【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第7回 高野耀子」(音遊人 2014年6月号)

二〇一三年十一月、古民家を移築した鎌倉のコンサート・サロンで、高野耀子(こうのようこ)さんの演奏生活六十周年を祝うリサイタルを聴いた。

一九三一年、エコール・ド・パリの画家、高野三三男(みさお)を父にモンパルナスで生まれた高野さんは、パリ音楽院とデトモルト音楽院を卒業後、一九五四年には日本人として初めてヴィオッティ国際コンクールで優勝し、六〇年のミュンヘンでも四位に入賞している国際的ピアニストの先がけである。六五年から四年間、アルトゥーロ・ベネデッティー=ミケランジェリの数少ない内弟子として指導を受けたことでも知られる。

演奏前に簡単なコメントがあった。「演奏生活六十年といっても、ピアノを弾きはじめてからは七十八年ぐらいたっているが、まだ飽きない。というより、まだ自分の演奏に完全には満足できない」という。

シューマン『パピヨン』は、高野さんが十四歳のときに弾き、初めて「自分から練習したいと思った」作品。ワルツのリズムに乗ってオクターヴの連続が出てくるが、「奥手だったので、オクターヴを弾くのもそのときが初めてだった」らしい。

舞踏会の華やかさと、シューマンらしい陰りが見事に奏出される。リズムのはすみがチャーミングだ。

メンデルスゾーン『厳格なる変奏曲』を弾いたのは戦後すぐで五線紙がなく、自分で書いたものに写譜してもらったという。パリ音楽院の入試もヴィオッティで優勝したときも、六十年前のデビューの折にも弾いた大事な曲だ。技巧的な変奏曲がつづくが、どんなに音符が増えても息の長い音楽がしっかりと貫かれている。

手元に一九六八年、今から約四十五年前の演奏家名鑑がある。このとき三十代後半の高野さんは、「意識して演奏をつくっている感じがほとんどなく、指先から舞いおりた妖精たちが鍵盤の上をたわむれていればひとりでに音楽が鳴り出す仕組があるみたいである。演奏が自発的で気品があるのだ」と評されている。

現在の高野さんの演奏も、妖精が鍵盤の上を舞っているようであることに変わりはない。しかし、その指先から紡ぎだされる音は、おそらく四十五年前よりはるかに意志的に曲の造形に切り込み、複雑な対位法を浮かび上がらせ、律動を立体的に操作し、旋律を奥深く歌わせる。しなやかさや優雅さはそのままに、より骨太に内省的になった印象がある。

後半のドビュッシーはまさに独壇場だった。『アラベスク第一番』はオルゴールのように、同第二番はバレエのワンシーンのようにイメージ豊かに弾かれた。装飾音の軽やかなこと、ふとした間合いのおしゃれなこと。

『ベルガマスク組曲』は悠揚迫らざるテンポで、仮面舞踏会の情景をまざまざと描き出す。ほんの少しのテンポのゆらぎから、十八世紀ロココの憂愁、雅びと表裏一体の危うさが色濃く滲み出てくる。

最後のコメントがおもしろかった。『喜びの島』は、直感的に地中海で酒の神バッカスに仕える巫女が踊り狂う曲かと思っていたら、文献にはフランス北部のイギリス領ジャージー島で作曲されたと書かれていた。

でも、そう急には切り換えられないので、今夜は地中海のままです、と言って弾きはじめた『喜びの島』はめくるめく官能と陶酔で客席を心地よく包み込んだ。作品のヒントになったワットー『シテール島への船出』はエーゲ海の愛の島が舞台だから、地中海でまったく正解なのだ。

高野さんの指先からベル・エポックのパリの香りが弾けとぶような、幸せな時間だった。

2014年5月27日 の記事一覧>>

より

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