【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第39回 ヴァレリー・アファナシエフ」(音遊人 202年夏号)

二〇二一年十一月十六日、銀座の王子ホールでヴァレリー・アファナシエフのリサイタルを聴いた。「TIME」と題する三回シリーズの第一回で、前半はバッハ『平均律クラヴィーア曲集第一巻』から八曲。後半はモーツァルト『幻想曲ハ短調K四七五』と『ピアノ・ソナタハ短調K四五七』。

一九四七年生まれの七十四歳。旧ソ連時代のモスクワ音楽院でヤコブ・ザークとエミール・ギレリスに師事し、六八年のバッハ国際コンクールと七二年のエリザベート王妃国際コンクールで優勝。
『ピアニストのノート』(講談社選書メチエ)によれば、当局から一九七〇年のチャイコフスキー・コンクールにも参加するように要請されたが、「絶対に一位を獲得できないことを知っていた」のでわざと病気になった。音楽院の先輩であるクライネフが最有力候補と言われていたからだ(実際に彼が、イギリスのジョン・リルとともに優勝した)。
ヴァイオリン部門の優勝者ギドン・クレーメルとは同い年でデュオを組んでいる。アファナシエフは七四年、クレーメルは八〇年に西側に亡命した。
バッハ・コンクールの国内選考のときは本当に病気になった。ピアノを弾くことができなかったので楽譜を見つめていたら「音楽が私の中に入り込み、内部にとどまり、私の体の中で息づき始める」のがわかった。選考会では、自分の体の内奥で鳴り響く曲のあらゆるニュアンス、あらゆる展開を逐一たどったという。

王子ホールのバッハもそうだったのだろうか。かなり強い打鍵で、ハ長調のフーガなど主題も対主題もことさらに弾きわけることなく、嬉遊部もフェードアウトすることなく、ミスタッチにも委細かまわず弾きすすんでいくのだが、音が積み重なるにつれて大伽藍がそびえ立つような感覚がある。これはとても不思議な体験だった。
『ピアニストは語る』(講談社現代新書)に詳しい分析がある。
アファナシエフは「バッハは音楽史における移行期のさなかで作曲をした」と認識するうち、演奏にあたって「声部だけでなくハーモニーも配慮すべきだ」と気づいたという。二〇一五年にトッパンホールで『平均律』を抜粋で弾いたときは、「複数の声部が一体となり、ハーモニーとして響くように努めました。そして、各声部が依然として独立した響きを保つことを望みました」とのこと。大伽藍のわけがわかった。

アファナシエフは聴衆に媚びることが嫌いだ。詠嘆調で弾かれることが多い変ホ短調のプレリュードは、ひたすら緻密な音で堂々と弾かれる。フーガも「聴衆に自分たちが聴いているのは大音楽家なのだと思い込ませるために」ピアニッシモで弾いたりしない。むやみに体を動かしたり、しかめっ面をしたりすることもない。
長い指を平らにのばし、ときどきひらひらさせる奏法は、ホロヴィツツと同門のルバックという先生に教えられたものだ。後半に演奏されたモーツァルトは、テンポが遅いにもかかわらず決して無傷ではなかったが、『ソナタハ短調』のフィナーレの誇張されたフェルマータが印象に残る。ベートーヴェンの『熱情ソナタ』について語っているように、「休符がハーモニーをありのままに存続させ、すべてが空間に収まってくる」感覚だろうか。
アンコールはショパン『マズルカ作品六三ー二』。指をそらし、肘を高く上げてふりおろす最初の変ニ音がとてつもなく哀しかった。

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