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| 2002年3月28日/新人演奏会 とっても妙な依頼が舞いこんだ。 某新聞主催の新人演奏会の食事会でスピーチをしてほしい、という。その新人演奏会は、全国の音大の卒業生の中で、各科で一番優秀だった、つまり卒業試験で一番だった学生さんが出演するコンサートだ。声楽、管・弦・打楽器、ピアノ。昭和五年に、東京芸大と国立音大が参加してはじめられて以来、七二回を数えるという。 演奏会は五月の連休中だが、その前に、上野の精養軒に学生さんたち約百名を招待し、激励の食事会を催す。そのとき、二、三人の楽壇人がスピーチするということだった。 それ自体はとてもいい企画だと思うけれど、どうして私なんですか? と私はきいた。だって、私は芸大を出るとき、一番ではなかったので新人演奏会には出演していないし、だいたい、こういうときって、もっと偉い方がスピーチなさるものではないだろうか。 記者の方は、このきびしいご時勢に演奏家として巣立っていく若い人たちに希望を与えるとともに、今後の活動への指針になるようなこと、ポイントのようなところを話してほしい、とおっしゃる。それなら、演奏家になるために苦労した私は適任かもしれない、お引き受けしましょう、ということになった。 おそらく戦前は、音大の数もそんなに多くなかったし、優秀な成績で卒業したとというだけである程度楽壇人として迎えられたことだろう。しかし、今は全く事情が違う。読売新人演奏会に出演しても、新聞に批評が出るわけでもないし、会場にレコード会社のプロデューサーがスカウトに来ているわけでもない。それでも、東京文化会館の大ホールで弾いたという経験は生きるし、自信にもなるだろうが、あくまでも個人レベルの話である。 「先輩として、ご自身の演奏家への道のりを話して下さい」という求めに応じて私は、次のような話をさせていただいた。 芸大の卒業試験では、成績がよくなかったこと。客席にいた仲間は大いにほめてくれたが、審査員の先生の中には、私の演奏をおぼえていらっしゃらない方もいた。聴衆と審査員の聴き方には、差があることを実感した。留学しても相変わらず無印だったが、帰国後開いたデビュー・リサイタルがたまたま大新聞の批評にとりあげられ、幸運なスタートをきった。その批評家の先生に、何故私なんかをとりあげたのかきいたら、プログラミングが面白かった、と言われて、自己主張できる曲目を選ぶことの大切さを知った。しかし、すっかりテングになってしまい、二回目のリサイタルは不評に終わったので、演奏家だけの道をあきらめ、芸大の博士課程にはいりなおして、楽理的な勉強を積んだ。その成果をもとにドビュッシー・シリーズを開いたところ、企画が面白いというので、また大新聞のコンサート評にとりあげられた。 その経験から、よい企画をたてるのが大事であること、自分の言葉で プレス・リリース を書くことによって、新聞や雑誌の記者にも興味をもってもらい、取材される機会が増えることを知った。コンサートのたびにアンケートを入れたら、思いのほか回収率がよく、次第にDMの発送先が増えていった。専門家だけの聴衆に限定していると、どんどん先細りしてしまう。それが今のクラシック界の陥っている事態だ。専門家以外、音楽関係者以外の聴衆を育てなければならない。核心をつく表現、心に届く音を出そうとしていれば、必ず反応は返ってくるものだ。 つまり、自分なりの聴衆の作り方やキャリアーの積み重ね方、メディアへの対処の仕方などを、具体例をまじえてお話したのである。その方が、きれいごとを並べるより、ずっと学生さんたちの役に立つだろうと思ったからだ。 しかし、このスピーチは、全くピントはずれだったようだ。いくら冗談を言っても、学生さんたちは笑って下さらなかった。客席ばかりではない、話し終わった私を待っていたのは、主催者側の冷やかな反応だった。批評にとりあげられたのが別の新聞だったので、当該の新聞社に感謝することができなかったからかもしれない。私が、いろいろ失敗を重ねたことを披露した(そんなことは最初っからわかっていると思うのだが)ために、何だ、大した演奏家じゃないんだ、と哀れまれてしまったのかもしれない。まぁ、このあたりには、少し私の被害妄想がはいっているかもしれないが・・・。 他の来賓の方々の祝辞では、企業が若い優秀な演奏家をもう少し支援しなければならない、とか、指揮者もできるだけ若い演奏家を登用し、協奏曲の経験を多く積ませるようにしなければ、というお話も出ていた。しかし、これだけ沢山の「優秀な」演奏家の卵がいて、実力も伯仲しているのに、どうやって、たった一人か二人を選ぶのだろう? その選び方、選ぶときの「目」が、一番問題なのである。その方法論こそ、緊急に話しあわなければならないのに。 実際問題として、大オーケストラですら企業からの援助が次々と打ち切りになっている昨今、海外の音大を一番で卒業しようが、国際コンクールで優勝しようが、何か別の話題性がない限り、若い演奏家を支援しようなどというスポンサーは、まずあらわれないと思った方がいいくらいなのだ。その日の食事会に集まった卒業生たちは、オペラ団に所属する声楽専攻の方、オーケストラの団員になる弦・管・打楽器の方をのぞいて、おそらく、自分で自分の聴衆をさがし、支援者をさがしていかなければならないだろう。 そんな厳しい状態を目の当たりにして知っているいるのに、あくまでもうわべの形をととのえ、通りいっぺんの祝辞を述べることは、私にはできなかった。また、そういう形のスピーチを望んでいらっしゃるなら、私などに依頼なさらなければよかったのである。 あと味の悪い思いをしてしまったが、百人の卒業生の中で、お一人ぐらいは私の話を参考にして、これからの活動をデザインしていって下さる方がいらっしゃるかもしれない。そう、一人ぐらいはいらっしゃるかもしれないと考えるのが、唯一の救いである。 |
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