【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第8回 高橋悠治」(音遊人 2014年9月号)

高橋悠治さんをヴィンテージ・ピアニストの枠におしこめるのは、いささか抵抗がある。一九三八年生まれだから、もう七十六歳! でも、永遠の青年のようで、風貌もたたずまいもまったく老いていない。

二月二十七日、浜離宮朝日ホールでのリサイタルを聴いた。

前半の曲目は、ミケランジェリがよく弾いたイタリア十八世紀ガルッピのソナタ、その曲が書かれた年に生まれたモーツァルト『ロンド イ短調』、ギリシャの現代作曲家ハジダキスの組曲『小さい白い貝殻に』、サティ『ゴシック舞曲』。

高橋さんはスタートが作曲家だから、いわゆるピアノの修業を積んでいない。積んでいないが、ひとりでに弾けてしまう羨ましい手の持ち主でもある。ピアノをけいこする子どもたちが経験させられるコンクールやオーディションも受けていない(だろう)。だから、先生に「ここはこう弾きなさい」とか、「こう弾かないと合格しませんよ」などと言われることもなかった(にちがいない)。

たとえば、ガルッピ。この時代の音楽は、イネガリテといって、十六分音符や八分音符が並んでいる音型をリズムどおり均等に弾いてはいけない。わざと不均等に、大事な音は長めに、通りすぎてよい音はさっさと弾く演奏習慣がある。しかるに、現代のピアノの先生は「全部の音を均等に」弾く訓練を受けてきているから、もし高橋少年がこの曲をレッスンに持っていったら、「指がころんでいますよ。リズム練習を積 んでタッチがそろうようにしましょう!」とか言われるにちがいない。

モーツァルトも同じ。ちょっと酔っぱらっているような不思議なリズムで、でも語りかけてくるように演奏されるロンドは本当にステキだった。ステキなだけではなく、ところどころで、短調のモーツァルト特有の禍々しい匂いも漂ってくる。

ハジダキスの『小さい白い貝殻に』は全五曲が前奏曲と舞曲に分かれていて、後半はギリシャの民俗舞踊が使われている。第三曲「マンディナーダ(クレタの恋唄)、バッロス」の後半は、飛んだり跳ねたりの振動で譜面台のコピー譜がキーボードの上に舞い降りてきてしまい、でも高橋さんはあわてずさわがずに弾きつづけたので拍手が起きた。

サティの『ゴシック舞曲』は、一番長くて一番おもしろくなかった。ユトリロの母で画家のシュザンヌ・ヴァラドンは、サティが唯一かかわりを持った女性で、彼女への恋の苦しみから生まれた曲だという。和音の連なりを十通りに組み換え、区切りごとに添えられたテクストを読みながら弾いていくのだが、音楽はくり返しばかりでだんだん眠くなる。

しかし、つづく『グノシェンヌ第七番』は意表をつく音同士のぶつかりが刺激的なので覚醒してしまった。

コンサートの白眉は、後半の最後に演奏されたバッハ『パルティータ第六番』。ピアノ教師をしていると、試験やコンクールで学生が弾くのばかり聴かされるが、同じ曲かと思うほどチャーミングでスリリングだった。「イネガリテ」のおもしろさ、フレージングの美しさ、律動のしなやかさ、ときおりさしはさむ装飾のあでやかさ、何より自在にかけめぐる高橋さんの指先に魅せられた。

アンコールはモンポウ。くり返しのたびに熱くなりながら、最後は高橋さんらしくさりげなく、すっと終わる。ジャワのワヤン・クリ(影絵芝居)のように夜明けまででも聴いていたいようなステージだった。

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