【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第33回 アンドレ・ラプラント」(音遊人 2020年冬号)

基本的に七十歳以上のピアニストを集中して聴いてきてつくづく考えるのは、コンクールとのかかわりである。高い趣味をもった貴族や上流階級のサロンに出入りしてデビューのきっかけをつかんだ時代とは違い、現在ではより民主的なコンクールが登竜門となっている。

しかし、ショパンやチャイコフスキーなど大コンクールになればなるほど、優勝者が苦しそうなのだ。理由はいろいろあるだろう。優勝するほどの天才はそれだけ精神的に不安定で、継続的な活動にストレスを感じる。しかも、大コンクールに優勝すれば、各地からオファーが殺到する。若いピアニストは自分自身を見失ってしまうこともある。

今年七十一歳になるカナダのピアニスト、アンドレ・ラプラントは、一九七八年チャイコフスキーの二位である。優勝したプレトニョフが、二〇〇六年にピアニストとしての活動を休止し、二〇一四年に復帰したことはよく知られている。ラプラントのほうは、二〇一八年に四十年ぶりに来日するまで、少なくとも日本ではまったく無名だった。招聘先も大きな勇気が要ったと思うが、愛弟子で二〇一五年にショパン・コンクールで第二位を得たアムランの存在も後押ししたことだろう。

かつての技巧合戦が飽和状態に達したコンクールの場では、解釈合戦の色が濃い。意表をつくルバート、思いがけない内声を響かせる、練習曲ですら極端に遅いテンポ、等々。

しかし、アムランは本当に「普通」だった。奇をてらったことは何もしない。しかも、若者パワーが炸裂した第十七回ショパン・コンクールでは年齢が上。しかし、その温かい抒情、知性と感性のバランス、すぐれた構築性は審査員も聴衆も魅了した。

ラプラントは晩成型のアムランに、「コンクールで勝つ」方法ではなく、「自分自身になる法」を指南した。二〇一八年の来日公演は行けなかったが、ライヴ録音を聴くと、師匠はさらに上の境地、「音楽そのものになる法」を探求しているようだ。

たとえばショパン『幻想曲』のオクターヴの跳躍。それまでは音楽的でも、その場面になると「ザ・オクターヴ」のように聴こえてしまう演奏がいかに多いことか。『ソナタ第二番』の一楽章アジタートや二楽章スケルツォの主部では、ずいぶんヒステリックな演奏を聴いてきたものだ。しかし、ラプラントは、それらが旋律の装飾、分散された和音にすぎないこと、読譜において何が重要なのかをわからせてくれる。

メインとして置かれたリスト『ソナタ』は、録音で聴くかぎりでもベートーヴェンの精神性、ワーグナーのドラマ性を兼ね備えた名演だ。内省的なイントロがすべてを物語っている。きらびやかなパッセージの裏にひっそりと「イゾルデの愛の死」の主題が浮かびあがる。

もちろん、チャイコフスキー・コンクールニ位のラプラントに技巧が欠けているわけではない。YouTubeで見るプロコフィエフ『悪魔的啓示』の第四曲では、柔軟な手首を活かし、文字通り悪魔的な技巧で弾ききっている。しかし、彼にとって技巧は最終目標ではない。

チャイコフスキー・コンクールに入賞した時点では、コロムビアの所属アーティストとなり、ロシア音楽を全面に出したプログラムを求められた。その所属のまま初来日したが、当時探求したいと思っていたモーツァルトやシューベルトを弾く機会を与えられず、「数をこなすより、深く音楽に向き合いたい」と自ら契約終了を申し出たという。

なんという勇気。なんという強い意志だろう。二〇二〇年の来日はコロナ感染症拡大のため残念ながら中止となったが、状況がよくなり次第の来日公演に期待しよう。

2020年12月10日 の記事一覧>>

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