【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第30回 ダニエル・バレンボイム」(音遊人 2020年春号)

二〇一九年十一月一日、パリのフィルハーモニー・ホールでバレンボイムの弾くベートーヴェンのソナタを聴いた。

二〇二〇年の生誕二百五十年に向けて連続演奏会の第六夜。「運命の動機」を使った第五番で開始し、同じく「運命の動機」が出てくる『熱情』で終える心憎いプログラム。あいだに中期のソナタ作品22と、作品49−1、2の簡易なソナタを配している。

ベートーヴェンのソナタの連続演奏会というと、真っ先にケンプやバックハウスを思い浮かべる。謹厳実直なバックハウスと、ミスタッチは多いがより人間味のあるケンプのどちらを好むか、学生時代にはよく議論したものだ。

バレンボイムの連続演奏も学生時代に聴いた記憶がある。南米の出身だからだろうか、前者二名にくらべるとぐっと明るく、芳醇なベートーヴェンだった。演奏する姿を見て、ずいぶん椅子から飛び上がって弾く人だなあと思った記憶がある。身体が小さく腕も短いので、ベートーヴェンの力感を出すために全身を総動員する必要があったのだろう。当時は若手ピアニストという扱いで、指揮者のイメージはなかった。それから幾星霜。現在のバレンボイムはつくづく指揮者のピアノだなあと思う。

たとえば第五番の第一楽章。第一主題の提示が終わったあと、第二主題への推移部分は、オーケストラなら管楽器セクションの役目だろうが、バレンボイムが弾くと、本当にフルートやオーボエの音が聴こえてくるのだ。自分で自分にキューを出しているような感覚だろうか。第三楽章の展開部で「運命の動機」を積み重ねる部分など、一瞬「運命交響曲」の第一楽章のコーダ前が聴こえてきたような錯覚を起こさせた。

もともとベートーヴェンの初期のソナタは交響曲の習作の意味あいがあるので、その進化形を予言しているともいえる。

起承転結のつけ方もうまい。第五番の第二楽章はカンティレーナが繰り返されるたびにさまざまに装飾されるが、バレンボイムはそのつどテンポを変え、表情も細かく変化させ、あたかもその場で即興しているような印象を与える。感激した聴衆がブラボーをつぶやいたところ、バレンボイムもそれに応えて立ち上がり、軽く会釈していた。

作品49−2の第二楽章も、最後に向けて盛り上げ、休符を効果的に使って間をとり、極上ピアニシモで締めくくったので、客席から思わずため息が漏れた。

と、ここまでは変幻自在の演奏が続いたが、最後におかれた「熱情ソナタ」は打ってかわって不動のアプローチ。遅めのテンポでひとつひとつの音を丁寧に弾いていく。水を張った容器をこぼさずに歩むような緊張感が漂う。それでもときおり指さばきに乱れが生じ、前の席に陣取った音楽院のピアノ科とおぼしき若者たちが不安そうに身体をゆする。

一九四二年十一月生まれのバレンボイムは、もうすぐ七十七歳になる。指揮活動に忙殺される身で、指にまかせて弾きまくるわけにもいかないのだろう。

休む間もなく旋回する終楽章も同様に制御されたアプローチで弾きすすんだが、コーダ前で突然エンジン全開、ここで指揮棒を振りあげる姿が目に浮かんだ。三倍ぐらいのテンポで委細かまわず弾ききり、最後の和音が炸裂したとたん、客席は総立ちになった。

おもむろに立ち上がったバレンボイムは、ステージを歩きながらオーケストラを讃えるように聴衆を護え、ぐるりと回って後ろの客席にも挨拶し、二階席には手を振る。

翌日、バレンボイムは同じ会場でブラームスを指揮することになっている。

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