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青柳いづみこのメルド日記

 


2006年9月12日/10冊めの著作が出版されます!

 9月25日、私にとって10冊めの本『音楽と文学の対位法』が刊行される。296ページの書き下ろし評論で、版元は『水の音楽』と同じみすず書房。表紙には、京都芸術センターで共演させていただいた伊砂利彦さんの「とだえたセレナーデ」をアレンジした。
  校了は8月29日だった。本当は28日に終わらせるはずだったのだが、編集者と3校をやりとりしたあと、立っていられないほどの疲労に襲われ、私サイドで必要なわずかのなおしすらできず、翌日に持ち越してしまった。
  何だか、大好きな5月の連休も夏休みも全部この本に捧げたような気がする。初校もどしは7月末の予定が、単発の原稿が3本も重なったりして赤字入れが遅れ、高校の同窓会もドタキャン。やっと初校をもどしたと思ったらあとがきの締め切りがくるし。
  お盆も、2校を終えて3校を待つ間にそそくさと里帰りしたものの、出発前に3日ほど徹夜がつづいたこともあり、田舎の家でほとんど一日中寝ていた。そのあと神戸にまわって取材対象のアンリ・バルダの講習会を見学したが、ぼっーとしていたためかさっそくサイフを失くしてしまい、落としたのか盗られたのか、いつもならどことなく心あたりがあるのに、今回はそれすらわからず、気がついたらサイフが煙のように消えていた、としか言いようがない感じだったのである。しばらくは各種カードの再発行手続きに追われた。(9月11日現在、まだ完了していない・・・)
  でも、ずっとこの本を出すのが夢だったからうれしい。
  内容は、かれこれ20年ほどあたためてきた「作曲家=作家コレスポンダンス論」である。モーツァルト、シューマン、ショパン、ワーグナー、ラヴェル、ドビュッシーという6人の作曲家をとりあげ、かかわりが深いと言われている文学者や、全然かかわりがないけれども私という磁場の中でひびきあってしまった作家を投影させて、それぞれの創作身振りの共通点や相違点を検証している。
  なんだかむずかしそう・・・と思われるにかもしれないが、ベースになっているのは、ピアノを弾きつつモノを書きながら私がいつも感じてきたこと、「どうして人は、文学するときと音楽するときでは人格が変わるのか?」という、ごくごく素朴な疑問なのである。
  とりあげる作曲家だけで6人、投影させる作家や詩人の数はもっと多いから、部屋はいつにも増して本や雑誌、各種資料、CDやDVDの山で、文字どおり足の踏み場もなくなった。どうしてこう、さがしているモノに限って見つからないのだろう??

  第1章 モーツァルト−−カメレオンの音楽
  1991年の『ユリイカ・モーツァルト特集号』に書いた「ムージルとモーツァルト」(40枚)と、今年の『文学界』「モーツァルト特集号」に書いた「カメレオンの音楽」(30枚)をドッキングさせて大幅に加筆したものだ。
  大学生のころ、祖父の青柳瑞穂が講談社の世界文学全集でモーパッサン『女の一生』を翻訳したとき、出版社が送ってきた全集を私にまわしてくれた。そこでローベルト・ムージル『少年テルレスのまどい』や『トンカ』を読み、すっかり気に入ってしまった。
  1880年生まれのオーストリアの作家で、トーマス・マンより少し年下。未完の大作『特性のない男』でプルーストと並んで20世紀初頭文学に金字塔を打ちたてたとされているのに、あんまり読者がいない。
  処女作『少年テルレスのまどい』の主人公は、寄宿生だ。おさだまりの同性愛事件と仲間うちのいじめ事件。最初事件にかかわり、いじめられている同性愛者の少年をかばっていたテルレスは、突然ものごとを別の眼から見るようになり、すべてを冷たくつきはなす。客観的に見ると裏切りなのだが、彼には罪悪感はなく、かぎりなく透明で清潔感に満ちている。
  『ドン・ジョヴァンニ』でも『ピアノ協奏曲第20番』でも、弾き手と聴き手をその気にさせておいて、ひょいっとひっくり返す名人のモーツァルト。意識的な裏切りではなく、何も悪意はなく、他意もなく、ただ、価値観がふたつあるんだからしょうがない、とでもいうように。そのところが、私には、ムージルの小説世界そっくりに見えるのだ。

  第2章 ホフマンとシューマンの「クライスレリアーナ」
  1992年の『クラシックの誘惑』に書いた小さな記事を出発点に、2005年の『日文研叢書36』「表現における越境と混淆」「シューマンとホフマンの相似と相違」(40枚)を発展させたもの。
  ずっと昔から、ホフマンは好きなのに、どうしてシューマンはそれほど好きではないのだろうと思ってきた。といっても、『アラベスク』や『謝肉祭』は大好きなのだが、とくにホフマンとかかわりが深いとされる『クライスレリアーナ』や『幻想小曲集』が、どうしてもホフマンよりマトモな音楽、安全地帯に逃げ込んだ音楽に聞こえる。
  旧著の『水の音楽』を書く関係でホフマン自身が作曲したオペラ『ウンディーネ』を聴いたとき、あまりのマトモさんにびっくりした。もちろん、シューマンの音楽よりさらにマトモである。このくいちがい、ずれに、音と言葉の領域のある差異が象徴されているのではないかと思った。ずっと考えてきたことがどれだけ文章にできているかわからないが、とにかく必死だったし、この章にいちばん苦労した。

  第3章 ショパンとハイネ
  この章は今年にはいって2ヶ月ぐらいで書き下ろしたもの。導入には、平野啓一郎『葬送』を引用している。
  旧著『水の音楽』で少しハイネについて調べた。今回もう少し詳しく調べて、ますますハイネが好きになった。ハイネは生誕250年のモーツァルトや、没後200年のシューマンや生誕100年のショスタコーヴィチや没後10年の武満徹と並んで、今年が没後200年にあたるのだ。でも、誰か話題にしているだろうか? どうして私が好きになる作家や詩人は、こうも人気がないのだろう?
  ハイネとショパンは、1831年にパリにやってきた。ハイネはフランスの政治・文化の事情をドイツの新聞に書きおくり、その記事は『ルテーチア』というとても面白い本となってまとめられている。そこには、リストやタールベルクなど、当時の華やかなヴィルトゥオーゾたちの辛辣きわまるコンサート評も載っていて、抱腹絶倒なのだ。
  そして、ショパンがポーランド語で書いた手紙もまた辛辣きわまるタッチで、ものごとを客観的かつシビアに見ていて、なよなよした「ピアノの詩人」のイメージなんてどこかにふっとんでしまうのだ。
  この章のおすすめは、ポーランド学者関口時正先生にわざわざ新訳していただいたショパンの手紙である。従来のショパン像がくつがえること、うけあいだ。

  第4章 ワーグナーと倒錯のエロス
  1991年に『トクマCDブックス』の「ワーグナー」に書いた8枚の原稿と、1999年の『ワーグナーヤールブーフ』「アンチ・ワーグナー特集号」に40枚書いたもの、そして2004年『ワーグナー・フォーラム』に、やはり40枚寄稿したものを合体し、大幅に加筆したもの。
  発端は、さきごろ亡くなったフランス文学者窪田般彌さんにたった一度お会いしたとき窪田さんから受けた「フランス象徴派ってのは、どうしてあんなにみんなワーグナーかぶれだったんでしょうな。まるでイメージが違うように思うんですけどね・・・」というご質問である。おそらく誰でも感じていることなのに、音楽と文学という壁にはばまれて、誰も解析しえなかった問題!
  ワーグナーのおかげで、ボードレールやマラルメという超ド級の詩人が音楽についての評論を残してくれた。それにしても、ボードレールがワーグナーの音楽を聴いたのは1860年のオーケストラ演奏会が最初で、それまでベートーヴェンやウェーバーをほんの少し聴いただけだったこと、61年の『ワーグナーの「タンホイザー」公演』は、観客の暴動でちゃんとした舞台は見ていないこと、しかも、その後再度ワーグナーを聞く機会がなかったことなど、音楽評論家ならありえない。
  よい評論をするためには、たくさん演奏会を聴いたり、舞台に多く接していればいいというものでもない。また、音楽用語を知っていればいいというものでもない。ボードレールの圧倒的な感知能力、感化能力にはひれふすしかないのだが、そのおかげでものすごいワーグナーブームが起きてしまい、苦労した作曲家もたくさんいたのだ。そのあたりを、ドビュッシーをメインに追っている。

  第5章 ラヴェルとレーモン・ルーセル 
  1987年の『音楽芸術』「ラヴェル特集号」の「時計じかけのナイチンゲール」(15枚)を出発点に、2003年、慶応義塾大学の芸文学会での講演をまとめた『芸文研究84』の記事30枚と、2004年に刊行されたルーセル『ロクスソルス』(平凡社ライブラリ・岡谷公二訳)のあとがき解説をドッキングさせ、大幅に加筆したもの。
  ラヴェルはドビュッシーと並んで「印象主義者」というレッテルをつけられている。それは、技法的には多少似たところはあるかもしれない。でも、彼自身の創作身ぶり、作曲するときの姿勢やアプローチ、趣味の傾向などにも注目してほしいものだ! ユイスマンスの『さかしま』やポーの『詩の原理』が大好きだったラヴェルが、スケッチブック片手に戸外で写生にいそしんでいる姿なんて想像できない。
  旧著『水の音楽』でも少しふれたが、ラヴェルとレーモン・ルーセルは同じ時期にパリ音楽院のピアノ科に在籍していた。そして、ルーセルはバラキレフ『イスラメイ』を見事に弾きこなすなど、大変なヴィルトゥオーゾだったのだ。指導教官のルイ・ディエメールは試験に際して、彼の演奏を「まったく正確な機械仕掛け」と評している(ここで笑うのは、ルーセルの作品や彼の創作方法を知っている人だけだろう)。
  ルーセルをラヴェルに投影させることによって、ラヴェルの機械文学的な創作身ぶりがよる明確になるだろう。いっぽう、ラヴェルをルーセルに投影させることによって、ルーセルの特異な創作方法の秘密を解きあかそうとしている。

  第6章 ドビュッシーとランボー
  ショパンとハイネの章と同じく、今年にはいって書き下ろしたもの。 
  1971年秋、ニコレ街14番地でのドビュッシーとランボーのニアミスの可能性については、『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』で少し書いた。ドビュッシーとランボーは、おもてだった接触の痕跡は何ひとつ残されていない。ランボーの没後10年の銅像除幕式に際して、ドビュッシーが『酔どれ船』に音楽をつけるように依頼された手紙を除いては。
  ここでは、二人の創作身振りの違いが語られる。私がドビュッシーで残念に思うのは、彼があまりにのんびりしすぎていたことだ。ランボーはごく若いころから革命的な詩を書きはじめ、世間のことなんか気にせずにどんどんおしすすめ、行きつくところまで行ったところでさっさと放棄してしまった。ドビュッシーも、ごく若いころに革命的な書法を即興演奏で披露しているのだが、聴覚の保守性を考慮して小出しに、小出しにしているうちに時代は流れ、さらに革命的なストラヴィンスキーが出現し、オラトリオ『聖セバスチャンの殉教』は『火の鳥』と、バレエ音楽『遊戯』は『春の祭典』と重なり、圧倒的な音楽力で吹きとばされてしまった。ドビュッシーがようやくピアノのための『12の練習曲』のような真に革命的な作品を書いたときは、もう彼は不死の病に冒されていた。
  ドビュッシーがもう少し長生きしていたら、そして、彼が信じる「前衛的であると同時に前衛的な音楽言語」を確立させていたら、20世紀音楽はあそこまで荒廃しなかったにちがいない。

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 9月10日付けの「出版ダイジェスト」にはこんな紹介文が載っていた。

 ステージからの比較芸術論 《音楽と文学の対位法》

 著者はピアニストであり、文筆家である。ドビュッシーをはじめとするピアノ・コンサートやCDで高い評価をえながら、師安川加寿子や祖父青柳瑞穂の評伝で数々の賞を受けてきた。
  演奏家は作曲家によって『切り換えるのが商売だ』とあとがきで著者は言う。もうひとつ。演奏と文章の切り換えもあって、そのずれが、著者自身には面白いことのようなのだ。だからこそ、『創作身振り』についてずっと考えてきたことが本書のようなかたちにまとまる意味は大きい。
  全6章の組み合わせは、モーツァルトとムージル、シューマンとホフマン、ショパンとハイネ、ワーグナーとボードレール、ラヴェルとレーモン・ルーセル、そしてランボーとドビュッシーと、ひとまず言える。
  コンビの関係には疎密あり、ぜんぜん接点がない2人もいるが、それもまた著者の磁場では響きあってしまうから不思議なものだ。
  『楽譜にも分析用語にもたよらずに、音と言葉が交錯する、その瞬間をいかに言語化するか』を狙った。
  音楽と文学の作品を読み込み、音楽史や文学史にある伝記的事実を引きながら楽しげに語られる。ジャンルを越えたこの評論エッセーは、おもしろくてポエジーにあふれる独特の魅力をそなえている。(9月下旬刊)46判292頁、3150円)

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ネットの新刊紹介には以下のようなコメントが載っているが、きっと上の出版ダイジェストをさらにダイジェストした結果、別々の章がドッキングしてしまったのだろう。

モーツァルトとホフマン、ショパンとドラクロア、ドビュッシーとランボーなどの「相似と相違」 をテンポよく論じる痛快文化エッセイ。

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 8月29日に『音楽と文学の対位法』が校了になってホッとしたのもつかのま、次の日には、平凡社ライブラリで11月刊行予定の『青柳瑞穂の生涯 真贋のあわいに』のゲラがどさっと届いた。一度本になっているからといって、校正をしなくていいというわけではない。単行本にはない文章を入れているし、プロローグとエピローグも入れ替えたりしているから、調整に余計手間がかかる。文庫本あとがきも書かなければならないし。
  9月22日から2週間ほど次の次ぐらいの本の取材でパリに行くので、その前に連載原稿も書きためておかなければならない。2月にフォーレ協会でおこなった講演原稿の仕事もある。『ムジカノーヴァ』連載中のエッセイも単行本の話がきており、そろそろ原稿をまとめなければならない。
  11月18日には、紀尾井ホールで開催される滝乃川学園主催「天使のピアノ・コンサート」に再び出演を依頼されたので、そちらの準備も始めなければ・・・。今度は、ヴァイオリンの名手大谷康子さんとのジョイント・コンサートで、天使のピアノでラモーを弾くほか、モーツァルトやフランクのヴァイオリン・ソナタを弾くことになっているのだ。
  いっぽうで、頭はもう次や次の次や次の次の次の書き下ろし本をめぐっている。やれやれ・・・。


MELDE日記・目次
2009年7月23日/受賞とテレビ出演 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2009年1月8日/パリ近郊のコンサート
2008年10月16日/人生みたいだったドビュッシー・シリーズ
2008年7月27日/天使のピアノのレコーディング
2008年7月23日/5月のメルド!
2008年3月23日/母の死とドビュッシー・シリーズ
2008年1月5日/ドビュッシー・イヤーの幕明け
2007年11月5日/大田黒元雄のピアノ
2007年9月20日/ビーイングの仕事
2007年8月19日/越境するということ
2007年4月9日/吉田秀和さんの文化勲章を祝う会
2007年2月9日/カザフスタンのコンクール ( II ) 『ピアニストは指先で考える』に収録
2007年1月20日/カザフスタンのコンクール ( I ) 同上
2006年9月12日/10冊めの著作が出版されます!
2006年6月20日/美術とのコラボレーション
2006年1月5日/750ユーロの時計
2005年10月25日〜11月2日/セザンヌの足跡を追って──南仏旅行記
2005年9月30日/『ぴあ・ぴあ』ただいま7刷中
2005年8月28日/”気”の出るCD?
・2005年7月6日/ラジオ深夜便
2005年6月23日/ぴあ・ぴあ (*) 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2005年5月30日/第7回別府アルゲリッチ音楽祭 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2005年4月10日/朝日新聞の書評委員
2005年3月27日/ジャス・クラブ初体験
2005年3月20日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 2)
2005年2月26日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 1)
2005年1月5日/吉田秀和さんの留守電
2004年12月20日/音楽は疲労回復に役立つ!
2004年11月22日/有名にならない権利:クートラスとアルカン
2004年10月23日/14年越しのエッセイ集
2004年10月5日/プレイエルとベヒシュタイン
・2004年8月25日/アテネ五輪 アナウンサーと解説者のビミョーな関係
・2004年年7月4日/松田聖子体験
・2004年6月1日/「メロン三姉妹」と美智子さま
・2004年4月16日/アンリ・バルダ追っかけ記  『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
・2004年3月10日/小さな大聴衆
・2004年1月20日/大変なんです!!
・2003年12月12日/テレビに出てみました
2003年9月13日・14日・15日・16日・17日/方向音痴のシチリア旅行 その II
2003年9月10日・11日・12日/方向音痴のシチリア旅行 その I
2003年9月8日/アンリ・バルダの講習会 『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
2003年8月17日/東京湾大花火大会
2003年7月28日/世界水泳2003バルセロナ
・2003年7月11日/新阿佐ヶ谷会・奥多摩編
・2003年5月31日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[III]
・2003年5月28日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[II]
・2003年5月22日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[I]
・2003年5月3日/無駄に明るい五月晴れ
・2003年4月5日/スタンウェイかベーゼンか、それが問題だ。
2003年2月12日/指輪  『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2003年1月13日/肩書き
・2002年12月23日/年の瀬のてんてこまい
2002年12月9日/批評とメモ
・2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル  『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
・2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽
・2002年9月26日/青山のブティック初体験
・2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
・2002年3月28日/新人演奏会
・2002年3月1日/イタリア旅行
・2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち
・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて



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