【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第31回 ピーター・ゼルキン」(音遊人 2020年夏号)

二〇一七年八月一日、すみだトリフォニーホールでピーター・ゼルキンの弾くバッハ『ゴルトベルク変奏曲』を聴いた。

前年、オペラシティが主催する「没後二十年武満徹オーケストラ・コンサート」に招かれ、自身が世界初演した『夢の引用』ほかを演奏することになっていたが、体調不良のため直前に辞退、武満作品を多く初演している高橋悠治さんが代演した。

病後はじめての来日となった二〇一七年のリサイタルでは、前半にモーツァルト『アダージョロ短調』『ソナタ第十七番』が演奏された。体調が気づかわれたし、実際にハラハラする場面もあったが、後半の『ゴルトベルク変奏曲』ではそうした不安は払拭された。

ピアノは会場備えつけだが、「七分の一シントニック・コンマミーントーン」という古典調律で、弱音のグラデーションがすばらしい。

その調律の効果だろうか、すり鉢型のホールの底で、さまざまなネオンがかすかにまたたき、光そのもので時空を構成しているかのような印象を受けた。技巧的な変奏では、細かい光の粒がさらさらと流れる。対位法のテクスチュアが、線ではなく、光の点の連なりで表現される。その光は、ときにオレンジ色だったり緑色だったり、輝き方も強かったり控えめだったり、同時進行する各声部でそれぞれの点がさまざまに濃淡と色彩を変化させ、その変化が結果的にバッハのテクスチュアを見事に、立体的に奏出していた。

ピーター・ゼルキンは、名ピアニスト、ルドルフ・ゼルキンを父に、名ヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュを祖父に持つサラブレッド。一九五九年、十二歳でマールボロ音楽祭に出演し、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団との共演でカーネギー・デビュー、十九歳でグラミー賞最優秀新人賞を受賞。

しかし、「強制されてスタンダード・ナンバーを弾く」ことに嫌気がさし、二十代にはいったこういったんピアノをやめ、インドやチベット、ネパール、タイ、イラン、モロッコなどを放浪していたという。一九七一年、滞在先のメキシコで偶然バッハの音楽を耳にし、「やはり自分は音楽をすべきだということが明らかになった」として活動再開。

といっても、その間もまったく活動していなかったわけではなく、一九六九年七月二十四日、二十二歳の誕生日には、カナダのストラトフォード音楽祭でメシアン『アーメンの幻影』を高橋悠治さんと共演している。翌年にはRCAでレコーディングもおこなった。

LPのジャケットで三浦淳史さんは「初来日した際には、頭を下げるとロング・ヘアが垂れて顔が見えなくなった」と書いている。このときの演奏はテレビで観たが、長い前髪が鍵盤に垂れそうなほど身をかがめて、瞑想風に、止まりそうにゆっくりのテンポで弾いていたのをおぼえている。

スタンダード・ナンバーへの嫌悪は、二〇一五年来日時のプログラムにもよくあらわれている。モーツァルト、ベートーヴェンの前にアメリカの現代作曲家ウォリネン、ついでスウェーリンク、ブル、ダウランド、バードによる十六〜十七世紀の鍵盤音楽を置き、ドイツ近代のマックス・レーガーでつないで、バッハ『イタリア協奏曲』でしめくくるという凝りに凝ったプログラムだ。

二〇一九年にもストラヴインスキー、C・P・E・バッハ、ドビュッシーと弾きついで最後がバッハ『リュート組曲』という斬新な曲目での公演が予定されていたが、病状が悪化してキャンセル。二〇二〇年二月一日にすい臓がんで亡くなった。享年七十二歳。

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