンバーで 開かれた婦人倶楽部万国大会に参加して、見事な英語でスピーチしたり、鹿鳴館はじめ 数々の舞踏会に出席して、『ベルツの日記』でも美貌と才媛ぶりを絶賛されたり、華や かな活動をくりひろげた。
 当時は上流階級の子女しか高等教育を受けられなかったが、恵まれない人々に目を向 ける筆子は、華族女学校に飽き足らず、無月謝で貧しい女子を教育する婦人教育会附属 の女紅学校を設立している。夫が三十五歳の若さで亡くなったあと、聖公会の運営する ミッション・スクール静修女学校の校長に就任、女生徒たちにマナーや社会教育をほど こした。自分と同時期に帰国した津田梅子と親しかった筆子は、学校を閉鎖するときは 、土地と建物を梅子の英学塾に譲渡している。これが津田塾大学の前身。   一環して男女平等と女子教育の必要性を説く筆子は、平塚らいちょうの 「青踏宣言」 の十四年も前に、大日本婦人教育会の会報に次のような論説を発表している。

 「男女の此世にあるは云うまでもなく、同等の権利を具備するものにして、男子のた めに女子あるにあらざるは猶女子のために男子あらざるがごとし、若し女子の男子のた めに存在するとせんか、男子も亦女子のために存在する物たらんのみ(後略)」  筆子には小鹿島果との間に三人の娘がいたが、いずれも虚弱で、一人はすぐ亡くなり 、長女、三女とも重い知的障害を負って生まれてきた。静修女学校時代に講師をつとめ る石井亮一と知り合った筆子は、二人の娘の教育を亮一にゆだね、彼が主宰する「孤女 学園」に支援をつづけていたが、明治三十六年、周囲の反対をおしきって六歳年下の亮 一と再婚、後半生を障害児教育と保母の育成に捧げることになる。
 石井亮一は、明治二十四年の濃尾大地震のときに、 孤児となった五十名ほどの女の子 をひきとり、日本初の女医として知られる荻野吟子の医院を間借りして孤女学園を設立 した人である。生徒の中に一人の知的障害児がいたことから、専門教育の必要を感じて 研究をはじめた亮一は、明治三十年、学園を滝乃川学園と改称、日本で最初の知的障害 児施設としてスタートさせた。
 筆子の生まれ故郷の長崎県大村市では、市制六十年を記念して石井筆子を顕彰する事 業を企画、展覧会や講演会、シンポジウムを開催したが、その一環として、筆子の遺品 のピアノによるコンサートも開かれた。父違いの兄が学園にお世話になっている関係か ら、私が演奏する役目をおおせつかったというわけだ。

 シンポジウムでは、学園の資料室で、三十年にわたって筆子研究に従事してこられた 津曲裕次さん、女性史と福祉の専門家一番ヶ瀬康子さん、作家の井出孫六さん、地元の 研究者田中誠さん、学園の指導員で石井夫妻の資料研究者河尾豊司さん、ドーリング・ ピアノに関する本を書かれた真杉章さんがパネリストとなり、NHKアナウンサーの松 平定知さんの司会で、さまざまな角度から筆子論を戦わせた。
 乙武さんの『五体不満足』の大ヒット以来、障害を持つ子供が生まれても、明るくう けとめるが当たり前、のような風潮になってしまったが、実際に現場で親御さんたちに 接する河尾さんによれば、「ちえおくれの子を授かる母親は、現在でも殆ど百パーセン ト、彼らを『負』の存在ととらえ、この世の政治や社会や教育に、わが子の事で熱心に 挑んでいく人は、少ない」という。私の兄は、母の前夫が事故で亡くなった際にお腹の 中にいて、そのショックで障害をもって生まれてきた。母の苦しみを目のあたりにしてbaいるだけに、これほど福祉がさかんになっても、それでもまだ百パーセントに近いのか 、と思ってしまう。ましてや、障害を持つ子供は放置されたり座敷牢に閉じ込められる ことが多かったといわれる明治時代に、それを「負」と受けとめず、苦しみを自分の中 だけに閉じ込めず、社会に還元させていった筆子の生きざまには、敬服するばかりだ。


MELDE日記・目次
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
2002年3月28日/新人演奏会
2002年3月1日/イタリア旅行

2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち

・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて


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