【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第35回 ラドゥ・ルプー」(音遊人 2021年夏号)

ルーマニアのピアニスト、ラドゥ・ルプーは二〇一八〜一九年のシーズンを限りに引退を表明した。一九四五年生まれだからまだ七十五歳。四四年生まれのリュビモフも、マリア・ジョアン・ピレシュも引退を表明しているが、やや早い印象がある。

リュビモフは完壁主義ゆえんで、ピレシュは手の故障などに悩み、ルプーは健康面などの不安から近年はキャンセルがちだった。

二〇一九年六月、バレンボイム指揮ベルリン・フィルとべートーヴエンの四番を共演することになっていたが、やはり健康状態が思わしくなくキャンセル。代役をつとめたのは、なんと引退したピレシュだった。

一九五九年にブカレスト音楽院入学、リパッテイの先生だったフロリカ・ムジチェスクに師事するが、翌年モスクワ音楽院に留学し、スタニスラフ・ネイガウスに師事。

一九六六年、わずか二十歳で第二回ヴァン・クライバーン国際コンクールに優勝している。第一回チャイコフスキー・コンクールに優勝したクライバーンの名を冠したコンクールで、演奏曲目も重量級、優勝後のコンサートの数も格段に多いことで知られるが、ルプーはこの契約を全部断って帰国してしまった。

このときのクライバーンでは、同じ連載で紹介したルドルフ・ブッフビンダーも第五位に入賞している。

モスクワ音楽院で勉強をつづけたルプーは六七年にエネスコ国際コンクール、卒業後の六九年にリーズ国際コンクールで優勝。同年十一月のロンドン・デビューでは、デイリー・テレグラフ紙で「千人に一人のリリシスト」と評された。

旋律を強調するロマンティックなスタイルだが、強者が集う国際コンクールは、もとよりリリシズムだけでは戦えない。若いころのルプーは、豊かな抒情性とともに強靱なテクニックを備えたヴィルトゥオーゾだったが、年齢を重ねるにつれて精神性が前面に出てくるようになる。

一九九一年、シャンドール・ヴェーグの指揮でモーツァルト『ピアノ協奏曲第二十三番』を弾く動画が残っているが、椅子の背にもたれ、肩から腕をまっすぐのばし、首をふりながら纏綿(てんめん)と弾いている。深く沈思黙考するような演奏。しかし、プレトニョフのように暗い感じはしない。

その二年後、ルプーは二十枚以上のアルバムをリリースしていたデッカでの録音をやめ、放送収録も一切おこなわず、記録用動画を禁止し、インタビューも受けなくなる。

そんな中の一九九六年、どのような経緯で世に出たかわからないが、ブラームス『協奏曲第一番』を弾いた動画が残っている。やはり背もたれに身体を預けるが、さすがに演奏が激してくると前傾姿勢になる。重量感たっぷりで息の長い旋律を歌わせるが、感傷的なところはまったくなく、ブラームスのロマンティシズムの中にはいりこんでいく感じだ。テクニックは健在で、有名な難所である二重トリルを苦もなく弾く。

二〇一〇年、九年ぶりに来日したが、京都で一公演終えたところで急病で帰国、二〇一二年に再来日した折のオール・シューベルト・プログラムをオペラシティで聴いた。『十六のドイツ舞曲』『即興曲集作品一四二』『ピアノ・ソナタ第二十一番』。椅子の背もたれにずっと背中を預け、腕を長くのばし、ほぼ全曲を通じてメゾピアノ以上を出さないような内省的な演奏。この世のものとも思えぬ美しさで、今にも鳥になって彼方に飛び去ってしまいそうだった。

二〇一三年に最後の来日をしているが、このときは聴きに行けなかった。まだまだ聴けると思っているうちにかけがえのない機会を逃してしまったことを悔やんでいる。

2021年6月9日 の記事一覧>>

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