【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第13回 アンリ・バルダ」(音遊人 2015年冬号)

一九四一年、アルゲリッチと同年生まれのフランス人ピアニスト、アンリ・バルダのことは拙書『神秘のピアニスト』(白水社)の中で書いた。

エジプトのカイロに生まれ、レシェティツキ門下のティエガーマンという先生に師事した。ティエガーマンはユダヤ系ポーランド人で、かのホロヴィッツとも並び称されるヴィルトゥオーゾとしてヨーロッパ各地で活躍していたが、ナチスの台頭を恐れ、保養のために訪れたカイロに留まって音楽院を創設した。

バルダが十六歳のとき、スエズ運河封鎖が起きる。ナセル大統領のアラブ民族主義政策のため、カイロに居づらくなったバルダ一家は、新天地を求めてパリに移住する。

バルダは、私の恩師安川加壽子の師匠でもあるラザール・レヴィに師事。パリ音楽院を卒業後、ニューヨークのジュリアード音楽院に留学してさらに研鐙を積んだ。同期に、ショパン・コンクールを制したギャーリック・オールソンがいる。

初来日は一九八〇年、N響とショパンの二番を弾いているが、私が初めて聴いたのは二〇〇二年、トッパンホールでのリサイタル。ラヴェル『クープランの墓』も良かったが、同じラヴェルの『高雅で感傷的なワルツ』やアンコールで弾かれたショパンのワルツのただならぬリズム感に魅せられ、彼が弾く舞踊曲に注目するようになった。

きけばバルダは、バレエ・ピアニストとしての豊富なキャリアを持っているという。

一九八九年には、『ウエスト・サイド物語』で知られるジェローム・ロビンスのオーディションを受け、ロビンスがショパンの音楽に振り付けた『イン・ザ・ナイト』『ザ・コンサート』など一連のナンバーのピァノを弾いていた。

単なる稽古ピアニストではなく、ステージの上で演奏し、ときには演技もする重要な役割である。

二〇一五年八月、パリのオペラ一座バレエ団がバルダをピアニストに迎えて上海公演をおこない、ロビンスのナンバーから『イン・ザ・ナイト』を上演したので観に行った。

作品27−1、55−1、55−2、9−2の四曲のノクターンに合わせて三組の男女がそれぞれの愛の形を踊る。

ロビンスの振り付けは、音楽を深いところまで理解していることがよくわかる。ショパンが音と音の間にこめた情感を見事にすくいあげ、手や足の、ときに微細な、ときに大胆な動きに託す。

ダンサーたちはその日の調子によって微妙に動作を変化させるため、バルダは始終ステージを見ながら鍵盤に指を走らせ、ちょっとした緩急にまで神経をゆきとどかせながら音を紡いでいく。内在するドラマを反映させて刻々と変化する音色、しなやかなリズム、レース細工を見るようなフィギュレーションは夢のように美しかった。

九月二十七日には、横浜市上大岡のひまわりの郷でバルダのリサイタルが開かれ、ブラームス晩年の小品、ラヴェル『夜のガスパ−ル』のあと、ショパンのワルツやマズルカがメドレーで演奏された。とりわけ、作品63−2と63ー3のマズルカは、咽び泣くようなメロディとためらいがちなリズムが胸を打った。

アンコールでは、作品55の二曲、つまり『イン・ザ・ナイト』のノクターンが演奏され、一瞬、ステージにダンサーたちの幻影を見る思いがした。

2015年12月11日 の記事一覧>>

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