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イヴォンヌ・ルフェビュールと審美眼

3月15日に開催された安川加壽子記念会コンサート「フレンチ・ピアニズムの系譜」は、昼の部が満員札止め、夜の部も盛況のうちに終了した。

1921年、生後14ヶ月でパリに渡り、1937年に第2次世界対戦の勃発で帰国を余儀なくされた安川先生の先輩や同年代、少し年下のフランスのピアニストたちの演奏映像を集めて紹介する催しである。東京オペラシティリサイタルホールにプロジェクターと大型スクリーンを設置し、私が解説しながら動画を放映した。

アルド・チッコリーニの弾くサティ『ジムノペディ第1番』、ロベール・カサドシュのフォーレ『主題と変奏』、ヴラド・ペルルミュテールのラヴェル「トッカータ」、マグダ・タリアフェロの弾くドビュッシー「金色の魚」「花火」などは問題ない。どれもフランス音楽で、それぞれのピアニストのお得意の作品だからだ。

一番物議をかもしたのは、コルトーの弟子でサンソン・フランソワの先生のイヴォンヌ・ルフェビュールが弾くベートーヴェン『ソナタ第31番』だった。音に対する感覚が鋭敏で、緊密な集中力でぐいぐい引っ張っていくが、音がからんと明るく、タッチも軽く、いわゆる日本人が思い描く「ベートーヴェンらしい」演奏ではない。これを美しいと感じるか、オーセンティックではないからと否定するか。

予想通り、「凛々しく、明確なタッチ」を称賛する聞き手もいたが、「あんなのはベートーヴェンではない」という感想もきかれた。

ルフェビュールのベートーヴェンはフランスでは定評があるが、そもそもフランス人の弾くベートーヴェンは日本では認知されていない。そして、エッセイ等でも書いているように作曲家の中ではダントツにベートーヴェンが好きな私が、デビュー当時はベートーウェンを弾いていたものの、2回ぐらいで引っ込めてしまったのも、「だからフランス帰りのベートーヴェンは・・・」などという感想が多く、ベートーヴェンを弾いても好評を得られないことがはっきりわかったからだ。

自分ではもう弾かないベートーヴェンだが、自分の好きなベートーヴェン演奏はある。そのひとつを不特定多数の方に聴いていただいて感想を伺うのは、とてもおもしろい試みだった。審美眼のテストといったところだろうか。

そしてもうひとつ興味深いことには、日本で一定の評価をいただいている私のドビュッシーは、留学時代、ルフェビュールの講習会で弾いて、他ならぬルフェビュールに否定されたものなのだ。

毎年7月に、ドビュッシーの生地サン=ジェルマン・アン・レイで開かれていたルフェビュールの講習会。別の講習会からの流れで参加した私は、ドビュッシーの『映像第2集』をレッスンで弾いた。するとルフェビュールは、あなたのドビュッシーはどこからどこまでまったくドビュッシーらしくない、とコキおろされたのだ。彼女の解釈では、ドビュッシーの和音というのはひとつひとつの構成音が別々の楽器で弾いているように色わけされなければならないが、私の和音かはあまりに響きが溶け合いすぎているというのだ。

そこでおもしろいことが起きた。講習会には、前の講習会の受講者たちが聴講生として参加していた。その聴講生たちは、ドイツ留学組だったためにフランス語がわからず、従って、ルフェビュールが私のドビュッシーを否定していることもわからなかった。

レッスンが終わったあと、私のまわりには人垣ができた。今のドビュッシー、すごく良かった! あれを売り物にするといいよ、などと口々に言ってくれる。

苦笑しながらも私は、嬉しかった。そして、言われたとおり、日本でのデビューリサイタルにドビュッシーの『映像第2集』を組み込むことにした。結果としてはこれが大成功で、ある大新聞の批評に「日本人ピアニストではそうそうお目にかかれない美しい和音の響き」と褒めていただいた。フランス人の先生には否定された「溶け合った和音」が称賛されるという、なんだかねじれた話だが、結果的にその批評が私の「売り物」のひとつの指針になったといえよう。

Youtubeの発達で、自分が演奏する曲の動画を見る学生さんやピアニストが増えている。レッスンでどうしてそんなふうに解釈するのかときくと、動画で誰それさんがそう弾いていたからという答えが返ってくることもある。

しかし私は、演奏するというのは、あくまでもテキストを通して作曲家の声を聴き、それを自分の感性や思考に共振させることだと思っている。演奏ひとりひとりには別の背景があり、別の身体性がある。だから、同じ作品でも別の響き方をするはずだ。

ある程度自分のアプローチを決めたあとで参考のために見るのはよいが、最初から他人の演奏をコピーするのは如何なものか。もちろん、演奏はパフォーマンスの一種だから、身体性も大事なファクターだとは思うが、演奏身振りを越えて聞こえてくる”音”に耳をすませるための妨げにはならないだろうか。

いっぽうで、私もYoutubeを漁ることはある。動画つきの講演会で適当な画像を探すためである。著作権の問題があるので、オフィシャルな場では市販のDVDを求めるが、自分でこれはと思った映像をピックアップし、簡単な見どころ解説をつけてご紹介するのはとても嬉しいことだ。

審美眼の発露とでも言おうか。玉石混淆の動画サイトにあって、少しは鑑賞の手びきのお手伝いにもなるのではないだろうか。

安川記念コンサートは終了してしまったが、4月には町田、京都、名古屋のNHK文化センターで同様の催しが予定されている。教室にはピアノも置かれているので、それぞれのピアニストたちの技法の特徴なども少しご説明できるだろう。

私が愛するフレンチ・ピアニストたちの懐かしい映像を見にきてください!

■町田教室
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_929321.html

■京都教室
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_818631.html

■名古屋教室
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_858111.html

投稿日:2014年3月21日

2014年前半の予定

メルド日記愛読者のみなさん、明けましておめでとうございます。
2014年も半月をすぎてしまったが、今年前半の予定をお知らせしよう。

ちょうど、1月25日刊行の中公文庫『我が偏愛のピアニスト』の見本が届いたところである。海老彰子さん、岡田博美さん、小川典子さん、小山実稚恵さん、花房晴美さん、柳川守さんなど日本人ピアニスト9人にインタビューしたものをまとめ、最後に同級生の練木繁夫さんとの対談を加えたもの。宇野亜喜良さんの装丁がおしゃれで、作家の三木卓さんの解説は感動的! 単行本よりぐっとお値段が下がったので、未読の方はぜひこの機会に手にとっていただけたら幸いである。

1月20日にはパリに発ち、25日にはナンテールの斉藤まゆみさんのサロンで、31日にはマルセイユのバルビゼ未亡人のサロンでジョヴァニネッティとのデュオ・リサイタルを開く。曲目はモーツァルトのソナタ2曲。私のソロでドビュッシーの前奏曲集第1巻から8曲、CDアルバム『ミンストレル』に入れたオーリッジ=ドビュッシーの『セレナーデ』とドビュッシーのピアノ曲から編曲された『レントより遅く』『ミンストレル』。そして『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』である。

恩師バルビゼの未亡人は目が少し不自由になったもののすこぶるお元気で、冬のシーズンにはバルビゼ門下やマルセイユ音楽院出身の錚々たるアーティストたちが彼女のサロンで演奏するためにやってくる。バルビゼが弾いていたピアノがまだ保存されており、演奏するのが楽しみなような、ちょっと怖いような。ジョヴァニネッティもマルセイユ音楽院出身なので、未亡人やその友人たちの前で久しぶりに演奏できるのを心待ちにしている。 そのあとは、バルビゼと初めて会ったニースに立ち寄り、コートダジュール近辺を散策してセンチメンタル・ジャーニーを楽しむつもり。

3月15日(土)には、安川加壽子記念会の第11回コンサートとして、「フレンチ・ピアニズムの系譜」の企画・トーク&ナビゲーターをつとめる。昼の部は14時開演、夜の部は18時3分開演で、それぞれ安川記念コンクールの入賞者が演奏したあと、安川先生と同年代や先輩・後輩のピアニストたちの貴重な映像を紹介しながら、私が解説をつとめる。

89歳の現在でもすばらしい演奏をきかせてくれるアルド・チッコリーニはお得意のサティ『ジムノペディ第1番』、フランスのエスプリの代表格ロベール・カサドシュはフォーレの『主題と変奏』を解説しながら弾いている。日本人門下生も多いヴラド・ペルルミュテールは作曲者直伝のラヴェル『トッカータ』。サンソン・フランソワの先生のイヴォンヌ・ルフェビュールは18番だったベートーヴェン『ソナタ第31番』、ブラジル出身のマグダ・タリアフェロはドビュッシー『金色の魚』と『花火』。

ルフェビュールやタリアフェロの先生のアルフレッド・コルトーは『子供の領分』で人形芝居つきのかわいらしい映像のピアニストをつとめている。ルフェビュールとコルトーに師事したサンソン・フランソワはラヴェル『左手のための協奏曲』。最後に恩師安川加壽子先生の演奏で、ラヴェル『水の戯れ』とショパン『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』。その前に、先生と奏法ピアニズムが驚くほど似ているマルタ・アルゲリッチの『水の戯れ』もご紹介する。
昼・夜とも同じプログラムなので、お出かけになりやすい時間帯で、古きよき時代のフレンチ・ピアニズムの粋をお楽しみいただければ幸いである。
http://www.shin-en.jp/schedule20140315/img/flier.pdf
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3月22日(土)には、紀尾井町サロンホールでJMLセミナーのフランス音楽専門講座20周年記念コンサート「音の美食家たち」も予定されている。ドビュッシーのピアノ曲のよりよい解釈を求めて開講したのが20年前。テーマをフランス音楽全般に拡げたのが10年前。午前・午後10名ずつのグループ・レッスンで、現役のピアニスト、音大生、ピアノ教師、作曲や楽理科出身者、趣味の方などさまざまだが、フランス音楽と美しい響きを愛する点ではかわりない。私も『小組曲』の連弾で参加する。

5月25日には、これまで文芸誌『すばる』や『文学界』、美術誌『芸術新潮』などに発表してきた音楽祭やコンサートのレポートをまとめた本が、中央公論新社から刊行される。とりあげた音楽祭は『別府アルゲリッチ音楽祭』や『サイトキネン・フェスティヴァル』『女性作曲家音楽祭』とアルカン・生誕200年記念連続コンサート。『ラ・フォルジュルネ音楽祭』では、聴衆として聞き歩いたレポートと、出演者としてのレポートの二種類がある。とりあげた演奏家は内田光子、ポリーニ、バレンボイム、そしてフジ子・ヘミング。フジ子を真正面から論じたものは、少なくとも紙の本ではあまり見かけない。また、サイトウキネンでは、ジャズ・ピアニスト大西順子さんのジャズ勉強会を取材している。ジャズ音痴の私としては猛勉強の一週間だった。

6月4日(水)には、ショパン協会主催の音楽祭で「ショパンとベルカントのオペラ」の企画&トーク・ナビゲーターをつとめる。ショパンのノクターンなどに見られる華麗なフィギュレーションとロッシーニ、ベリーニなどのアリアの即興的変奏とのかかわりを、ソプラノの森朱美さん、ピアノの江崎昌子さんのご協力を得て探る画期的な試みである。

前々から企画していたが、演奏至難で知られるベルカントのアリアを歌ってくださる方が見つからず、のびのびになっていたものだ。私たちピアノ弾きは、楽譜に音符として記されていると「そのとおり忠実に」弾かなければならないと勘違いしてしまいがちだが、ベルカントの歌手は今でも、基本的な音符に即興で華麗な装飾をつけて歌うのが常識とか。森さんには、ショパンのピアノ曲のもとになったロッシーニやベリーニのアリアの他にも、有名な『ノクターン作品9-2』をベルカント風に即興して歌っていただくことになっている。ちょうどこの日は私の誕生日! 念願の企画を果たして大いに盛り上がりたいところだ。

いつもはもう少し長々と書くのだが、パリ行きの荷物がまだできていないのでこのあたりで。

投稿日:2014年1月18日

ガラガラから満員まで

9月のツアーが終ったあとは、新刊『神秘のピアニスト アンリ・バルダ』(白水社)と新譜『ミンストレル』(キングインターナショナル)、そして10月にエイベックスからリリースされたコンピレーション・アルバム『眠れない夜に聴く、ミステリー・クラシック』のプロモーション・イベントに追われた。

最初は10月6日、タワー・レコード渋谷店でバルダ本のインストア・イベントである。昔は渋谷にタワレコとHMVの2店があり、新譜を出すたびに両方を1時間間隔ぐらいでかけもちしていたっけ、となつかしくなる。インストアの方式はどこの店もだいたい同じで、CD売り場の奥にピアノとパイプ椅子を用意し、アーティストがアルバムのメイン曲などを演奏しながらおしゃべりする。30分ほどで切り上げ、あとはサイン会である。入場料などはないため、ただでライヴを楽しみ、そのまま何も買わずに帰ってしまうお客さまが圧倒的に多い。はじめのころは、あらかじめ生徒にお金を渡し、その場で購入してもらうように頼んでいた。サイン会に列ができていると、他のお客さまも誘われて少しは並んでくださる。そんなものである。ひとつのサイン会が終ると、生徒の一行ともども次の会場に向かう。時間が押しているときは、渋谷の街をダダーッと走る。そんなことを思い出した。

予約制ではないため、当日お客さまが来てくださるかどうか、蓋をあけてみるまでわからない。『水の音楽』という書籍とCDを同時発売したときは、キング・レコードのディレクターさんがカーテンをあけて店内を見たとたん、「オウ、満席です」とつぶやいた。これは業界特有の隠語で、真逆。なんと、ピアノの前にセットされたパイプ椅子には、一人も坐っていなかった・・・。そのとき、『水の音楽』に出てくる音楽作品や美術作品、水の妖精にまつわるエピソードを空っぽのパイプ椅子に向かって説明する私に、キングのスタッフは何と熱心にうなずいてくれたことか。

かと思うと、銀座のヤマハ店で『浮遊するワルツ』というCDアルバムのイベントをおこなったときは、1階のフロアーだけではなく、ピアノ売り場がある2階のバルコニーまでお客さまが鈴なりで、オペラ座でしゃべっているような快感を味わったものだ。

今回、渋谷のタワレコのイベントはどうだったかというと・・・残念ながらガラガラの口だった。正確に言うと、お客さまは3人。出版社からは担当の編集者と営業部長、海外文学の編集者の3人、それに、フランス音楽の講座の受講生1人。計7名の前で、『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』に関連する音源を紹介しながら解説していった。

一番最初にかけたのは、私がバルダの追っかけをするきっかけになった2002年トッパンホールでアンコールに弾いたショパン『ワルツ第8番』。本当はDVDなのだが、タワレコでは動画が映せないというので、音だけ流してもらった。このとき、バルダのワルツのただならぬ浮遊感に魅せられ、是非とも追いかけたいと思った気持ちが蘇ってくる。 次は、私が知らない1980年代にラジオ・フランスで放送されたラフマニノフ『ピアノ協奏曲第1番』。第2番や第3番はポピュラーだが、第1番は珍しい。このときのバルダは絶好調で、オクターヴやアルペッジョに思いのたけをぶつけ、ときに火山の噴火のように熱く激しく、ときに切なくロマンティックに歌い上げる。ラフマニノフ特有の映画音楽すれすれの甘さが胸を打つ。

観客は熱狂してアンコールを求め、そのアンコールがまた凄絶で悲鳴に近い歓声がきこえてくる。以前からこんなに聴き手を沸かせるピアニストだったのになぜかスターダムに乗ることなく70歳になってしまったバルダの本を書いても、そのイベントには3人しかお客さまがいらしてくださらない。これが現実なのだと思いつつ、だからこそこの3人を大切にしなければ、と余計熱がはいった。
バルダは1941年、エジプトのカイロ生まれである。戦前のヨーロッパの古きよき伝統を受け継いだティエガーマンという師匠に16歳まで師事した。そのティエガーマンの足跡を追った『失われたカイロの伝説』というアルバムから、ティエガーマンが作曲した『メディテーション』をバルダが弾いている録音をかける。流麗で聴きやすい曲だ。ついで、やはり私が知らないころのバルダがLPレコードに収録したラヴェル『ヴァイオリン・ソナタ』の第2楽章をかけた。バルダの魅力は、なんといってもクラシック離れしたリズム感。「ブルース」という副題そのままに、ノリノリでスウィングしている。

最後は、大評判になった2008年紀尾井ライヴから、批評でほめられたショパン『バラード』ではなく、ブラームスの『カプリッチョ』を選んだ。サーカスのジンタのような哀愁を帯びた弾きぶりがたまらないのである。こんなふうに、私好みのバルダの音源ばかり流していると、なんだか独占しているような気持ちになってくる。

本の紹介が終ったあとはサイン会・・・のはずなのだが、お店で本を購入した方に限られるということで、すでに本を持っていらっしゃるお客さまばかり(だからこそ興味をもって来てくださったのだろう)だから、サイン会はナシ。音源を操作してくださったタワレコのスタッフの方が、「本当にいいピアニストですねー」とお世辞ではなく感嘆してくださったのがせめてもの救いだった。

渋谷のイタリアン・バルで出版社の方々と乾杯したあと、20時からは、個人レッスンを終えたバルダと池袋で会食することになっていた。ビールを飲みながら、こんな音源をかけてこんな話をしたんですよ・・・と話すとバルダは、自分の本をテーマにしたイベントなのだから、自分も参加したかった,どうして声をかけてくれなかったのか、と怒りだしてしまった。しかし、ただでさえひがみ症のバルダがたった3人の聴衆を見たらどんなにひがんでしまうか・・・。やっぱり呼ばなくて正解。

10月20日はお茶の水の「エスパース・ビブリオ」でトークショー。こちらもバルダ本がテーマだ。あいにく大雨の日で、千葉ではバスが運行休止になったとか、キャンセルされたお客さまもいたらしい。だからかどうか、客席はややまばら。でも、バルダ追っかけ隊の川野洋子さんや元呑千香子さん、「サンデー毎日」に書評を書いてくださった古本ライターの岡崎武志さんが来てくださって嬉しかった。

ここは書店なのに映像が映せるということで、いろいろ用意して行った。ところが、最初に流そうと思った2002年のアンコール曲、ショパン『ワルツ第8番』がどうしても出てこないのである。VHSからダビングしたものなので、はじいてしまうらしい。ヤマハではトラックを選べたので音だけでも流せたのだが、ここの機材ではなぜかトラックが出てこない。いろいろ試したあげくあきらめ、DVDの最初にはいっていたラヴェル『高雅で感傷的なワルツ』を映していただいた。トークショーの最後では、ちょうど10年後の2012年、バルダが浜離宮朝日ホールで弾いた同じ曲の画像を紹介した。リサイタルの最初の曲だったのだが、NHKで録画していたこともあって、演奏に満足できなかったバルダはもう一度全曲弾いたのだ! このときのことが本のマクラになった。

お茶の水のトークショーはたっぷり時間があったので、バルダと親友の作曲家オリヴィエ・グレフが連弾している『ラヴェルの墓』も一部聴いていただいた。ラヴェル本人よりさらにジャジーで凶暴な作品である。

「エスパース・ビブリオ」で一番受けたのは、ハルダがパリのオペラ座でジェローム・ロビンスのバレエ・ピアニストをつとめていたころの練習風景だった。ショパンのノクターンに振り付けた名作『イン・ザ・ナイト』を踊る往年の名エトワール、モニック・ルディエールとマニュエル・ルグリにロビンスがレッスンをつけている。ピアノはもちろんバルダ。音と音の間をつなぐ筋肉のなめらかな動き、エレガントで洗練された仕種がショパンの音楽にぴったりだ。ダンサーの回転から着地まで、音楽と舞踊が完全に一体化している。ロビンスが深いところでショパンを理解していることがよくわかる作品だ。

10月27日はNHK文化センター青山教室で『眠れない夜に聴く、ミステリー・クラシック』のイベントである。私はミステリーが好きで、『ショパンに飽きたら、ミステリー』『6本指のゴルトベルク』という、クラシック音楽に取材したミステリーのエッセイ集を出し、『6本指』では講談社エッセイ賞をいただいている。エイベックスの若いディレクターさんから、何かテーマに沿ったコンピレーション・アルバムの監修を・・・と依頼されたので、「ミステリー」を提案したらすんなりと通ってしまった。

コナン・ドイルからクリスティ、赤川次郎まで、古今東西のミステリーからクラシック音楽や音楽家が登場するものを選んでライナーノーツを書き、中で語られている名曲の音源で組んだアルバムである。権利の関係から、選曲がエイベックスとナクソス音源に限られているので、本の内容にふさわしい演奏を選ぶのはなかなかむずかしかった。ナクソス・ヒストリカルには、ホロヴィッツやラフマニノフ、リヒテル、ギレリスなどの名演はたくさん収録されているのだが、雑音が多くて収録がむずかしいらしい。一点だけ、作品でコルトーの演奏と限定されている音源は使ったけれど、どうしてもぴったりはまる演奏が見つからないケースでは、自分の音源もこっそりしのばせている。
さて、NHK文化センター青山教室。パンフレットに書かれているのはショパン『雨だれの前奏曲』や『革命のエチュード』など有名曲ばかりなのだが、集客ははかばかくなかった。講座開始直前でも最小開催人数に満たないという。でも、せっかく準備したのだからと開催していただくことにした。

トマス・ハリス『ハンニバル』では、レクター博士が弾くバッハ『ゴルトベルク変奏曲』、中山七里『さよなら、ドビュッシー』では主人公の少女が弾くドビュッシー『月の光』を、高橋克彦『悪魔のトリル』では、小説のタイトルにもなったタルティーニの名曲を、島田荘司『双頭の悪魔』では、記憶喪失の主人公と暮らす謎の少女が好きなドビュッシーの『アラベスク第1番』、赤川次郎『昼と夜の殺意』では、主人公の姉が弾くショパン『革命のエチュード』、コナン・ドイル『マザリンの宝石』では『ホフマンの舟歌』・・・・という感じで、ミステリーを説明しながら音源をかけていく。お教室にはピアノもあったので、「月の光」と「アラベスク」は私が弾いた。数こそ少なかったがコアなファンが多く、熱心にメモをとりながらきいてくださる。サイン会では、当該アルバムはもとより、私が持ち込んだ文庫本やCDも完売になってしまった。

皆さん、口々に声をかけてくださる。なかでも、一人のお客さまの話には感激した。入院しているときに付き添ってくださった看護士さんが私の本のファンで、何冊も貸してもらったとか。でも、看護士さん一番のおすすめは『無邪気と悪魔は紙一重』という悪女論だという。大丈夫だろうか?

10月31日は、渋谷の丸善ジュンク堂でフランス文学者の野崎歓さんとのトークバトルである。大学時代はドラムを叩いていたという野崎さん、何年か前にクラシックに目覚め、今ではオーケストラの定期演奏会にも出かけるという。奥様のフランス文学者、青木真紀子さんは幼いころからピアノを習い、ピアノのコンサートにもよく出かける。NHK-BSでバルダの演奏を聴いてファンになられたというから、嬉しくなってしまった。

会場は書店に隣接したカフェ・スペースで、我々が座るテーブルの横から左右に椅子が並べてある。さすが野崎さんが出演されるだけあって、ほぼ満席。知り合いの海外文学関係の編集者の顔もちらほら見える。客席が横に長いので、テーブルの左に座った私が野崎さんを見ると左側のお客さまにそっぽを向く形になり、野崎さんも私のほうを向くと自分の側のお客さまから顔をそむけることになる。お互いにお客さまを見て話そうとすると対談相手から顔をそらすことになるという、何とも奇妙な配置だった。

客席にはあらかじめ、ピアノ雑誌『ショパン』に寄稿したバルダの協奏曲演奏会の記事のコピーを置いておいた。9月30日、都響の定期に招かれてベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』を弾いたバルダだが、開演に先立っておこなわれるゲネプロ(総練習)のあとで急に「このピアノでは弾けない」と言い出し、格納庫に置かれていたもう一台のピアノを所望した。気の毒なのは調律師さんで、せっかく2時間かけて調律したのに別のピアノを再び調律しなければならない。開演ぎりぎりになって、ようやくステージにピアノが運び込まれた。こんなお騒がせバルダのエピソードから対談を始め、ピアニスト特有の気むずかしさやこだわりのようなものをお話しさせていただいた。

当初、対談は2時間で、間にトイレ休憩をはさむときいていたので、1時間ほどたったところでタイミングを捜していたら、スタッフのほうからマキがはいった。えっ? もうおしまいなの? 何でも、トークは1時間でそのあとサイン会の心づもりだったらしい。デパート内の書店なので、お店の終了時間には完全に撤収している必要があるとのこと。だったら最初からそう言ってくださればよいのに、2時間のつもりでのんびり話していたから、野崎さんは質問したいことの半分もきいていないと悔しそうだった。

野崎さんも最近フランス文学と恋愛に関する本を出されたばかりなので、は二人並んでサイン会をおこなった。お客さまの数は・・・野崎さんのほうが多かったかな。書店内のイベントで花形仏文学者なのたから、これは仕方ない。レコード店では本も売ることができるが、流通の関係で書店にはCDが置けない(不公平だ・・・)ので、最新アルバムを紹介することもできず残念だった。

バルダ本最後のイベントは11月9日、銀座ヤマハ店である。改装なってからは初めてだったが、1階のスペースは以前と大きな変化はない。ホコ天前に大きく開いたガラス窓の前に円い仮設ステージがあり、小型のグランドピアノが置かれている。この仮設ステージがピアノを弾くとぐらぐら揺れてこわいのだが、今回は演奏しないので問題ない。

ヤマハでは映像も音源も流せるが、タワレコやお茶の水の書店と違ってスタッフが操作できないため、白水社の担当編集者がおこなうという。混乱すると困るので、映像だけにしぼることにした。お客さまは、ワルツのときのように2階まで鈴なりというわけには行かなかったが、椅子に坐っている方の他、後ろに立っている方もいらしたりして、けっこう埋まっていた感がある。

このときは、タワレコでもお茶の水でも絵が出なかった2002年のショパン『ワルツ第8番』をやっと映すことができてよかった。1980年代の神戸でのリサイタル、若き日のバルダが弾くショパン『即興曲第1番』では、95歳でカザルス・ホールでリサイタルを開いて話題になったホルショフスキとの比較でお話する。バルダのカイロでの先生はホルショフスキの兄弟弟子で、同じ時期にレシェティツキやフリードマンに習ったのだ。古きよき時代の香り!

さらに、お茶の水では映さなかったほうのバレエの練習風景、バランシン振り付けのラヴェル『ソナチネ』も紹介した。モニック・ルディエールが踊り、この作品を初演したヴェロニック・ヴェルディが指導している。この映像には、ヤマハの店長さんがいたく感心していらした。最後に、私とジョヴァニネッティのデュオ『ミンストレル』のプロモーション動画もご紹介したら、サイン会でCDが2枚売れた。

その日の夜、バルダから自分がピアニストをつとめていたころのバレエの動画が送られてきた。いくつか見ていたら、バルダのピアノをバックにショパン『ワルツ第8番』を踊っている映像があるではないか! どうもバルダのアンコール曲の多くはダンサーたちが踊ったものらしい。それにしても、あと一日早く送ってくれていたら、ヤマハで紹介できたのに! どこまでもタイミングが悪いバルダである。

11月16日は、朝日カルチャーセンター名古屋教室で『眠れない夜に聴く ミステリー・クラシック』関連の講座。NHK文化センター青山教室とうってかわって、早くから50名近くの予約が報告されていた。青山教室と同じ手順だが、お教室にピアノがないのですべてがCDの音源。ここで、自分の音源を「聴いて」いるよりも「弾いて」しまったほうが気が楽なことがよくわかった。
サイン会では本やCDが飛ぶように売れ、『眠れない夜』のアルバムはもとより、私が持ち込んだ『ミンストレル』も10枚中8枚、文庫本『6本指のゴルトベルク』は5冊完売してしまった。もっと持ってくればよかったと思ってもあとの祭り。

10月~11月は、イベントの前後にもいろいろな公開講座があった。お茶の水ビブリオの前日はピアノ教育連盟北九州支部の公開講座で、福岡にいた。オーディションの課題曲による公開レッスン+講座ということで、専門のドビュッシーの他にも、バッハからベートーヴェン、シューベルト、ショパン、フォーレ、グリーグなどについて弾いたり解説したりしなければならない。準備は大変だったが、とても熱心に聴いてくださり、公開レッスンの生徒たちもレベルが高くて楽しかった。

NHK文化センター青山の前々日は、朝から夕方まで大阪音大のレッスン。翌日は午前中教えてから名古屋にまわり、やはりピアノ教育連盟名古屋支部の公開レッスン+講座をおこなっていた。丸善ジュンク堂のトークバトルの翌日は河出書房の『文藝別冊・ショパン特集号』で、「パリのショパン」という原稿20枚の締め切り。にもかかわらず、イベント後の二次会で3時まで飲んでいたけれど・・・。

11月9日、ヤマハのイベントの翌日は、JMLセミナーで朝から夕方までフランス音楽の講座。私はお昼休みをとらずにノンストップで教える癖があるのだが、そろそろもう少し楽な時程を組まなければ。

コンサートやオペラ、展覧会でも忙しかったのである。10月17日,福岡に発つ前日にはオペラシティでラドゥ・ルプーのリサイタルを聴いた。弱音のグラデーションで、ほとんどがピアニッシモ、音が大きくてもメゾ・フォルテぐらいで、ひたすら枯れた境地のシューベルト。バルダがクライバーン・コンクールを受けたときの優勝者だが、67歳のルプーより72歳のバルダのほうが音楽が若い。

10月23日には新国立劇場でモーツァルト『フィガロの結婚』。「黒猫コンサート」で歌っていただいた吉原圭子さんや神戸松方ホールでご一緒した竹本節子さんも出演している。舞台が斜めで、ハイヒールをはいた女性歌手たちは気が気ではなかったろう。男性歌手たちも妙にガニ股で踏ん張って歌っていた。そういえば、パリのバスティーユで『トスカ』を観たときも舞台が斜めで、おまけに途中でとぎれていて、歌手たちはステージとステージの間をぴょんぴょんとび移りながら歌っていた。

丸善ジュンク堂の前日の30日には、東京文化会館で柳川守さんのリサイタル。2014年に文庫にはいる予定の『我が偏愛のピアニスト』でとりあげた元祖天才少年である。80歳を超えるのに演奏は若々しく、なかでもムソルグスキー『展覧会の絵』は極彩色でオーケストラを聴いているようだった。

11月3日は三軒茶屋のサロン「テッセラ」で作曲家・ピアニスト高橋悠治さんとメゾ・ソプラノ波多野睦美さんのコンサート。やはり『偏愛』にご登場いただいたピアニスト、廻由美子さんのプロデュースである。6日は、すみだトリフォニーで芸大出身の若いピアニスト、森下唯くんのリサイタルを聴いた。森下くんの専門は今年生誕200年を迎えるショパンの後輩作曲家アルカンということで、オール・アルカン・プログラムだった。メンデルスゾーン『無言歌集』に触発された『歌曲集』の終曲「舟歌」にうっとりした。森下くんのピアノは、音楽評論家谷戸基岩さんが主催する「知られざる作品を広める会」のアルカン記念コンサートで、また拝聴することになる。

11月8日には日生劇場主催のライマン『リア』を堪能した。タイトルロールを歌う小森輝彦さんは、私も中学まで学んだ学芸大学付属の出身。一般的に、声楽家はあまり知的ではないと思われがちだが、とんでもない。日本人初のドイツ宮廷歌手となった小森さんは声も歌唱もすばらしいが、演技がそれに輪をかけてすばらしい。とりわけリアが狂ってからは、名舞台役者にも匹敵する迫真の演技だった。日本音コンの声楽部門でカウンターテナーとして初めて優勝した話題の藤木大地さんの声も美しかった。

12日は、サイトウキネン音楽祭で取材したジャズ勉強会の受講生の一人、北島佳乃子さんのライヴに出かけた。三軒茶屋の小さなライヴハウスだが、サイトウキネンのときにスタッフとして参加したベースの楠井五月くん、ドラムス石若駿くんも出演して、とてもレベルの高いライヴになった。サイトウキネンで講師をつとめたピアニスト、大西順子さんも聴きにいらしていたので、北島さんはめっちゃ緊張したようだが。
サイトウキネン音楽祭の取材レポートは『芸術新潮』11月号に掲載された。5月に自分が出演した「ラ・フォルジュルネ音楽祭」は『文学界』に書いたし、『すばる』に掲載された別府アルゲリッチ音楽祭や荻窪女性作曲家音楽祭、フジコ・ヘミングの追っかけレポートも含めて、来年には単行本として上梓される予定である。

年が明けて1月には、パリ近郊とマルセイユでCDアルバム記念のデュオ・コンサートも予定されている。わっ、練習しなくちゃ。

投稿日:2013年11月20日

新メルド日記

MERDEとは?

「MERDE/メルド」は、フランス語で「糞ったれ」という意味です。このアクの強い下品な言葉を、フランス人は紳士淑女でさえ使います。「メルド」はまた、ここ一番という時に幸運をもたらしてくれる、縁起かつぎの言葉です。身の引きしまるような難関に立ち向かう時、「糞ったれ!」の強烈な一言が、絶大な勇気を与えてくれるのでしょう。
 ピアノと文筆の二つの世界で活動する青柳いづみこの日々は、「メルド!」と声をかけてほしい場面の連続です。読んでいただくうちに、青柳が「メルド!日記」と命名したことがお分かりいただけるかもしれません。

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