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青柳いづみこのメルド日記


2002年12月9日/批評とメモ
 今日は、本当にメルド!(自分自身に対して)な話。
 全9回の「ポリーニ・プロジェクト」のレポを書き、集英社の文芸誌「すばる」に送ったところである。1月初旬発売の2月号に掲載される予定。
 そもそもの始まりは、新日フィルのプログラム解説などでいつもお世話になっているフリーのエディターの方から、シリーズ最後のリサイタル、ショパンとドビュッシーの前奏曲集を並べたプログラム解説を依頼されたことだった。

 企画書を見て、ポリーニの音楽史に対する考え方やプログラミングがとても面白いと思った私は、来年予定している演奏家論の一環として、このプロジェクトを取材しようと考え、招聘先の事務所にチケットを依頼した。9回目は解説を書いたので招待してくれるという。他8回はどんな席をとりましょうか、ときかれたが、回数が多いので一席2万円も払っていたら大変と思い、なるべく安い席を、と頼んだ。
 折角行くのだから、単行本にする前に30枚ぐらいのレポートを書いてどこかに掲載したいものだと思った。それも、音楽雑誌ではなく、もう少しつっこんで書ける文芸誌の方がいい。「新潮」の編集長に企画を送ったが、ナシのつぶて。ついで、「文学界」(私はここに短編小説を1本書いていて、現在ゲラの形、そのうち載るでしょう)の音楽好きの編集者にきいてみたら、すでに浅田彰さんの「音楽手帖」でとりあげることが決まっているとのこと。そこで、コクトーの展覧会の記事なども載せている「すばる」の編集長にもちかけたところ、快諾してもらった。これが、10月はじめ。

 普通は、批評やレポートを書くときは雑誌の方から事務所に連絡して招待席を確保するらしいが、私の場合はすでにチケットを買っていたので、そのままになった。そもそも、「すばる」編集部からそういう提案はなかったし、私の方も、あえて催促することはなかった。
 ひとつには、あまり誰にも知られずに、ひっそり聴いてひっそり書きたい、その方が遠慮せずにズバズバものが言えるという気持ちもあったのだ。何しろ、批評だけ書いている音楽評論家や、聴衆の一員であるレポーターと違って、 私の場合は一応ピアニスト。 実力は天と地ほどの違いもあるしがないピアノ弾きが、天下のポリーニに向かって何を偉そう、と非難されかねないからだ。

 私は、あんまり音楽会に行かない。というか、ほとんど行かない。行くとしても、プログラムに解説を書いたときや、新聞の批評を頼まれたとき、同級生や仲間たちのコンサートなどで、プレイガイドでチケットを買うことはまずない。だから知らなかったが、「安い席」というのは、ときに困ることもあるのがわかった。
 第1夜は東京文化会館大ホールで、私の席は5階の左翼。舞台がほぼ90度斜めに見える。この日ポリーニが弾いたバルトーク「協奏曲第1番」はとてもよかったらしいが、私の席からは、オケとピアノがばらばらに聞こえて、あんまり感銘を受けなかった。
 第2〜第4夜までは紀尾井ホールで、1階の前から3番目の左端近く。ここは、ポリーニの手など間近に見えて、面白かった。
 第5夜以降はサントリー・ホールで、もらったのは舞台の裏側のP席。まだオーケストラはいいが、ピアノの場合は蓋が正面に向かって開いているので、ポリーニの音について正確な判断ができない可能性がある。そこで、第7夜のリサイタルの前に事務所に電話して「すばる」に執筆することを明かし、第7、第8夜の分は2階席を用意してもらう約束をとりつけた。

 ところが・・・。当日受付で渡されたチケットは、相変わらずP席だったのである。どうもこの日は、ダブルブッキング騒ぎが起きて受付が右往左往していて、席の配分がうまくいかなかったようなのだ。これはあとでわかったことだが、事務所内の連絡が悪く、私がレポートを書くこと、2階席に変えてもらいたいと申し入れたことが受付の人に伝わっていなかったらしい。つまり、ハナから2階席は用意されていなかったわけだが、ちょうど近くにいたプログラムの編集者に口添えしてもらって、何とか1階席をゲットすることができた。
 書き忘れていたが、私はプロジェクトが始まる前、折角買ったチケットをどこかへやってしまっていたのである。 朝日の書評委員をはじめてからというもの、私の部屋はすさまじいことになっていて、各種郵便物、書籍の山でトロイアの遺跡状態。いざプロジェクトが始まるときに気づいてはたと困ったが、事務所に相談したら、当日受付に来れば座席券を用意しますとのこと。これは、事務所の好意で毎回そうしてもらっていた。

 そこで、受付の方の私に対する印象である。この人は、たしかにプログラムに解説を書いた。しかし、それは第9回だけで、他の公演は自腹のチケットである。そのチケットをなくしたという。普通は入場できないところだが、解説を書いた人だというので特別に座席券を用意した、それだけでも特別扱いしているのに、ただでさえ混乱している受付に開演直前になってやってきて、もっといい席をよこせとねじこんでくる。困った客だ・・・。「すばる」のレポートのことが伝わっていなかったので、そんな感じで受け取られていたようだ。
 それに、ポリーニ・プロジェクトは人気が高く、あちこちから取材の申し込みがあり、一部断ったところもあったらしいから、レポートを書いてもらって有り難いという気持ちが沸かなかったのも仕方のないところだ。
 私の方は、そんなことは知らないから、第8夜のときも当然のように受付に申し出て、今度は二階正面の席をもらった。となりに、その日のプログラムの解説を書いた評論家のSさんが座っていた。

 さて、解説を書いた第9夜のリサイタルである。大いばりで招待状を持って受付に行った私だが、何故か2階席の一番後方を渡された。この日も超満員で、遅く行ったから席が残っていなかったのだろう。もっと早く行くべきだったと悔やんだ。でも、8夜目のSさんも開演ぎりぎりにすべり込んでいたが、席は2階の正面だった。たぶん彼女は新聞のレギュラーの批評家だから、別格なのだろうと思った。
 それでも、いい席だったのでポリーニのベルカントな音を存分に楽しんでいたが、そのあとちょっとした事件が起きた。私には、音を聴くとあとからあとから言葉が浮かんできてしまう困った癖かある。新聞の批評など頼まれたときは、聴きながら浮かんだ言葉をメモにとる。そのときもそうしていたら、休憩のとき、隣の席の若い男性が「お仕事ですか?」と声をかけてきた。「ええ、うるさいでしょう、すみません」「ちょっと気になるんですが、控えていただけませんでしょうか?」私は、「すみません、書かなければならないので」と言って席を立った。ポリーニのリサイタルの切符はとるのが大変で、やっとの思いでゲットした席で隣がせっせとメモをとっていては、たしかに腹が立つだろう、これでは後半はメモをとれないな、と半ばあきらめた。

 休憩後、男性は、「受け付けできいたのですが、マスコミの方ではないということでしたので、やはり控えていただけませんでしょうか」と言ってきた。うーん、あきらめていたことではあるが、「マスコミの方」という言い方にはムカついた。じゃ、音楽雑誌のレポーターならいいのかよ。こちらも、9回全部の予定をあけ、ときには気分が悪くなってもう少しで引き返しそうになったり、ときには新幹線に乗ってかけつけ、最後の最後、よりによって一番手の内が見えるドビュッシーになって・・・という思いもあった。「すばる」に書く・・・と言おうかとも思ったが、音楽雑誌ならともかく、文芸誌なんかに書いてどうするのかと言われるかもしれないし。私の目的はまさにそのこと、クラシックを外の世界に出すことにあるんだが、一般聴衆の方に理解していただけるとも思えず、断念した。

 この話には、後日談がある。プログラムの編集者が事務所に問い合わせたところ、たしかに隣の客のメモの音がうるさいから席を変えてもらえないかと言ってきたお客さんはいたが、受付では、隣が私だということは知らず、勿論調べもせず、満席だからどこにも差し替えられないと言っただけなのだそうだ。従って、「マスコミの方ではないときいた」というのは、その男性のつくり話。すっかり騙された。
 しかし、私のメモの音や書く気配がうるさく、その男性の集中力をさまたげたことは事実なのだ。まだ、その人は面と向かって言ってくれたからよかったが、これまで私の隣に座っていた人は、皆さん一様に迷惑を感じていたはずである。それを知ってしまった以上、これからはメモも控えなければなるまい。そうなると、なかなか批評も書きにくくなる、困ったな。まさか、批評を書くコンサートは両隣を空けてもらうわけにもいかないし、以降、音楽評はCDに限るしかないな、などといろいろ考えさせられる事件ではあった。


MELDE日記・目次
2009年7月23日/受賞とテレビ出演 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2009年1月8日/パリ近郊のコンサート
2008年10月16日/人生みたいだったドビュッシー・シリーズ
2008年7月27日/天使のピアノのレコーディング
2008年7月23日/5月のメルド!
2008年3月23日/母の死とドビュッシー・シリーズ
2008年1月5日/ドビュッシー・イヤーの幕明け
2007年11月5日/大田黒元雄のピアノ
2007年9月20日/ビーイングの仕事
2007年8月19日/越境するということ
2007年4月9日/吉田秀和さんの文化勲章を祝う会
2007年2月9日/カザフスタンのコンクール ( II ) 『ピアニストは指先で考える』に収録
2007年1月20日/カザフスタンのコンクール ( I ) 同上
2006年9月12日/10冊めの著作が出版されます!
2006年6月20日/美術とのコラボレーション
2006年1月5日/750ユーロの時計
2005年10月25日〜11月2日/セザンヌの足跡を追って──南仏旅行記
2005年9月30日/『ぴあ・ぴあ』ただいま7刷中
2005年8月28日/”気”の出るCD?
・2005年7月6日/ラジオ深夜便
2005年6月23日/ぴあ・ぴあ (*) 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2005年5月30日/第7回別府アルゲリッチ音楽祭 『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2005年4月10日/朝日新聞の書評委員
2005年3月27日/ジャス・クラブ初体験
2005年3月20日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 2)
2005年2月26日/パリでメルド! トーキョウでメルド! 1)
2005年1月5日/吉田秀和さんの留守電
2004年12月20日/音楽は疲労回復に役立つ!
2004年11月22日/有名にならない権利:クートラスとアルカン
2004年10月23日/14年越しのエッセイ集
2004年10月5日/プレイエルとベヒシュタイン
・2004年8月25日/アテネ五輪 アナウンサーと解説者のビミョーな関係
・2004年年7月4日/松田聖子体験
・2004年6月1日/「メロン三姉妹」と美智子さま
・2004年4月16日/アンリ・バルダ追っかけ記  『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
・2004年3月10日/小さな大聴衆
・2004年1月20日/大変なんです!!
・2003年12月12日/テレビに出てみました
2003年9月13日・14日・15日・16日・17日/方向音痴のシチリア旅行 その II
2003年9月10日・11日・12日/方向音痴のシチリア旅行 その I
2003年9月8日/アンリ・バルダの講習会 『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
2003年8月17日/東京湾大花火大会
2003年7月28日/世界水泳2003バルセロナ
・2003年7月11日/新阿佐ヶ谷会・奥多摩編
・2003年5月31日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[III]
・2003年5月28日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[II]
・2003年5月22日/アルゲリッチ−沖縄−ラローチャ[I]
・2003年5月3日/無駄に明るい五月晴れ
・2003年4月5日/スタンウェイかベーゼンか、それが問題だ。
2003年2月12日/指輪  『青柳いづみこの MERDE! 日記』で一部削除
2003年1月13日/肩書き
・2002年12月23日/年の瀬のてんてこまい
2002年12月9日/批評とメモ
・2002年11月6日/アンリ・バルダのリサイタル  『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に収録
・2002年10月21日/なかなか根づかないクラシック音楽
・2002年9月26日/青山のブティック初体験
・2002年9月3日/鹿鳴館時代のピアノ
・2002年7月19日/竹島悠紀子さんのこと。
・2002年6月13日/ 生・赤川次郎を見た!
・2002年5月6日/海辺の宿
・2002年3月28日/新人演奏会
・2002年3月1日/イタリア旅行
・2002年2月5日/25人のファム・ファタルたち
・2002年1月8日/新・阿佐ヶ谷会
・2001年11月18日/ステージ衣装
・2001年10月26日/女の水、男の水
・2001年9月18日/新著を手にして
・2001年8月/ホームページ立ち上げに向けて


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