【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第1回 壊れていない骨董品」(音遊人 2012年12月号)

少し前まで、ピアノという楽器は消耗品だった。

ヴァイオリンは古ければ古いほど価値が上がる。学習者はそれまで使っていた楽器にいくらか足してよりよい楽器を買っていくのだが、ピアノは十年もすれば二束三文になり、かえって引き取り値段のほうが高かったりした。

しかし、現在では、百年以上経過したピアノを修復して使うのが常識のようになっている。筆者も、一八八〇年代のピアノで録音したり、演奏会を開いたことがある。古い楽器はメカニック的に少し手こずる点もあるのだが、とにかく音がいい。長い間寝かせたワインのように、なんとも言えない味わいがある。モダン・ピアノでは絶対に出せない表現が可能になるのがヴィンテージ・ピアノの魅力だ。

ピアニストもまた、消耗品だった時代があった。

次から次に若いピアニストがデビューし、功成り名遂げた演奏家は音楽大学で教鞭をとるようになる。リサイタルを開いても、クラスの学生たちがずらりと客席に並び、楽譜を見ながら聴いたりするものだから、萎縮してしまう。だんだん弾かなくなる。ピアノ演奏はスポーツに似たところがある。筋肉や瞬発力は年を重ねるにつれてどうしても衰えてくる。記憶力も悪くなる。

リストは初めて暗譜でリサイタルを開いたピアニストとして知られているが、この大ヴィルトゥオーゾも、実は三十七歳で演奏活動から引退しているのだ。ちょうどスポーツ選手が引退する年齢である。その時期をすぎても演奏活動をつづけたクララ・ヴィークは、四十代の終わりごろから暗譜に不安を感じるようになったという。

しかし現在では、還暦をすぎたピアニストは少しも珍しくない。日本の楽壇を見ても、二〇〇九~一〇年のシーズンに、全国四十七都市でデビュー五十周年記念公演を開催した中村紘子さんはじめ、活発な活動をつづけるのが当たり前のようになっている。

還暦などはまだ序の口だ。九十代でまだ現役を張っている室井摩耶子さん。八十歳を越えて音楽的にも技術的にも、もちろん精神性の面でもさらにすばらしい演奏を展開している井上二葉さん。七十八歳のときにショパンの「二十四の練習曲」と「二十四の前奏曲」という超弩級のプログラムでリサイタルを開いた柳川守さん。

中村さんの世代は、桐朋学園に子供のための音楽教室が設立され、音感教育も含めてシステマティックな教育を受けた最初の世代だ。画一的な教育による弊害も指摘されてきたが、集団で叩き込まれた基礎は決して無駄ではなく、年を経るにつれてその人の演奏を支える強固なべースになっていると思う。

それ以前の世代は、クラシック黎明期にさまざまな師のもとで個別の教育を受け、いざ海外に留学してみるとあまりの格差に愕然として試行錯誤がつづいたが、それだけに意識が高く、長い演奏歴を通じて常に進化していくねばり強さがある。

このコーナーでは、そんなヴィンテージ・ピアニストたちに注目してみよう。

亡き吉田秀和氏がホロヴィッツを「壊れた骨董品」と評したのは有名な話だが、壊れるどころかバリバリの新品の完成度に「骨董品」の味わいを加えた弾き手がたくさんいるのだから。

2012年12月25日 の記事一覧>>

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