【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第20回 室井摩耶子」(音遊人 2017年秋号)

室井摩耶子は、一九一二年生まれ。ゲザ・アンダやジョルジュ・シフラと同年で、伝説の名ピアニスト、ベネデッティーーミケランジェリの一歳下、我が師安川加壽子の一歳上だから、間違いなく現役最高齢ピアニストだろう。

その室井が七十四歳からつづけているというトーク・コンサート・シリーズ「音楽を聴きたいって何なの?」の第二十六回「ハイドンは面白い1」(二〇一六年十二月十日、東京文化会館小ホール)を聴いた。

題材はハイドンの『ピアノ・ソナタ第六十番(Hob・50)』と『同第六十二番(Hob・52)』。演奏前に室井がマイクを持ち、曲の聴きどころを解説する。声にはハリがあり、論旨も明快で、九十五歳という年齢を感じさせない。

多声音楽といえばバッハを思い浮かべるが、実は声部同士が会話をしているようなハイドンのほうがすっと魅力的だという。たとえば……と言いながら長い間楽譜を探している。やっと見つかった例は、六十番の第二楽章。上声部に問いかけるようなパッセージが出てきて、中声部がそれに応え、さらにバスが受けて……と示す音が艶やか。

ハイドンは半音の使い方も巧みで、とりわけ場面転換で効果的に使っているとのことで、同じソナタの第一楽章の展開部を例に妙なる音色で示してみぜる。次の例は『ソナタ第三十八番(Hob・23)の二楽章。同じ音型でも、次につづく場合と曲を終える場合では弾きかたが異なると、こちらも例を示す。これはまあ、どの作曲家でも同じだと思うが。

音楽は情動の芸術だから人間の感情を表現しなければ意味がないと思うのだが、どうして心の襞が脳に伝わって指先に指令を出し、鍵盤からハンマーに伝えられるのか、そのプロセスがわからないと言う。理論的には分析できなくても、室井は無意識にその作業をおこなっているのだろう。

ゲーテがハイドンの『弦楽四重奏曲』を聴きながら、まるで四人の対話のようだと語ったエピソードを紹介しながら、自分はピアニストなので一人で試みる、音符を使っての対話を楽しんでくださいと締めくくって演奏にはいる。音楽の神さまは嫉妬深く、言葉を使ってしゃべっていると怒るので、少し間をおいてから弾きます……とコメントしたのが可愛らしかった。『ソナタ第六十番』では、トークでも語っていた休符のおもしろさを再確認した。第一楽章の第一主題は素材そのもののような「ドソミ」の間に八分休符がはいっていて弾きにくいのだが、室井はそのひとつひとつにふさわしい呼吸を心得ており、音楽の時間空間が立体的にたちのぼる。主題の締めくくりには八分休符の上にフェルマータがついていて、音楽の流れをいったん停止するように指示されている。室井が弾くと、音楽がうねり、いったん鎮まり、再起動するさまが、活き活きと表現される。

『同六十二番』の第一楽章でも、小鳥が喘くような第二主題のリズムが絶妙。左手の移動で混乱を起こすなどやや傷も見られたが、美しい音色と堅固な構成で気持ちよく聴いた。

アンコールは、トークにも出てきた『ソナタ第三十八番』の第二楽章アダージョ(譜面台に積んだ楽譜の中からあれこれ探すのだが、なかなか発見できない)。ゆったりした左手の三連音符に乗って、右手の二つの旋律のやりとりが美しい。「こうなんだよ」「そうなの?」「ほら、こういうふうに」「あら、本当だ!」という会話がきこえてくるようだ。その時代にしては大胆な転調、和声の宙ぶらりん感が見事に表現されている。締めくくりの「ファ」は、本当に消え入るようにしみじみと鳴らされた。

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