【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第24回 マリア・ジョアオ・ピリス」(音遊人 2018年秋号)

ポルトガルのピアニスト、ピリスは1944年生まれで、この連載のテーマには少し若いのだが、引退を発表したのでサントリーホールで開かれたリサイタルに駆けつけた。

小柄で細身、手もさほど大きくはない。モーツァルトやシューベルト弾きの印象が強いが、何かの折にショパン「バラード第1番」を聴いたとき、意外にも音楽のスケールが大きく、さまざまな感情のもつれを表現するピアニストだと思った。彼女の身体的条件と音楽上の要求の面で、ときに相いれないものがあったのかもしれない。

私がピアノの修行をしていたころは、新即物主義といって、作曲家に語らせ、演奏の個人的な感情はさしはさまないというアプローチが主流だった。自分を無にしてもなおにじみ出てくるのが個性という考え方である。

現在はリストの弟子など、19世紀ヴィルトゥオーゾたちの音源もさかんに出ていて、若手を中心に自由で即興的なスタイルが流行しているが、久しぶりにピリスを聴いて、純粋にテキストと向き合うことの大切さを思った。

プログラムを見たときはやや軽めの印象があった。前半はモーツァルト『ピアノ・ソナタ第12番 K332』と『第13番 K333』。後半はシューベルト『四つの即興曲作品142』。しかし、実際にはまったくそんなことはなかった。逆に、ずしりと重く、壮大な建築物に接した印象が残った。

ピアノはヤマハCFX。来日後に試した中でもっとも気に入り、ツアーで使いつづけてきた楽器だという。繊細なニュアンス、透明感のあるタッチ。テクスチャを克明につむぎ上げることができたのも、この楽器あってのことだったと思う。譜面は見ないのに譜面台を入れたまま演奏された。音の響きが減衰するから嫌うピアニストも多いが、ピリスはパワーのある楽器なのでこのぐらいがちょうどよいと思ったらしい。実際に、ピアノを響かせることが難しいサントリーの大ホールでも豊に鳴っていた。

前半のモーツァルトは、優しくピュアな音で、悠揚迫らざるテンポで奏で出される。引退リサイタルという過度の思い入れも気負いもなく、とりわけ『ソナタ K333』の終楽章ロンドは、サロンでの親密な語らいに参加しているような心地よさがあったが、その演奏が聴き手にぐさっとはいってきたのは、後半のシューベルトからだった。

左手と右手の対話が印象深い第1曲ヘ短調、いつくしみに満ちた第2曲変イ長調。ことさらに内声を強調したり、極端に強弱や速度の変化をつけたりはしない。ごく自然に道なりに歩んでいるように聴こえるのだが、その演奏はテキストのありようを反映させてどんなに哀しく、香り高く、また作品そのものだったことか。

ロザムンデのテーマにもとづく第3曲は変ロ長調の変奏曲、第3変奏あたりから涙が止まらなくなった。これはたぶん客席全体に共通する感情ではなかったかと思う。悲劇的な右手をいたわるように弾かれる左手がたまらなかった。感情をぶつける演奏はよく聴くが、それよりもはるかに胸に迫ってくる。第4曲ヘ短調は、中間部でしばしば流れを遮断するフェルマータと、その後の曲想の変化がドラマティック。さまざまな局面を克明に描きわける音楽力ははかりしれない。

アンコールはシューベルトの遺作『三つのピアノ曲』第2番。会場はごく自然に総立ちになり、小柄で偉大なピアニストを讃えた。

2018年8月27日 の記事一覧>>

より

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