【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第37回 ネルソン・フレイレ」(音遊人 2021年冬号)

二〇二一年十一月一日、ブラジルのピアニスト、ネルソン・フレイレの計報が伝えられた。一九四四年生まれの七十七歳。第十八回ショパン・コンクールの審査員に招かれながら直前にキャンセルし、健康状態が案じられていた。二〇一八年以来来日していないが、二年前、七十五歳を記念してデッカからリリースされた『アンコール集』というアルバムはとても素敵だった。

フレイレはマルタ・アルゲリッチとの連弾や二台ピアノでよく登場する。『ネルソン・フレイレ〜ポートレート』というドキュメンタリーで二人が楽しそうに連弾している映像もあるが、なぜかいつもアルゲリッチがセコンドを弾いている。

近年のフレイレはシャイなクマさんのような風貌で、演奏もマイペース。あわてずさわがずじつくりとキャリアをはぐくんできたのかと思ったらとんでもなかった。

森岡葉が翻訳している台湾の音楽評論家チャオ・ユアンプーのインタビューによれば、フレイレは大神童だったのだ。三歳のころ、姉たちのピアノを真似て難しい曲を弾き、楽譜も読めるようになった。五歳でリサイタルを開き、即興演奏も披露している。

この神童を育てるために一家は故郷を離れてリオ・デ・ジャネイロに移住する。ここでニセ・オビノという教師と「運命的な出会い」を果たした。オビノは七歳の少年を子供扱いせず、音楽と結びついたあらゆるテクニックを叩き込む。重量感と透明感をあわせ持つ彼のピアニズムはこのときに培われたものだ。十二歳のとき、第一回リオ・デ・ジャネイロ国際コンクールに参加し、大人たちにまじって第九位を得る。

十五歳でウイーンに出て、尊敬するグルダの先生であるブルーノ・ザイドルホーファーに師事。直感と本能に従って演奏したいフレイレにとって相性のよい師ではなかったが、やはり学びにきていたアルゲリッチと出会い、生涯の友となる。

直感と本能と言っても、フレイレの場合は感興にまかせて弾きまくるのでも、楽曲を歪曲するタイプでもない。むしろ反対なのだ。十四歳のときのブラームス『ソナタ第三番』の録音があるが、この壮大なソナタを大伽藍のように構築し、なおかつすぐれた抒情性としなやかなリズムで奏でている。この年齢でこの成熟ぶりは驚異的だ。

神童の問題は、子供から大人に移行する時期にやってくる。過去に神童と呼ばれたピアニストたち、ホフマンにしてもソロモンにしても、十歳でデビューしたのちいったん引退して学びなおしている。しかし、フレイレにその必要はなかった。

二十代のフレイレは、LPの帯では「若き鍵盤の獅子王」として売り出されていた。二十四歳のときルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルと共演したチャイコフスキー『ピアノ協奏曲第一番』とリスト『死の舞踏』は、ヴイルトゥオジテイ全開の演奏。そのいっぽうで彼は、シューマン『謝肉祭』とカップリングしたシューベルト『四つの即興曲』を実に内省的にみ詩的に表現するピアニストでもあった。二十五歳で録音したショパン『ピアノ・ソナタ第三番』もしかり。アルゲリッチのように奔放な魅力をふりまくのではなく、ゆったりテンポをとり、左手と右手の対話を軸に切々と語りかけてくる。この深い精神性が彼を「神童」の罠から救ったといえるかもしれない。

二〇一八年に来日した折に秋山和慶指揮、広島交響楽団と共演したブラームス『ピアノ協奏曲第二番』の映像が残っている。椅子にどつしり座り、背筋をのばし、腕を上下にはずませながら悠然と弾きすすむさまが昔の巨匠のようで、とてもなつかしい気持ちになった。
謹んでご冥福をお祈りします。

2022年1月26日 の記事一覧>>

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