【連載】ドビュッシー最後の1年【最終回】(ふらんす 2018年3月号)

終焉

1917年11月1日、つまり死の5か月前、ドビュッシーはまだ作曲の意欲を捨てていなかった。1913年にピアノスコアを完成させた子供のためのバレエ音楽『おもちゃ箱』は第一次世界大戦のためにオーケストレーションが中断されたままだったが、出版者のデュランへの手紙で「完成しつつあります」と書いている。しかし結局は彼の死後にアンドレ・カプレが完成し、上演している。

同じ手紙の中でダヌンツィオにもとづく神秘劇『聖セバスチャンの殉教』のオペラ化にもとりくんでいると書く。この作品は付帯音楽として依頼され、4時間以上かかる聖史劇の中で音楽はわずか55分ほどしかなかった。

「あれら3995プラス何行かの台詞の中に、何とわずかの材料しかないことか、言葉、言葉……」

オペラが完成されていたらどんなに良かっただろう!現在、『聖セバスチャンの殉教』はテキストをともなわないオーケストラ組曲の形で演奏されることが多い。それだけでも充分に魅力的だ。ハーモニーは変幻自在で、妖しい光彩を放ち、かなり大胆な進行をともなうけれど、決して耳に不快感を残さない。もし彼がこの方向でさらに語法を発展させていたら、20世紀音楽もここまで不毛なものにならなかったのではないだろうか。

その後ドビュッシーがデュランに手紙を書くことはもうなかった。

1918年3月23日、病床のドビュッシーを見舞ったデュランは、後の回想で次のように書いている。

「彼の余命がいくばくもないことは分かっていた。苦しみのしわ寄せが彼のとても表情豊かな顔に読み取れた」

デュランと差し向かいで話をしたドビュッシーは、前夜の爆弾投下の恐怖について語ったという。もう体力がなく、地下室に逃げることができなかった。家族も彼を見捨てて逃げることはせず、かたわらにとどまった。

デュランは、こういうときの見舞い客がよくやるように、ドビュッシーを元気づけ、すぐに良くなると思い込ませようとしたが、病人を騙すことはできなかった。

「彼は礼を言い、次いで、すでに彼方の世界に向いている鋭い眼差しで私をじっと見つめ、すべては終わり、自分はそのことを知っていて、もはや時間の、それも今やひじょうに短い時間の問題なのだと言った……」

ドビュッシーが世を去ったときの模様は、自分も1年と3か月後にこの世を去ることを運命づけられた愛娘シュシュが詳細に描写している。後輩作曲家のロジェ・デュカスに「君のパパに口づけし特集:没後100年ドビュッシーの世紀なさい」と言われたシュシュは、すぐに最後なのだと悟った。

「私が部屋に入ると、パパは眠っていて、規則正しく、でもとても短く息をしていたわ。パパはそうやって夜の10時まで眠りつづけ、あの時間になって、そっと、天使のように、永遠の眠りについたの」

出棺の日、シュシュは棺桶の中の父親に再会した。「パパは幸せそうな、ああ、とても幸せそうな様子をしていて、その時には涙を抑える勇気がなくて、ほとんど倒れそうになり、パパに口づけできなかった」

それからこの14歳の少女が書く言葉は涙なくしては読めない。

《Papaestmort.Cestroismots,jenecomprendspasoujecomprendstropbien.》(パパが死んだ。このことばがわからない。というより、わかりすぎる)

ドビュッシーの不幸は、このシュシュと、真の理解者だったアンドレ・カプレが彼の業績をまとめるに足るだけの充分な時間を生きなかったことだ。1907年9月3日、《管弦楽のための映像》の第3曲〈春のロンド〉を作曲中のドビュッシーは、デュランに宛ててこんなことを書いた。

「私は次第に、音楽というものは、その本質からして、伝統的で厳格な形式の中で繰り広げられるようなものではないと確信するに至っています。それは、律動づけられた時間と色彩とでできているのです!」

《Elle[LaMusique]estdecouleursetdetempsrythmes.》(それ[音楽]は律動っけられた時間と色彩からなる)

これこそがドビュッシー音楽の本質だろうと思う。そこに記憶の問題がからんでくる。

「作曲の秘密など、誰に知れましょう」と彼は、《聖セバスチャンの殉教》の初演に際して書いた。

「海のざわめき、地平線の曲線、木の葉のあいだを吹きわたる風、小鳥の鋭い啼き声、そういうものがわれわれの心にひしめきあう印象を与えます。すると突然こちらの都合などには少しも頓着なしに、そういう記憶の一つがわれわれのそとに拡がり、音楽言語となって表出するのですよ」

たぶんプルーストと同じような予感をもって創作した作曲家の作品は、長く「印象主義」のレッテルのもとで制限されて伝わり、彼がめざした「いうにいわれぬもの」の音楽化への冒険を正しく理解するさまたげとなった。没後100年、ドビュッシーの音楽は、なお扉を開かれるのを待っている。

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