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2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて
現在、新直木賞宣永さんの小説『求愛』の文庫本解説を執筆している。
肘の手術をしたプロ野球の抑えのエースが、リハビリのために、やはり指を痛めて活動を休止しているクラシックのピアニストにピアノを習ううち恋がめばえる、という話である。藤田さんはこの小説を書くにあたって、ジャイアンツの桑田投手のリハビリの過程を書いた本(矢島裕彦『こぼれおちた一球、桑田真澄、明日へのダイビング』)を参考にしたとのことだが、ピッチャーの細かい神経の快復にピアノの練習が有効だというのは、はじめてきいた。
作中、美しくエキセントリックなピアニストが主人公と愛を交わしたあと、全裸でラヴェルの『水のたわむれ』を弾くシーンがある。主人公の野球投手は、撥ねる水、眠る水、硬い水、柔らかい水‥‥とさまざまな水の様相を描くこの曲に魅せられ、復帰第一戦のときも、ピアニストが録音したカセットを手に球場に向かう。ところで、ちょうど私も、『水のたわむれ』を含むCD『水の音楽』を収録したところで、秋にはリリースを控えている。文春文庫編集部から解説のお話をいただいたとき、運命の不思議なえにしを感じた。もっとも、私は裸でピアノは弾きませんけどネ。
『求愛』の後半、肘の手術をしたあと、ジョーヴ博士とおぼしき人物に診断を受けるために渡米する主人公の背中に向かって、ピアニストは「メルド!」とよびかける。
「フランス語で『糞ったれ』という意味なのだという。まじないみたいなもので、試験を受けにでかけるような人に向かって、この言葉を吐くと縁起がいいのだそうだ」(『求愛』)
試験やらコンクールやら演奏会やらに追いかけまくられているピアニストの卵は、運を天にまかせるようなところがあり、本番前には、お互いの背中に向かって、この「メルド!」をよびかけあう。フランス語をよく知らない日本の留学生が、文字通りの「グッド・ラック」にあたる「ボンヌ・シャンヌ」というと、いやな顔をされる。こういわれると、反対に失敗してしまうような気がするからだ。
「メルド!」というのは、普通は「こんちくしょう!」とかいう意味で使う、いわゆるアルゴ(卑語)である。ものを落としたとき、ちょっとつまづいたとき、人ごみでおしのけられたとき、私は今でも「メルド!」を口にしてしまい、あわててあたりをみまわす。私が留学したのは、お品の悪い南フランスのマルセイユだったから、音楽院のピアノ科の教授まで、終始この「メルド!」を連発しては生徒の母親たちの顰蹙をかっていた。でも、そんな母親たちだって、陰では思わず「メルド!」とつぶやいてしまい、やはりあわててあたりをみまわしていたものだ。
とんでもなく下品な、でも、思わず出てしまう本音のような、そして、あべこべに幸福を運んできてくれる「メルド!」。クラシックのピアニストのホームページ日記には似つかわしくないと思われるかもしれないが、このくそったれ精神が、実はものを書く私には一番ぴったりくるからである。
これからも、「メルド!」日記をよろしく。
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